僕は将来の夢を「特別な人」に設定した
僕は幼い頃から何か人と違う感覚を持って生きてきた。
具体的にそれが何か言葉では表現しずらいが、一言で言うとわがままな少数派だ。
幼稚園の頃、プールの授業を休み、先生と一緒に泳ぐ同じクラスの子を、勝手に鼻で笑いながらみていた。
中学、高校と友達もそこそこいたし、それなりに楽しかった。
だが、その中でも人と違う感覚を拭い去ることはなかった。
そんな僕も25才になった。
「いってらっしゃい、マサト。もう25才なんだから、ちゃんとした仕事見つけなさいね」
母さんが食器を洗いながら声を大きくして僕に言う。
「僕には絶対にやりたいことがあるんだ」
「おい!マサト!25才は現実を見る年齢でもあるんだぞ」
「行ってくる」
僕はボソっと呟いて玄関の外に出る。
親を嫌いというわけではないし、ここまで育ててくれたのも事実だ。
だいたいちゃんとした仕事とはなんだろうか、そしてそれができたら何だと言うのか。
今ならわかるが、僕の将来の夢は『特別な人』になることだ。
これは性格ではなく、本能だと自覚している。
どうせ笑われて終わる将来の夢だと分かっている為、打ち明けたのはここが初めてだ。
今から3年間僕のフリーター生活を支えているパチンコ屋でのアルバイトだ。
少し複雑な気分だが、バイト先まで歩みを進める。
歩いて10分くらいの距離。
僕は頭の中でこれまでの記憶を辿った。
僕は高校を卒業した後、特に何もやることがなく、怠惰な気持ちでラインのお菓子食品工場にアルバイトとして勤めた。
高校時代、友達に、「頭の回転だけは速いな」親戚にも「お前は要領がよく天才肌だ」とチヤホヤされた経験もある。
その経験もあってか、その食品工場でも上司が毎日話かけてくれたり、周りの人が仕事を手助けしてくれることが多かった。
しかし、僕の所属するラインの上司の太田さんは、僕の苦手なタイプだった。
「おい、マサト!とにかく若い内から一生懸命働け。上司の言うことはちゃんと聞け!そんなんじゃこの先やっていけんぞ!」
冗談が通用しない人のこういう発言は僕を嫌悪感でいっぱいにしてくる。
そんなある日、同じラインで仲良くしてもらっている、7つ上のエミちゃんと休憩時間がかぶったのでそれとなく聞いてみた。
「ねぇ、エミちゃん、上司の太田さん、真面目すぎてやりづらくない?」
「やりづらいというか、、太田さんが若い頃すごい厳しい上司に教えてもらってたみたいだし、きっちりしてる人だから、チャラチャラした若者が嫌いなんだよ」
意外にちゃんとした言葉が返ってきたが、果たして本当にそうなのだろうか、どうしても本質を見てしまう。
僕には、人と会話するのが苦手だから、完璧な人間を演じている様にしか見えなかったし、そんな人が苦手だった。
僕の疑問が解消されるには、太田さん本人に直接聞くしかなく、そんな勇気もない僕は、その日で食品工場を辞めた。
そこから僕は一週間もしない内に朝型から夜型の生活になった。
「今日こそ朝起きるつもりだったんだけどな」
太陽が昇る頃に眠気が来て、昼過ぎに起きるあの感覚、朝独特の気持ち良さはまったくない。
僕の些細な幸せは、10月になり、夜に半袖で外に出ることだった。
「あー寒い」
そう言いながら肩に手をあてるのが心地よく、長袖ではその快感を得ることはできなかった。
特にどこに行くわけでもなく、住宅街のコンクリートの道路を歩き「コツコツ」と響く音の中、たまにすれ違う人を見ると、なぜかホッとした気持ちになり、夜に1人で歩くのも悪くないなと思う。
そのまま3ヶ月が過ぎ、市が運営するハローワークにも行ったが、5分もいない内に仕事を探すのをやめた。
「この雰囲気、やめて欲しいな」
なんせ僕の将来の夢は、特別な人、なのだから。
