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13話:魔王

 結局、3つ目の山もハズレだった。

 俺は焦っていた。


 「時間がない」


 出来る限りの速さで馬車を走らせるが、世界は広すぎる。

 馬車の走る音にまぎれても隠せようのない咳の音が後ろから聞こえてきて、さらに焦りがひどくなる。焦ってもどうしようもないというのに。


 リッカの体調は徐々によくなっていると思っていた。食欲はあるし、なによりも彼女はよく喋りよく笑っていた。檻の中で見た死にかけの少女は、もう遠い話になっていた。

 だけど、死の影は確実に忍び寄ってきていたのだ。


 夜に咳をするようになり。

 食べられる量が減るようになり。

 日中でも、ぼんやりとすることが増え始め。

 3日前から咳に血が混じるようになった。


 どんな病でも治す薬があるエルフの里も、寿命が尽きかけた老人でさえ甦らせる世界樹の葉も、飲むだけで健康になる祝福の泉も、すべてが遠すぎる。

 俺ができるのは、最期に彼女を家に帰してやることぐらいだった。


 夏でも天辺に雪が残っている山の麓。

 そこが彼女の家のある、帰るべき場所。


 万年雪があるほど高い山をいくつも回っているが、家はみつからない。彼女の母親が王都に連れていかれたことから然程は遠くないと踏んでいるのだが、今のところ見当をつけた山はことごとく外している。


 「けほっ」

 「リッカ、大丈夫だ。すぐに家に帰してやるからな」


 馬たちもリッカの危機がわかっているのか、全身に汗をかき必死の形相で走り続けている。俺に出来ることはただ意味もなく焦りながら、回復魔法をかけ続けることぐらいだった。


 強力な力と頼れる仲間を手に入れて、なんでもできるんだと慢心していた。

 だけど、俺に出来ないことはこんなにも沢山ある。無力だった。小さな女の子を救ってやるすらできないなんて。

 最近、トントン拍子にうまくいっていたからって、所詮(しょせん)俺はスラ太君におんぶにだっこのクズ勇者だってことを忘れていたんだ。


 もっと強ければ助けられたのか?


 もっと強ければ……、最初から強ければ、勇者として世界を平和に導き、邪神王を呼ぼうとしていた奴らなんてリッカが攫われる前に倒せただろう。きっと彼女の母親も姉も救えた。

 もっと賢ければ、きっと些細な情報から簡単にリッカの家がわかったことだろうし、体を治す薬だってぱぱっと作れたんだろう。

 もっと魔法が使えたら、すごく強力な回復魔法とかであっという間に健康体に治してみせれただろう。

 もっと、もっと、もっと……。


 物語の主人公みたいになりたかった。

 もっと強くて、もっと賢くて、もっと頼りがいのある人間に。

 物語をハッピーエンドで終わらせられる勇者に。


 「してあげようか?」


 馬車の前方から声がかけられる。そこにはいつか見かけたことがある黒服の少年が立っていた。なにか思わせぶりに俺達の前に現れては、すぐに姿が見えなくなる不思議な少年だった。

 だが、今は構う暇がない。

 このまま馬車を進めようとするが、なぜか一向に進まなかった。

 馬が必死に地面を蹴るが、空回りするばかりで一歩も前にいけないでいた。


 「話くらい聞いてもいいんじゃないかな?」

 「俺は急いでいるんだ。そんな暇はない! スラ太君!」


 少年を排除しようと、スラ太君が馬車から飛び出る。空中を跳ねながら元のサイズに戻り、押しつぶそうとするが、見えない不思議な壁に遮られて黒ずくめの男の1m以内に近づけなかった。バリヤのような魔法を張っているんだろうか。


 「せっかく会えたんだからさ、話をしようよ。お茶でも出そうか?」


 悪戯っぽく笑う少年が指を振るうと、何もなかった空間に白いテーブルクロスのかかった机と、ティーセットが出てきた。青い小花が描かれた白磁器に注がれた、透きとおった錆色の紅茶から上る芳しい香りがここまで漂ってくる。平皿に盛られたクッキーはチョコチップに紅茶葉、プレーンにアーモンドと色々な味を取りそろえられている。


