目覚めた英雄
おれは……死んだのか……?
彼の意識は暗闇の中を漂っていた。やがて、これまで見てきた風景や出会った人々が浮かび上がり、彼は自分が走馬灯を見ていると悟った。『もし死んだのなら、異世界に転生できたらいいな……』と、平凡な若者らしく彼は思った。その直後、喉に苦しさが込み上げ、彼は無意識に大きく息を吸い込んだ。
「う……ゴホッ! ゲホ!」
目覚めた彼は反射的に横を向き、激しく咳き込んだ。鼻と口から吐き出された水が、彼の横たわる銀色の台から床に流れ落ちていく。
――おお、無事お目覚めになられた!
――やっとうまくいった……私は一足先に皆に知らせてこよう。
――ああ、頼む。あの、急な話で恐縮ですが、今、あなたの力が必要なのです……。
――どうか私たちをお助けください、もうあなたしかいないのです……。
「ううぅ、ああっ!」
周囲から、絹がすれるような小さな声が聞こえたが、何を言っているのか聞き取れない。瞼の奥に差し込む鋭い光に呻き声を漏らし、思わず両手で顔を覆う。だが、相手はお構いなしに彼の腕を掴み、力強く引き起こした。
「さあさあ、こちらへ」
「皆が待っております」
「ま、待ってくれ……ここは、どこ……だ……」
「さあさあ……」
やっとの思いで絞り出した声は無視され、彼は両脇を抱えられ、引きずられるようにしてゆっくりと廊下を進んだ。興奮しているのだろうか、隣の者たちの荒い息遣いと震えが伝わってくる。
彼は瞼を開けようとしたが、点々と続く照明の下を通るたびに目に刺すような痛みを覚え、開くことができなかった。頭同様に靄がかかったように体の感覚が鈍く、足が突っ張って交差し、まるで十字架に磔にされたような姿で運ばれた。
少しするとドアを開く音が聞こえた。そこを通ると空気が少し変わった気がした。また、感覚が戻ってきたのか、鼻の奥に痛みとかすかに匂いも感じるようになった。鼻から息を吸い込むと、鼻水が出て唇にかかり、彼は不快感とわずかな羞恥心を抱いた。
引きずられたまま階段を上がり、足の甲や指が段差にぶつかって痛みがじわじわと増していく。
彼はなんとか自分の足で立とうと試みたが、左右にいる者たちの歩幅が合わず難しかった。
――おお、来たぞ!
――ふん、あいつが英雄?
――そうは見えねえなあ。
――おい、失礼だぞ!
――だが、確かに……。
「さあ、お座りください。ここです」
椅子に座らされた彼はゆっくりとまぶたを開いた。光にも慣れ始め、ようやく周囲を見渡すことができた。
「さあ、どうぞ。お願いします」
隣に立つ男に促され、彼は目の前のテーブルに置かれた物を見つめた。
「さあ、これをお開けください。あなたならできるはずです……」
――へっ、無理だろ。
――ああ、見るからに無能そうだぜ。
――しっ、黙っていろ!
彼はそれを手に取り、馴染むように軽く回してみた。周囲の人々が固唾をのんで見守る中、彼は言った。
「……あの」
「はい、なんでしょうか」
「道具があると思うんですけど……これを開けるための……」
「ああ、あれですね! おい、あれを持ってこい!」
「ええと、どんなのでしたっけ」
「使えそうなものは全部だ! 行け!」
「はい! すぐに!」
慌ただしい足音が去り、戻ってくるまでのわずかな間、彼は小さな安堵を得た。ため息をつくと、少しむせた。
「お持ちしました。どうぞ……」
――ケッ、カッコつけやがって。
――できるわけがない。
――ああ、長老でさえ開けられなかったんだ。
「……できましたけど」
「え? い、今なんと?」
「だから、できました」
「ま、まさか、こんなに早く。ははは、冗談でしょう?」
「あ、あ、あ、開いている! 開いているぞ!」
――嘘だろ!
――あんな短い時間で!?
――カッコいい……。
――素敵……。
「あ、あの、これも開けていただけませんか……?」
人々の中から一人の女性が進み出て、おずおずと彼に手の中の物を差し出した。
彼はそれを手に取ると、指先にわずかに力を込めた。『カシュ』という小気味よい音が室内に響き渡った。
「あの、開けましたけど」
「え、え、あ、ありがとうございます!」
――嘘だろ、今、指一本で……。
――あ、ありえねえ。
――おれなんてナイフを使ってやっと開けたのに……。
「ねえねえ、これもあけて?」
「ああ、いいよ……。でも、道具が必要だね。ああ、さっき持ってきてもらった中に……あった。はい、どうぞ」
「ありがとう!」
――子供にも優しいんだ。
――素敵……。
――彼は本当の救世主かもしれん。
「なあ、こっちのも開けてくれよ!」
「こっちも頼む!」
「こっちもお願い!」
「あの、さっきからなんですか? こんなの簡単ですよ……」
彼の言葉にその場は一瞬静まり返った。そして、波の揺り戻しのように人々の感情が爆発した。
――簡単!? 簡単だって!?
――すごすぎる……。
――こんなの百年かかっても無理だよ!
――おれたちとはレベルが違いすぎる……。
――なんてこった……彼は本物だ……。
――英雄様……。
「あの、これの使い方がわかりますか? 英雄様……」
「え? ああ、これはこのハンドルを回すと」
――光ったぞ!
――すごい!
――光魔法だ!
――いや、さすがにそれは大げさでしょ。
――勇者だ!
人々は歓声を上げ、彼を称賛した。しかし、彼の頭の中は別の考えでいっぱいだった。
確か、おれは……シェルターのコールドスリープ装置に入っていたんだよな……じゃあ、ここは未来……でも、この人たちはなんでこんな簡単なことができないんだろうか……。
彼はそっと、手回し充電式の懐中電灯をテーブルに置いた。そして、まるで供え物のようにテーブルに並ぶ未開封の缶詰や缶ジュース、瓶、ペットボトルから視線を周囲へと広げた。
彼を取り囲む人々の指はペットボトルの蓋すら開けられないほど細く、弱く、頭が異様に大きいその姿は、かつて予想されていた未来の人類のイメージ像にそっくりであった。