2日目①
「結局、その異変? っていうのは見つかったの?」
鈴美は子供っぽいピンク色の箸で、彼女の健康的な身体に相応しいとは思えないような小さな弁当箱をつつきながら言った。
「いや、一つもなかったよ。というか、結局異変が何なのかすら分からなかった」
俺は机を挟んで正面に座る鈴美に向かって首を横に振る。
「秋野さん曰く、異変ってのは滅多に見つからないもので、一つも発見できないのが普通なんだってさ」
「じゃあ何で三国は道案内だけじゃなくて異変探しなんてさせられたの? 話聞いてる限り、その異変探しってやつ、二人も要らなくない?」
「その通りなんだけど、まあ、俺が連れてかれたのって異変探し要員じゃなくて暇つぶし要員だから」
「暇つぶし?」
「異変探しってただ歩くだけだから一人でやると暇なんだと。だから俺を会話相手として隣に置いたってわけ。だからむしろ、異変が滅多に現れないせいで俺が連れてかれた、って考えるのが正解かもな」
「ふーん。変なの」
鈴美はそう言うと、箸でタコさんウィンナーをつまみ、持ち上げた。
高校三年生。タコさん。
これは鈴美本人が可愛らしいと言うべきか、それとも弁当を作っている彼女のお母さんの方が可愛らしいと言うべきか……。
いずれにせよ、それ自体愛らしい姿をしたウィンナーは、特に誰からも茶々を入れられることなく、鈴美の口元に運ばれ、そして咀嚼されてしまった。
お察しかと思うが、俺たちは今、昼食をとっている。
時刻は12時半過ぎ。
昼真っ只中である。
俺たち二人は、俺の教室で昼食を共にするのが日常になっている。
それは特に取り決めたわけではなく、昼休みになると毎度鈴美が俺のクラスまでやって来るので勝手にそうなっているだけなのだが(鈴美がなぜ自分のクラスの友達と食べずに、わざわざ俺のとこに来るのかはよく分からない)。
まあ、一緒に食べることに関してデメリットは何もないし、むしろ俺にとってはメリットでしかないから別にそれでいいんだけど。
俺がぼっち飯を回避できてるのは鈴美のおかげだ。
確かに初めは、周りにクラスメイトがいる中で幼馴染とはいえ女子と二人で食事をとることに気恥ずかしさがあったが、もう慣れてしまった。
というか、今ではかえって誇らしいまである。
どうだ野郎共!
俺は今女子と二人で飯を食っている!!
羨ましいだろ!!!
……。
まあ、友達以上でも以下でもない、ただの幼馴染なんですけどね。
俺からしたら大勢の友達と机を連結させて、飯をワイワイ食べてるむさい男子生徒たちの方が羨ましい。
いいなあ、友達、たくさん。
変に強がって謎の勝利宣言をしてみたが、むしろ俺がダメージを負った気分だ。
敗北宣言。
野郎共にエクストラターン。
「それで、友達ができない理由は教えてもらえたの?」
いつの間にかタコさんウィンナーを嚥下した鈴美は、しっかりと空になった口でそう言った。
「いや。それは秋野さんの用事を全部手伝ったら教えてくれるんだってさ」
「え? 秋野さんとの用事って昨日だけの話じゃないの?」
「俺もそのつもりで行ったんだけどさ、実はその用事ってのが全部終わるまで7日かかるらしくて、それでまあ半ば強制的に、結局全部手伝うことになったんだよ」
「そうなんだ……」
眉をハの字に寄せる鈴美。
「でも、そんなひょいひょいついて行っちゃってホントに大丈夫なの? だって異変探しの時点で意味わかんなくない? もう怪しさ満点だし……やっぱり心配だよ」
至極真っ当。
知らない人や怪しい人について行っちゃいけません。
小学生でも分かることだ。
しかし、確かに鈴美が言ってる通りなんだが、今さら引くわけにもいかないだろう。
それに秋野さんからは、確かに人使いは荒いけど、別に俺を悪いようにしてやろう的な気配は感じられなかったし。秋野さんには悪いが、確かに見た目は怪しさ満点の悪人風。だけどその皮の下は別にそうでもない気がする、というか邪な雰囲気を一切感じ取れなかったから、どうも悪い人には思えない。
以上二文、昨日秋野さんと行動を共にした俺の彼女に対する感想。
「大丈夫大丈夫、問題ないよ。こうやって今、俺は無事でここにいるわけだし。それに、もしあの人が本当に鼠や黒の世界に足突っ込んでるヤバい人だったら、俺は今頃五体満足でここにはいないだろ」
「それならいいんだけど……」
鈴美はそう言うが、彼女の顔は釈然としないような、物憂げな表情をしている。
「それで、今日も行くの?」
