バカな子ほど可愛い
「ね~、ゆっちぃ~。お腹へった~」
とある大学の、とある教室。
水色のパーカーをだらしなく着崩している青年が、唇を尖らせながら、長い机にへばりついた。肩まで伸びたクセのある茶色い髪は、前の部分だけを後方に上げ、ピンクの玉が二つ付いたゴムで結ばれている。
その全開に晒されたおでこを、ゆっちと呼ばれた青年は、チラリと一瞥するだけで、今し方終えたばかりの、授業で使ったノートや筆記用具を、黙々と鞄に仕舞っていく。
「ゆっちマ~ン。お腹がへって力が出ないよ~」
友人の反応が薄いのが気にくわないのか、机に頬を預け、じたばたと手足をばたつかせるパーカーの青年。大学生とは思えない幼い言動に、ゆっちは茶色いフレームの眼鏡を、くい、と押し上げ、無表情で隣を見やった。
「すまない。俺の顔はアンパンではできていないので、お前の空腹を満たしてやることはできない」
「例えゆっちの顔がアンパンだったとしても、たったの一欠けらくらいじゃ、おれの胃袋は満足できましぇん!」
抑揚のない調子で言うゆっちの素っ気なさに、ぷぅーと頬を膨らませた青年は、お腹が減って泣いている子供に、自分の顔をちぎって与える、顔がアンパンなアニメの主人公を思い描き、一口大のパンでは足りないと主張した。
しかし、ゆっちの瞳がスッと細められたのに気づき、すぐさま、自分の発言を後悔することになる。
「・・・そうか、足りないか。ならばまるごと食わしてやってもいいぞ。そして満腹になったお前は、すぐさまパン工場へ行って、新しい顔の製作依頼をしてくれ。その間に、俺がバイキン男に殴る潰すの暴行を加えられていたとしても案ずるな。新しい顔さえくれば、必殺パンチで形勢逆転してやれるからな。
だが残念ながら、俺の顔はアンパンではできていない。故に、お前の空腹を満たしてやることはできない。残念だな。本当に残念だ。俺の顔がアンパンだったら良かったのにな。ああ、残念で仕方がないよ」
「~~~~~~っゆっちのいじわる~~~っ!」
「俺が意地悪だと言うのなら、一時間程前、学食で大盛りカレーライスを平らげ、人のエビフライ定食をただの定食に貶めたにも関わらず、腹が減ったと小学生のように喚き散らす、明日二十一歳になる小宮悦郎という男の事は、なんと呼べばいい。馬鹿か。馬鹿なのか。いや、大馬鹿だな。それ以外に、お前を表す言葉が思い浮かばない。しかし、どうしても嫌だと我が儘を言うのなら、あとはもう『黙れ』としか、俺はお前にやれるものはない」
「うわ~~~んっ! エビフライ取ってごめんなさぁぁい!!!」
口を挟めない程の言葉の羅列で猛反撃され、瞬時に椅子の上に正座をし、へにゃりと突っ伏すように、土下座をしながら泣き声を上げるひよこ頭を、冷ややかな瞳がじっと見つめた。
そして、ゆっちは徐にポケットから掴み出した物を、俯せるクセっ毛の上に、コロリと転がす。
「『僕の顔をお食べ』」
ちっとも感情のこもらない棒読みなセリフに、きょとんとしながら顔を上げた青年は、頭から転がり落ちた物を拾う。それは両端をねじった紙に包まれた飴玉で。
紙には、にっこり笑った人の顔が描いてあった。
「~~~~~~~っゆっちぃぃ~~っっ!!
