03話:明日になれば
昼も夜もわからない暗い部屋で、ボロボロの毛布にくるまってぼんやりと天井を見上げる。寝たい時に寝る生活。だけど起きていても何も考えることはなく寝ているのと変わらない。
いつからか寝ても夢をみなくなっていた。
前までは勇者として讃えられる夢や、元の世界の幸せだった頃の夢をよくみていた気がする。その頃は、辛い現実から逃れたくて、頭が痛くなるまで寝続けてたりもざらだった。
そういえば、小学校から一緒だった友達は佐藤って名前だったけ? よくある名字だってのは覚えてるんだが。ボーリング一緒に行く約束してたけど、どうなったんだろうな。
おふくろは心配してんのかな? オヤジの酒の量増えてねーかな。
ああ、でも……顔が浮かんでこないな。
****
戸を挟んで向こう側の廊下を歩く足音で誰なのかわかるようになってきた。
重い足音でイライラと早歩きなのは兵士たち。
面倒くさそうに軽く足を摺りながら歩くのは飯を放りにくるメイド。
俺のいるトコはよほど城の外れにあるのか、廊下を通りかかるのは俺に用のあるものか、見張りを交代にくる兵士しかいない。
わずかながら憐れんでくれたのか、名前もしらない兵士から恵まれた穴だらけの毛布にくるまって、じっと近付いてくる足音を聞いていた。
軽い足取り。悠々ともったいぶった歩き方。
これは、俺をいたぶることに執念を燃やすクソ教官か。
サディスティックなこの男は、力任せに殴るだけの兵士たちと違い、明確に苦痛を与えるように殴りつけてくるのが嫌だった。
訓練と称された一方的な暴力行為は嫌だし、男の薄汚い心根も嫌だ。
だけど、逃げようとも抵抗しようともしない。する気がない。
そんなことはすでに何十回と何百回とやったことだ。そのたびに取り押さえられ、より酷い目にあわされ生死の境をさまよったことは一度や二度ではない。
すべて諦めているだけだ。
殴られることも、尊厳を奪われることも。
心はいつしか絶対零度の極地に変わり果てていた。冷たい風が少しずつ感情を浚い。激しい吹雪がわずかな熱を容赦なく奪っていった。
地平線の端まで氷と雪に覆われた乾燥した大地。
一日中、夜の世界に光はない。いつかは日が昇るかもしれない。だけど、いつかが何時になるかは誰も知らない。
「たのしいたのしい修行の時間だぞ~。勇者サマ」
戸が開かれ、廊下から射す眩しい光が部屋の中を照らしだす。
だけどソレは希望の光なんかじゃないのは、よく知っていた。
教官が促すままに、その後ろを追いかけて歩いて行く。なんとなく見た窓の外の入道雲に季節が夏なのだと知った。
最近は寒くなくてありがたいと思っていたが、いつのまに季節が変わっていたようだ。俺がこの世界に来たのは秋の始めで、夏休みが終わってすぐだったから、もう5年も経っていたのか。
感慨にふけっているうちに足が止まっていて、それを理由に強く頭を殴られた。だけど前みたいに無様に廊下に倒れることはせず、足を踏ん張って耐えた。
殴られ蔑まれゴミと呼ばれ、俺にできるのは耐えることだった。
痛みを耐え、屈辱を耐え、涙を耐え、すべてを黙って耐え続ける。
5年前からただ一つ守り続けている信念がそれだった。
初めは部屋で独り泣くこともあった。怒りに身を任せて殴り返したこともあった。自殺しようと舌を噛み千切ったこともあった。誰か助けてくれと叫んだこともあった。
だけど、それがなんの役にもたたなかったら?
泣いた声がうるさいと蹴られたら? 殴ったことで反抗的だと10人の屈強な兵士に囲まれリンチされたら? 噛み切った舌を回復ポーションで元通りに戻されて死ぬことも許されてないと知ったら? どんなに叫んでも助けなんてこないと気がついたら?
