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過去作

呪われた王子の物語

作者: 長月京子

 肖像画を切りさく音がする。


 長い廊下のはてに、王子の部屋がみえた。

 宮殿の奥に位置する塔。王子の住まいは陽光にてらされず、暗い。


 たどり着いて扉をたたくと、ものすごい勢いで王子が顔をだした。


「ロリスッ。おまえ、今日という今日はふざけているのか」


 顔に仮面をした王子の怒声が、辺りにひびく。

 これは完全に頭にきているようだ。僕は大袈裟なくらいに深く息をついてから、王子の仮面をにらむ。


「僕はふざけてなんかいませんよ」


 仁王立ちする王子の隣をかいくぐるようにして、室内へ踏みいった。


「ああっ、何てことをするんですか。肖像画を破るだけでなく、げほっ」


 ぱちぱちと音をさせて、何かが室内で燃えている。


「お、王子! 部屋の中で物を燃やすなんて!」


 慌てて花瓶に生けられた花ごと水をぶっかける。それでも消えきらない火は、踏みつけて消した。部屋の窓という窓を開けてまわる。


「王子、煙に閉じこめられて死ぬ気ですか。火事になったらどうするんですか」


「はっ、どうせ醜い私が死んだって、誰も哀しんだりしないし」


「もうっ、哀しむに決まっているでしょう。王も王妃も泣き暮らしますよ」


「ふぅん。どうだろうねぇ。どうせみんな私の亡骸を見て笑うにきまっている。いっそうのこと灰となって消えるほうがロマンチックかもしれないな」


 くっ、なんて卑屈な物言い。


「ともかく、見合い相手の肖像画を火にかけるなんて、失礼ですよ。名家の姫ばっかりなのに」


「だから、もっと厳選しろ! 厳選!」


「はぁ? 王子、いい加減にして下さいよ。僕は今回の肖像画には自信があったのに」


「お前の目は節穴だからな。いいか、美しいというのは、こういう顔をいうんだよ」


 王子は得意げなほほ笑みで、彼の背後にある肖像画をしめした。描かれた人物は、たしかに目を奪われるほどの美貌の持ち主だ。

 たばねられた金の髪は、輝く陽光の色。深いまなざしは、晴れた海原を思わせる紺碧をうつす。


 豪奢なマントに身をつつんだ、凛々しい立ち姿。

 きっと誰がみても、今までみたこともないくらいの美しい人だと口にするだろう。


 そして、実際この肖像画の人物は、そんな賞賛を浴びて生きてきたのだ。

 今から、一年くらい前までは。


「王子のお顔が美しかったのは、僕だって知っていますけどね。そんな過去の栄光にすがっていたって、何も解決しませんよ」


「過去の栄光じゃないだろうが」


「過去の栄光ですよ」


 王子はくるりと背をむけて、部屋の隅へ歩いていく。「傷ついた」と呟いて、肩を落とした。さすがに無神経な発言だっただろうか。


「王子、僕がいいすぎました。申し訳ありませんでした」


「どうせ、おまえには他人事だからな」


 いじけたまま、王子は大きな窓から外をながめて、遠い目をしている。


「だから、いいすぎましたってば。一体、王子の好みはどんな女性なんですか」


 王子はこちらに向きなおり、自分の肖像画を指さした。


「私に負けないくらいの美貌だ。それしかないだろう」


「……わかりました。見つける努力をします」


 僕は中途半端に燃えた肖像画の残骸を片しながら、力なくそう答えた。

 できることなら、僕だって王子の力になりたい。彼がまだ光り輝く美貌を手にしていた頃から、ずっとお傍につかえてきたのだ。


 失われた王子の美貌。その悲劇の発端は、数百年前にさかのぼる。

 王国が望んだ、魔女との契約。


 それは国のゆるぎない平和。けれど、魔女との契約にはかならず爪痕が残される。

 魔女の爪痕。それは呪いなのだ。


 呪いをうける、約束の王子。

 それが、僕のおつかえしている王子だった。


 十八の誕生日を迎えた日、王子には恐ろしい呪いがかかった。

 輝くばかりの美貌が、一瞬にして失われてしまったのだ。


 以来、王子は仮面をかぶり、自らにぎやかな宮殿をでた。王宮の奥にある塔に、一人で住むことを決意されたのだ。


「だけど、王子」


 僕は室内をもとどおり整えてから、大きな椅子に掛けて本を開いている王子に声をかける。