「もちろん。一応言っておくけど今日も一人で行くからついてくんなよ、マジで。ストーキングするのもダメだからな」
「わ、分かってるよ!」
机から身を乗り出しそうな勢いで返事をする鈴美。
もしかして、釘を刺さなかったらついてくるつもりだったんじゃ……。
鈴美に対する秋野さんの嫌悪感というか拒否感というものを知った今、ガチでやめてほしい。
「ならいいけど……まあ、そういうわけだから今日も一人で帰ってくれ。というか、ここしばらくは一緒に帰れない」
「はいはい、分かりましたよ。見捨てられた私めは一人寂しく帰りますよーっだ」
口調がちょっと不機嫌そう。
でも本気で機嫌を悪くしているわけではないな。
ちょっと俺をからかってるだけだろう。
鈴美は元々聞き分けの悪いタイプじゃないし(ストーキングを除く)、なにより今はそういう顔をしている。
相変わらず表情というか態度が豊かなヤツだ。
もう長いこと一緒にいるが見ていて飽きがこない。
秋野さんも中々愉快な振る舞いで見ていて飽きない人だったけど、やはりそれとは別ベクトルの面白さ、あるいは愛嬌がある。
何というか、秋野さんには最初に抱いた狡猾そうで強かな雰囲気と、実際の粗暴な振る舞いとのギャップという面白さがあり、対して鈴美には単純に挙動がコロコロ変わる面白さがある。
動物に喩えてみるなら犬t猫。
俺がそんなことを考えると、そう思ったそばから鈴美の表情が再び変化した。何かを思いついたような、思い出したかのような顔だ。
「あ! でも待って! いつもの予定はどうなるの!? 約束でしょ?」
「いつもの予定……?」
鈴美が急に話を振ってくるから、一瞬何のことか分からなかった。
「明日でテスト全部返ってくるんでしょ?」
鈴美はわざとらしく肩を落とし、大きなため息をついた。
「ああ、そうか」
「それで、どうするの?」
「そうだな……約束だし、流石にお前との予定を優先するよ。秋野さんには何とか言って融通してもらうから、いつも通りにやろう」
「うむ。それならよろしい」
望んだ答えが返ってきたと言わんばかりに鈴美は何度か頷くと、満足そうに再び弁当の中身をつつき始めた。
―――
突然だが、物語には語りの速度というものがある。
語りの速度とは休止法、伸長法、情景法、要約法、省略法の五つからなる、物語論におけるジュネットの理論の内の一つである。
まあ、簡単に言ってしまえば、物語がどのくらいのスピードで進むか、というのが語りの速度である。
例えば、「戦争が○○年に始まって、○○年に終結した」というざっくりした語りはその速度が速く、一方で「戦争が○○年に、二国間の国境である××地域での両国軍の不慮の接触によって勃発した。その火種は最初はほんの小さなもので――(以下略)」といったように事細かい描写と共に進む語りは速度が遅いと言える。
つまり、一つの事柄に対してどのくらい語るか、それが語りの速度である。
さて、一度ここで明言しておこう。
この物語は語りの速度が遅い物語である。
なにせ俺と秋野さんの約一週間にわたる奇妙な付き合いを、順番に一日ずつ辿っていく、そんな話だからだ。
そこに壮大な結末なんてものはない。
最後に、友達ができない理由が無事に判明してめでたしめでたし。
先に言ってしまって申し訳ないが、それがこの物語のオチだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
たいそうな事件が起こるわけでもないし、世界の謎が明かされるわけでもない。
異変探しの報酬として、秋野さんから約束通り真実を教えてもらって終わる、ただそれだけの話。
ゆっくりと、ゆっくりと、そこには最初から何もなかったことを俺が知ることになる、ただそれだけの物語。
いや、この話はそもそも物語ではないのかもしれない。
なぜなら、新生活の始まりという節目に立って、折り合いをつけるように、また懐かしむように、一年前の出来事を、俺がただただ思い出しているだけに過ぎないのだから。
さて、語りが遅いと言った通りの前置きになってしまったが、流石に限度というものがあるのでそろそろ本編に戻るとしよう。
あの時の俺のように、この昔話にゆっくりと付き合ってくれると幸いだ。
では以下、昼休みから時間は飛んで放課後。
「それで、ボクへの頼み事ってのは一体何なんだい?」
例の神社にて。
今日の秋野さんは、昨日みたく拝殿には寝そべっていなかったが、代わりに今にも崩れそうな苔むした灯篭の上に座っていた。
