異世界だからって洋風だと思った?
昔語りを始めましょう……。
本日より始まりまする昔語りは、あわや戦乱とまで噂された大臣暗殺事件の後、頭角を現した高崎家が執事の家、大隅氏の次期当主、皆様がご存じなのは号である豊遠龍樹だと思いますが、この当時は未だ大隅太郎佐を通称として用いていた只の幼武者でございます……。
幼将から軍神の片鱗を見せていた彼は、後に大乱と化す手前で、見事本朝を戦乱から食い止め、後に海外へこぎ出すのですが、それはまだ先の話……。
何卒、皆様もお立ち会いあれー……。
「おい、太郎佐、太郎佐はどこに居る」
後に大陸へ遠征し大隅朝を開くことになる豊熙、号して豊遠龍樹を幼名で呼ぶは彼が父、宗熙。先代の隆熙が嫡男にして主家高崎より平定したばかりの清顕国代官職を賜ったエリートであった。そんな彼にも、目下の悩みが存在した。それは……。
「はい、ここに」
「おお、そこに居ったか。丁度良い。……お前もそろそろ10を超えた。加冠には早いが所領を持ってみぬか」
「はあ、気は進みませんが、父上の下命とあらば受けざるを得ませんな」
……他ならぬ豊熙の存在であった。繰り返すが、後に大陸へ遠征を行い現地の皇帝となる大隅豊熙はその業績に似合わず、あまりに謙虚な人間であった。事情の知らぬ者から見れば臆病とすら言い表せる程の用心慎重ぶりは、当初軍神の化身が宿ったと喜んでいた大隅家郎党衆をがっかりさせるのに充分すぎた。
「む?なぜ気が進まぬのだ」
普通、所領を与えると言われて張り切らぬ武将はいない。張り切りすぎて空回りすることすら多かったその領主命令は、而して豊熙にとっては「厄介な命令出しおってからに」といった様相であった。案の定、宗熙はそれを疑問視し、問うてみた。すると、帰ってきた答えはと言えば。
「今少し、勉学の方が必要かと思いまして」
……これであった。無論、加冠には今少し早い年齢であったこともあるにはあったのだが、それにしたって「用心慎重」に過ぎた。それに対して父宗熙は溜息をつきつつこう告げた。
「ああ、そのことならば安心せい。南川!」
「ははっ」
「太郎佐を支えてやれ。こいつは少し自信をつけさせた方がいい」
「畏まりました!」
南川は、芝田などと同様に同様に大隅家郎党衆の中でも中核と言って良いレベルの家臣団だ。故に、太郎佐こと豊熙を支えるには充分な「じいや」であった。そして、宗熙は豊熙に領主の命を下した。
「と、いうわけで。判らぬことがあれば南川に聞け。与える所領の方は追って沙汰を待て!」
「……畏まりました」
……清顕国は古来より五穀豊穣の地であり、鉱脈も多かった。少なくとも、彼らが元いた山右地方の山岳部よりは遙かに麒高を期待できる土地であった。
それでは次回、「とりあえず、現状を確認しますか」。ご笑覧戴ければ、幸甚の限り。
以下、改訂履歴
R5/03/05:前書きが仮設置のままの「柿奥」になっていたため正式版の「大隅」に変更。
以降も何かしら変更箇所が御座いますればこのように変更の後告解予定orz