婚約破棄をしようとしたら、既に国が滅んでいた 〜無能な王家が勝手に倒産したので、実家の公爵家が抵当権を実行して国家運営を引き継ぎます〜
「公爵令嬢エリザベス! 身の程知らずで嫉妬深いお前との婚約は、本日この時をもって破棄とする!」
華やかな王宮の夜会。
キンキンと響き渡る声の主は、この国の王太子・ルードヴィヒ殿下だった。
その隣には、「真実の愛」のお相手である男爵令嬢が、勝ち誇った笑みを浮かべて寄り添っている。
誰もが息を呑むーーかと思いきや。
周囲の貴族たちは、一斉にルードヴィヒへ冷ややかな視線を向けた。
ひそひそという囁き声が、会場のあちこちから漏れ聞こえる。
「おい、聞いたか? 殿下、まだ言ってるぞ……」
「何も知らないって、ある意味幸せだな」
「というか、あのドレスや宝石も、全部差し押さえ対象だろうに。よくあんなドヤ顔ができるものだ」
痛々しいものを見るかのような、完全な「何言ってんだこいつ」という空気。
しかし、おめでたい頭のルードヴィヒとその浮気相手は、自分たちが哀れみの対象になっていることに全く気づいていない。
そんな中、婚約破棄を突きつけられた当事者であるエリザベスは、手にした扇をパチンと閉じ、いたって普通の、困惑した表情で首を傾げた。
「……どうぞ、ご自由に」
「なっ、なんだその態度は! 悔しくないのか! 泣いて縋るなら、側室としてーー」
「いえ、そうではなくて。わざわざそのような宣言をなさらなくても、大丈夫ですよ、と申し上げたのです」
「どういう意味だ!?」
ルードヴィヒが目を見開く。その隣で、男爵令嬢が「ふん」と鼻で笑って口を挟んだ。
「ちょっと、負け惜しみは見苦しいわよエリザベス様! 破産だなんて、そんな脅しに殿下が屈するとお思い? 殿下はこの国の次期国王。この国のすべては殿下のものになるのよ。あなたのような嫉妬深いお化け、殿下の権力で一言『クビ』にすればそれまでだわ!」
男爵令嬢の自信満々な言葉に、周囲の貴族たちから「うわぁ……」とリアルな引き声が漏れた。
しかし、エリザベスは怒ることもなく、迷子に道を教えるような優しい笑顔で男爵令嬢を見つめた。
「まあ、男爵令嬢。あなた、根本的な勘違いをしていらっしゃいますよ。丁寧に説明して差し上げますね」
「な、何よ……?」
「まず、ルードヴィヒ殿下はもう『次期国王』ではありません。もちろん殿下の権力とやらで私をクビにすることも不可能です。なぜなら、その権力の源である『この国の統治権(国家運営権)』は、すでに我が公爵家のポケットの中にあるからですわ」
「は、統治権……? 何を言っているんだ、お前は。おい、ギルバート! この不敬な女を今すぐ捕らえろ!」
ルードヴィヒが、自身の後ろに控えていた最側近の騎士・ギルバートに鋭く命じた。
しかし、ギルバートは微動だにしない。
それどころか、すっとルードヴィヒの背後から離れ、数歩歩くと、エリザベスの斜め後ろへと移動した。そして、何事もなかったかのように静かに一礼したのだ。
「ギ、ギルバート……? お前、何をしている? 私の命令が聞こえないのか!?」
「失礼ながら元・殿下。私は本日付で王家を依願退職いたしました。明日の朝九時からは、こちらの公爵家直属の騎士団長として勤務することになっておりますので、これ以上の残業(あなたのお守り)はお断りさせていただきます」
「た、退職だと……!?」
ルードヴィヒが絶望に目を見開く中、エリザベスはドレスの袖から、何枚ものグラフや表が書かれた親切な資料を取り出し、二人の前に広げて見せた。
「殿下、こちらをご覧ください。これが過去5年間の王家の収支報告書です。この赤色の棒グラフが、殿下が男爵令嬢に買い与えたドレスや宝石、武具の購入、そして毎晩の贅沢なパーティーの費用です。完全に国庫の天井を突き抜けていますよね? ギルバート様は、この滅茶苦茶な財政の尻拭いをずっと一人でさせられていたのですよ」
「う、うむ……。だが、王族が金を使うのは当然だろう!」
