ガラスの靴がそろう日〜一条家始末記〜
こちらはsyouさま主催「企画カウント5」参加作品です。
ガラスの靴、推定二十八センチ。
どういうシンデレラだと言いたいのをぐっとこらえ、その違和感の塊を検分する。造形は文句なしに美しい。が、一体これはどういうことなのか。僕は困惑して持ち主を見やった。
すると、相手が首を傾げた。ウェーブのかかった黄色く長い髪が、その動きに合わせて揺れる。明らかにカツラだ。黄色い頭のせいで、異様な存在感を放つその人物は、不必要なほど赤く塗られた唇に笑みを浮かべる。
思わず、頬が引きつった。
瞬きするたびに、バッサバッサと音がしそうな、まつ毛の奥の黒い瞳と視線が絡み、目を逸らしたくなる。でも、逸らせない。怖いもの見たさというのは、こういうことを言うのかもしれない。
化粧のせいか、その眼は常より大きく見えるし、もともと整った顔立ちをしているから、綺麗……と、いえないことも、ない。
ない、けれど……。
「叔父さん。変」
率直な感想を述べると、化粧お化けと化した叔父さん、一条真二は不思議そうな顔をした。
この化粧お化け、もとい、叔父さんは、身内贔屓を差し引いても、見た目だけは、学者っぽい雰囲気をしたハンサムだ。
少なくとも昨日の夜、寝る前に挨拶をした時までは。
夜の間に一体何が起これば、こんな姿になるのだろう。
叔父さんは、机の上に置いてあったガラスの靴を、そっと手に取り持ち上げた。
「変かなぁ。素晴らしく美しいと思うけど。この透明度、この技巧。志弦、ガラスの靴をこうやって光に照らすと、きらきら光って美しいだろう。知っているかい? シンデレラはガラスの靴がぴったりだったおかげで、王子様と結婚できたんだよ。履きたくなってこないか」
履きたくなる訳ないだろ、乙女じゃあるまいし。と、心の中でツッコみを入れる。それに、変の対象は叔父さんであってガラスの靴じゃない。
ガラスの靴は確かに、窓から差し込む朝日を反射して、とても綺麗に輝いている。
触ってみろというように、ガラスの靴を差し出してくる叔父さんの手を押しのけて、軽く睨む。
「そうだね。ガラスの靴は、綺麗だね」
わざと『は』を強調して言ってやる。叔父さんがガラスの靴から、こちらに顔を向けた。その眼が半眼になっているのは、気分を害したからではないだろう。慣れないつけまつ毛をしているせいで、瞼が重くなっているに違いない。
叔父さんは、頭のネジが一本緩んでいるよね。と、いう言葉を飲み込み、別の事を口にする。
「で、朝っぱらから何でそんな珍妙な格好をしているの」
「珍妙? そうかな。綺麗にメイク出来たと思うけどねぇ。ほら、シンデレラみたいだろう」
やっぱり、シンデレラのつもりだったのか。
窓ガラスに映った己を眺め、叔父さんはメイクした自分の顔に満足げだ。
どこがシンデレラだ。シンデレラに失礼だ。百八十センチも身長のあるシンデレラってなんだ。と、怒鳴りつけたい衝動に駆られるが、叔父さんが相手だ。ただの徒労に終わることは、分かっている。
叔父さんを見て珍妙と評したのは、長い黄色のカツラを被ってミュージカルスターばりのメイクをしているからだけではない。せっかくばっちりメイクをしているのに、着ている服が上等なスーツだからだ。もちろん男性用の。スーツではなくドレスを着てくれていれば、まだシンデレラのつもりだと言われても、納得はできただろう。まあ、珍妙には違いないけれど。
「ドレスも着ればよかったのに」
半ばやけくそに言葉をもらす。背の高い叔父さんが着られるようなドレスなんて、この家にはないけれど。
「急だったからね。ドレスは用意出来なかった。だから、姉さんが家に置いていった化粧品を借りたのさ。どうだい、シンデレラに近づいたと思わないか?」
いや、まったくもって思わないけど。というか、ドレスがあれば着るつもりだったのか。
頭がおかしくなりそうなので、話を変えることにした。
「で、どうして買っちゃったの?」
顎をしゃくって、叔父さんが机の上に置いた、大きなガラスの靴を見る。ガラスの靴は一足ではなく、片方しかなかった。シンデレラが片方だけ落としてしまった靴が、ここにあるようだ。まあ、シンデレラの足はこんなに大きくないけれど。絵本で読んだシンデレラは、誰もガラスの靴が履けないくらい、小さな足だったはずだ。
「藤堂さんが昨日、志弦が学校に行っている間にいらしてね。色々と見せてもらった。そこで、このガラスの靴と運命の出会いを果たした訳だよ」
骨董屋の藤堂か。また、叔父さんに曰くある品物を持ってきてくれたな。
「これ、古い物にはとても見えないけど。藤堂さん、骨董屋じゃなくて、リサイクル屋って名乗ればいいのに」
「まあ、そう言ってやるなよ。こんな素晴らしい品を持ってきてくれたのだから。古かろうが、新しかろうが、どちらでも構わないさ。それに、格安価格にしてくれたしね」