俺はすべてに期待をするのをやめた。
俺が待つのは10年という月日。次の勇者が召喚される日だった。用済みとして秘密裏に処分されるかもしれない。万が一の王の気まぐれで元の世界に戻れるかもしれない。
どちらに転んでもよかった。この俺にとって地獄でしかない世界から逃げられるのなら。
廊下を無言で歩く。
もうすぐ訓練所に着くというところで、先を歩く教官サマが立ち止まった。何があったのだろうかと思うが、彼の体に遮られて先の様子はわからない。
ごまを擦りペコペコと頭を下げながら廊下の端に避けたことで、彼が対峙していた人物が俺にもようやく見えた。
「あら、虫ケラが廊下にいるなんてと思ったら、とんだ役立たずな家畜以下の無価値勇者じゃないですか」
クスクスと可愛らしい声で笑うこの国の姫は5年の月日が経っても、容姿が衰えることなく少女のような愛らしい姿をしていた。
美しい花にはトゲがある。
誰もが好意を抱く姿かたちを持ちながら、歪んだ心を持った綺麗な綺麗なお姫さま。
彼女は自分より下の存在をいたぶるのが大好きだった。様々な手法で人を虐め、罵り、蔑むのが大好きだった。
「そんな人間な屑が私を直視するなんて、許されるのかしら?」
毒を吐かれたことで、嫌悪感に顔が歪みそうになったが堪えて、努めて無表情を保つ。
俺は廊下の端に避けると、膝をつき、深く土下座をした。
この世界の人々は建物内であっても土足なため、土にまみれた床に触れた腕や額の下でざりっと砂が鳴る。
「それでいいの。お優しいお父様の御慈悲で、本来なら呼吸をするのを許されていない廃棄物を置いてやっているのだから、感謝の心を忘れないようにね」
姫は気まぐれに訓練所にきては片隅にある観覧席で侍女を侍らかしながら、紅茶片手に俺がボロボロになるのを眺めるのが趣味だった。
時には思いつきで、刃を潰した訓練刀を持った専属の護衛兵と素手で戦わせたり、侍女に弓を持たせ俺を的に撃たせたり、野良犬やモンスターと一緒に檻に閉じ込め戦わせたり、彼女の思いつきは常に俺を苦しめた。
そして俺が傷つき苦しむ様を見ては興奮して、恋をした貴婦人のように頬を薔薇色に染めるのだ。
そしていたぶることに飽きた姫は、俺を呼び寄せると土下座をさせ、そして長いこと蔑むのが常だった。
初めはツラい言葉の数々に傷付いて心は血を流していたが、凍てついた心に言葉の暴力は無力で、今では土下座タイムに寝るほどになっていた。訓練された土下座のおかげで罵りが終了したと同時に起きれるようになったり、相鎚や簡単な質問に寝言で返せるようになっていた。
現在も姫相手に土下座しながら、すでにうつらうつらと眠気を覚えていた。
昼寝しても風邪をひかない季節に感謝しつつまどろんでいると、すっと意識が覚醒した。
なにがあるのだろうかと、聞きながしまくっていた姫の言葉に集中する。
「こんなところにいらっしゃるなんて珍しいですわね。ええ、このみすぼらしいのがあの勇者ですわ」
どうやら誰かと話しをしているようだった。
一方的にぺらぺらと話しているせいで、相手がだれかはわからないまま話は進んでいく。
「もう5年間も飼っているのですから、そろそろなにかの役に立って欲しいものですわ。前線で肉壁にするか、おじいさまの人体実験の材料にするとか。本当、このままでは犬畜生にも劣る存在ですし、勇者として人間様に貢献してもらわないと……」
勇者と書いて、家畜と読まれたことに疑問はわかない。
というか、家畜のほうが上等な扱いを受けている現状では、牛や豚が眩しい存在だ。ブロイラーなんて3か月で楽になれると聞く。羨ましい限りだ。
なれるものなら、すぐにでも立場を替ってほしい。
こんな糞みたいな世界は鶏に命運を任せるのがお似合いだよ。
その間に俺は短い生涯をじっと耐えて、すぐに楽になる予定だからさ。
そんなくだらないことをつらつらと考えているうちに、話は終わったようだった。
「明日にもう一度測り直し、ダメなら処分だな」
姫が相手にしていたらしいおっさんがそう告げた。
おっさんと勝手に断定したが、土下座したままなので正しい年齢はわからない。まあ、おっさんの歳なんてどうでもいい話題だ。
「ふふっ、明日までの命、せいぜい楽しみなさい」
足音が二つ遠ざかっていく。
姫とおっさんは連れだって去っていたようだ。
足音が完全に聞こえなくなるまで、俺は床のシミを凝視しながら固まっていた。
「明日……」
その希望の言葉が頭の中を何度も駆け巡る。
ダメなら処分。前線で肉壁。実験材料。明日までの命。
明日までの。
明日。
明日には、
明日になれば、
蹲る彼の姿は、真摯に祈りを捧げる信者のようでもあり、捧げられるのを伏して待つ贄のようでもあった。