「ええ、返すアテがあるなら結構なのです。ですが王家は我が公爵家からの借金を何度も踏み倒しました。最初は王家に伝わる聖遺物を担保にしていましたが、それでも足りなくなり……最終的に、お父様が追加融資の条件に設定したのが『国家運営権』です。つまり、『これ以上借金が返せなくなったら、国の経営権を丸ごと公爵家に譲渡する』という内容の、極めて合法的な契約です」
エリザベスはトントン、と資料の「サイン欄」を指差した。
そこには3日前、ルードヴィヒの父である国王が泣きながら押した玉璽が、鮮明に残っている。
「……あ」
ルードヴィヒの顔から、急速に血の気が引いていく。
それを見た男爵令嬢が、ヒステリックに叫ぶ。
「そ、そんなの無効よ! 国民が納得するはずがないわ! 王家がなくなったら、国が大混乱になって、平民たちが暴動を起こすに決まっているじゃない!」
「いいえ、男爵令嬢。それも逆です」
エリザベスは困ったように微笑んだ。
そこへ、一人の老貴族ーーハミルトン侯爵が、深く溜息をつきながら歩み出た。彼はかつて王家の知恵袋と呼ばれた元財務大臣であり、数少ない「まともな重鎮」だった。
「殿下、大混乱など起きませんよ。我が国を実質的に支えていたのは、昔から王家ではなく公爵家です。あなた方が贅沢に溺れる中、減税を施し、インフラを整え、国民の雇用を守ってきたのがどなたか、本当に知らなかったのですか?」
「ハ、ハミルトン侯爵……! お前まで私を裏切るのか!」
「裏切りではございません。現実の報告です。国民の間ではすでに、『無能な王家が消えて、優良企業の公爵家が国を直接経営してくれる!』とお祭り騒ぎ。今頃、城下町では万歳三唱が響き渡っているはずです」
「な……っ!?」
「ですから殿下、そして男爵令嬢」
エリザベスが優しく引き継ぐ。
「あなた方が今ここでどれだけ大声で『婚約破棄だ!』と叫ぼうが、そもそも我が家を追い出す権力すら、今の王家には一滴も残っていませんの。あ、ついでに申し上げますと……」
エリザベスは男爵令嬢の首元で輝く、大粒のダイヤモンドネックレスをそっと指差した。
「そちらの宝石も、王家の隠し口座から購入されたものですので、今夜中に差し押さえ対象となります。明日からは私服一着での生活になるかと思いますので、今のうちにその輝きをしっかり目に焼き付けておいてくださいね」
「ひっ……! わた、私のダイヤが……!?」
男爵令嬢はネックレスを両手で隠し、ガタガタと震え出した。
ルードヴィヒは膝から崩れ落ち、周囲の貴族たちは「自業自得だな」「側近にも逃げられるなんて」と、冷ややかな視線のまま、二人を完全に見限るのだった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
王宮の正門前には、大量の荷物を抱えた王族一同が呆然と立ち尽くしていた。
昨日まで王だった男も、王妃も、そしてルードヴィヒも、全員が華やかな衣装を剥ぎ取られ、粗末な旅装束を着せられている。
代わりに王宮へと入っていくのは、エリザベスの実家である公爵家の一行だ。
「これは簒奪ではないのか!? 不敬罪だ! 反逆だぞ!」
ルードヴィヒは、馬車へ乗り込もうとするエリザベスに駆け寄り、狂ったように叫んだ。
すると、馬車の影から、極上の仕立てのスーツを着たエリザベスの父・公爵が、冷徹な笑みを浮かべて姿を現した。
「簒奪? 滅相もない。これは単なる『抵当権の実行』および『正当な契約に基づく国家運営権の回収』ですよ、元・王太子殿下」
「く、公爵……!」
「我が家がこれまで貸し付けた国家予算、今すぐ一括で利子付きで返済していただけるなら、この国家運営権もお返ししますが? ……もちろん、無理でしょう。あなた方が無駄遣いした額は、隣国を三つ買えるほどですから」
公爵は、分厚い国家財政の赤字証明書と、全貴族・官僚が署名した「公爵家への経営権委任の同意書」の束を、ルードヴィヒの目の前に突きつけた。
そして、その公爵のすぐ後ろには、昨日まで王家に仕えていたはずの老貴族・ハミルトン侯爵が、きっちりと新しい書類を抱えて控えていた。
「ハ、ハミルトン侯爵!? なぜお前がそこに……」
ルードヴィヒが驚愕の声をあげる。ハミルトン侯爵は、おなじみの深い溜息をつきながら、眼鏡の位置を直した。