「明日、中間テストが全部返ってくるんですけど、毎度その日の放課後は鈴美とテスト直しがてら一緒に勉強するって約束があるんです。だから――」
「だから、明日はボクに付き合えない。お休みさせてくれってことね」
「はい、その通りデス……」
灯篭の上から見下ろされ、小さくなる俺。
心を読まれたなんて大袈裟なことではなく、ただ文脈から要求を予想されただけなのは分かっているが、急に言葉を被せられると少し心臓がキュッとなる。
「ま、いいぜ。明日は休みにしてやるよ」
「いいんですか?」
「今回のボクの仕事は結構猶予があるしな。数日ずれたところで別に何も支障はねーよ」
「あ、ありがとうございます」
意外にもあっさり許可をもらえたことに、俺は少し拍子抜けしてしまった。
鈴美の名前を出したのが効いたのだろうか。
「つまり、明日がなしってことになると、今日は木曜だから……次は来週の月曜日か」
「土日はやらないんですか?」
「別にボクはやってもいいんだが……ボクとお前が共通して分かる場所がこの神社しかないから、その場合も集合はここだぞ? お前、休みの日にわざわざ家と学校往復したいか?」
「……できればやりたくないです」
往復20キロオーバー。
自分から言及してしまったので婉曲的に言ったが、本当は「できれば」どころか絶対にやりたくない。
「だろ? だから土日はなしだ」
「……ありがとうございます」
おお。もしかしてこの人、実はとても良い人なんじゃないだろうか。
いやでも、そんな殊勝な性格だったら、学生を餌で釣って意味の分からない異変探しとやらに巻き込んだりしないし、灯篭に乗ったりもしないか。
「そうだ、しっかり感謝しろよ? ボクがこんなに気を遣うなんて珍しいんだからな」
……うん、やっぱりそういう人だよな。
俺は思わず苦笑した。
「さて――」
秋野さんはそう小さく呟くと、灯篭からひょいと飛び降りた。
天使が舞い降りるが如く、ふわりと、鮮やかに。
そして飄々とした調子で言う。
「そろそろ行くか」
「今日は端泉のどこに連れてけばいいんですか?」
「いや、今日は端泉には行かないし、それに異変探しもしない」
「え? じゃあ今日はどこに行って何をするんですか?」
そもそも俺の最たる役目は端泉地区への案内とそこでの異変探しの補佐のはずなのに。
〈至急回答お願いします〉高校生です。二日目にして仕事内容が事前に提示されたものと違うんですけど、これってどこに報告すればいいんでしょうか。(チップ25枚)
脳内で馬鹿な茶番をしていると、秋野さんは親指だけ立てた左手で彼女から見て左の方、つまり東の方角を無言で指差した。
「もしかして……」
神社から見て東。
その方向にあるのは、俺が通う学校に他ならなかった。
「ああ。今日はちょっと別件でな。確か昨日も言ったと思うが、この高校に関してちょっと別の用事があって、今日はそれを片付ける。ほら、さっさとボクを案内しろ」
秋野さんは俺の肩を叩くと、俺が質問する間もなく、すぐさま鳥居の方へ歩き出した。
「あ、ちょっと! 待ってくださいよ!」
俺は声を上げながら、慌てて秋野さんの後を追った。
神社と学校は目と鼻の先。
神社を出てから数分、いや下手したら1分も経っていないかもしれない。
秋野さんと学校の門をくぐったとき、堂々と歩く彼女と対照的に、俺は内心とてもビクビクしていた。
だって秋野さん、よく考えなくてもうちの学校の生徒でも先生でもその他関係者でもないまるっきりの部外者だし、言葉を選ばずに言えば、JKのコスプレをしてるただの奇人なんだぞ?
しかも今から何をやるかもよく分かってないし……。
こんな人を学校に連れ込んでいいのか?
……いや、普通にダメだろ。
学校の門のそばにある看板にも、”関係者以外の侵入を固く禁ずる”って書いてあるってのに。
秋野さんは秋野さんで当然不法侵入だし、そんな人間を案内する俺も俺でそれはもう侵入の幇助以外の何物でもないじゃないか。
バレたら一体どうなるんだろ……。
俺まで法に引っかかることは……流石にないよな?
そんなことを考えていたせいか、秋野さんに「なんかお前、挙動不審だな」と指摘された。
納得いかねぇ……。
逆になんで明確に法を犯してる方がそんな堂々としてんだよ。
あんたの場合はバレたらワンチャン警察ルートだってのに。
まあいい。
一度門をくぐってしまったからにはもう仕方がない。
バレないことを祈りつつ、さっさと今日の活動を終わらせるとしよう。