0日目③
「は……え……?」
もしかして今、告白……されたのか?
友達すらいないのに、その過程を全部すっ飛ばして、告白を、受けたのか?
予想だにしなかった言葉に俺は、ただ目を見開いて、口を半開きにすることしかできなかった。
とりあえずこの衝撃を共有したいと思って鈴美の方を向いてみると、彼女もまた俺と似たような顔をしている。鈴美も驚いているようだ。
俺は少女の方を向き直し、彼女をまじまじと見つめた。
最初は外見を不気味だとか、薄気味悪いだとか、なんだかんだと思ってしまったが、よく見れば中々に可愛いじゃないか、うん。まあ確かにちょっとホラーな感じもあるが、一周回って逆にそういう面もチャームポイントに見えてきた。
それに彼女のあの物言い。ちょっとSっ気がありそうなあの口調と「ボク」という一人称。悪くない。いや、むしろ逸材かもしれない。
外見と発される言葉のギャップにも少しくるものがある。ギャップ萌えってやつか。
いや、しかし、冷静になれ……よく考えてみろ。今まで友人が二人といなかったやつに急に告白イベントが起こるか? 普通。
何か裏があるんじゃないか? 例えば、ありきたりなやつだと罰ゲームとか、最悪美人局とか。友達もいない寂しいヤツなら楽に鴨にできそうとか思われてるんじゃなかろうか。
それにそもそも相手はさっきの事故に遭って会ったばかりの初対面の子だ。赤の他人同然の相手と恋人になんて……。
頭の中でそんな風な思考をぐるぐると回して、この謎の少女からの告白を受け入れるべきか断るべきかを悩んでいると、その一方で例の少女の方は顎に右手を当て、何やら呟き始めた。
「ん? いや待てよ……ボクと付き合え……ボクと――ああ、言い方ミスったな、これ」
少女は顎から手を離し、そのまま宙に浮かせた手で指を弾いた。
「おい、三国」
「は、はい!」
跳ねるようにして俺は少女と目を合わせる。
「さっきのは訂正だ。助詞を間違えた。正しくは、”ボクに付き合え”、だ」
「へ?」
「つまり、ボクが言いたいのは、”go out with me”とか、大袈裟に言えば”I love you”とか、そういった愛の言葉じゃなくて、”accompany me”とか、”go together”とか、まあ簡単に言えばヘルプミーって意味の”付き合え”ってことだ」
「ああ~、なるほど……」
どうやら告白ではなかったようだ。
つまり俺は、元から存在しない好意に踊らされた間抜けな男だというワケだ。
穴があったら入りたいぜちくしょう。
深呼吸をして動揺の表情を無理矢理にも内側へしまい、俺はいつも通りの仏頂面を呼び戻した。
「あ、そうだ。これ、やるよ」
少女はそう言って、一枚の紙切れを突き出した。
「何これ」
「名刺だよ、名刺。ほら、早く受け取れよ」
流されるままに硬い質感の紙片を手に取る。
わざわざ名刺なんて言うんだから、特別な所属先とか身分とか、他には連絡先なんかが印字されていると思ったのだが、紙に記されていたのはおそらく彼女の名前だろう四文字の漢字だけだった。
うーん、名刺と呼ぶには何ともお粗末な……名前だけがでかでかと書かれたこれはもはや、名刺というより名札だ。クリップを使って胸元にでも挟んだら、スーパーの店員みたいになりそうだ。
その名札、もとい名刺には「氏神秋野」とだけ記されていた。
「えーっと……うじ、がみ……あきの?」
「ちげーよ馬鹿」
違ったらしい。
速攻で罵倒された。
「人の名前を間違えるなんて、とんだ失礼な奴だな。いいか、良く聞け。ボクの名前は”うじがみときの”だ。”あきの”じゃない、ときのだ」
「とき? 秋って字で、”とき”って言うのか?」
「ああ? そんな驚くことじゃねぇだろ。危急存亡の秋とか言うだろ」
「いや……初めて聞いたけど」
「はっ、学がねぇな。まあ、とにかくだ、ボクの名前は氏神秋野だ。間違えんじゃねーぞ」
「あ、ああ。分かった」
彼女の口調を最初に耳にしたときから薄々そんな感じがしていたが、今、それが確信に変わった。
この子、凄く口が悪い。
これまで生きてきた中で、初対面の相手にここまで雑に扱われたのは初めてだ。
口の悪さといい、初対面の相手に対してもお構いのない尊大で上から目線な口調といい、彼女が口を開けば開くほどファーストコンタクトのイメージが崩れていく。
人は見かけによらないと言うが、まさに彼女はその模範と言っていいだろう。
しかし、氏神秋野か。
ウチの制服を着てるから当然同じ高校だろうが、始めて見聞きする生徒だ。
少なくとも今までのクラスメイトじゃないことは確かだが、果たして同学年にいたかまでは覚えてない、というか分からない。二年もの間、学校での人との関わりが自分のクラスどころか、自分と鈴美だけで完結していた俺にとって、一度も同じクラスになっていない生徒のことなんて知る由もないのだ。
というわけで鈴美に訊いてみることにした。
「お前、知ってる? あの子」
「ううん、知らない」
鈴美は両の手で分からないというジェスチャーを作って、小さく首を振った。
鈴美も知らないということは、恐らく秋野は同級生ではなく、一年生か二年生ということだろう。
つまり下級生、後輩というわけだ。
後輩――ということは、俺は年下の子にこんな雑な扱いを受けているということになるな……。
学校を出る前に嘲笑されたことといい、もしや俺って舐められやすかったりするのか……?