「元・殿下。私は公爵閣下に請われ、本日より『旧王家破産・財産整理委員会の最高責任者』および『新政府の最高財政顧問』に就任いたしました。無能な主のお守りから解放され、ようやく能力に見合った正当な予算で、この国のために腕を振るうことができます。……ああ、その手に持っているトランク、中身の王家秘蔵の絵画はすべて我が委員会が差し押さえますので、置いていってくださいね」
「そんな……! お前まで……!」
公爵がニヤリと笑う。
「我が娘を蔑にし、あのような泥棒猫にうつつを抜かした罰です。……本来なら処刑ですが、娘の『普通に生きたいから、大ごとにせず穏便に済ませたい』という優しい一言と、ハミルトン侯爵の『無駄な処刑コストをかけるより、未開の直轄地を開拓させる労働力にすべき』という極めて合理的な進言に免じて、命が助かるだけでもラッキーと思いなさい」
裏で完璧に国を買収していた公爵の目は、完全に据わっていた。
「ひっ……!」
ルードヴィヒは腰を抜かし、隣にいた男爵令嬢はすでに現実逃避して震えている。
その横を、元側近・ギルバートが「おはようございます、エリザベス様。本日の警護スケジュールですが……」と新しい主に爽やかに話しかけ、ハミルトン侯爵が「これより新体制の予算会議を始めます」と有能そうに公爵と歩いていく。
こうして元・王族一行は、何もかもを失い、魔物が出るという噂の、荒れ果てた直轄地へとすごすごと移動していくのだった。
***
王族たちが去り、静かになった王宮の執務室。
窓からは、新しい時代の幕開けを祝う城下町の歓声が、かすかに響いてくる。
ふかふかの高級ソファーに腰掛けたエリザベスは、手にしたお茶を一口すすり、正面のデスクでさっそく山のような書類を優雅に片付けている父をジト目で見つめた。
「お父様」
「なんだい、私の可愛いエリザベス。喉が渇いたかい? すぐにハミルトンに最高級の茶葉を用意させよう」
公爵は満面の笑みで、書類から顔を上げた。
エリザベスは、いたって普通の、少し呆れたトーンで口を開く。
「お父様。私は数日前、ルードヴィヒ殿下との婚約について『もう疲れてしまいましたから、大ごとにせず、穏便に済ませて平穏に暮らしたいですわ』と言っただけですわよね?」
「ああ、覚えているとも。愛しい娘の切実な願いだからね」
「では、どうして我が家が王の座を引き継ぎ、私が新しい国のトップとして書類仕事に追われることになっているのですか?」
エリザベスが机の上の「新・国家予算書」を指差すると、公爵は不思議そうに小首を傾げた。
「え? だって、平穏になっただろう?」
「どこがですの」
「あの無能な男が近くにいたら、またいつお前にちょっかいを出してくるか分からない。だから国ごと買い取って、一番安全な場所に隔離したんだ。我が公爵家の完璧な管理下なら、誰も、どんな理不尽もお前を脅かすことはできない。これ以上ないほど『平穏』じゃないか」
「……」
お父様の言っていることは、論理的(?)ではあるが、規模が違いすぎる。
普通の平穏を望んだだけなのに、気づけば国家の最高権力者に祭り上げられていたエリザベスは、深いため息をついた。
「……私の『平穏』の定義、お父様とはかなりズレている気がいたしますわ」
「ハハハ、何を言うんだい。お前が望むなら、隣国もセットで買い取って、さらに平穏な世界を作ってあげてもいいんだよ?」
「結構です! 本当に結構ですからね、お父様!」
「お呼びでしょうか、エリザベス様、公爵閣下」
そこへ、ノックと共にギルバートが清々しい笑顔で入ってきた。その腕には、さらに分厚い書類の束が抱えられている。
「ハミルトン最高顧問より、旧王家が隠していた別の裏金口座と、それに連なる汚職貴族のリストが届きました。これでさらに国家財政が潤います。新体制の記念式典の予算、倍に増やせますよ」
「おお、素晴らしい! エリザベス、お前のドレスもさらに豪華なものを仕立てさせよう!」
「ですから、私は平穏にーー!」
エリザベスのささやかな悲鳴は、有能すぎる部下たちのテキパキとした拍手と、お父様の深い深い親バカの愛情にかき消されていくのだった。
(終わり)