「王子の呪いを解くのが、絶世の美女だとは限らないのでは……?」


 王子は本を開いたまま、こちらを見た。


「へぇ、ロリス。では、私にかけられた呪いは、どうすれば解けるわけかな」


「それは、……ただ、真実美しいものを己のものとする、という方法が、別の何かを示していることはないのかと」


 これは単に僕の希望なのかもしれない。

 王子の美貌は、絶世と語られるほどの美しさだ。同じくらいに美しい人など、きっと世界中を探しても、簡単には巡りあえない。


 王子の美しさはそれほどに稀有なものだった。だからこそ、悲劇を背負うことにもなったのだけれど。

 美しい人を探し求める以外に、何か方法があればいいなと思ったのだ。


「ロリス」


 何かが気にさわったのか、王子は無造作に本をおく。


「奪われた美貌を取りもどすのに、同じだけ美しいものを手にいれる。これが美姫を妃にするという以外に、どういう意味があるんだ」


「それは、たしかにそう考えるのが自然だと思いますが」


「おまえは、私の希望を奪って楽しいのか」


「そんな、王子。僕はそんなつもりでは」


 しばらく気まずい沈黙が続いてから、王子は僕をみる。仮面では、彼の表情がわからない。


「ロリス。今日はもういい、さがれ」


「はい」


 唇をかみしめて背をむける。部屋をでてから扉が閉まりきる間際、王子の声が追いかけてきた。


「部屋を荒らして、お前に手間をかけた。悪かったな」


 たとえお顔から美しさを奪われても、王子の心は変わらない。変わらないでいて欲しい。僕は閉ざされた扉にむかって一礼をしてから、その場を辞した。






 ある日、王宮から塔へとつづく通路を進んでいると、突風がふいた。


「どけっ、ロリス。許さん、あの能天気親父」


 瞬きをすると、王子がものすごい勢いで僕をとおりこしてゆく。


 仮面に隠された顔は、きっとものすごい形相だったに違いない。一陣の風が去った後、取り残された僕はぽかんとしてしまった。


「王子。一体、どうなさったんですか」


 僕はおもわず後を追いかけてしまう。呪いがかかってから、王子が王宮に出入りしたことは一度もないのだ。飾り気のない塔とは違い、王の住まう宮殿は煌びやかで美しい。


 王子は派手でうっとうしいと手厳しい感想を述べていたが、本当は美貌を失った自分に、宮殿の輝きは相応しくないと思ったのかもしれない。僕はそんな想像を抱いていたけれど、怒りにまかせてあっさりと踏みこむ様子を見ると、単に僕が彼の心根を美化していただけなのだろうか。


 王子はマントの裾をひるがして、一直線に王の部屋へむかった。


「父上っ」


 よくとおる声が、怒りを含んで震えている。王はきさくな方だが、さすがに侍従である僕が、許可もなく室内に踏みいることはできない。開け放たれた扉の前で、王子の怒声に耳をかたむけた。


「一体、どういうおつもりですか。他国の王女を招きいれるなど、何を考えておられるのです」


 それは王子が猛烈に嫌悪してことわっていた話だ。王は息子の剣幕にも動じず、ゆったりとほほ笑みをかえす。


「いやいや、王子。これがまた、ものすごい美姫なのだよ。おまえの美貌に負けないくらいに美しい。私は心を奪われてしまった」


「でしたら、父上のこの美しい宮殿に招かれたら良い。私の塔には、いっさい出入りさせないでいただきたい」


「王子、うまくいけば美姫を妃にもらって、ようやく呪いが解けるかもしれない」


 王は屈託なく笑うけれど、僕は王子の震えた背中が怖かった。きっと言葉もでないくらいに怒っているのだ。王子の暴言がいつ炸裂するのかと、とっさに目を閉じてしまう。


「――父上は、何も考えておられない」


 何かを押し殺したような、今まで聞いたことのない声がした。

 王子の爆発を覚悟していた王は、肩透かしをくらったように吐息をついた。


「おまえは何をそんなにこだわっておるのだ」


「私は、こだわります。とにかく、父上。姫君のお相手はあなたがなされば良い」


 冷たくいいはなち、王子は踵をかえした。こちらへ向かって来る王子と視線があったような気がしたけれど、仮面に隠された表情が、どのような思いに歪んでいるのかはわからない。