いや、やめよう。この点にこれ以上追及すると無意味なダメージを負いそうだから、ここら辺で身を引いておこう。世の中、知らなくていいこともあるはずだ。
知らぬが仏。
触らぬ神に祟りなし。
「ところで秋野ちゃん。付き合えって言われても、具体的に何をするのか分からないんだけど」
「ちゃん」付けで呼んでみた。
果たしてこの距離感が正しいのかは、後輩の女の子と話すのが中学以来だった俺には分からない。
それと、秋野ちゃんの印象とか雰囲気からして、滅多に「ちゃん」付けはされてなさそうな感じがしたから、ちょっとした照れ隠しのような、不意を突かれたような、何かしら隙を見せるような反応でもしてくれるのではないかと思い、さきほどの扱いの反撃としての意味も込めてそう呼んでみたのだが……結果から言って、何も起こらなかった。
「端泉の方にいくつか野暮用があってな、あの地区に詳しい奴にちょっとそれを手伝ってもらいたいんだ」
「なるほど。端泉に用ねぇ……」
ふむ。
そうか……。
はっきり言うと、内容がどうであれ、もとより彼女の頼み引き受けるのはやぶさかではない。
このニ年間、鈴美以外の同年代とまともに話す機会がなかった俺にとって、他の子と話せて、その上一緒に行動を共にできるなんて願ったり叶ったりの話だ。
本当ならすぐにでも了承していい案件ではあるんだが、しかし……どうも怪しい気がしてならない。彼女の見た目も、態度も、出会い方も相まって警戒してしまう。
そもそも俺とまともに会話をしているということ自体が、自分で言うのは悲しくなるが、少し異常なのだ。
「ちなみにその端泉での用ってのはどんな用事なんだ?」
補足しておくと、この端泉というのは俺と鈴美が住んでいる地区の名前だ。
「それはお前が俺に付き合うって首を縦に振った後で教えてやる」
目的はまだ教えない、か。うーむ。ますます怪しい。
……どうしたものか。
「ねぇ、やめとうこうよ。やっぱりなんか変だし怪しいよ。それにこの子、人相とか雰囲気悪いし、きっと何か裏があるよ」
「そうだよなあ……」
肯定の意を示した後に思うのもなんだが、鈴美よ、確かに秋野ちゃんの見た目は不気味だけど、人相悪いはちょっと言い過ぎだと思うぞ。
「おい、何コソコソ言ってんだよ。そういえば隣の奴の名前を訊くのを忘れてたな。おい三国。そいつの名は」
そういえばいつのまにか呼び捨てで呼ばれてるな。
まあ目くじらを立てて気にするようなことじゃないし、これまでの彼女のイメージ通りでいっそ清々しい。
「鈴美です」
鈴美が一歩踏み出して言った。
しかし秋野ちゃんは聞こえなかったのか、何の反応も示さない。
「あの! 鈴美です!」
鈴美はもう一度、声を一層張って言う。
しかし、明らかに聞こえるはずの声量にもかかわらず、秋野ちゃんはまたもや、まるで最初から鈴美に興味がないかのように、鈴美の声に応えなかった。
「秋野ちゃん、君のために鈴美が自己紹介してるのに無視するのは酷くないか?」
「おいおい勘違いするなよ。ボクが質問をしたのは三国に対してだ。隣の奴にじゃない。だからお前の口から教えてくれよ、三国」
俺は鈴美と顔を見合わせる。
互いに要領を得ない表情で、鈴美はそれに加えて不服そうというか、若干の苛立ちというものを感じていそうだった。
「こいつは、鈴美だ」
「ふーん。鈴美ね……」
自分で尋ねたにもかかわらず、秋野ちゃんはやはり元からあまり関心がなかったかのようだった。
