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320日目

 ――以上、俺が一年ほど前に体験した出来事の一部始終だ。

 大切な人を失った人物が、年月をかけてそれを乗り越えるだけのただそれだけの話。

 話の骨だけを抜いてみれば、先に明記した通り、幾度となく繰り返された陳腐な物語だ。


 さて、俺の昔話も終わったことだし、最後にあの出来事の後の話、そして今の俺の話をしよう。

 エピローグというやつだ。

 

 ではまず、俺の現状から……と、行きたいところだが、その前に一つ、鈴美の幻覚から解放されて気付いた面白い事実について話しておこう。

 なんと、実はこの俺、頭がめちゃくちゃ良かったのである。


 思い出してほしいのだが、鈴美の幻覚はとてつもなく頭が良かった。

 どんな試験でも満点を取り、俺に分かりやすく勉強を教えてくれた。

 しかし、どこまでいってもあれはただの幻覚。あいつはそう、脳が作り出した、俺の記憶と想像力の産物だ。

 つまり、あの幻覚は異常なほど頭が良かったが、それは裏を返せば、俺自身の中にそれだけの知識と理解力があったということになる。

 要するに、鈴美を演じていた俺の頭がそもそも良かったのである。

 ただ、鈴美の幻覚を見ていた時の俺の脳は、常に理想的な鈴美を”存在させ続けるため”に、膨大な知識や思考力の多くを自分ではなく、あいつの人格に使っていた。

 だから、あの頃の俺はそこまで頭が良くなかったのだろう。

 でも、幻覚が消えた今、そのリソースが全て自分に還元された。

 つまり今の俺は、完璧だった鈴美の幻覚と、同じ頭脳を持っているということになるのだ。


 実際、あの日以来、俺はかつての鈴美の幻覚のようにどんな試験でも満点以外を取らなくなった。

 初めは自分でも信じられなかったが、どうやらそれが俺の本当の実力なようだった。

 

 まあ、ずっとおかしいとは思ってたんだ。

 友達が消えて、趣味も消えて、やることがないからって暇な時間に結構勉強してたつもりなのに全然身に付かなったのが。

 まさか、幻覚の人格を維持するために吸い取られていたとは。

 いやはや。

 

 それに鈴美に勉強を教えてもらうと妙にスッと頭に入ってきて不思議だったけど、そりゃそうなるわな、と。

 だって鈴美の幻覚は俺自身なわけで、そこにあるのは自分で自分に教えるというサイクルの構図――すなわちただの知識の再確認をしてたにすぎないんだから。


 ――と、いうことで、幻覚から解放されたあの日以来、俺は急激に頭が良くなったのである。


 今や俺も高校を卒業し、その頭脳を使って希望する大学に進学することができた。

 ちなみに、数週間前に引っ越しを終えて、今は親元を離れて一人暮らしをしている。

 一応大学について補足しておくと、俺が選んだのは文系の学部である。

 高校では理系だったが、あの出来事の後で俺は文転したのだ。

 あの頃は、学びたいことや興味のあることが特になくて、数学が得意だったから理系に進んでいたけど、秋野さんに会って少し気が変わった。

 あの人と出会って、人という生き物の不安定さを思い知らされて、それをきっかけに人間という存在に興味がでたからだ。

 具体的に何を学びたいかは決まってないけど、それはこれから考えていくつもりである。

 幸い、俺が進学した人文系の学部は、二年次から専門を決めるので、考える時間はまだたっぷりある。というか、少し考える猶予があるからこの大学を選んだのだが。

 進路なんてどうでもいいと言っていた一年前の俺に、こんなことを聞かせたらきっとびっくりするだろう。


 次に、結局友達はできたのか、ということについて話そう。

 結論から言うと、あの日から高校を卒業した現在まで、新たに友達はできなかった。

 いや、正確に言うなら”敢えて作らなかった”というのが正しいだろう。

 よく考えてみてほしいのだが、少し前まで虚空と喋っていたヤバい奴と友達になろうとするヤツがいるだろうか。

 それに、高校三年目にして既に出来上がってる人間関係に入っていくのは俺も相手も気まずいだろうし、他にも色々と考慮した結果、俺は敢えて高校で友達は作らないことに決めた。