 「紅茶が苦手なら、コーヒもあるよ」


 藤編みの椅子を引くと少年は座った。そして蔓を模したカップの持ち手を掴むと、おもむろに紅茶を口にする。まるでそこが王座のように悠々と。


 「そういえば、自己紹介がまだだったね。ぼくが魔王だよ」


 魔王。この世界に来て、何度も聞いたことがある。

 民衆の間で語り継がれている英雄談の中で。聞かん坊の子供を諌める文句に。旅人たちが潜めて交わす会話の中で。貴族たちが他人の人生を賭けに遊んでいる最中の雑談に。いつかの村で撒かれたビラで。―――俺が召喚された理由の最もたる一つに。


 魔王が存在していなければ、魔王が世界を脅かせていなければ、俺は召されることがないと思えば、魔王を恨むべきなのだろうが、今はそんなことにかまけている暇はなかった。


 「さっきも言ったが、急いでいるんだ。無理にでも押し通させてもらうぞ」


 リッカの様子をチラリと横目に見る。意識が混濁しているのか、ぼんやりとした濁った瞳を半分だけ開けて虚空を見上げている姿に、生命の残りがそう多くないのが読み取れる。

 わずかなためらいを馬車に残して飛び降りると、腰に帯びている剣を抜いた。

 魔王を倒せる唯一の武器、神聖剣日之気之棒。あいかわらず無駄なきらめきを辺りにふりまいている。この成金趣味の塊が正直好きになれないが、どんなに斬っても切れ味が鈍らないし、なかなか使えるので愛用し続けている。ぶっちゃけ、もっと良い武器を得たら即行乗り換える気満々だ。


 魔王に剣を振るうと、ガラスが割れるのに似た音を立てて透明な壁が壊れた。夏の終りがけの太陽が崩れる壁を一時だけ映し、薄い影を地表に照らしだす。


 「へへへ、まるでぼくより魔王みたいだね。おにいさん」


 影が少年を隠すように覆う。口元に浮かんでいた笑みの奥に、一瞬だけ顔をみせたナニカに背筋が冷えた。服の下を流れる冷汗を不快に思いながら、目を細めて魔王を睨みつける。ドラゴンと対峙した時にも感じなかった、チリチリと産毛が逆立つ感触に、目の前に自分より背の低い子供が魔王だと、ようやく理解した。


 (ここまで来て、ビビってんのかよ。だせぇな俺)


 足に強く力を入れて、反射的に後ろに下がりそうになる心を無理やりに抑え込む。こちらとら耐えることにかけてだけは自信があるんだ。伊達に5年間も耐えていない。

 心と体を切り離して、自分自身を後ろから見るようにして、他人ごとのように冷静に状況を観察する。逃げたくてたまらないが、指先ひとつも恐怖で震えない。


 「今日はね、おにいさんをぼくの城に招待しにきたんだ」

 「断る」

 「ぼくの城はあそこの山にあるんだ」


 断ったが、魔王は気にしない様子で好き勝手に話を進める。

 箸より重いものをもったことがなさそうな、肉刺(まめ)が一つとしてない指が示したのは、そう遠くにない山の一つだった。

 槍が3つ大小連なった険しそうな山は森林限界に達していて黒い岩肌がここからでもわかる。その上を一匹のワイバーンが飛んでいた。確かにあそこならば魔王城の一つや二つぐらいあるかもしれない。


 「待ってるから、絶対に来てね」


 中身が空になったティーカップを机の上に戻すと、魔王は相変わらず悪戯気な笑い声をクスクス漏らす。笑うにつれて、どんな魔法を使ったのかその姿が徐々に薄くなっていく。

 透ける顔で、少年は言った。


 「ぼく、薬を持っているんだ。とっておきのすごいやつをね」


 姿が消えても、忍び笑いだけはしばらく辺りに残った。

 魔王は物語の中にだけ存在する戯言だと気にしていなかった。

 だが勇者がいるように、魔王もいるのだと知った。


 スラ太君に頼ってばかりの、スライム勇者。

 防御力ばかりのクズ勇者。


 「ごほごほ、ゆうしゃさま……なにかあったの?」


 けど、そんな勇者にもできることがあるんだ。

 俺はハッピーエンドを向かえたいんだ。

 俺にとっても、スラ太君にとっても、リッカにとっても。もちろんクロとシロにとっても。


 ならば躊躇(ためら)うことはなかった。



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