0日目②
雁鈴美。
もう高校三年生にもなったのに、幼子かゴスロリを身に纏うような地雷系か、もしくは萌キャラクターにしか許されないはずのツインテールという髪型を未だ持つ女子生徒。
彼女こそが俺の唯一の友達であり、生来の付き合いの幼馴染である。
そして彼女はそれと同時に俺のストーカーでもあった。
しかしストーカーとは言ったものの、一般に想像されるほど偏狂的なものじゃない。
俺の私物を盗んだり、部屋に侵入して盗聴器を仕掛けたり、丸一日中監視したりといった、もはや犯罪に足を突っ込んでいるんじゃないかと思われるようなことはしていない、というかまだされていない。それらしい行為といったら、俺に付きまとったり跡を付けてくる程度だ。他には、外出先で鈴美の名前を呼ぶと、どこからともなく唐突に姿を現すといったこともあった。
とにかく、鈴美は俺の跡を付けることはあれど危害を加えるには至っていないので、本当は追跡者という呼び方くらいが丁度いいかもしれない。
だけど、鈴美は追跡者であると同時に、俺の欲をよく掻き立ててくるので、そういった理由から俺は少々大袈裟にストーカーと表現している。
今も教室の椅子に座る俺の後ろから、首に手を回して抱き着くような格好で鈴美に密着されている。
年相応、いやそれ以上に出ているものが背中に押し当てられ、欲望を掻き立てられている。
相変わらずこいつは距離感がおかしい。
「いい加減俺に引っ付くのはやめろ、鈴美」
俺は後ろを振り向くことなく、正面を向いたまま言った。
「えー、いいじゃん。誰もいないんだしー」
「そういう問題じゃない。一応、俺とお前は年頃の異性だぞ。良くないだろ」
「別に私は何とも思わないけどな~。あっ! もしかして、もしかしてぇ……三国は私のことをそういう目で見てるのかな~?」
俺は元からそういうモニュメントだったかのように微動だにせず真正面だけを見つめているので彼女の顔は全く見えていないが、幼馴染の俺には分かる。その声色で鈴美が今何を思っているのかが全て分かる。
鈴美は今、物凄く人を小馬鹿にするような、小悪魔的でニタニタとした笑みを浮かべているに違いない。
「んなわけあるか! 赤ん坊のときから一緒のヤツに今さらそんな感情抱くかよ。第一、俺が今までお前をそんな目で見てたってならこんな関係続いてないだろ」
嘘である。
俺は今、嘘を吐いている。
恋愛感情がどうのこうのという観点は別として、単にそういう目で見てるかと問われたら紛うことなくイエスだ。
「あはは! そうだよね! ……よっと!」
鈴美は密着させていた豊満なその身体を勢いよく俺の背中から離した。
「私たちはただの友達だもんね。三国にとっては唯一の」
「だから友達がいないことを強調するのはやめてくれよ。結構気にしてるんだぞ」
俺はようやく振り向いて鈴美の方を見た。
鈴美は無邪気に笑っている。無垢な子供みたいに。
にしても……やはりこいつはビジュアルがいい。
ツインテールという少し幼稚性が残る髪型が何故か似合ってしまう可愛らしさと、その上で美しさを兼ね備えた顔はもちろんのこと、爪先から頭までの身体つきも、彼女の可視部全てがまるで男の理想を体現しているかのようだ。
そんな至る所で至る対象にハートスロブを起こしかねない彼女が今、悪戯に笑っている。
俺のように対雁鈴美免疫がない男なら、大半がコロッと恋に落ちてしまうはずだ。
例えば、学年のアイドル的存在(実際には、鈴美はそういう風に持て囃されてるわけではないが、ビジュアル的にはそれに相当するだろう……贔屓かもしれないが)にちょっと過激なスキンシップを取られたときのことを想像してほしい。たとえ恋愛感情と結びつかなくとも、年頃の男なら誰でも、大小問わず劣情を抱くはずだ。
まさに俺みたいに。必ず。
もし、ED患者以外でその例外がいれば、俺はきっとそいつを殴りに行く。そんなヤツは同じ男として到底認められないし、なによりもはやそれは鈴美に対する冒涜だ……と、勝手に思っている。
「よし、そろそろ帰ろっか」
「そうだな」
この局面での俺の選択肢は普通、二択に分かれる。