 だから結局、俺は高校卒業まで引き続き一人で学校生活を送ったのだった。

 二年間も実質的なぼっちをしてたんだから、あと一年耐えるくらいわけなかったし、それに友達ができなかった原因が解消されて、いざとなれば他者とちゃんと交流できるという確証があったからか、一人でいることはそこまで気にならなかった。

 俺はあの日以来、少なくともそれまでのような気味悪がられるような変な目で見られることはなくなった。

 友達こそできなかったけど、友達ができない原因も解明できたし、俺にとってはしばらくはそれで十分だった。

 

 ってなわけで、友達ができない理由は無事に判明したが、結局友達はできなかった、というのがこの物語の本当のオチである。

 結末をまとめてしまえば、ただこれだけの話である。


 俺についての話はこれで以上だ。

 あとは、何を話そうか。

 そうだな……鈴美についても少し触れておこう。


 あの日、秋野さんに教えてもらったのが、鈴美は死んでからあの日までの五年間、ずっと近くで俺を見守っていたらしい。

 鈴美は本当に、俺が彼女の死をきっかけに精神を病んだのが心配だったというだけの理由で、成仏せずに現世に留まっていたらしかった。

 秋野さん曰く、恨み辛みの類以外の理由、それも「ただ心配で」なんて理由だけで留まり続けるヤツは中々いない、とのことだった。

 そして、俺が高校一年生で本格的に狂い始めてから、俺のことをどうにかして助けようとした結果、どういうルートを辿ったのかは分からないが、とにかく秋野さんの元に辿り着き、利害が一致したということで、秋野さんは俺を助けてほしいという鈴美の頼みを請け負った、ということらしかった。


 「良い友人を持ったな」


 全てを教えてもらった後で、秋野さんにそう言われたのを覚えてる。

 ああ。

 その通りだ。

 鈴美は否定したけど、あいつが死んだのに俺が無関係というわけじゃ決してない。

 それなのに、あいつは恨むどころかずっと俺のことを心配して、そして救ってくれた。

 あいつがいなきゃ、俺の人生に再び光が当たることがなかったはずだ。


 そういえば、鈴美に関連してまだ話してなかったことが一つあった。

 いつぞや旧鈴美宅の前で見た、家の写真を撮って一瞬で消えたあの男のことだ。

 あの時は、俺が寝ぼけてたゆえに見た幻覚と結論づけたが、結局あれはなんだったのか。鈴美が幻覚だと発覚したことで、鈴美に関連する大抵の謎は自分ですぐに解けたのだが、それだけは分からずにいた。

 ということで、あの日、鈴美が成仏した後で秋野さんに訊いてみたところ、


「まあ、おそらく不動産屋だろうな。写真撮ってたのは、ネットにでも掲載する資料でも作ってたんじゃねーのか? んで、その男がすぐ消えたってのは十中八九ただ庭の裏に回ったか、普通に家の中に入ったってだけだろ。さすが不動産。朝っぱらから仕事とは大変なこって」


 と、そんな風にあっさりと真実を告げられた。

 つまり、あの日見たのは、逆に幻覚なんかではなく、ただの普通の現実だったってオチだ。

 俺が過去と鈴美の幻覚に囚われていたから、目の前の現実すら異常に見えていたというだけのことだった。


 さて、あらかた話し終えたし、最後に秋野さんのことについて話そう。

 ここから先は、廃神社で全てが明かされたあの日の、鈴美の魂が成仏してから、秋野さんと色々と話した後の話だ。


「よし、目的も達成したし、お前ともここでお別れだ」


 鈴美が消え、全てが終わった後、俺たちが廃神社に続く小山の入り口まで下りてくるや否や秋野さんはそう言った。

 

「え、もうですか? それにここで?」


 俺は目を擦りながら言った。

 さっきまで流していた涙のせいで、少し目の辺りがヒリヒリと痛み、その上少し腫れてきている。

 きっと目は真っ赤になっていて、周りから見たら凄い情けない姿になっている気がする。


「ああ、この地にもう用はねぇし、早く帰りたいからな」

 

「俺、まだお礼とか何もしてないですけど」


「別に礼なんていらねーよ。今回の仕事はボクが好きでやっただけだし。第一、異変になられると困るのはこっちだしな。お前の件は事前に防げたし、ついでに他の野暮用も片付いたから、ボクとしてはそれで十分だ」