自然と溜息が口からこぼれた。藤堂が、格安価格にするのには訳があるということを、どうして叔父さんは学習しないのだろうか。
「ああ、そう。このガラスの靴に魅せられちゃったのか」
「シンデレラのガラスの靴だよ」
恍惚と、叔父さんはガラスの靴を眺めている。
「シンデレラの足はそんなに大きくないよ」
「これは、シンデレラの靴よ!」
叩きつけるような叔父さんの言葉に、一瞬びくっとしてしまった。叔父さんの声に驚いた自分が情けない。
「あー、はいはい」
気の抜けた声が出た。
まったく、藤堂め。恨んでやる。
藤堂は、叔父さんが一生働かなくても食べていけるくらいの財産を持っていると知っている。だから、こちらが呼びもしないのに、たまに品物を持って家に押しかけてくるのだ。しかも、誰も買いたがらない品物ばかりを持って。
いいカモにされているっていうのに、この人は何でこう平和そうなのか。
「志弦。眉間に皺がよっているよ。せっかくの可愛い顔が台無しだ」
眉間を長い指で突いてくる叔父さんの手を振り払う。
「僕は休日の朝を、誰かさんに台無しにされているけどね」
声に棘を含ませたというのに、叔父さんは分厚い化粧を施した顔に、平和そうな笑みを浮かべている。化粧が濃すぎて、やっぱり不気味だ。
「志弦。せっかく姉さんに似て可愛い顔をしているのだから、怒った顔していないで、笑ってごらんよ」
「十六にもなる男に、可愛いって言うな。そんなことより、自分の状況分かっている? 叔父さんつかれているよね」
叔父さんは目線をあらぬ方へ向けながら、頭に手をやった。
「あ、バレた?」
「バレた? じゃない! ……はぁ。何か疲れてきた」
額に手をやって俯く。左肩が重くなった。叔父さんの手が乗ったのだ。
「大丈夫だよ。志弦は私と違って、憑かれる体質じゃないから。ねっ」
顔を上げて見ると、叔父さんは、もの凄く良い笑顔でぐっと親指を立てていた。まるで、安心しな、志弦。とでも、言いたげに。
そうじゃない。『つかれる』の漢字変換が間違っている。この、天然!
親指が立てられた手を、力任せに叩き落とす。
堪忍袋の緒が切れた。
「いいから、さっさとその気持ち悪い化粧を落としてこい!」
怒鳴って、部屋のドアを指さす。
途端に笑顔を消して、叔父さんは情けない表情を浮かべた。
「志弦。化粧ってどうやって落とせばいいのかな? 水で洗って落ちるもの?」
だーっ! もうっ。本当に、この人どうにかして。
溜まった怒りを吐き出すように、大きく息をついた。せっかくの休日が、叔父さんのために潰れるのは、もう確実だ。
『志弦。一条家はね。人とは違うモノが見えやすい家系なの。どうやら志弦も、その能力を継いでしまったみたいだねぇ』
叔父さんの部屋で、座り心地のよい革張りのソファーに腰掛けてぼうっとしていたら、今は亡きお祖母ちゃんの言葉が頭に浮かんだ。
『いいかい志弦。見えても、声をかけちゃいけないよ。声をかけられても、返事をしてはいけないよ。怖くても、見えないふりをしなさい。人のようでいて人ではないモノもいるし、いくら相手が可哀相に見えても、私たちじゃあ、どうしてあげることもできないからね』
お祖母ちゃんの言葉を思い出して、また溜息がでた。
ごめん、お祖母ちゃん。お祖母ちゃんの息子のせいで、いいつけを守れそうにありません。
朝食を先に済ませたあと、十時になるのを待って、近所のドラッグストアまでメイク落としを買いに出かけた。
この辺りでは資産家で通っている『一条家のお坊ちゃん』である叔父に、あの顔で外に出てもらいたくなかったからだ。
身内としては、世間体を気にする。叔父さんの奇行を目撃されて、学校で虐められるなんてごめんだ。
それに、今は再婚して、海外で暮らしている母さんと別れる際に『志弦。真二叔父さんのこと、頼んだわよ』と言われた身だ。
叔父さんの世話を焼くことは日常茶飯事だ。叔父さんの面倒を見る甥ってなんだろう。普通逆だようなぁと、時々むなしくなるけれど、まあ、こればかりはしょうがない。適材適所だ。
自覚はないだろうけど、十五も年下の甥に面倒を見られている叔父さんは、今、化粧を落とすために、一階にある洗面所にいるはずだ。
叔父さんがいない間に、ガラスの靴を再度検分することにする。
叔父さんが素手で触れたせいか、指紋がベタベタついていた。
特にこれといった装飾はなく、シンプルなガラスの靴だ。綺麗は綺麗だが、大きすぎるという以外には、これといって特筆すべき所はないと思う。
でも、このガラスの靴に触りたいと思わなかった。叔父さんは平気で触れていたけれど、やっぱりどことなく、このガラスの靴が普通じゃないと、頭の中で警戒音が響いてくるのだ。
最初にガラスの靴を見た時の違和感の正体は、警戒心がもたらしたものだったのかもしれない。
