15話:異世界召喚された俺のはっぴーえんど
前話で終わると思ったか、タグ:鬱は伊達じゃない!
少女の白い貝のように小さくて形の良い耳に、唇を寄せるとそっと囁いた。
「俺はこんなハッピーエンドを認めない」
「勇者さま?」
頬に触れていた手を輪郭にそって流れるように撫ぜていく。
指先にためらいを残して頬を撫ぜ、痕をつけるように強く喉に爪を立て、丸い肩には軽く触れただけで、風にあおられて指に絡んできた銀色の絹に思える髪を握った。
しばらくそうして指に触れるしなやかな感触を味わいつづけた。
そして、背中の半ばまである長い銀髪を掴んで、力の限りに下に引っ張る。
「きゃっ」
のぞける喉は思っていたよりも長く見えた。呼吸のたびに小さく揺れる気道と、浮き出る血管。男の自分とは違い喉仏がなく、つるりとした白い喉は、蛇の腹にも似ていた。
冷たくも見えた首に剣を当てて横に引く。輪状の軟骨に沿うようにして、触れただけで指先が切れる鋭い刃をやわらかい喉の奥へと押し込むように、切り裂く。一瞬の間をおいて、赤黒い血が流れ出した。
「ははっ、冷たい蛇に似ているけど、こんなにも熱いじゃないか」
どろどろと粘度をもって流れ出す大量の血が、首を伝って、髪を掴む左手を赤く濡らす。指先から手首にと流れくる血潮は、人の命を感じさせる熱さを持っていた。ドクドクと鼓動に合わせて脈打ち流れる紅い河は、どこにこの量が収まっていたのかとおもうほど多く、辺りを染め上げるのに十分なほどだった。
唐突にリッカの足の力が抜けて倒れ込む。
それに合わせて、髪をつかんでいた手を離せば、先ほどまでとはまるで違う感触の、例えるならば濡れた布のような重い紙が、肌に貼りつきながら落ちた。
喉元から下を赤く染め、丈の短い草地に横倒しになっている少女の姿は、かつて身を蝕まれ倒れていた姿とよく似ていた。
「勇者、お前いったい!」
「なっ、なにがあったんです?」
立ち上がろうと腰を浮かしかけたジョージとマルクリウスの首を刎ねる。驚きに固まったままの首が二つ、青空の中を意外なほど高く飛んだ。
「ひっ、助けて……」
魔王を守ろうと上から覆いかぶさったテアランの胸を背後から貫いた。苦痛に身をよじろうとも、その腕は最後まで魔王を抱きしめて離さなかった。
これで4人。あとは魔王ただ一人。
遠くに走り去っていく仔馬を見送りながら、事切れたテアランを貫いている剣をさらに突き進めて、肉の壁でかばわれている少年を刺し殺そうと力を入れるが、何枚も重ねられた厚着に絡んで深くまで刺さらない。
仕方がないので、一度抜くことにした。
「おにいさん、どうして?」
剣という支えを抜いたので、バランスが崩れたシスターの体がずるりと滑るように地に伏した。その下から、テアランの流した血で汚れた魔王が抜け出てきた。色の抜けた表情は前までと同じ人形のようだった。
「どうしてって、わかるだろ」
「どうして? ハッピーエンドを向かえたいって、言ってたじゃん。世界は平和になって、信頼できる仲間がいて、心から想う彼女がいて、最高のハッピーエンドでしょ」
うわべだけをみれば、確かにそうなのだろう。
苦しむことも涙することもない、穏かに過ぎていく平和な日常。
涼しげな木陰の下でまどろむ午後の一時。
日差しとともに駆けていく子供たちの無邪気な笑い声。
火を囲みながら、短い言葉を交わしあう老人たちの憩い。
誰もが望む恒久的な平穏の日々。
だけど、
「だって、ここにはスラ太君がいないじゃないか」
世界を壊すには、それだけで十分だった。
***
ガラスの割れる音が響き、空間にヒビが入る。
舞台背景のように青空と草原が崩れていく。
崩れた後ろには、魔王と対峙していた城内が広がっていた。
「あはっ、やっぱおにいさんの方が魔王っぽいね」
元の世界に戻ってきた。目の前にある景色は、魔王が魔法を放つ前と寸分変わりがない。
おそらく俺は今の今まで、幻の類をみせられていたのだろう。
完全なる平穏な世界。
平和を目指してきた勇者ならば、きっと夢見たまでの世界に捕えられて抜け出せなくなるに違いない。歴代の勇者たちが魔王に勝てないでいたのは、この魔法があったからだろう。