「でも……助けてもらったのに」


「だから、んなもん要らねーって言ってんだろ」


「でも、秋野さんだって慈善事業で動いてるわけじゃないですよね。だから何かさせてください。じゃないと申し訳が」


 秋野さんはあくまで副次的な理由だとしても、俺を助けてくれた。

 それも二週間弱もの時間を割いてまで。

 だから、何かお礼をしないと気が済まない、というか人間としてそうするべきだと俺は思う。


「……じゃあ、この前ファミレスでお前にちょっと奢ってもらっただろ。あれが今回の対価ってことで」


「いやいや、それだけじゃ絶対仕事量に見合ってないですよね。」


「だーかーら、しつけーぞ、お前」


 秋野さんは少しイラついた様子で俺を睨んだ。

 目と目が合った。

 相変わらず、この人は他人を凍え果てさせるような鋭い目をしている。

 俺は臆することなく、負けじと睨み返した。

 しばらくの間、俺たちは一歩も動かず、そして一言も発さない睨み合いのバトルを繰り広げたが、遂に秋野さんが口を開いた。


「はあ……頑固なやつだ」


 秋野さんはそうぼやきながらも、どこか笑っていたような気がした。


「じゃあ、分かったよ。次にどこかであったとき、またなんか奢ってくれ。それで手打ちだ」


「でも、それだけじゃ――」


「あーあー、うるさいうるさい。そもそもボクにはガキから(たか)る趣味はねーんだよ。いいか! 何を言ってもボクはもうそれ以上譲歩しねーからな! というかボクに感謝してるんだったらボクの言うことに従えっつの。礼の押し付けは逆に迷惑だとでも言ってやろうか?」


「ゔッ……!」


 そう言われてしまったら従わざるを得ない。

 負けた。

 秋野さんの方が一枚上手だった。


「……分かりました。じゃあ、次会うとき、何か奢るってことで」


「ああ、そういうことでこの話は終わりだ」


 まあ、本人が礼を受け取りたくないっていうならそこまでか。

 受けた恩を仇で返すわけにはいかない。

 本当は何か恩返しをしたいが、今回は秋野さんの寛大さに甘えることにしよう。

 しかし……それはそれとして、一つ疑問が残る。


「あの、秋野さん」


「なんだよ。まだやんのか?」


「いや、そうじゃなくて。次会うときって言いましたけど、またいつか会える日が来るんですかね」


 俺はまだ、秋野さんのことをほとんど何も知らない。

 知っていることといえば、名前と性別くらいで、他は何も知らないに等しい。

 職業だという専門家だっていまいちよく分かってないし、彼女がどこの人なのか、今回は出張みたいなものと言っていたが、じゃあ普段はどこを拠点に活動しているのかすら俺は知らない。