超好き!! 大好き!! 愛してるぅ~~!!!」
瞳に感動の涙を浮かばせた青年は、抱きつくと言うには勢いのありすぎる程、ゆっちにドーンと体をぶつけた。
体当たりをされたゆっちは、その激しさに一瞬、青年もろとも大きく傾いたが、すぐに元の位置へと頭を戻し、表情を一ミリも動かす事なく、無言で柔らかな茶髪を、わしわしと撫でた。
◇ ◇ ◇
「ゆっち~。ラーメン食べて帰ろ~。おれ餃子食べた~いv」
とある大学の、とある廊下。
水色のパーカーをだらしなく着崩している青年が、隣を歩く友人の袖を引っ張った。ピンクの玉が二つ付いたゴムで結ばれた前髪が、歩く度に、ちょんまげのように、ぴょこぴょこと跳ねている。
ゆっちと呼ばれた青年は、摘ままれた袖を払うでもなく、無表情のまま隣を見やった。
「ラーメンが食べたいのか、餃子が食べたいのか、どっちだ」
「もちろん! どっちもに決まってんじゃん!」
当たり前だとでも言わんばかりに、えっへんと胸をはる青年をよそ目に、ゆっちは茶色いフレームの眼鏡を、くい、と指で押し上げた。
「お前にそんな余裕があるとは、思えないがな」
「えー! おれ超お腹減ってるもん! 食べに行こうよ~! おれ食べたいぃ~。ラーメンと餃子とからあげ食べたいぃ~!」
素っ気ない態度を返すゆっちの手を掴み、駄々をこねる子供のように、腕ごとぶらぶらと揺する青年は、友人の瞳がスッと細められたのには、気がつかなかった。
「お前は、自分の財布の中身を知っているか。俺は知っている。百五十六円だ」
「うっっ!!」
抑揚のない声音で告げられた言葉に、青年は短く呻いてぴたりと動きを止めた。それでも、ゆっちの追撃は止まない。
「『今日、六百五十六円しかないけど、カレーライス大盛りじゃなきゃやだもんね!』と、後先考えずに昼飯を食ったのは誰だ。お前だ。覚えていないだろう。そうでなければ、ラーメンはおろか餃子一人前すら食べられない状況で、人を食事に誘う訳がない。
それともお前は、判っていて『どちらも食べたい』と主張するのか。つまり、俺に奢れと言うのだな。驚いた。ああ、驚いたとも。お前は俺からエビフライだけでなく、金まで搾取するつもりなのか。驚いた。
しかし俺には、ラーメンも餃子も唐揚げも炒飯も焼きそばも皿うどんも野菜炒めも麻婆豆腐も、お前に奢ってやる理由はない。いくら考えても思い当たらない。それでも、『食べたい』という欲に逆らえないのなら、一人で行って無銭飲食で捕まってしまえばいい」
「おおおおおおぉぉぉぉ!!! ごめんよゆっちぃぃぃぃっ!!! 見捨てないでぇぇぇえ!!!」
号泣しながら絶叫を廊下に響かせた青年は、ゆっちの足に縋り付いた。おかげで、歩みを止めるはめになったゆっちは、冷ややかな瞳で、ぶるぶる震えるちょんまげを見下ろす。
「千円だけなら貸してやる」
ぼつりと落とされた、ちっとも感情のこもらない言葉に、はたと顔を上げた青年は、見る間に顔を綻ばせる。
「~~~~っゆっちぃぃぃぃ~~~~!!
ありがと! 大好き! 愛してるぅぅぅ~~~!!!」
抱きつくと言うには勢いのありすぎる程、ドーンと体をぶつけた青年は、ゆっちの腰にぎゅうぎゅうとしがみついた。おまけに、鼻の高さにある肩口に、ぐりぐりと額を押しつける。
そんな激しい衝撃に、ゆっちは体を前のめりに傾けたが、動じる事なく踏み止まり、素知らぬ顔で、喚く重しをずるずると引きずりながら、再び足を動かしていった。
◇ ◇ ◇
「ゆっち~。お昼ご飯食べよ~。今日はちゃんと二千円もってきたよ~」
とある大学の、とある昼休み。
紺色のパーカーをだらしなく着崩している青年が、うきうきしながら、スキップで友人に近づいた。それに合わせて、赤い玉が二つ付いたゴムで結ばれた前髪が、ちょんまげのように、ぴょこぴょこと跳ねる。
鼻歌でも歌いだしそうな、パーカーの青年とは正反対に、ゆっちと呼ばれた青年は、茶色いフレームの眼鏡を、くい、と押し上げ、待ちきれない様子の青年を、無表情でチラリと見やった。