 そんな王子をみるのは初めてだった。僕は後を追う気になれず、とぼとぼと戻る。


「ロリス」


 宮殿の中庭を抜けたところで、声をかけられた。王の侍従であるエドガーだ。


「どうしたんだ、おまえ。また王子と喧嘩して落ちこんでいるのか」


「違うよ」


 彼は笑い、少しためらってから思いきったように口をひらく。


「なぁ、ロリス。王子にさ、たまには宮殿にも顔をだすように言ってくれよ。あの方の姿がないと物足りないんだ。晩餐会も舞踏会も、催しの全てが色褪せたかんじ」


「王子は僕のいうことになんか、耳を貸さないよ。いつもやりたい放題なんだから」


 なげやりにいうと、エドガーは笑う。


「よくいうよ。本当は一番、王子のことを慕っているくせに」


「慕ってないよっ。……とにかく、エドガーも王子にかけられた呪いを知っているだろ。仮面のままで晩餐会へ出席なんて無茶だよ」


 彼は残念そうに溜息をついて、中庭から見える塔のてっぺんをあおいだ。


「そうかな。俺はたとえ王子がのっぺらぼうでも、出席していただきたいな」


 本当は僕だって同じ意見だ。王子の魅力は輝くばかりの美貌ではないと、声を大にしていいたい。

 僕は塔に戻り、王子の食事をととのえる。けれど、王子が戻ってくる気配はなかった。


 怒りに震えた、王子の背中。どうしてそこまで嫌悪するのか、僕にはわからない。閉ざされた王子の心。頑なに何かを拒んでいる。


 室内に飾られた、王子の肖像画。美しく凛々しい立ち姿をながめてから、僕はそっと部屋をでた。






 王国に招かれている姫君にも、国から伴った従者がいた。リズという名の、小柄で可愛らしい侍女だ。


「王子様は、どうして姫様に会って下さらないのかしら」


 巻き毛を指でもてあそびながら、リズは途方に暮れていた。彼女は王子と姫君の対面を叶えたいみたいだ。

 王子は大人げなく、塔に閉じこもったまま日々を過ごしている。

 本気で姫君と会う気がないようだった。


「姫様もあちこち忍びこむなら、いっそうのこと塔に忍びこめばいいのに。そうすれば、ばったり王子様に会えるかもしれないでしょ」


 姫君も相当手のかかる性格をしているらしく、侍女にまぎれて宮殿のあちこちを探検しているという。

 一国の王女らしからぬ行動。王子のわがままと良い勝負になるかもしれない。


「あんなに会いたいって言っていたのに」


 リズは大きな溜息をついた。お互い主に振り回されている立場で、僕とは似たもの同士だ。何とか力になってあげたいけれど、良い方法はないだろうか。


「あら、中庭で仲良くデート?」


 二人で頭をかかえていると、背後で声がした。ふりかえると、一人の侍女が立っている。まるで顔を隠すように、頭から黒い布をかぶっていた。侍女の服には不自然な装い。


「――ひ、姫様」


 リズは卒倒しそうな調子で声あげる。目の前の侍女は小さく笑うと、するりと目深にかぶっていた布をとる。


 白い頬に、色づいた唇。澄んだ闇を宿した、夜色の瞳。濡れたような黒髪は地に届きそうなくらいに長く、艶やかに波打っている。

 肖像画に残された、王子の美しさに負けない美貌。見るものを魅了する、絶世の美女。


「あ、あなたは」


 僕はすぐに膝をついた。まさかこんな所で対面するとは思いもよらない。けれど、間違えようがない。王に招かれた姫君だ。


「あら、そんなに畏まらなくてもいいのに」


 他国から招かれた王女に、僕のような王子の侍従が気安く接していい訳がない。


「ね、顔を上げて立って」


 姫君は膝をつく僕と同じ視線になるように、その場に座りこむ。侍女と同じ身なりをしていても、あでやかな笑みは色あせない。


 姫君の美貌に呆けつつ立ちあがると、ようやく我にかえったリズが声をあげる。


「姫様っ、何ですか。その格好はっ」


「あ、これ? 侍女に扮して街へおりてみたの」


「だからっ、どうしてお一人で勝手に出歩かれるんですか」


「だって、魔女の爪痕のある王国だから、色々と見て回りたかったのよ」