つらつらとそんなことを考えていると、不意に後ろから、ドアの開く音が聞こえた。
振り返ると、いつも通り、見た目だけは知的ハンサムに見える叔父さんが現れた。この部屋に置いてある家具は重厚な物が多く、誰が見ても高級だと分かるだろう。その中にいても、叔父さんは違和感がなく馴染んでいる。
「いやー、まいったよ。つけまつ毛がなかなか取れなくてね。酷く痛かった。見かねた彼女が取ってくれたよ」
叔父さんは爽やかな笑顔で、机を挟んで正面の位置にあるソファーに腰を落ち着けた。
「彼女ねぇ」
思っていた以上に冷たい声音になった。意識してすっと目を眇めると、叔父さんは居心地悪そうに壁へ顔を向けた。叔父さんの視線の先あたりには、十二時になると鳩が顔を出す時計がある。喋らなくなると、時計の秒針の音が、耳についた。
「出てきてくれる? 話がしたいから」
壁を見つめているため、横顔をさらしている叔父さんを眺めながら、静かに声をかけた。
「出てこないのなら、これ、割っちゃおうかなー」
言いながら、机の上に置いてあるガラスの靴に手を伸ばす。ガラスの靴に触れる寸前、その手をもの凄い勢いで振り払われた。
「痛っ」
「やめて、酷いわ。割るなんて!」
睨まれた。
叔父さんは長くもない髪を、苛々とかきあげるような仕草をする。
決定的だ。
いつもと違う表情。
いつもと違う口調、仕草。
出てきた。
『彼女』だ。
インテリ然とした叔父さんの口から発せられる女言葉は、もの凄く滑稽だ。
内心、気持ち悪さで満ちていたけれど、口元だけで笑みを作ってみせる。
「酷いのはそちらじゃないですか。叔父さんの体に勝手に入って」
「入りたくて入ったんじゃないわ。この人が私のシンデレラの靴に触ったら、この人の中に入っちゃったのよ!」
女言葉で、叔父さんが激昂した。その瞬間。叔父さんの体が弛緩したかと思うと、糸が切れた操り人形のように、首が前に倒れた。しばらくして、ゆっくり顔が上がる。
叔父さんは、姿勢よくソファーに座りなおした。
「こらこら志弦。彼女を責めるのは、可哀相じゃないか」
いつもの叔父さんの顔だった。事情の知らない人が見れば、叔父さんの気が狂ったと思うかもしれない。でも、この家に暮らしている人間には見慣れた光景だ。
「何で、叔父さんが出てきちゃうかな……あ、そうだ。聞き忘れていた。叔父さん、彼女に名前聞いた? あと、何でシンデレラの格好しようと思ったのさ」
矢継ぎ早に質問すると、叔父さんは困ったような顔をして、人さし指で頬をかいた。
「ガラスの靴に触れた瞬間。あ、憑かれたなと思ってね。ガラスの靴に思い入れがあるなら、この靴を履いてやれば、私の中から出て行ってくれると考えたのさ。彼女は混乱していたし、私にはそれくらいしかしてやれないからね」
それで、あのメイクか。ああ駄目だ。頭が痛くなりそう。どうしてこう、突拍子もない考えを実行してしまうのだろう。
「叔父さん。根本的に間違っているよ。このガラスの靴。観賞用っていうか、置物だと思う。よく見なよ。履けるように出来ていないから」
本当だ。と、叔父さんはガラスの靴を手にとって眺めた。
何故今頃気づく。
叔父さんが手にしているガラスの靴は、側面からみれば履けそうに見える。でも、この靴は見た目の大きさよりも、本来足を入れる部分の穴が小さい。赤ちゃん、いや、幼稚園の子くらいなら履けるかもしれないが、大人は無理だ。
ひとつ息をつくと、立ち上がって叔父さんの隣に座った。
「叔父さん。いくよ」
声をかけたあと、間髪いれずに叔父さんの背中を思いっきり叩く。容赦なしだ。
一回、二回、三回。
背を叩く音と、叔父さんの痛みに耐える声が部屋中に響く。
ラスト一回。
渾身の力を込めて叩いた。
その途端、叔父さんの体の中から、半透明の女性が飛び出してきた。
女性は、きょとんとした顔で辺りを見回したあと、叔父さんを見て、最後にこちらに目を向けた。
『何をしたの?』
叔父さんの背を叩いたせいで、ジンジンとしびれる右手を振りながら、尋ねてくる女性を観察する。顔立ちは悪くない。二十代半ばくらいだろうか。
「叔父さんの中から、あなたを追いだしただけです」
淡々と返事をすると、女性は首を傾げた。女性の透けた体越しに、壁に掛けられた絵画や棚が見える。
『あなた、霊能力者?』
尋ねられて、首を横に振った。
「僕は、人よりモノがよく見えるだけです」
霊能力者なんて、とんでもない。
出来ることといえば、叔父さんに憑いたモノを追い出すことくらいだ。目の前で初めて、叔父さんがよくないモノに憑かれた時。怖くなって出て行けと、必死で叔父さんの背中を叩いたら、中から憑きモノが出てきた。それ以来、叔父さんに憑いたモノが、説得しても叔父さんの中から出て行かない場合は、この方法をとっている。今のところ百発百中だ。