 そんな謎だらけの人物とこの先もう一度会えるのだろうか。


「さあな」


 秋野さんはあっさりとそう言った。


「ま、縁があればまた会えるんじゃねーの」


「縁ですか……」


「ああ。世の中、案外そういうもんだ。もしかしたらまた会うかもしれねーし、二度と会うことはないかもしれない」


「……なんててきとうな」


 当たり前のことをそんな堂々と言われても。

 秋野さんが言ってるから、彼女の印象が相まってなんか深い感じがするけど、どう考えても浅い。

 浅すぎる。


「まあでも、お前とはなんとなくまた近いうちに会う気がするんだよな」


「……? どうしてですか?」


「いや、ただの勘だよ。そういう予感がするだけだ」


「はあ……」


「それに、そうだ……お前、ボクの名刺はまだ持ってるか?」


「名刺、ですか?」


 一応、財布の中に入れて保存しておいてあるけど。

 出し抜けに何だろう。

 俺はポケットから財布を取り出し、カード入れの底にしまっておいた名刺を抜き出した。


「ありますけど……これがどうかしたんですか?」


 秋野さんからもらった名刺には、「氏神秋野」という名前以外の情報は何も書かれていない。

 当然あるはずの連絡先や所属などもなく、名前が真ん中にでかでかと記されているだけで、その周りも裏面も全部総じて白紙だ。

 これがあったところで何の意味があるというのか。


「もしお前が本当に困ったとき、その名刺に向かって祈ってみな。そしたらまた会えるかもしれねーぜ?」


「え……それってどういう……」


「どういうも何もそのままの意味だよ。ま、やってみれば分かるさ。ってなわけで、ボクはそろそろ帰るから……よっと」


 秋野さんはそう言うってくるりとこちらに背を向けると、困惑する俺をよそにそばにあった俺の自転車に飛び乗った。

 なんだ、俺がまた駅まで送迎するパターンか。

 と、一瞬思ったのだが、よく見てみてみたら、秋野さんは後ろの荷台ではなく、サドルに座ってしっかりとハンドルを握っていた。

 ……ちょっと待て。

 それ、俺の自転車なんだけど。

 この後、何が起こるのか予期した俺の脳内から直前までの困惑が一瞬にして消え去った。


「ちょ、ちょっと秋野さん! それ、俺のですからね!」


 俺は慌てて叫んだが、秋野さんはいつものような怪しいような涼しいような顔のままペダルを踏みこむ。

 そして、


「じゃあな三国! これからはまともに生きろよ!」


 秋野さんはそう言い放って、あっという間に道の向こうへと駆け抜けていった。


「ちょっ……返せーッ!」


 さっきまで酷いセンチメンタルな気分がまるで嘘のような、自分でも驚くほどに盛大な俺の声が、薄暗くなり始めた空に響いた。

 秋野さんは俺の叫びを意にも介さず、そのまま二度と振り向くことなく遠くへと消えていった。

 追いかける気にもなれず、俺はその場に立ち尽くした。

 ふと、手元を見ると、しまい忘れていた名刺があった

 

「氏神秋野――」


 ……最後まで変な人だったな。

 俺がそう呟くと、遠くの方で自転車の反射板がきらりと一瞬だけ光った気がした。

 

 ――ということで、俺と秋野さんは、こんな無茶苦茶な感じで別れたのだった。

 あれから一年が経ったが、未だに自転車はパクられたままだ。

 あの人は礼を受け取りたがらなかったが、もはやあのチャリが礼の代わりだったんじゃないかと最近は思っている。


 あれからというもの、もちろん秋野さんとは一度も会えていない。

 あの人が今どこで何をしているのかも全く知らない。

 去り際の秋野さんに言われた通りにして、これまで何度か名刺に向かって祈ってみたが、結局あの人が現れることはなかった。

 やっぱりてきとう言ってたのかもしれない。

 それでも俺は、あの人の名刺を未だに財布の中に入れて綺麗に保管している。

 全部でたらめかもしれないけど、もしかしたらあの人の言葉がいつか本当になる日が来るかもしれない、そう思って。

 もはやある種のお守りみたいなもんだ。

 

 とにかく、秋野さんはそんな感じで俺の元を去った。

 あの人が今、何をしてるのか、どこにいるのか、といったことは全て不明である。

 

 さて、秋野さんについても語り終えたことだし、ここら辺でエピローグも終わりにしよう。

 そろそろ俺も家を出る時間だ。


 ん?

 なぜ一年経った今、俺がこんな話をしたのかって?

 それは今日が4月10日、新学期の始まりであり――俺の大学生活が本格的に始まる日だからだ。

 あの日、俺は鈴美と約束をした。

 ”過去に囚われないで前へ進む”と。

 だからこそ、新しい生活を始めるこの節目に、過去を思い出し、最後にもう一度だけ噛み締めて、全て吐き出して、そして――鈴美との約束通り、過去に置いていこうと思ったのだ。

 決して鈴美の記憶を忘れるわけじゃない。

 ただ、今度こそ前に進めるように、今の俺の背中を押してくれた大切な過去を過去として、ここに残していくのだ。


 俺の過去話は本当にこれで幕引きだ。

 懐かしさで長ったらしく思い出し、語ってしまった。

 もはやちゃんとした物語の一篇でも作れそうだけど、もしそうするとしたらこの話はどんなタイトルになるんだろう。

 さしずめ、俺の傷ついた心が見せた幻覚(ハルシネーション)の物語、とかだろうか。

 略して傷心ハルシネーション。

 なんて。


 まあ、そんなことはどうでもいい。

 そろそろ家を出ないとオリエンテーションに遅刻する。

 待ちに待った俺の新しい人生が始まるというのに、初っ端遅刻なんてヘマはしたくない。

 人間最初が肝心だ。


 俺は家を後にするための最終確認をする。

 電気は消した。

 鍵は持った。

 学生証ある。

 他に忘れ物もない。

 ……よし!

 最後に靴を履き、玄関のドアに手をかける。

 そして。


 俺は今、扉を開ける。

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