 リズは顔を真っ赤にして、姫君を叱っている。僕はこの一瞬で、彼女の気苦労を理解してしまった。どこの国に、侍女に扮して出歩く王女がいるだろうか。


 リズの訴えを聞き流して、姫君はくるりと僕の方を向く。


「さて。いつもリズがお世話になっています」


「え? あ、そんな、とんでもありません」


 姫君は壮絶な美貌に、魅惑的なほほ笑みを浮かべた。僕はなぜかぞくりと背筋に悪寒が走る。


「そういうわけで、今から私を王子のところまで案内してくれないかしら」


「は?」


 後ろでリズが「姫様っ」と絶叫している。


「案内してくれないなら、私、あなたに無礼を働かれたって叫ぶわよ。今すぐ、ここで」


 笑顔のままで、姫君は恐ろしいことをいう。


「案内してくれるわよね」


 どう考えても、僕には拒否権がなかった。






「はじめまして、王子」


 姫君は僕やリズの制止をふりきり、塔に設けられた王子の執務室に踏みこんだ。さすがの王子も書類の溢れる机から振りむいたまま、石のように固まっている。


「あなたは国の職務に追われ、わずかな時間もとれないと伺いました。ですから、こうして私が出向いて参りました」


 姫君は毅然としている。侍女の服をまとっていても、あでやかな美貌がかすむことはない。王子も即座に彼女が招かれた美姫であると察したようだ。


「このように雑然とした場所へお越しいただくとはもったいないですね」


 王子は立ちあがり、姫君の前へ歩み寄ると膝をつく。姫君の非常識な訪問に対しても、彼は礼を尽くした態度を示した。


「話に聞いていたとおり美しい方だ。その美貌があれば、たしかに着飾る必要もありませんね。たとえ一国の王女とは思えない身なりで謁見に臨んでも、誰もあなたの非常識を責めることはなかったのでしょう」


 口調こそ柔らかだが、王子の怒りは明らかだった。姫君の手に仮面の唇を寄せてから、彼は立ちあがる。王子が一瞬背後に控える僕をちらりと見た気がした。僕はこの後のことを想像して、ただ身がすくむ。


 姫君は王子の辛辣な皮肉にも動じず、あっさりと謝った。


「私も許されるのなら、あなたとは綺麗なドレスを着てお会いしたかったわ。だけど、それでは身動きがとれないから仕方がなかったの。ごめんなさい」


 うわ、姫君。それ以上王子の燃え盛る怒りに油を注がないでほしい。

 姫君は王子の沈黙をどう受け取ったのか、無邪気に話しかける。


「あなたは臆病なのに、とても真面目なのね。それとも真面目だから臆病なのかしら」


「――姫。わかりました。今夜の晩餐会には出席させていただきますので、今はこれで」


 かみ合わない会話に疲れたのか、王子は終止符を打とうとする。けれど、姫君の動きは素早かった。背を向けた王子の腕を、すがりつく様にとらえる。


「駄目よ」


 姫君は呆然と立ち尽くす王子の仮面を、白い手でそっと撫ぜた。


「私にはわかるんだから。真実美しいものを、己のものとする。あなたは魔女の爪痕に縛られている。王宮の華やかさが嘘のように、この塔には何もない。美しいものを遠ざけた住処。――王子、あなたは美しいものを恐れているのでしょう?」


 姫君は全く見当ちがいのことを言っている。王子は何も語らず、ゆっくりと姫君と向かいあった。仮面の下の表情が読めない。


「どうして美しいもの遠ざけるの? あなたが真実美しいと思ったものを手に入れて、それでも呪いがとけないことを恐れているから?」


 王子は仮面の下で低く笑ったようだ。


「たしかに、姫のおっしゃるとおりです。私は美しいものを恐れている」


 低い声が、そう告白した。僕は耳をうたがう。王子と姫君の語ろうとしていることがわからない。今までの王子を振り返ってみても、そんな素振りは感じなかった。


 感じなかった。――本当に?


 王子が美姫を求めながら、頑なにこだわっていたことは何だったのか。王宮を離れて塔に移り住んだ意味。姫君を嫌悪した理由。全てが、一つのことにつながっていないだろうか。