『私のこと、見えるんでしょう? 今まで誰も私に気づいてくれなかったのに』
尋ねられて、首肯する。
良かった。この人は意志の疎通が出来るタイプだ。憑きモノの中には、執着心の塊と化して話が通じない奴もいる。そういう場合は対処に苦労するのだ。少なくともこの人は、まだ理性が残っているとみた。
「ええ。でも、僕はごく普通の高校生です。僕の場合は、人より多くのモノが見えるだけです。今のも自己流です。余り長い間、叔父さんに憑かれていると、叔父さん、体力消耗しちゃうから。あなた、自分で叔父さんの中から出て行く方法、分からなかったみたいだし」
ポカンとしている女性に、笑顔を向ける。すると女性は、何故か少し恥じらうような顔をした。
「志弦は幽霊にもモテるねぇ」
叔父さんの感心した様な声に、ずっこけそうになった。どうしてこの状況で、そんな気の抜けた発言が出来るの、この人。
気を取り直すように咳払いをして、女幽霊らしき人物に目を向ける。
肩より少し長い髪。体が透けているので、髪や肌の色、服の色もよく分からない。細身の体型。ワンピースの下から覗く足もほっそりとしている。
今のところ、両足はちゃんとそろっているな。
そこまで確認して、女性の顔に視線を戻した。
「とりあえず、お話しましょうよ。お姉さん」
叔父さんのおかげで、何人かの幽霊と話をする機会があった。そのうちの一人に聞いた話によると、寒い、温かい、空腹、時間という感覚はないらしいが、歩く、座る、持ち上げる、といったことは生きている時のように振る舞うことができるらしい。ソファーに座ったときの、シートに体が沈む感触はないが、座る格好は出来るというのだ。
今のところ、幽霊になったことはないので、それを体験したことはないが、今、目の前にいる半透明の女性も、ソファーを勧めると、きちんと足を揃えて座った。
叔父さんと並んで腰かけて、正面に座る女性に話しかける。
「お姉さん。お名前は?」
『憶えてないわ』
即答かよ。
「ふーん。じゃあ、年齢とか、どこに住んでいたとか。そう言ったことも憶えていないですか?」
女性は頷いた。心もとなげな表情だ。
溜息をつきたくなってくる。
彼女と話をしている最中、ちらっと横を見ると、叔父さんは何かを考え込むように黙っていた。
そして、いきなり声をあげる。
「よし、しーちゃんにしよう」
「はあ?」
訝しんで声をあげると、叔父さんは良いことを言ったとばかりに、笑顔を向けてくる。
「何?」
「彼女の仮の名前だよ。名前がないと呼びにくいだろう。どうです? お名前思い出すまで、しーちゃんってことで」
叔父さんは、女性が座っている位置と微妙にずれた所に視線を定めて、声をかけた。叔父さんには、彼女がはっきりとは見えていないのだろう。はっきりと見えていれば、『幽霊にもモテるねぇ』なんて発言はしないはずだ。
「あのさ、何でしーちゃんなの」
彼女が困惑したような顔で黙っているので、代わりに叔父さんに聞いてみることにする。
「シンデレラのしーちゃんだよ。ガラスの靴に憑いていたからね」
どうだ、いいアイデアだろ。とでも言いたげに、最後にウインクをつけて、力強い口調で言う叔父さん。
ちっとも、いいアイデアじゃないから。
ネーミングセンス無さすぎだから。
言いたいことは次々と浮かぶが、率直に言うと叔父さんが意気消沈してしまうので、敢えてスルーした。
「あの、叔父さんの言うことは、気にしないでくださいね」
女性に笑顔を向けると、女性は首を横に振った。
『いえ。嬉しいわ。しーちゃんなんて、可愛いじゃない』
ふわりと、女性は笑う。
シンデレラのしーちゃんなのに? と、思わず口にだしそうになったけれど、それを飲み込んで、話を先に進めることにした。
「じゃあ、しー、ちゃん。今憶えている事でいいので、お話してもらえませんか?」
くそっ。しーちゃんって呼ぶのが、何故だか妙に気恥かしい。
「何かお力になれるかもしれませんから」
そう、声をかけると、彼女はゆっくりと頷いた。
彼女、もとい。しーちゃんから聞いた話を、頭の中で整理してみることにする。
このガラスの靴が、しーちゃんの持ち物であったことは間違いがないということ。
このガラスの靴はここにはない、もう片方も存在するということ。
もう片方を探さなければと思っていること。
このガラスの靴を持って、どこかへ行かなければならなかったのだということ。
つまり、しーちゃんは今の体になる前の事を、ほとんど憶えていないってことだ。
分からないなら何もできません。
はい、さようなら。
と、言いたいところだけれど、経験上それはほぼ不可能なことを知っている。
見えるのだから、協力して。何とかして。何とかしなかったら、一生叔父さんに憑いてやるから。
そんな脅しを、十中八九かけられるのだ。
