08話:子、曰く
勇者 クロサキは 逃げ出した▽
「よし……逃げるか」
「ゆ、勇者さま?」
戸惑う村人たちを無視すると踵を返す。
「待ってくだせえ、この村を見捨てるのですか?」
「うるさいな」
留めようと裾を掴んできた老人を振り払うと、無様に地面にへたりこんだ。涙で潤んだ瞳で上目づかいされてもじじいというだけで怒りを覚える。村を見捨てるつもりかとか言われたが、俺が逃げても滅ぶのは王家と俺のメンツだけだ。元々村人は逃げれば見逃すと魔王のビラに書いてあるんだから、俺が戦おうと逃げようとこの村にはメリットもデメリットもないはずだ。なのに先ほど存分語った恐ろしい魔王と戦えと言うのか。
土に汚れた村長は地面を這いずってまでも、哀れにもすがりつこうとする。その姿に触発されてか先ほどまでは黙っていた村人たちもこちらへと詰めてきて、村を守ってくれだの、魔王を倒してくれだの、敵前逃亡するへたれだの騒ぎだした。
本当に身勝手でうるさい連中だ。
「スラ太君」
名前を呼べば、それを合図に、先ほどから広場全体を覆うように体を伸ばしていたスラ太君が、一気に動いて村人たちを飲み込みだした。逃げようと民衆は右往左往するが、即席のドームとなっているスラ太君からは逃れられずに、どんどんと魅惑の青いボディに沈んでいく。
目の前で友人知人が捕らわれては溶ける様子を見せられて、次は自分だと本能ではわかっていても頭では理解できずに、無駄と知っても抗う様は実に愉快だ。絶望渇望狂気怨嗟恐慌嘆き悲しみ、いろいろな悲鳴がBGMだ。
「誰か助けっ――」
「おかあさーん、おかあさんどこー?」
「どけっ、俺だけは助かってみせる」
「ぎゃああああ!」
うるさい虫けらどもを無視して、再び歩き始めた。あ、言っておくがギャグではないぞ。
目的は減っている保存食の補充と装備の見繕いだ。鎧と盾は新調したばかりだが、服とか靴とかそろそろ替え時だしな。
広場にいく途中に見かけた服屋の扉を破り開けると、勝手に中を物色していく。そこそこ儲かっていそうだと予想した通り、なかなかいい品ぞろえだ。下手に安いところで買うと麻のごわごわした服しかなかったりするが、この店には綿や絹なんかもある。
絹の服は女性向けばかりだもので、綿の白いシャツと黒いズボンに着替える。そっちの青い方がスラ太君とお揃いの色でいいかもしれない。でも、白い方が隣に立った時に映えるかな。悩みながらごそごそと何着か試して、ようやく持っていく服が決まった。古くなった着替えを打ち捨てると、替りに新しい服を鞄の中に詰めた。そしてレジへと歩いて行く。別に料金を支払うわけじゃない、売上金を回収するためだ。小銭入れには手をつけず、金庫の鍵を壊すと金をそのへんにあった袋につめる。
隣の店でも同じようにめぼしい品物は回収し、金は奪う。その繰り返しだ。スラ太君は山盛りの御馳走に舌鼓みを打っているようで、断末魔がまだ村中に響いている。
手早く逃げるために金を持っていそうな家だけを効率よく回って行く。村長の家は一番大きなこともあり結構な隠し金をためていた。もっとへそくりを隠していないかと家具をひっくり返していると、本棚の奥に隠し階段を見つけた。本当ならばスイッチを押すか仕掛けを動かすと開くのだろうが、普通に本棚ごと壊したら現れたのだった。
『レベルを上げて物理で殴ればいい』 先人は偉大だ。格言に一人頷きながら、地下へと降りていく。
石造りの地下室といっても、頻繁に人の出入りがあるのか空気は淀んでいなかった。高価な魔法石が、人が来たことを感知して自動で光り出した。オレンジの暗い光に照らし出された教室程度の四角い部屋の中心には祭壇らしきものがあった。掲げられているレリーフはおどろおどろしく、どう好意的にみてもいい精霊や神々を祭っているようには思えない。だいたい隠し階段の奥にある地下室というだけで怪しさ満点だ。片隅に積まれている本の表紙には『邪神教本』とか書いてあるし、やはり予想は当たっていた。
祭壇に近づくと、石で出来た長方形の黒い台だと思っていたそれが、蓋のない箱だと気が付いた。箱の下方側面にはいくつもの穴が開いており、床の溝に続いていた。部屋中を走る何本もの溝は幾何学的な模様を描き出しているようだが、図形の苦手な俺の頭ではどんな絵なのかわからない。定番だと五芒星とか六芒星だろうか。厨二的ななにかが刺激されるな。
そして問題の黒い箱の中には18禁的な存在がある気がする。
巫女服っぽいのが部屋の片隅に置いてあるし、箱のサイズはちょうど人間が横たわれるくらいだし、地下室全体的に特徴的なアレの生臭い匂いが染みついているし、時折中からは押し殺すような荒い息が聞こえてくるし、溝には赤黒い液体が満ちてるし。ええ後ろにGのつくR18ですね。わかります。アレとかごまかしたけど要は血です。
覗いて気分が悪くなるのも嫌だし、遠くから剣撃で破壊した。流石は妖刀国崩し。一振りで国をも崩すとの破壊力は伊達ではないな。え、そんな名前じゃない? 気のせいだろ。
一瞬だけみえた長い銀髪の少女の姿は、続く二振り目の攻撃で崩れた天井に隠れて消えた。ありがとうという小さな言葉なんて斬撃にまぎれて聞こえない。
防御力の高さを生かして、崩れゆく地下を堂々と歩いて脱出する。一抱えもある岩が頭に直撃しても痛くないとは、自分ながら不思議な存在になったものだ。
全壊した村長の家から出ると、食事が終わったスラ太君が出迎えに来ていた。大量に栄養満点のものを摂取したからか、その身体はうっすら黄金に輝いていた。その神々しい輝きが目に眩しい。
もう彼はスライムタワーなんかじゃない。王だ。スライムの王なんだ。今日から君の名前はスラ太君kingだ!