「よし。一つ言い忘れてたんだが、ボクに付き合うのは一人だけだ」
「え?」
「つまり手伝いは三国、お前だけで十分だ。他の奴は誰一人連れてくるな」
まだ秋野ちゃんに付き合うとは一言も口にしてないんだけど……なんか俺が了承した前提で話が進んでるような。
それに一人で来いって……ますます怪しいぞ。やっぱり美人局とかその類じゃないのか、これ。
「三国、やっぱり明らかに変だよ。断ろうよ」
「そうだな。さすがにちょっとおかしいし、やめるべきだよな……秋野ちゃん、ごめん無――」
「おい待てよ。断るにはまだ早いぜ? もしボクに協力してくれたら、報酬としてお前にいいこと教えてやるよ」
「いいこと?」
「ああそうだ。お前が喉から手が出るほど知りたいこと、つまり――なぜお前から友達が消え、今になっても友達ができないのかという、その理由を教えてやる」
……?
何を……言ってんだ、この女。
俺が二年かけても解明できなかったことを、俺と面識が一切なかったこの女が知り得ているというのか?
「俺に友達がいないということは噂か何かで耳にするとして、俺ですら知らないその理由をどうして秋野ちゃんが知っている?」
「得意なんだよ、そういう謎を分析するのが」
分析が得意?
そんな理由で?
そんな呆気なく?
「本当、なのか?」
「もちろんだ。協力を求めるにあたってお前のことは色々と調べさせてもらったぜ。別に、嘘だと思うなら断ればいい。ま、その場合、お前は友達も、まともな人間関係すらも誰とも築けない一生を送ることになるだろうけどな」
秋野ちゃんは一直線に俺を見て、不敵な笑みを浮かべた。
どうやら俺は弱みに付け込まれたようだ。
さて、ここで俺が取れる行動はただ一つだけ。
「……分かった。やるよ」
「三国!? 本気!?」
「ああ。あんなこと言われちゃあ、やらないわけにはいかないだろ」
秋野ちゃんの発言の真偽を確かめる術はない。どちらかというと俺はまだ信じていない。
しかし、嘘であっても、実は何か裏があったとしても、もしそこに現状を変えられる可能性が1パーセントでもあるなら、俺はその選択肢を選ぶ。
俺も普通の、健全な学生生活に戻りたい。
「それで、秋野ちゃん、俺はどうすればいい? 今から道案内でもすればいいのか?」
「いや、今日はいい。明日からにしよう。今日と同じくらいの時間に、高校の西にある神社で待ってるから、そこに来い。そこで詳しいことを教えてやるよ」
「明日、西の神社に行けばいいんだな」
「そうだ。くれぐれも二人で来たりすんなよ」
「分かった」
「よし。それじゃ、明日、約束通りに」
秋野ちゃんはそう言うと、スタスタと足早にその場から離れ、すぐにどこかに行ってしまった。
「……何だったんだ」
現れるのも、去るのも突然。嵐のような子だ。
「……俺たちも……帰るか」
「……そうだね」
俺たちは再び自転車に跨って、整理の追い付かない感情を各々抱えながら、ペダルを漕ぎ始めた。
――そういえば、どうして秋野ちゃんはあのT字路にいたんだろう。最初から俺に用事があるみたいだったし、偶然ってわけじゃなさそうだけど……というと、俺の下校を狙って待ち伏せしてたってことに、なるのか?
いや、でも、わざわざ待ち伏せをする理由が見つからない。用があるなら別に校内で俺に会いにくればいい話だし……。
それに事故、正しくは事故未遂についての認識をすり合わせるのをすっかり忘れていた。後になって警察とか先生とかのお叱りを受けなきゃいいんだけど……。