どうせ揉めると分かっているのだから、余計な労力は使わないにこしたことはない。
「しょうがない。触ってみるか」
溜息をつきたいのをこらえ、ガラスの靴に手を伸ばす。
『触ると何か分かるの?』
しーちゃんが不思議そうな声音で尋ねてくる。でも、ガラスの靴に集中したいから、しーちゃんの問いには答えなかった。ガラスの靴に触れる直前に目を閉じ、大きく深呼吸する。
手に冷たく硬い物が触れる。
頭の中に、断片的に流れる映像。
男性の笑顔。急いで走る女性。宙に舞うガラスの靴。車道脇の草むら。転がるガラスの靴。ガラスの靴に映った人の顔。ガラスの靴にのばされる、血まみれの手。
ガンガンと頭が割れるように痛みだす。
肩で大きく息をしながら、弾かれたようにガラスの靴から手を離した。
限界だった。
荒い呼吸を繰り返して、ソファーの背もたれに背を預けた。ふいに少し温かい何かが、額に触れる。叔父さんの手だ。目を開けなくても分かった。気持ちいい。冷えた心が温まるような気がする。
「志弦。大丈夫か?」
心配げな声を聞いて、ゆっくりと目を開ける。白い天井と壁の境が視界に入った。
「大丈夫。叔父さん、車出せる?」
呼吸が整うまで待って声をかけると、叔父さんはゆっくりと頷いた。
『ねえ、どういうこと?』
戸惑いの声を上げるしーちゃんに笑ってみせる。
「言ったでしょう。僕は人より多くのモノが見えるって」
助手席に座って、シートベルトを締める。叔父さんがエンジンをかけている音を聞きながら、通話ボタンを押して、持っていた携帯電話を耳に当てた。
どうせ相手はすぐにでない。コール音が鳴っている間に、声をかけておこうと思いたった。
「しーちゃん。運転中は叔父さんを動かさないでくださいね。危ないから」
今、しーちゃんは再び、叔父さんに憑依している。霊体だと、ガラスの靴から一定の距離しか離れられないらしい。ガラスの靴を持って出て、割ってしまったら何が起こるか分からない。リスクは最小限にするべきだ。
そこで、叔父さんはしーちゃんに体を貸した。そうすると、ガラスの靴から離れて移動することができたのだ。
「まかせといて。真二さんと入れ替わっても、運転できないから」
と、見た目は叔父さんのしーちゃんが、ウインクしてくる。うっ。おネエな叔父さん、気持ち悪い。
「だから、そうやって、急に叔父さんを動かしたら危ないですって。絶対にやめてください。運転中は大人しく!」
そう諭したら、叔父さんは面白くなさそうに、分かったわよ。と、呟いた。まだ、しーちゃんのようだ。
早く叔父さんに代わってと、文句を言おうと口を開きかけた時。ようやく電話がつながった。
『も、もしもし? 志弦君?』
「はい、志弦です。藤堂さん、昨日家にいらしていたみたいですね。僕が帰るまで待っていてくださったら良かったのに」
わざと柔らかい口調を作った。案の定、焦ったような声が電話口から聞こえてくる。
『いや、お邪魔したのは午前中だったからね』
「午前中ですか。僕と会いたくなかったってことですね」
淡々と口にすると、藤堂の声がどんどん上ずっていく。
『いやー。そんなことはないよ。別に志弦君を避けたわけじゃ……あの、志弦君。やっぱり、アレだったのかねぇ』
「アレ、とは?」
冷たく聞こえる声音で問うと、藤堂が息を詰める音が聞こえた。
『いや、あの、そのぉ。やっぱり勝手に動いてしまったのかな? とか……』
まったく。毎回こんな反応をするのだったら、叔父さんに品物なんて売らなきゃいいのに。
「へえ、勝手に動く。ただのガラスの靴が」
嫌味たっぷりの言葉を投げかけた。
『いや、その。元の持ち主がだね。何だかそんなような事をね。朝起きると、置いていた場所から玄関に移動していたとか、そんなことがあったとか、なかったとか……』
歯切れの悪い。ガラスの靴を動かしていたのは、しーちゃんで間違いないだろうな。
『あのぉ。志弦君。怒っている?』
「どう思います?」
電話の向こうで焦っている藤堂を想像すると、可笑しくなった。ちょっと、意地悪し過ぎかな。まあ、毎回酷い目に遭っているのに買ってしまう叔父さんにも責任はないとはいえないし、この辺で今日は勘弁してやろう。
「それより、このガラスの靴のことを聞きたいのですが。出所どこです? ふーん。そうですか。でも、もともとは、交通事故か何かの現場近くに落ちていた物じゃないですか?」
叔父さんの耳に入らないように、小声で尋ねてみた。明らかに電話の向こうで、藤堂は慌てた様子だった。床に物を落っことしたような音が聞こえてきたのだ。どうやらビンゴだ。
片手でダッシュボードの中から、入れておいたメモ帳とボールペンを取り出した。
藤堂から必要なことを聞きだし、メモをとる。聞きたいことを全て聞くと、さっさと通話を切った。
「あいかわらず、藤堂さんは志弦が苦手みたいだねぇ」
