最終話 僕はやれやれと首を振った
「——待たせたな。それじゃあ、ここからの脱出方法を考えよう」
彼が私欲のままに突き進んでから2061回め、通算2331回めのループを迎えたところでようやく彼は勉強をやめた。
「呆れたよ。まさか本当に2000回以上のループを待たされるとは思ってなかったね」
「たりまえだろ。俺は本気で1位を獲る気だからな。妥協は許されねえんだよ」
「それじゃあもう完璧なんだね?」
「まあな。もし試験範囲だけが出題されんなら、いまの俺は医学部にだって首席で合格できるだろうよ」
「それはよかった」と僕は笑った。「じゃあさっそく作戦会議といこうか」
僕だってこの時間をぼーっと過ごしていたわけじゃない。少しは抜け出す方法についても考えていた。
「やっぱり原因を取り除くのが最善の方法だと思う」と僕は言った。「そして僕や松方くんが原因でないと仮定したら、考えられる可能性は次の3つに絞られる」
僕は彼に見えるように親指を立てた。
「まず1つめ。これが本当に神様の気まぐれだった場合。——こいつは最悪さ。なにしろ僕らに打つ手がない。戯れに飽きてくれるまで耐え忍ぶしかなくなる。未来永劫ないかもしれない可能性を信じながらね」
「そいつは困るぜ」と彼は言った。「一体なんのために俺は勉強したんだって話になる」
どうやら松方くんにとってはループから抜け出せないかもしれない今の状況よりも、小遣いが3倍になるかどうかの方がよっぽど大事みたいだ。まあ気持ちはわからなくもないので僕は話を進めた。
「2つめ。時間をループさせている何者かがいて、そいつがここから3分以上かけないと行けない場所にいる場合。——これも基本的にはどうしようもない。あるいはさっきよりもひどいかもしれない。犯人がここから3分以内にいない確信がどうやっても得られない以上、探し続けるしかないからね」
「無駄に骨を折り続けるだけってことか」
「そうだね。だからひとまず僕たちが考えるべきなのは最後の可能性だ。つまり——」
「——時間をループさせている何者かがいて、かつそいつがここから3分以内の場所にいる場合、だな?」
「よく理解してるじゃないか」と僕は感心した。「さすがは次のクラス1位だ」
「茶化すなって。ホントのことだけどよ」
「まぁ付け加えるならその何者かが僕らとおなじ言語を用いている存在か、あるいは僕ら以下の身体能力を持つ存在でなければならないけれどね」
「なるほど。そうじゃねえとループを止めるよう説得も武力交渉もできねえってわけか」
「そういうことだね。だからもしも交渉が決裂したら、その時はキミに任せるよ」
「ああ、任せろ。腕っぷしには自信がある」
こうして僕らが取るべき方針が決まった。
あとは犯人の思惑をトレースして居場所を推理、詰将棋のように追い詰めるだけだ。
「考えるに、この事象を引き起こしてる何者かは、午後1時13分より時間を進ませたくないんだ。つまり——」
しかし松方くんは僕の推理を手で遮る。
「あーややこしいことはもういい。俺たちの目的はループから抜け出すことで、そいつの動機を理解することじゃねえだろ?」
「まったくその通りだね」
「なら早いとこ動こうぜ」
「待ってよ。闇雲に探すのは危険だ。いたずらにループを重ねるだけになるよ」
「いいんだよ、それで。結局、古今東西ループ物の解決策はどれも同じだろ?」
と彼は言った。
「――しらみつぶしだ!」
そうして僕らが捜索を開始して453回めのループでその存在を見つけ出した。交渉が決裂したため、最後には鬼ごっこの様相を呈したがなんとかこれを捕らえることに成功し、通算2913回めのループの後、僕らは無事に日常への帰還を果たしたのだった。
しかし松方くんが犯人の持っていた古文書めいたモノを破いた時には肝が冷えた。結局それがループ解放の鍵だったわけだけど、今後はもう少し考えて行動して欲しいものだ。
ループから帰還した後の日常は、何事もなく平和に過ぎていった。
変わったことといえば、松方くんと以前よりも話すようになったことだけだった。
全てのテストを終えた後、僕らは慰労会を兼ねた打ち上げをふたりで行った。
その席で僕は彼に訊いてみた。
「それでクラス1位になれそうなのかい?」
「ああ、手応えは十分だ」と彼は笑った。「あとは結果を待つだけだな」
そして一週間後。
すべてのテストの返却が終わり、クラス順位が発表される日となった。
「それではこれから中間考査のクラス順位を発表していきます」と担任は言った。「まずはトップからですが、なんと今回は意外な人物でした。ついに本気を出したようですね」
彼は僕のことをちらりと見た。トップを確信しているのか自信の滲み出た笑みだった。
「今回のテストで見事クラス一位の成績を収めたのは——」
そうして担任はその名を告げたのだった。
「——対馬くんでした! みんな拍手〜」
教室内に驚きの声と申し訳程度の拍手の音が響くなか、彼はまた僕の方を見た。しかし今度は自信に満ちた表情ではない。驚愕に彩られた顔だった。鳩が豆鉄砲を食ったようということわざは、きっと今のためにあるのだろうと僕は思った。
僕はやれやれと首を振った。それから未だ僕のことを凝視している松方くんに向かって肩をすくめた。
もちろん対馬というのは僕の名だった。つまりは、僕が今回のクラス1位というわけだが、一体なにを不思議がることがあるのかと僕は思う。
僕は彼とおなじだけの主観時間を過ごしたのである。それはつまり、僕にもおなじだけ勉強をする時間があったということだ。
そして元々僕は彼よりも勉強ができた。先ほどまでの自信から、彼もきっと全教科100点近くは取れていたのだろう。しかし満点は取れなかったはずだ。なぜなら試験範囲内の勉強しかしていない松方くんには、実際の受験を想定して教師がつくる過去の範囲を絡めた問題には答えられない。たとえその配点が1点だろうと、その1点の取りこぼしが、1位を狙う争いでは致命傷になる。
だからこの結果は必然の結果であり、松方くんも詰めが甘かったと言わざるを得ない。
しかしそれは少々酷というモノだろうか。
実際、その後発表されたクラス順位によると松方くんは2位だったようだから、僕というイレギュラーがいなければ彼は目的を果たせていたことになる。
つまりこれは僕のささやかな復讐だった。
彼はきっといま後悔していることだろう。
もう一度6月13日午後1時10分に戻りたいとさえ考えているかもしれない。
しかしそれはもうあり得ない。
なぜなら時間は決して過去には戻らないのだ。だからこそ、他人の時間をいたずらに消費した彼には相応の報いを受けて貰わなければならなかったのである。
しかし幸いにも浪費されたのは僕の主観時間だけで実時間が無駄になったわけではない。彼がクラス1位になることで貰い得た金額のことを考えれば、もう対価としては十分だ。これで許してあげることにしよう。
僕は机に突っ伏してしまった松方くんを見ながら謙虚にもそう思うのだった。
(了)