すぐに立つか。それとも立たないか。
たっていなければ立つし、たっていればすぐに立たずに少々時間を稼ぐ。今日は幸い前者のようだ。
俺は鞄を持って立ち上がる。
目線は鈴美の方が僅かに上。
俺が小さいわけじゃない。高校三年生男子の平均はある。ただ、それ以上に鈴美のスタイルがいいのだ。
モデル顔負け。
文字通り、モデルが顔で負ける。
「そういえばごめんね。今日、待ったでしょ。HR長引いちゃって」
「別にいいよ。他に待ち人もいないし、用事もないから」
自分のセリフに悲しくなる。
ときに、学生時代、特に高校生という黄金時代で、青春の機能不全を起こすと将来拗らせると聞いたことがあるが、果たして俺は大丈夫だろうか。
――いや、多分大丈夫じゃないな。今も自分の言葉に呼応して、俺が送るはずだった存在しない青春の記憶が白昼夢となって脳裏をよぎってるんだから。
青春コンプレックス予備軍。
俺は大人になってもこのことを引きずって生きていくんだろうか。
俺たちは合図もなしに、互いにそのタイミングが分かっていたかのように揃って歩き出す。
文化部で賑わう校舎を抜け、運動部が走るグラウンドを横目に歩く。
初夏ということもあって、陽はまだ白く輝いている。
この通り、俺たちは部活をしていない。
俺は元々運動部に属していたがとっくの昔に辞めた。もうそれなりに察しがつくと思うが、理由は簡単、「友達が消えたから」、その一言に尽きる。クラスで孤立したと同時に部活でも孤立した俺は、それがあまりにも苦痛ですぐに退部した。
鈴美はそもそも部活に一度も所属したことがない。幼少期の鈴美のイメージの一つにスポーツ少女があったので、どこにも入部しないと言われたときは理由も含め結構驚いたのを覚えてる。
かくして部活がない俺たちは、帰る方向も同じなので、というか俺たちの家は隣同士なので、こうして毎日登下校を共にしているわけである。
「ところでお前、進路はもう決めたか?」
隣を歩く鈴美に俺は質問を投げかけた。
前触れなく尋ねたもんだから、鈴美の反応が一瞬遅れた。
「どうしたの、急に」
「ちょうど今日、進路調査票が配られたじゃん?」
「あー、そういえば私のクラスでも今朝配られたっけ……嫌だなー、調査票」
「嫌? どうして」
進路調査票を嫌がるとは一体どういうことだろう。
もしかして、何かとても人には言えないような進路を志望しているのだろうか。
鉄板ネタとしては「お嫁さん」とか……いや、ないな。ない。こいつに限ってはそれはない。
鈴美は剽軽で少々奇怪な一面とは裏腹に、真面目な性格だ。それも「クソ」という接頭辞が付くほどと言っていい。
俺に対しての言動が軽薄だからそうは思わないかもしれないが、ただ堅物で融通が利かず、静かで大人しい性格というだけの理由で「真面目」を公称/自称する似非の輩よりはよっぽど本質的な真面目だと俺は思う。
例えば、世の中には真面目な生徒の象徴として「委員長」というイメージが存在している。鈴美は委員長でもなければ見た目もステレオタイプ的な委員長像とはかけ離れているが、彼女の内面の本質はまさにその委員長そのものなのだ。
まあ、委員長タイプにしてはお転婆な感じが強いのも否めないが。
とにもかくにも、そんなやつがまさか使い古された浅すぎるボケをわざわざ重要な紙面上でするわけがない。
だとしたら何だろう。
現実的な理由だと進路をまだ決めてないから、とかだろうか。でもこいつは事前に進路について考えを決めてるようなタイプだから、それもないはず――
「だって私、進路まだ決めてないんだもん」
……どうやらそのようだ。
真面目にしては珍しい。
「ねえ、三国はどうなの? 進路」
立場が逆転して、今度は俺に質問が飛んでくる。
「俺か? 俺はとりあえず大学進学だな」
「いいね、進学。優等生の三国だったら大抵のとこは行けるんじゃない?」
「馬鹿言え。お前じゃないんだから無理だ」
――真に優等生なのはお前の方だろ。
俺は心の中でそうぼやく。
確かに俺も一応は成績優秀者、つまり優等生の部類に入ってはいるが、鈴美の足元には全くと言っていいほど及ばない。というか俺だけじゃない。この高校の誰一人として鈴美の頭脳に勝つことはもちろん、肩を並べることすらできない。