苦笑まじりの叔父さんの言葉に、肩をすくめる。運転中なので、視線を前方へ向けたままの叔父さんには見えなかっただろうけど。
「叔父さん、行先決定」
大体の場所を告げると、了解と返事が返ってきた。
「しーちゃん。嫌なことを思い出すかもしれないけれど、覚悟しといてくださいね。あ、今、返事しなくていいから」
一応しーちゃんに釘をさしておく。
今から行く場所はそんなに遠くないはずだ。迷わなければ、三十分程で着くだろう。
アスファルトが少し隆起していたのだろうか。車が揺れた。叔父さんの運転する車に乗りながら、車窓に目を向ける。車道の脇には歩道がある。歩道の向こう側は土手になっているようだ。人通りは少ないし、車の通りも少ない。
しばらく走っていると、前方に見える電信柱に看板が立てかけられていた。
「叔父さん。あの看板がある所ぐらいで、車停めて」
叔父さんは返事をせずに、ハザードランプをつけて車を路肩に停めた。
叔父さんと一緒に、車を降りる。ガードレールはないので、なんなく歩道に上がることが出来た。そのまま歩道の向こう側に広がる土手に視線を向ける。
横に人が立つ気配を感じて、声をかけた。
「しーちゃん。ここ、見覚えない?」
しーちゃんから、しばらく答えはなかった。
でも、ここなのだ。ガラスの靴を触った時に見えた草むらは。
この近くにある電柱に立てかけられた看板には、こう書かれている。
『ひき逃げ事故発生場所』何月何日、何時何分ごろ、ひき逃げがあったので、情報提供を求めているというような内容の看板だった。発生したのは昨年の日付だ。
「思い出した。私、ここで車に撥ねられたんだわ」
看板に向けていた目を、傍らに立つ叔父さんに向けた。
額に片手を当てた叔父さんの目から、涙があふれていた。
「私、あの時死んだんだ」
とめどなく流れる涙。ポケットに入れていたハンカチを、そっとしーちゃんになっている叔父さんに差し出した。
しーちゃんは受け取らなかった。
「ねえ、お願いがあるの」
絞り出したような声だった。俯いてしまった叔父さんに、手にしたままだったハンカチを押しつけた。
一度家に帰って、叔父さんと一緒に昼食をとった。その間、しーちゃんが思い出したことを色々と聞いた。今度はガラスの靴を持って、また車に乗った。色々と準備をしたら、午後二時を過ぎてしまった。
今度はガラスの靴があるから、しーちゃんは叔父さんに憑依していない。後部座席にいるしーちゃんこと、小松祥子さんは、神妙な顔付きをしている。朝見た時よりも、心なし、体が薄く見える。
「叔父さん。急いで」
「分かった」
今から尋ねる場所は住宅街にある。叔父さんは、迷惑になるから近くのコインパーキングに停めるといって、聞かなかった。ちょっとくらい、路駐したっていいじゃないかと思うけど、こういう所、叔父さんは頑固だ。
「しーちゃん。ここで待っていてください」
外にでると、上半身だけ車から突き出ているしーちゃんに声をかけた。
『えっ? どういうこと』
「志弦には、志弦の考えがあるってことですよ。祥子さん。あなたも、いきなり会ったら、この世に未練が残るかもしれない。車の中で、心の整理をつけてください」
叔父さんの言葉に、しーちゃんは苦しそうな表情で、頷いた。
五分ほど歩くと、目的のマンションに着いた。年代を感じさせるマンションだ。
「二○五号室だったよね」
階段をのぼりながら、叔父さんに声をかける。叔父さんは頷いただけだった。
二○五号室は難なく見つかった。階段を上がったすぐ横にあったからだ。
表札には『諏訪』と書いてあった。しーちゃんが、尋ねたがっていた人の名前は、諏訪秀一。よかった。まだ、このマンションに住んでいたらしい。
叔父さんに目を向けると、叔父さんは頷いて、インターホンを押した。
ピンポーンと、ドアの向こうでインターホンが鳴っている音が微かに聞こえる。
しばらくして、ドアが開いた。
姿を現したのは、しーちゃんと同じ年くらいの男だった。頭に何故かタオルを巻いている。
男は、突然の来訪者に訝しげな顔を見せている。そりゃそうだろうな。いきなり知らない人が訪ねてきたら、誰だって不思議に思うよ。
「諏訪秀一さんですね」
「はあ。あの、どちら様ですか?」
戸惑ったような声に、叔父さんが答えた。
「これは、失礼。私は一条真二と申します。この子は甥の志弦です。このガラスの靴について、お話をしたいと思ってやってきました」
そう言って、叔父さんはサスペンスドラマに出てくる刑事みたいに、スーツの内ポケットから写真を取り出した。それは家を出る前に写したガラスの靴の写真だった。
写真を見た諏訪さんは、眉を寄せ、叔父さんを睨みつけた。
その顔が怒りに染まっている。
「帰ってください。話なんてない。あんたは、祥子の新しい彼氏か何かか? ふざけるな。ガラスの靴を返したいとかいうことだったら、捨ててもらって構わないから」