クソガキは相変わらず胡散臭い作り笑いを浮かべている。
「幻を破ったくらいで、このぼくに勝てるとでも思っているの?」
「ああ、俺は勇者だからな」
長い付き合いですっかり手になじんだ神聖剣は初めて持った時と同じように頼りないほど軽い。勇者にしか扱えない剣。こんな軽い存在だが、俺を勇者だと無条件に認めてくれる。悪趣味な成金主義な金ぴかな剣は好きになれないが、少しは、ほんの少しだけは信頼している。
「くらえっ」
強く踏み込んで、金色の剣を振りかぶる。
それを受け止めようと、黒い剣を構える魔王の足もとに金色の影が落ちる。
影が体を伸ばして、魔王を一気に飲み込む。
その正体は潜んで機会をうかがっていたスラ太君だった。
「卑怯だぞ!」
「さっき言っただろう、俺はスライム勇者だからな」
スラ太君に飲みこまれて身動きが取れなくなっている魔王の元へと歩み寄る。さすがの魔王もスラ太君相手には手も足もでないようだ。もうスラ太君は魔王を陵駕するほどに強くなっていた。もうスラ太君は魔王を名乗ってもいいだろう。
「死ね」
仰向けになった魔王の胸を一突きで貫く。
唖然とした表情で、ゆっくりとスラ太君の中に沈んでいく魔王を見送る。沈むにつれて剣も一緒に飲み込まれていく。抜けないかとひっぱたが、がっちりと喰いこんでいて、抜くと魔王まで浮かびそうだった。
俺は今まで力を貸してくれた剣に短い礼を言うと、沈むに任せて、柄から手を離した。
「ありがとな」
やがて、最後にちいさなあぶくを残して、魔王と剣は消えていった。
これで全ては終わった。
達成感と寂莫感に立ちすくんでいると、スラ太君が伝えたいことがあるのか、ズボンの裾を引っ張ってアピールをしてきた。
見ると、スラ太君の表面に浮かんでいるあぶくの中に薬ビンのようなものが入っていた。
スラ太君がわざわざ教えてくれたのだから、このビンには意味があるのだろう。
俺はあぶくの中に浮かんでいるビンを取り出した。傾けると濃い緑のガラスビンには何か液体が入っていた。ビンの蓋を開けると、鼻が曲がりそうな匂いにためらうことなく、中の液体を一口、口に含む。
舌がしびれるほど苦い液体をよく味わってから、飲みこんだ。
喉が焼けるような感触を堪えていると、そう間をおかずに身体の疲れが取れていることに気が付いた。冒険の最中に負った大小の傷跡もすっかりと消えている。
これが魔王の言っていた「とっておきの薬」なのか。
「リッカ」
部屋の外で待っていたシロとクロに守られて、眠るように横たわっている少女の上半身を起き上がらせる。口を開けさせて、ビンの中身を飲ませようとするが、タラタラと口端からこぼれていってしまった。
仕方がないので、一度自分の口に含んでから、口うつしに飲ませる。
ビンの中身がなくなるまで、何度も繰り返し口付けをして、薬を飲ませ続けた。
一秒、二秒……だけど、いくら待ってもリッカの眼は開かない。冷たく固まっている体が動きだすことはない。魔王城にくる前に亡くなっていた少女がよみがえることはなかった。
「奇跡なんて、やっぱり起きないんだな」
ぽつりと零れた声は自分でも驚くほど、か細く震えていた。
静かに眠る少女の穏やかな顔に、夢で見た健康的な笑顔が重なる。もしかしたら、魔王の所持する薬ならば死者さえも蘇らせられないかと、藁にすがる気持ちで駆けてきた。
だが、すべては無駄足で、すべては遅すぎた。
零れた涙が、青白いリッカの頬を濡らす。
泣きだした俺を慰めてくれるのか、スラ太君が膝にすりよってきていた。冷たい感触が心地よかった。
「スラ太君」
リッカを抱き上がると、スラ太君の上に掲げる。
そのまま、腕をおろしていくと、こちらの意図を理解したスラ太君が大きく体を伸ばして、人間を飲み込めるサイズまでなってくれた。大きな窓からは明るい日差しが差し込んできて、黄金のスラ太君を輝かせる。スラ太君は俺を飲み込まずに、リッカだけを溶かしていった。
腕の中の少女が、少しずつ小さくなっていく。
スラ太君から手を挙げた時には、もう彼女の痕跡は一遍も残っていなかった。
「なあ、スラ太君。これからどこにいこうか」
初めは世界のいいところを探そうとしてきた。