雁鈴美は頭が良い。天真爛漫な外面を基準にすればイメージとは裏腹に、真面目な委員長タイプの内面を基準にすればそのイメージ通りに、頭が良い。
それも度を越えたほど。
具体的に説明するなら、彼女は高校のテストで、満点以外の点数を一度も取ったことがない、と言えばその度合いが伝わるだろうか。
もはや鈴美の場合は優等生という言葉では不十分。秀等生なる別枠を用意してやった方がいいだろう。
そして鈴美を基準にした場合、俺に対しても優等生という言葉は不適切だ。可等生、よくて良等生が妥当だ。
だからさっき鈴美が進路を決めていないと言ったとき、俺は驚いた。
ここまでの頭脳を持っているのに進路を即決しない理由が分からなかった。
「俺は身の丈に合った中堅大学を目指すよ」
「ふーん。学部はもう決めた?」
「いや、まだだ。というか、正直言って受かるならどこでもいいよ。大学に学びに行くつもりはないし。俺は大学に行ったら友達を作って、高校じゃ謳歌できなかった青春を享受するんだ。流石に環境がまるっと変われば友人の数人くらいできるだろうよ」
「なるほど~」
鈴美はそう言って俯いた。
しかし、その次の瞬間には再び顔をこちらに向けて、言った。
「決めた!」
「何を」
「私も進学して、三国と同じ大学に行くことにする」
……は?
聞き間違いじゃなきゃ俺と同じ大学とか言ってなかったか?
いやいや、そんな馬鹿な。多分俺の聞き間違いだ。
「悪い。もう一回教えてくれ」
「だから、私も三国と同じ大学に行くよ」
こいつは何を言ってるんだ。
「はあ? 何言ってんだお前。正気か?」
「うん、正気だよ。むしろ落ち着いていることこの上ないと言ってもいいね。冷静沈着心明眼亮、無念無想の境地なり、ってね」
「なんか最後の方で無心になってる気がすんだけど。逆に失ってんじゃん、正気……いや、そんなことはどうでもよくて、お前、本気で言ってんのか?」
「うん、本気――いや」
鈴美は眉を顰めて、右の口角だけを若干上げて、言った。
「本気だぜ」
「そんな得意気な顔されても……というか意味わかんないだろ。俺と同じ大学? 何でそうなるんだよ」
「いやー、なんかその方が面白そうだし」
「軽っ!」
思わず叫んでしまった。
どうやら俺の声は予想以上に大きかったらしく、グラウンドの隅にいた二人の生徒が驚いた様子でこっちをチラチラと見ている。
おい、やめろ。そんな冷ややかな目で俺を見るな
……なんか俺の方に繰り返し視点を動かしながらヒソヒソ話までし始めたぞ。というか何となく頭のおかしい人を見るような目つきに変わってるように見えるんだけど。冷ややかどころじゃないぞ、あの目は。
ちょっと勢い余ってでかい声出しただけだってのに、そこまでの扱いするか? 普通。
なんだよ。日陰者が大声出すのがそんなにおかしいってか。ちくしょう。
「ん゛ん゛っ……」
わざとらしい咳払いで恥ずかしさを紛らわすと同時に場を仕切り直す。
「そんな理由で決めていいのかよ。将来に直結する大事な選択だぞ」
「別にいいんだよ。私も三国と同じで学びたいことないし、自分の未来像ってものが何にもないんだよね。というか、自分の将来にそこまで興味がないっていうか。刹那主義ってやつ? とにかく今が楽しければいいの。だから私は、絶対面白くなるだろう三国がいる大学生活を選ぶことにする」
――それに、と鈴美は続ける。
「大学でも友達ができなかったときのために、私が近くにいた方が三国も安心でしょ?」
鈴美は俺の目を見てにっこりと微笑んだ。
その拍子に彼女の長い二房の髪が靡いた。
ところで、”横ハンシルバー”という言葉を知っているだろうか。
最近知ったのだが、”横ハン”、つまり”横ハンドル”――より正確に言うなら”フラットハンドル”――で、車体が銀色の自転車を指す言葉らしい。
中々に信じ難いが、驚くべきことに、日本のどこかの県では「横ハンシルバーはダサい」と言われ、嘲笑の的になるらしかった。
あまりにも馬鹿げた話である。
