小説家になるという夢
ある男の夢は、小説家だった。
男はまだ学生で、社会を知らない若造であったが、将来は小説家になるという夢をもっていた。毎日毎日、自分の書いた小説が有名になることを妄想していた。
ある日、家族に自分の夢を打ち明けた。すると、母と大喧嘩になってしまったのだ。母は、小説家という将来食べていけるかどうか分からない職業に就くことに反対した。男の子なのだから、しっかりと稼いで家庭を守らなければいけないと。母の言うことは最もであった。
だが、それが正しいと感じるほどに、男は苛立ちを募らせていった。そんなことは、自分でもわかっているのだ。でも、小説家になりたいという夢を諦めきれない。その理想と現実とのギャップが、男を苦しめていた。
そのことに対して、父は何も言わなかった。男に賛成していたのか反対していたのかは分からない。感情的になる母を諭し、イライラを表に出す男をなだめるような発言はするものの、肝心の小説家になるということに関しては完全に沈黙を通し、何も言わなかったのだ。もともと寡黙な父ではあったが、父が何を考えているのか、男にも母にも分からなかった。
それからというもの、母との会話は日に日に減っていった。必要最低限の会話しかしなくなっていた。仲直りはしたい。でも、お互いに退けぬものがあった。父とは、前からそんなに会話をすることはなかったので、会話の頻度は相変わらずであった。だが、今書こうとしている話があるということや、最近ではネットで自分の小説を投稿する人も多いらしいので、自分もやってみることにする、ということは少し話していた。
男はその言葉通り、試しに小説を投稿できるサイトに登録をして、自分の書いた小説を投稿してみた。きっとすぐに誰かが感想をくれるだろう、という根拠もない自信をもっていた。すぐには評価を得られなくても、いつか誰かが評価してくれるだろう、と。
しかし、小説を投稿してから数日が経っても、誰からの評価も感想も得られなかった。いくらなんでも、一人ぐらいは感想をくれるだろうという淡い期待をもっていた。その期待が打ち砕かれ、現実を突きつけられた瞬間であった。男の頭には、母の言葉がよぎる。やはり、母の言うことが正しかったのか、と……。
それからしばらくの月日が流れたが、一向に感想や評価は得られなかった。自分には才能がないということを実感し始め、落胆しきっていた。もう投げ出してしまおうかと思っていた。そんなある日のことだった。男の小説に、初めて感想がついたのだ。感想が書かれたことを知らせるメッセージの文字を見たとき、すごく胸が高鳴った。それを開くだけでドキドキした。褒められているのだろうか。もしかしたら、批判の声かもしれない。でも、それでも感想をくれたことには違いない。でも……。
そして、おそるおそる感想のページを開くと、そこにはこう書かれていた。
「はじめまして。あなたの作品、読みました。面白いですね。
これからも、頑張ってください。」
たった2行であったが、男はそれがどうしようもなく嬉しかった。何度も、何度もその2行を読み返した。その貰った感想を覚えてしまうほどに繰り返し読んだあと、こう考えるようになった。せっかく感想をもらったからには、何かこちらも返信をしたい。だが、下手な返信をして、相手の機嫌を損ねたらどうしよう。これからも、読んでもらいたいのに……。感想を読んでからは、そんなことばかりを考えていた。感想に返信をするのにも、こんなに頭を使うなんて。
「感想ありがとうございます。これからも、是非よろしくお願いします。」
自分が書いた返信も、何度も何度も読み返した。誤字脱字はないか。失礼な表現はないか。本当にこんな内容で良いのだろうか。それを確認するために、何度も何度も読み返して、感想の返信をした。
それからというもの、その人は新しい小説を投稿するたびに感想をくれるようになっていた。男は、それに毎回返信を書いて、やりとりを繰り返していた。男は、自分の小説を読んで面白いと言ってくれる人が一人でもいるということをきっかけに、少し自信をもてるようになっていた。今はまだ全然ダメでも、これから頑張ろうという気持ちになっていた。
その自信や努力のおかげか、日に日に感想をくれる人の数は増えていった。あの感想のおかげで男はここまで頑張ることができたのだ。
そんなことが日常になってきた頃、そのことを何気なく父に話してみた。すると、父は驚くべきことを言った。
「知ってたよ。お前がネットに投稿している小説に、毎回感想を書いている人がいることは。」
男は意味がわからなかった。何故、父がそんなことを知っているのだろう。
その疑問を投げかける前に、父が続けてこう言った。
「それはな、母さんだよ。」
ますます意味がわからなかった。その感想は、男のことを褒めるばかりで、まるで小説家になることを応援しているかのような内容ばかりだったのだから。小説家になるということに猛反対していた母が、そんなことをするはずがない、と。
「すまんな。父さんが母さんに、お前がネットに小説を投稿していると言ったら、どうにか読めないものかと言ってきてな。携帯もパソコンも使えないくせに、無理だと言ったのだが、どうしてもというのでやり方を教えてしまったのだ。
それからというもの、お前が居ない時を見計らって、パソコンの使い方、文字の打ち方、いろいろなことを勉強していたよ。母さんは小説家になるなんてダメだって反対していたけれど、それもこれも全部、お前のことが心配だからなんだよ。ただ、それだけなんだよ。」
男は気がつくと涙を流していた。てっきり、自分は一人で大きくなったつもりでいた。でも、そんなことはなかった。いつも母さんの応援や助けがあって、自分は大きくなれていたのに。
涙を流す男を見て、最後に父は一言だけ付け加えた。
「男が一度やると決めたら全力でやり通せ。それが成功しても失敗しても、やり通したという経験が、お前を成長させてくれるんだ。」
――それから数年後。
男は他の仕事に就いていた。やはり、自分の書いた小説だけで食べていけることはなかった。でも、今でも趣味で小説を書いてはネットに投稿している。それなりに読者も増えた。
「さて、今回の新作の小説のタイトルは何にしよう。
そうだ、いいのが思いついた。この小説のタイトルは……」
『ありがとう。』