そう言い捨てて、諏訪さんは扉を閉ざそうとした。
すかさず片足をドアの隙間に押し込んで、ドアが閉まるのを防ぐ。ちょっと痛かった。
「諏訪さん。祥子さんが交通事故に遭ったことを知らないのですね」
諏訪さんは、ドアを閉めようと躍起になっていた動きをとめて、唖然とした顔になる。
「それは、どういう……」
「お話は、出来れば中でしたいのですが」
にっこりと笑顔を作ると、頭の中が真っ白になっているのか、諏訪さんは素直にドアを開いた。
「お引っ越しですか?」
叔父さんがそう聞いたのは、部屋の中が段ボールと物で雑然としていたからだと思う。かろうじて、足の踏み場はある、といった感じだ。
「ええ。と、いっても海外の出張先から帰ってきた所です」
諏訪さんは頭に付けていたタオルをとった。
「ああ、だから、祥子さんの事故のこと知らなかった訳ですか」
得心がいったというように、叔父さんが頷く。
テーブル周りだけ、ぽっかりと空間があけてある。誰かが来た時座れるようにしているのだろうか。とにかく、そこに座るように促されて、叔父さんと並んで座った。諏訪さんは対面だ。
「で、祥子が交通事故に遭ったってどういうことですか。祥子は無事なんですか」
酷く不安そうな様子で、諏訪さんは尋ねてきた。
叔父さんに、志弦から説明してくれと目で合図されてしまったので、仕方なく口を開くことにする。
「祥子さんは、去年の四月一日。駅へ向かう途中、ひき逃げに遭いました。犯人はまだ見つかっていません」
ここに来るまでに仕入れておいた情報を口にする。
「四月一日……」
一瞬息を飲んだ後、諏訪さんの呟くような声が耳に届いた。
叔父さんに目で合図する。叔父さんは、ガラスの靴が映った写真を机の上に置いた。
「ひき逃げに遭った時、祥子さんはこのガラスの靴を持っていたそうです」
諏訪さんの目は写真をじっと見つめていた。そっと、写真を震える手で持ち上げた。
「祥子が来ないってことは、もう……」
死んでいるのかと、聞きたかったのだろう。でも、諏訪さんは口にしなかった。出来なかったのかもしれない。
「祥子さんと諏訪さんは、周りには内緒で、お付き合いされていたそうですね」
諏訪さんは、内緒で付き合っていたことを誰に聞いたのかと、尋ねなかった。多分、諏訪さんは今そんなことに構っている余裕はないのだろう。
「俺、振られたんだとばかり思ってました」
諏訪さんは俯いた。絞り出すような声だった。
「一年間、海外勤務を言い渡されて。俺、ここだって思って、彼女にプロポーズしたんです。祥子、シンデレラが好きで、だから、このガラスの靴を特注して。航空券と一緒にガラスの靴の片方を渡したんです。俺と一緒なってくれる気があるなら、このガラスの靴を持って、空港へ来てくれって。このガラスの靴が一足になったら、きっと俺達もシンデレラのように幸せになれるからって」
そこまで言って、諏訪さんは息をついた。
「ギリギリまで、空港で待ってました。もう片方のガラスの靴を持って。でも、祥子は来なかった。だから、俺。振られたんだとばかり思ってました」
諏訪さんの声に涙が滲んだ。
こっちまで痛くなるような声だった。ふと、横を見ると、叔父さんの目にも涙がたまっていた。
「でも、違ったんだ。俺が海外に行ったのは、去年の四月一日でした。祥子は俺の思いに、こたえてくれようとしていたんですね。まさか、事故に遭っていたなんて、思いもしなかった」
写真に顔をうずめて泣く諏訪さんを、しばらく見守った。
この人はまだ、しーちゃんのことが好きなのだ。だから、きっとこんなに悲しい声で泣く。
「諏訪さん。祥子さんに会いたいですか?」
諏訪さんが顔を上げた。
「どんな姿でも、祥子さんに会いたいと思いますか? まだ、祥子さんを愛していますか」
この問いに、諏訪さんは流した涙を腕でぬぐうと、真摯な顔で「はい」と、答えた。
紙袋を手に、固い表情をした諏訪さんが車に乗り込んできたのを見て、しーちゃんはしばらく驚いたように固まっていた。その後しーちゃんは、目的地に着くまでずっと諏訪さんの横に寄り添っていた。でも、諏訪さんは気付かない。切ない表情をするしーちゃんを見ていると、胸が痛くなるから。出来るだけ二人を見ないようにした。
『どういうこと?』
ずっと、諏訪さんの横にくっついていたしーちゃんは、病室の扉の横についているネームプレートを見て驚いた声を上げた。
諏訪さんは病室のドア開けて、中に入った。諏訪さんの後に続いて病室に入る。この病室は個室だった。
ベッドが一つあり、その横に棚と、椅子が置いてあった。ベッドの上には女性がねている。
諏訪さんがベッドに近づくのを、ドアの前に立ったまま眺めた。
『ねぇ、アレって私なの?』