こんな些細なことで人はいがみ合えるんだから、そりゃ戦争だって無くならないはずだ、と、俺は飛躍した感想を抱くと同時に、日本のどこかで同族が排斥されていることに若干の憤りを覚えながら、自分の自転車を駐輪場から取り出した。
もちろん横ハン銀色の自転車を、だ。
しばらく駐輪場の外で待っていると
「お待たせー」
と、鈴美も自分の自転車を引いてやって来た。
どこからともなく、いつものようにやって来た。
鈴美は自転車の置き場所にちょっとしたこだわりがあるらしく、いつも俺から見えない場所に置く。毎朝一緒に登校して駐輪するとき、柱やら壁やら仕切りやらでとにかく俺が停めた場所から見えないところに置くのだ。
いつだったか不思議に思った俺は、鈴美にその理由を訊いたことがある。しかし鈴美は結局何も教えてくれなかった。
だからその行動は未だに謎に包まれている。
「行くか」
「うん!」
二人揃って門を出る。
学校を囲む柵に沿いながら、歩道と車道の境界線がよく分からない1.5車線くらいの幅の道を、俺が鈴美に先行する形で自転車を走らせる。
「なあ、もう一度聞くけど、お前、本当に俺と同じ進路にするのか?」
風が耳を擦る音に掻き消されないように、数割増しの声を流れに乗せる。
「もちろん!」
「本気なんだな?」
「さっきも言ったでしょ。本気だよ」
「……分かった。お前がそこまで言うなら俺はもうその進路に口を挟まない」
本当は色々と言いたいがある。
鈴美の頭脳があれば東の最高学府だって、西の最高学府だって、海外の大学でさえ行けるはずなのに、俺と同じ路を選ぶということは、未来が確約された特急券を自ら手放し、鈍行の満員電車にわざわざ乗りこんでいることに他ならない。
本来、鈴美は俺と同じ大学に来るべきではないのだ。
しかし進路はあくまで個人的なもの。最終的に鈴美の進路を決めるのは俺じゃない。
本人がそれでいいと言うのなら、俺がこれ以上とやかく言う資格はない。
「でも……そうだ、その進路について親に説明するときに俺の名前はあんま出すなよ」
「へ? 何で?」
「色々と面倒なことになりそうだから」
鈴美が語った理由の中では、明らかに俺という存在が幅を利かせていた。見方によっては、まるで俺の存在が鈴美の進路を誤らせたようにも見える。
たとえ本人にはその気がなかったとしても、そんな理由を包み隠さず赤裸々に語ってしまえば、少なからず俺は鈴美の両親の恨みを買うだろう。
「おっけー、分かった!」
本当に分かっているのか疑わしいほどに軽い返事だ。
近々鈴美の両親に多少なりとも咎められる覚悟をしておいた方がいいかもしれない……。
しばらく、というか会話に一区切りがついて数秒後、ちょうどそこで学校の外周が途切れる小さなT字路が現れた。俺たちが進む道に別の道が合流する形のT字路だ。記号的に表すなら「ト」、俺たちが下から進んできてる感じ。
ここは学校を包囲する柵の角によってちょうど視界が悪くなっているが、俺たちが進む方が本線扱いなので、こちら側には「止まれ」の標識も停止線も存在してない。ただ赤い錆がこびりついたカーブミラーが一本あるだけである。
視界良好、異常なし。カーブミラーに人影なし。
進入者がいないことを確かめて、俺はスピードを緩めずT字路に差し掛かろうとする。
しかしその時だった。同じ高校の制服を着た一人の少女が、曲がり角の死角から突然姿を現した。
飛び出しだ。
「おわッ……!」
咄嗟にブレーキをかけて身体を反らせる。
全体の重心が左に傾き、回転を止めたタイヤが地面と擦れ、滑って、行き過ぎたドリフトのようにスリップし、俺は最終的に勢いよく転倒した。
自転車のフレームがのしかかり、殺しきれなかった余勢が左半身を地面に擦り付けさせた。
一瞬の出来事だった。
「いってぇ……」
凄まじい鈍痛が身体を襲っているが、幸いにも大した怪我はしていなさそうだ。
ゆっくりと目を開けると、最初に鈴美が目に入った。どうやら俺は後ろを向くようにして倒れたらしい。
鈴美は自転車のサドルに跨ったまま、呆然とこちらを見ている。彼女は俺と十分な距離をとっていたので巻き込まれなかったようだ。