懐が温かくなった俺はスラ太君と一緒に村跡地を出た。
民家のタンスをあさるのは勇者の仕事だし、邪神復活を阻止できたし、文句の一つもないほどの真の勇者の所業だと言えよう。
宿の裏手にあった馬小屋につながれていた二頭の馬と馬車は誰のものだったかはしらないが、持ち主が亡くなっていることは確かなので、貰うことにした。このまま置いておいても餓死するだけだしな。
人によく馴れているのか、頭絡を持って近付くと素直に馬は首を差し出してきた。現代社会に生きる若者にとって馬と触れ合う機会なんてTVや本越しぐらいしかなかったので、どうやって着けるのか戸惑ったが、弄くりまわしているうちにどうにか格好ばかりは整えられた。ハックモアの項革と額革で耳をはさんで、鼻革の下を止めれば完成。うん、たぶんこれであってるだろ。
前後は輪の大きさですぐにわかったが、上下が問題だった。こちらが正しいのかとハメて、また外して逆にしてハメて、結局元の方向に戻してハメて。まるでUSBの差し込み口みたいなやつだ。
頭絡以外にも馬用だろう革紐が大量にあった。どこに着けるのか、何に使うのか見当はつかないが必要になるかもしれないので、かき集めた金品と一緒に馬車に積んでおく。馬は馬車曳きさせる予定なので乗馬鞍は必要ないのだが、乗れたらカッコイイのでこれも持っていくことにした。
俺、魔王から無事に逃れられたら馬に乗るんだ……
芦毛と青毛のモノクロコンビに馬車を曳かせながら、田舎道を走って行く。
風に乗って薫る草木のにおいが、髪を戦がせて流れていく。
振り返っても、もうあの村は見えない。本当に魔王は来たのか、それはわからない。念のために丘に設置しておいた罠が無事に発動したのかもわからない。魔王襲来の知らせはただの子供のイタズラで、やはり魔王なんていなかったかもしれない。逆に魔王は存在していて、今頃は幾重にも貼り巡らされたトラップにかかってもがいているのかもしれない。スラ太君と仲良く一緒に作った渾身の罠だ。きっと魔王だろうと邪神だろうと見事に捕えていることだろう。
魔王がどうなったのか確かめるには戻ればいいだけなのだが、わざわざ虎穴に入りにいく気はないので、後ろ髪をひかれることなく前だけ見つめて進む。
ワンコの音にまぎれて空の高くから鳥の鳴き声が聞こえた。後の荷台ではスラ太君が馬車に揺られながら昼寝をしている。
魔王の侵略なんて本当に起きているとは思えない平和な光景だった。
静かな世界は平穏で好ましい。
身勝手で騒がしい人間なんて、この世界にはいらないんだ。
鹿路は気が付いていなかった。自分のその思考が歪んでいることに。人間なのに人間をいらないという歪さに。
かつて監禁されていた時には己を守るために、心を閉じて小さくなっていた。
そして今、自由になった反動なのか、心は開かれて彼の思考と行動はほぼイコールになっている。邪魔ならば消すし、腹が減ったら食べる。眠いなら寝るし、好ましいなら手に入れる。鬱になったり躁になったり。普通ならば精神を安定させようとするのだが、とっくの昔に壊れたままの心はスラ太君に逢って多少は治ったものの未だに狂っていて、支離破滅な行動を引き起こしてばかりだ。パッと見はマトモに見えるのが性質が悪い。
閉まっていた記憶の扉は、開け広げられてぽろりぽろりと思い出が転げ出すが、転げ落ちたそれらは散らかりごちゃごちゃになっていた。唐揚げが得意な優しげな女性は誰なのか、漫画雑誌を回し読みしていた友人の名前はなんだったのか。ふとした瞬間に、カラオケの十八番の曲を思い出したりするが、またすぐに忘れる。今の鹿路は細部ばかりを小出しに思い出すだけで、全体をまとめて思い出すことが困難だった。
だけど、別に気にしていなかった。
彼にとって必要なのはスラ太君と一緒に楽しく過ごすことだけで、あとはなにもいらないからだ。過去も未来も。
だから気がつかない。己の歪を。
パカパカと馬車が走って行く。勇者を乗せて次の町へと。
作中でハックモアを採用したのは、趣味