「祥子さん、生きていたのか」
叔父さんと、しーちゃんの声が重なって聞こえた。
諏訪さんはベッド脇に置かれていた椅子に座り、車中にいる間ずっと抱きしめていた紙袋から何かを取り出した。
『シンデレラのガラスの靴』
一足のガラスの靴を見て、しーちゃんは声を上げた。
しーちゃんは自分の大声に、驚いたように口元を手で押さえた。でも、今はまだ、その声は諏訪さんに届かない。
「しーちゃんは、生きているよ」
諏訪さんには聞こえないように、しーちゃんに向かって囁く。
『嘘。だって、私、ここにいる』
しーちゃんに顔を向け、笑顔をつくる。
「しーちゃんは、まだちゃんと両足が見えているから、大丈夫。死んだ人はね、足の方からだんだんとあの世へいく。でも、思いが強すぎていけない人は、大抵足だけ、あの世へ行って現世にとどまる」
幽霊は足がないって言うでしょ。
そう言うと、しーちゃんは、ベッドの方へ顔を向けた。
『私、まだ、生きているの?』
「うん。だから、しーちゃんは体に戻らなきゃ」
『でも、どうやって戻ればいいの!』
しーちゃんが叫ぶ。
しーちゃんの言葉を遮るように、諏訪さんの声が部屋に響いた。
「祥子。ごめんな。俺、間違ってた。シンデレラを迎えに行くのは、王子だ。俺が、おまえを迎えに行かなきゃならなかった」
諏訪さんは、ベッドに寝ている人物の手を取った。
「なあ。祥子。起きてくれよ。お願いだから、起きてくれ。戻ってこいよ」
諏訪さんは魂の抜けているしーちゃんの体に向かって、声をかけ続ける。
「戻ってこいよ。ガラスの靴、揃っただろう。二人で幸せになるんだろう。だから、目を覚ませ。祥子」
祥子さんの手を額に当てて、諏訪さんは切実な声で訴える。
『ねぇ、志弦君。どうすればいい? どうすれば、体に戻れる?』
しーちゃんの切迫した声。
「しーちゃん。僕の言葉より諏訪さんの声を聞いて。ほら、呼んでいるよ」
諏訪さんを指で示す。
体の透けたしーちゃんは、ゆっくりと動いて、諏訪さんを後ろから抱きしめた。
『秀一さん。私、ここにいる』
「戻って来い! 祥子」
『戻りたい。あなたの傍にいたい』
しーちゃんの体が輝いた。
輪郭が淡くなって、だんだんと球体へ変化していく。
とても、美しい光景だった。
綺麗に光る球体は、眠っている女性の体にゆっくりと吸い込まれていく。
病室に満ちた光が完全に消えたあと。
小さな声が、耳に届いた。
「秀一さん?」
弱々しい声は、寝ている女性の口から洩れたのだ。
「うん。そう。そうだよ。祥子、迎に来た」
喜びに掠れた諏訪さんの声が、病室を満たす。
上手くいった。
そう思ったら、全身の力が抜けそうになる。
ほっと息をつくと、隣にいた叔父さんに肩を抱かれた。
「志弦。そろそろ、行こうか」
叔父さんに促され、二人に気づかれぬよう、そっと病室をあとにした。
「あーあ。結局、叔父さんのせいで、休日潰れちゃった」
助手席に座って大げさに嘆くと、叔父さんは爽やかな笑顔を見せた。
「でも、そんなに悪い日ではなかっただろう」
叔父さんには、色々と反省してほしい。でも、今は説教する気になれなかった。
「まあね」
叔父さんから顔をそむけて、頬を緩めた。
物語のように末永く、幸せに暮らす二人を思い浮かべて。
ここまで、ご覧いただきありがとうございました。
今回はsyouさま主催「小説企画 カウント5」に参加させていただいた作品となります。
企画の簡単な趣旨をご説明いたしますと、桜庭春人さまが書かれた以下の五文。
『 ガラスの靴、推定二十八センチ。
どういうシンデレラだと言いたいのをぐっとこらえ、その違和感の塊を検分する。造形は文句なしに美しい。が、一体これはどういうことなのか。僕は困惑して持ち主を見やった。』
参加者は、この五文を最初に持ってきて、この五文に続く小説を書くというものです。
企画には私以外にも、十七名の方が参加予定です。よろしかったら、他の方の作品もご覧になってみてください。同じ五文から色んな世界が生まれていると思います。カウント5の企画ホームページへリンクを貼っておりますので、ご興味のある方はそちらからどうぞ。
私も今から読みに行くのが楽しみです。
毎回の如く、企画は勉強のために参加しています。
今回は、地の文で『僕』を使わずに、一人称を書いてみるということに挑戦してみました。どうでしたでしょうか。ちゃんと一人称作品としてなりたっていたでしょうか。自分では分からないので、忌憚ない感想をいただけると嬉しいです。
最後になりましたが。
syouさま企画に参加させてくださりありがとうございました。
桜庭さま。ステキな五文をありがとうございました。
非常に楽しく書いたこのお話。
少しでも、楽しんでいただければ幸いです。
それでは、また、いつか。
お会いできることを願って。
愛田美月でした。