「そうか。ならば千円、今すぐ返してもらおうか。俺が昨日貸した事を忘れた訳ではないだろう」
「ちょっ まっ ゆっち! 明日返す! 明日返すから今日はかんべんして~! 今日は『Angélique』のクリームチーズケーキ、買って帰る予定なんだよぉ~! 滅多に食べられない、ぜいたく品なんだよぉ~~!!」
抑揚のないもっともな言葉に、パーカーの青年はびくりと肩を揺らした。冷たい視線を送る友人に向かい、両手を合わせて必死で拝む。
「ケーキは諦めろ」
「うわ~ん! ゆっちの鬼~~~!!」
バサリと楽しみを断ち切る友人に嘆いた青年は、ぽかぽかという、痛くなさそうな音を発して、ゆっちの背中に拳を打ちつけた。
まるで緩い肩たたきのようなそれに、ゆっちの瞳がスッと細められる。
「鬼か。いいだろう。仮に俺が鬼だとして、ケーキを我慢しろと忠告するくらいの、何の害もない鬼ならいいとは思わないか。中学の頃から貸した金を一度も返した事のない男に、返ってこないと判っていながら貸し続ける鬼なら、素晴らしいとは思ないか。俺は思う。そんな鬼なら大歓迎だ。むしろ率先して鬼になろう。
それなのに、ただ鬼だというだけで、非難され暴力を振るわれる訳を教えてくれ。俺が今までお前を殴った事があるか。お前を侮蔑し存在を否定した事があるか。ないだろう。いいさ、判っている。鬼とはそういうものだ。人間とは種族が違う。人間同士でさえ争いが絶えないというのに、種族という隔たりがあるならば、そう簡単に相容れないのも仕方がない事だ。ああ、判っている。判っているとも。お前に俺を理解して貰おうとは思わない。何故なら俺は鬼なのだからな」
「いやだぁ~~~!! ガマンするから、ゆっち鬼にならないでぇぇえ~~~~!!」
顔面蒼白で絶叫する青年に目もくれず、ゆっちはさっさと食堂へと足を向ける。その後を、ちょんまげをぴょこぴょこ跳ねさせながら、青年が必死に追いかけていく姿を、周りにいた学生達は、生暖かい目で見つめていた。
◇ ◇ ◇
「・・・ゆっち~。まだ怒ってるのぉ~? おれケーキ、ガマンするよ? 千円返してないけど、ガマンするよ? お昼だって、大盛りカツ丼にするつもりだったけど、ガマンして百円安い天丼にしたよ? ね~、ゆっちぃ~」
とある大学からの帰り道。
紺色のパーカーをだらしなく着崩している青年が、足早に進む友人の背中に、口を尖らせながら、同じセリフを何度も投げかけていた。
それでも、ゆっちと呼ばれた青年は、一向に振り向く素振りを見せず、黙々と歩いている。
常ならば、パーカーの青年が、どれほど子供じみた言動をとっても、この友人は最後には許してくれた。青年がバカな事をした際に発せられる、無表情で淡々とした、ゆっちの言葉の弾丸は、青年の心を粉みじんに打ち砕く破壊力を持っていたが、けして突き放す訳ではなく、すぐに救いの手を差し伸べてくれていた。
なのに、昼休みの一件以来、こうして一言も口をきいてくれないのは、それほど怒っているという事なのだろう。
本当は、ゆっちはずっと、自分の事を迷惑だと思っていたのだろうか。
本当は、ゆっちはずっと、自分の事を許してなどいなかったのだろうか。
本当は、ゆっちはずっと、自分の事が嫌いだったのだろうか。
そんな事を想像すると、なんだか悲しい気持ちになり、青年は俯かせた瞳に、じわりと涙を浮かばせた。
「・・・ねぇ、ゆっち」
そんなことないよね? と、縋る思いで顔を上げた青年は、よくよく見慣れた、『Angélique』と書かれた看板の店へ入ろうとする、ゆっちの姿に目を見開き、咄嗟にシャツを掴んで引きとめた。
「ゆっち!? まさかケーキ買うなんて言わないよね!? ガマンしてる俺の前で、ケーキ買ったりしないよね!?」
「お前はそこで待ってろ」
ようやく振り向いた友人は、素っ気ない口調で青年の手を振り払い、無情にもガラスの扉をバタリと閉めてしまった。