「三国!? 大丈夫!?」
「ああ、多分ちょっと皮を擦り剥いたくらい」
「立てる? 手を貸そうか?」
「それなら俺じゃなくて、俺に横たわっている自転車に貸してやってくれ」
俺は鈴美の手を借りつつ自転車を起き上らせて、立ち上がった。
自転車と地面に板挟みされた衝撃の瞬間的痛みはまだ身体中にじんじんと残っているが、直立してもそれ以外の痛みは感じなかった。
しかし、身体は特に問題はなさそうだが、制服がまずいことになった。汚れたのはまだしも、派手に擦れた跡がついてしまっている。
――母さんには少女の救出劇を誇張して伝えることにしよう。
「そうだ。さっきの子は」
俺が派手に転んだのも、全てはあの少女との衝突を避けるためで、もし飛び出してきたあの子が無事じゃなかったら大変だ。
つい最近も、自転車で老婆を轢いたどっかの子供にそういう判決が下ったばかりだし。
思い違いがなければ、人にぶつかった感触はない。
きっと間に合ったはずだと自らに祈りながら、恐る恐るその方向を確認すると、視線の先で例の少女はピンピンとした様子で直立していた。
「おい、大丈夫……か? 怪我とかは……」
少女は首を縦に振り、次に首を横に振った。
よかった。
大丈夫みたいだ。
……しかし、何だろう、この子。
見知らぬ相手にこんなことを思うのは失礼かもしれないが、いや、年頃の女の子に対する印象としてはかもしれないどころか、多分失礼極まりないことだと思うけど、その少女は、一言で言うなら、そう、不気味。
地毛だろう深い黒色の髪を結ってできた、全くもって似合っていないポニーテール。あまりにもヨレヨレで、何年も使い古されたような皺だらけの制服。値踏みをするかのように俺に向けられた深淵を覗くようなその瞳とその顔。そして何より、そういった彼女を構成する要素一つ一つが集まって形成された彼女の雰囲気そのものが、全てが薄気味悪い。
ゲームだったら多分毒とか使うタイプ。
怪しい少女は立ち上がった俺と顔を合わせると、僅かに口角を上げ、痩せ気味の身体をゆらゆらと揺らしながら近づいてきた。
俺は、きっと謝罪や感謝の意を伝えにくるのだと当然予測した。それか、低確率で彼女の身勝手な他責の対象になると思った。
しかし彼女がとった行動は、どれにも当てはまらなかった。
「お前、名前は」
少女は俺の前までやって来て、その風貌からは予想もつかないぶっきらぼうな口ぶりでそう言った。
「え……?」
意表を突かれた俺は口をぱくぱくと動かすことしかできなかった。
その様、まるで鯉のように。
「お前だよ、お前。ボクの目の前にいるお前。名前は?」
そんなにお前って連呼されなくても、ただ突然のことに驚いて声が出ないってだけで、名前を尋ねられてることくらい分かってるが……そんなことより、ボク? 今、ボクって言ったかのか、この子。
この見た目で、この口調で、しまいにはボク?
待て待て待て。もっとこう……ミステリアスな、きっかいな感じだと思ってたんだけど……確かに風貌は不気味変わりないが、滲み出るオーラと言うか、さっきまで感じてた第一印象とあまりにも乖離しすぎじゃないか?
キャラクターが渋滞してるって。
GWの道路くらい渋滞してるって。
「なーに鳩が豆鉄砲を食ったよう顔してんだよ。名前くらいさっさと言えよ」
華奢な身体から発されたとは思えない男勝りな口調の少女は、イライラとした様子で腕を組みなおした。
「み、みつくに」
少女の豹変ぶり――そもそも俺が勝手にイメージを作り上げて、勝手に裏切られた気分になってるだけだが――に圧倒されながら、やっとの思いで喉から名前を絞り出した。
「そうか」
少女はニヤリと笑った。
唇の隙間から見えた白い歯がギラリと輝く。
よく見たら歯がギザギザしている。俗に言うギザ歯ってやつか?
ホント、属性が多すぎてすぎて次から次へとイメージが書き換わるな、まったく。
不気味で、幽玄で、嫋やかな少女はどこへやら。眼前にいるのは粗暴で、その身体には似つかわしくない暴力性をチラリ覗かせるボクっ娘だ。
そしてそのボクっ娘は俺を指差して言った。
「お前、ボクと付き合え」