その次はリッカの家を目指してあちらこちらを旅してきた。
そして、薬を求めて魔王城へと来た。
これから行くところが見つからない。思い当たらない。
再び世界のよいところを探しにいくとして、ほとんどの国や町を滅ぼした今となっては無意味だ。
……どうしような。
空を見上げるが、なにも考えていない雲がぽっかりと浮かんでいただけだった。
スラ太君がいてくれる。それだけで俺は幸せなのに、なんでこんなに虚しいんだろうな。
そうやってしばらくしていると、スラ太君が足をつついてきた。
なにか伝えたいことでもあるのだろうか。
「スラ太君?」
丸く、いままで一番小さくなったスラ太君を中心に床が光り出し、魔法陣が現れた。
その魔法陣はどこかでみた記憶があった。魔法陣なんていったいどこで? 己の記憶の奥底まで探り、ようやくそれが召喚された時に見たのと同じものだと気が付いた。
「もしかして、これで帰れるのか?」
口にした疑問を肯定するようにスラ太君が自慢げにうなずいた。原理はわからないが、身に取り込んだことでリッカの能力がスラ太君に移ったのだろうか。だが、いままでそんなことが起きたことはなく、スライムはスライムでしかなかったはずなのに。
非現実的な夢物語だと笑われるかもしれないが、俺にはリッカが手助けしてくれている気がした。
魔法陣に足を踏み入れようとして、ふと、先ほどまで彼女が寝ていた場所に、丸いなにかが転がっているのに気が付いた。
手をのばして拾うと、それはいつもリッカが持っていた飾り玉だった。
「そうだな、リッカも帰りたいよな」
強く握りしめた玉は花の匂いがした。
***
山間に猫の額ほど開けた小さな畑があった。
よく整備された畑には等間隔に畝が並び、健康そうな色合いの野菜が鈴なりとなっていた。
すぐ横には小川が流れており、辺りに控えめな水音を響かせていた。
畑の世話をしていた農夫が、近付いてくる足音に気が付いて顔を上げる。
誰かを心から待ちわびているのか、その顔にはわずかな期待と大きな切望が滲んでいた。
「こんにちは」
だが、現われたのは、男の待っている存在ではなかったようで、すぐにその色は隠れて消えた。男はもっこを下ろすと、首にかけていた布で滝のように流れる汗を拭う。
「こんにちは、ここいらに人がくるなんて珍しいね。迷ったのか」
「ああ、実はそうなんだ」
黒い髪をした若い男は、バツが悪そうに笑った。
「今から家に帰るところでね。よかったら、街道に出る道を教えてもらえないか」
「この小川を下っていけば、広い川に出るから、そのまま行けば川沿いにあるからすぐにわかるさ」
「ありがとう。ところでこんな人里離れたところに一人なのか?」
何気なく聞いた旅人の問いかけに、男の顔が渋面をつくった。
「妻と二人の子供がいたんだが、いまはちょっとここにはいないんだ」
「じゃあ、寂しいな」
「早く元気な姿で帰ってきてくれるといいんだがな。ここいらにはモンスターが多くて、探しにいくこともできんし、ここで待つしかないのがないんだが、やっぱ一人はさびしいな」
それから男と旅人はしばらくの間、会話を交わした。
もっとも、男が家族との思い出を語るのを、旅人は相鎚を打ちながら聞くばかりだったが。
「それじゃあ、もう行くよ」
「気をつけてな」
「そうだ、道を教えてくれた礼に、やるよ。娘さんにでもやってくれ」
去り際に旅人が取り出したのは、花の模様が彫られた木製の飾り玉だった。
「リッカ……」
「え?」
「ああ、ここに彫られてる花が、娘と同じ名前なんだ」
「そうなのか、リッカもきっと花と同じようにきれいな娘なんだろうな」
「はは、うまいこと言っても、嫁にはやらんぞ」
旅人は手を振ると、山道を軽い足取りで下っていった。
もっこを再び肩に担いだ男が、そういえば玉の礼を言っていないと思い、去っていった方に目を向けると、その姿はもう見えなくなっていった。
ずいぶんと足の速い人だ。と思いながら農夫は畑仕事に戻る。
そのポケットの中には、リッカの花が彫られた玉が大切に収められていた。
これで完結です。最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!