「うわ~~ん! ゆっちの裏切り者~~~~!!」
その冷たい仕草に、悲しみを溢れさせた青年は、往来にも関わらず、その場でうずくまったが、幸いにも人通りはなく、誰も青年の嘆きを憐れむ者はいなかった。
扉の横で膝を抱えて座り込みながら、素直にゆっちが出てくるのを待っていた青年だったが、ガラス越しにちらりと覗いた店内で、店員とやりとりしているゆっちを見とめ、思わず扉を押し開けていた。
「ゆっち、ずるぅ~い!! おれだってホールサイズは買ったことないのにぃぃぃ~!!」
突然の乱入者に取り乱す事なく、「いらっしゃいませ」と笑顔で声をかける店員に、「こんにちは!」と挨拶を返した青年は、ゆっちにぶつかる勢いで突撃した。
「それどうすんの!? ゆっち一人で食べるの!? 食べきれるの!? よかったらおれ手伝ぶっっ」
いつもは放置する体当たりを、ゆっちは差し出した片手で、全開にされた青年の額を押さえつける事で阻止する。ぐいぐいと迫ってくる勢いにも負けず、伸ばされた腕はびくともしない。
それでも尚、詰め寄ろうとする青年の必死さに、ゆっちの瞳がスッと細められた。
「悦郎。ケーキが潰れる」
滅多にその口から出る事のない名前を呼ばれ、青年はちょんまげをぴょこりと跳ねさせた。額を押さえられたまま、視線だけを横へずらす。
中身を確認していたのか、上部の開かれた箱の中には、青年が大好きなクリームチーズケーキがあり。その上には、ホワイトチョコレートでできた板状のプレート。茶色いチョコペンでキレイに書かれた文字。
『えつろうくん おたんじょうびおめでとう』
「・・・・・・っっっっ!?!?!!!」
驚きのあまり、声にならない声を上げる青年に構わず、ゆっちは「蝋燭は五本でお願いします」と、苦笑する店員に向かって言っていた。
「ゆっち! これおれの!? おれのだよね!? おれの為のケーキ!! ゆっちが買ってくれたケー「うるせぇ!!」」
店内で喜びの声を上げた青年は、店の奥から出てきた、チンピラの様な男に怒鳴られ、ビクリと体を飛び上がらせた。そんな青年の襟首を掴み、ゆっちは、お騒がせしましたと一礼して、ケーキ屋を後にした。
「・・・ゆっち~。それ、おれのだよね~。そのケーキおれのだよね~??」
夕日の差す帰り道。
紺色のパーカーをだらしなく着崩した青年が、結んだ前髪をぴょこぴょこと跳ねさせながら、隣を歩く友人の顔と手元を、ちらちらと交互に見やる。
ゆっちは、今にもよだれを垂らしそうな青年を一瞥し、茶色いフレームの眼鏡を、くい、と指で押し上げ、歩みを止めた。
「そうだ。お前に買ったケーキだ。誕生日おめでとう」
ちっとも感情のこもらない素っ気ない言葉で、素っ気なく差し出されたケーキの箱を、両手をぷるぷる震わせながら、青年は静かに受け取った。
本当は、青年が自分へのご褒美として買おうと思っていた、大好きな洋菓子店『Angélique』のクリームチーズケーキ。美味しいが故に少々値の張る、青年にとってぜいたく品のそれは、夢にまで見たホールサイズだ。
「~~~~~ゆっちぃ~・・・っ」
青年は、感極まって箱を握りしめそうになるのを耐え、ぎゅっと目をつむり眉間に力を入れる。噛みしめた奥歯のせいで、くしゃりと歪んだ顔は、緩い涙腺から滲み出るものを、止めるまでには至らなかった。
「っゆっち、これ一緒に食べよ~」
「俺は甘い物は好きじゃない。だからお前が、家で晩飯の後にでも食べろ」
「・・・うん! うん! ありがと、ゆっち!
大好き! 超好き!! 愛してる!!!」
子供のように、ぽろぽろと涙を零す青年を見つめていたゆっちは、それでも、表情を一ミリも動かす事なく、無言で柔らかな茶髪を、わしわしと撫でたのだった。
※ゆっち・・弓近 優。表情筋が死滅したクーデレ(デレがあるかは謎)。
※青年・・小宮 悦郎。食べ物とゆっち大好き。思考が小学生の大学生。
※『Angélique』・・この界隈で人気のケーキ屋さん。店員がイケメン。