「王子。恐れているだけでは、この仮面は外せないわ」


 仮面に触れる姫君の手をとって、王子は横に首をふった。


「姫、私はこの仮面を外すわけにはいかないのです」


 姫君はハッとしたように、動かない王子の仮面をみつめた。


「私は美しいものを手にいれてはいけない。美しい顔よりも、ずっと守りたいものがあるからです。ですから、姫。――私にはあなたも恐ろしい」


 王子の語っている真実に、僕はたどりつけない。あと一息で何かがわかりそうなのに、解くことができないのだ。王子の想いに辿りつけないもどかしさが残る。


「今夜の晩餐会には出席します。あなたとお会いするのも、それが最後になるでしょう」


 王子の言葉は穏やかにひびいた。もうはじめのような冷ややかさは感じられない。

 姫君は黒硝子のような瞳で、食いいるように王子の仮面を見つめている。


「姫、この王国は穏やかで平和です。きっと、あなたにも気に入っていただけるでしょう」


 王子から離れて、姫君は小さくうなずいた。


「今夜の晩餐会を楽しみにしています」


 まるで薔薇が花ひらくように、姫君はほほ笑んだ。






 王宮に設けられた晩餐会場は、まるで何かの記念祭のように飾り立てられてゆく。久しぶりに王子が参加するということで、嬉々として仕度を進める者達で賑やかだった。


「想像以上にすごいわ」


 聞きなれた声に、僕は飛びあがりそうになった。ふり返ると、侍女に扮した姫君が立っている。


「これなら申し分のない舞台になるわね。私がわがまま王女を演じる必要はなさそう」


「ひ、姫君。まだおいでになるには早すぎます」


 声をひそめて訴えても、姫君は動じることもない。


「私も気合を入れて着飾らなくちゃ」


 嬉しそうに呟いてから、姫君は僕をみた。


「ねぇ、王子も記念日に相応しいように、格好良く飾り立ててね。任せたわよ」


「は? 記念日、ですか?」


「そうよ。私と王子のご対面記念日」


 がくっ。僕が目に見えて落胆すると、姫君は声をたてて笑った。


「冗談よ。本当はそんなふうにわがままを言って、特別に立派な晩餐会にしてもらおうと思っていたのだけど、必要がないみたいだから」


 姫君の言うことは、王子との対面を果たしたときも、今も、僕にはよくわからない。怪訝な顔をしていると、姫君は笑みをひそめて僕とむかいあった。


「あなたが、最後に王子の素顔を見たのは、いつかしら?」


「え? それは、……一年前、です」


 王子に呪いがかかった日。最後に見たのは、呪われた王子の顔。それからずっと、素顔を見たことはなかった。仮面しかみていない。

 姫君は僕の答えに満足したようだった。あでやかにほほ笑むと、賑やかな周りの様子を見まわす。


「王子は人々に慕われているのね」


 まるで眩しいものを見るように、姫君は眼差しを細めた。




 晩餐会には、王宮に勤める者達も招かれた。これは王の采配によるものだけど、おかげで会場は舞踏会のような有様になっている。見事に着飾った姫君があらわれると、その場でほうっと感嘆がもれた。


 用意された席にはつかず、姫君は周りの人々に話しかけて輪を作っている。無邪気で人懐こい様子は憎めない。


 それにしても王子が遅い。不安を募らせていると、突然場内で歓声があがった。人々の喜びとは裏腹に、僕はほっと息をつく。姫君の要望に不平を唱えていたけれど、王子もきちんと盛装していた。仮面をかぶっていても、凛々しい立ち姿に変わりはない。


 王子の周りに人の輪ができると、姫君が何気なく僕のところへやってきた。


「ロリス、呆けていないで。あなたの出番よ」


「え?」


「わたしをみんなの前で、王子に紹介してほしいの。さ、はやくはやく」


 訳がわからないまま、僕は姫君を王子のところまで案内した。王子を取り囲んでいた輪が開けて、一本の道筋ができる。

 王子は姫君の前で膝をついた。姫君も優雅に頭をさげて、二人は挨拶を交わす。

 みんなの注目が集まる中、姫君はふいに取り巻く人々をふり返った。


「皆さん、私をこの素敵な国に招いてくれてありがとう。そして、今日は王子の呪いがとける素晴らしい日です」


 僕は耳をうたがった。姫君の白い手はためらわず、王子の仮面に触れる。王子も予想外の展開に戸惑い、なす術がないようだった。


 仮面が、外れてしまう。


 思わず目を閉じると、一呼吸遅れてワッと歓声があがった。怒号に震える場内。

 王子はその歓喜に負けないだけの姿で立っていた。


 美しくて、それ以上に懐かしいお顔。


「王子っ」


 胸の奥から熱い思いがこみあげてくる。


 最高の晩餐会。

 姫君が予言したように、今日という日が記念日になった。人々の喜びの声が、王宮内を揺るがした。






 王子の呪いがとけた喜びは、王国中に伝染したようだ。数日を経ても国中がお祭り騒ぎで賑わっている。けれど、王子は再び塔に閉じこもっていた。


「王子、宮殿へ戻って、バルコにーからそのお姿を見せてはいかがですか」


「そうよ、王子。せっかく呪いがとけたのに、もったいないわ」


 姫君も当たり前のように塔に出入りしている。リズは彼女のふるまいについて、もう諦めてしまったようだ。

 王子は苛々した面持ちで、僕と姫君をみた。


「この状況で、一体どこが喜ばしいんだ?」


「晴れて王子の呪いがとけたじゃないですか」


「あのな、ロリス」


 王子はなにが気にいらないというのだろう。


「私の呪いがとけるということは、王国が平和を失うということだ。私はずっとそれを恐れてきた。人々もすぐにその意味に気がつくだろう」


 王子は綺麗なまなざしに影をおとす。僕は王子の抱えてきた憂慮に、はじめてたどりついた。王国の揺ぎ無い平和を、彼はただ一人で守ってきたのだ。


「だけど、王子が一人で背負うなんて、まちがえています」


 僕はこの国が好きだけれど、同じくらいに王子のことも好きだ。どちらかを守るために、どちらかを犠牲にしてもいいとは思えない。


「王子は真面目で臆病で、とても鈍いのね」


 姫君は可笑しそうに笑っている。


「呪いがとけた理由をわかっているかしら?」


「それは、おそらくあなたのせいでしょう。あなたが真実美しい者だったから」


「あら? わたしはいつから王子のものになったのかしら」


「……言われてみれば、おかしいですよね」


 僕は黙っている王子をみた。姫君はすべてお見通しよと云わんばかりの笑顔で、王子に片目をつぶってみせる。


「王子は、ずっとそれだけがわからなかったのね。なぜ、自分の呪いがとけてしまったのか。だから余計に不安だったのね」


「あなたには、わかると?」


 姫君はあでやかに笑う。


「わかるわよ。王子の場合はすごく簡単だったもの」


 みつめあう王子と姫君。秘められた真実を、姫君は知っているのだろうか。


「わたしは魔女の爪痕をたくさん見てきたわ」


 姫君は王子と僕を交互にみて、イタズラっぽく笑う。

 そして、ふたたび王子の美しい顔をみつめた。


「王子、魔女が美しいと思うものは、見た目の美しさではないのよ。美しい心なの。魔力に頼らない心を、魔女は真実美しいと思う。王子、あなたも気がついていたのでしょう。魔力によって守られた平和では駄目なのだと」


 姫君は立ちあがって、塔の窓から小さくうつる街並みを見わたす。


「この国を回っていて、人々に触れて、王子がとても愛されているのだとわかった。それは、王子が人々を想い、国を想っているから。あなたはとっくに魔力に頼らない平和を築こうと努力していた。そうでしょう?」


 王子は答えず、ほほ笑む姫君をみつめた。


「あなたは、何者なのです?」


「わたしは王女よ。――そして、人々が恐れる魔女」


 僕は目を見開いて姫君をみた。リズをふり返ると、彼女はうなずく。これは驚きの事実だ。けれど、姫君を恐ろしいとは感じない。


「この塔には鏡がない。だから、王子は呪いがとけていたことに気がつかなかった。いいえ、気がつかないフリをしていた」


 王子は姫君の正体におどろく様子もなく、じっと彼女をみている。


「魔力で守られた平和がとっくに失われていること。王子はそれを人々に知られたくなかった。あなたは人々が絶望することが恐ろしかったのでしょう?」


 姫君にあばかれて、王子は降参するようにすこし笑った。


「でも、この王国は大丈夫。きっと、これからも平和だわ。あなたが守ろうと心を砕くかぎり」


 あかるくいい放ち、姫君は王子に駆けよって腕をひっぱった。


「だから、王子が不安に思うことも、責任を感じることもないわ」


「そうかもしれません」


 王子は立ちあがる。久しぶりに見る晴れやかな笑顔だった。


「ねぇ、宮殿のバルコニーから手をふってみましょうよ。あなたと私なら、とても絵になるわ」


 姫君は臆面もなくそんなこといって、王子をさそう。


 宮殿へおもむき、バルコニーに立つ王子と王女。人々に笑いかける二人の姿は、最高に絵になった。

 まるで王国の平和を象徴しているかのように、人々の声援がいつまでも響いていた。




呪われた王子の物語 END

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