そんなある日、友達から電話がきた。
僕は携帯に表示される友達の名前を見ながら、「はぁぁ、、、」
何が嫌なわけでもないのだが、乗り気でなくあえて8コール目くらいに出た。
「もしもしマサト、今おれの友達が飲食店でバイトしてるんだけどさ、その系列の店が人足りないみたいで、お前どう?」
やりたいわけでもなかったが、やらない理由もなかった。
僕は適当に「いいよ」と答えた。
面接の日、店の雰囲気に少したじろいだ。
イタリアンBARであり、店長は長髪にパーマ、顎髭だけ生やし、香水の香りがする。
そしてほぼ灯りのない店内。奥に入るとオシャレなカウンター席があり、そこだけライトアップされている。微かなジャズのような音、どうやら2階、3階もあり、個室になっていてカラオケもついているようだ。
「場違いなんじゃ、、、」
そんな感覚に陥ったが、なんとか面接を終え、その日に採用になった。
バイト初出勤の日、僕はここのイタリアンBARでかけがえのない経験をすることになる。
制服の白シャツを着て、ネクタイも締め、サロンを腰に巻き、店長に髪はちゃんとセットしろと言われた。
「マサト、お前は人の話を聞く時に体が左に傾く癖がある。何気ない行動のようだが、だらしなく見えたり、お客さんに不快な思いをさせる場合がある」
僕はすぐさま背筋を伸ばし、真っ直ぐ立つと同時に、そう言われたのがなぜか嬉しかった。
何か『情』のような物を感じ、やけに説得力がある。
だが、店長ともう1人料理長もいたが、仕事になるとどちらもかなり厳しい人で、少しのミスでもインカムから怒号が飛び交うこともあった。
それが嫌でやめようと思ったこともあったが、相変わらず「情」は健在していたため、自分の居場所はここがよかった。
「僕が成長しないとダメだ」
そう思わせてくる。
半年程勤務し、新しいアルバイトもそこそこ入り、僕も新人ではなくなった。
そんなある日、とんでもないミスをしてしまった。
その日僕は3階の個室を担当していた。
その中の一組に、父、母、子供1人の家族が来店していた。
お客が注文した料理、ドリンクは1階からエレベーターであがってくる仕組みになっている。
そして3階に「鷄の唐揚げ」があがってきたのだが、子供用の小さいフォークも付いていた。
「子供が食べるのか」
それを家族がいる個室まで持っていった。
「失礼致します。鷄の唐揚げでございます」
慣れた口調でそう言い、子供の前にフォークを右手で持てるよう置いた。
「わぁぁーお父さん!唐揚げだよ!美味そう!!」
「食べたいだけ食べていいぞ!」
父がそう言うと、僕は営業スマイルを見せ個室を出た。
しばらく時間が経ち、店の忙しさも落ち着き始めた。
「空いた皿でも下げるか」
各個室に入り、お客が食べ終わったお皿を回収し、それをエレベーターに乗せて1階まで運ぶ。
そして最後は、家族のいる個室だ。
「失礼致します。空いたお皿お下げします」
僕のその言葉は、子供と戯れあっていた父母の耳には右から左に流されていた。
そんなことはよくある事だと手際よくお皿を回収した。
自分の仕事もひと段落し、3階の従業員控え室でお茶を飲んでいた。
するといきなり耳元のインカムから料理長の怒号が聞こえてきた。
「おいマサト!お前鷄の唐揚げ下げたのか?」
僕はひどく動揺した。
どうやらあの家族がいる個室の唐揚げの事らしい。
「さ、下げました」
何があったのか理解していない僕に、
「お前が下げた唐揚げ、まだ一個残ってたんだぞ!今そう苦情の電話があった!」
2.3階の各個室には、料理やドリンクの注文が個室から出来るように、電話で1階のフロントに繋がるようになっている。
「おい、子供泣いてるぞ。どうするんだマサト」
料理長の怒号の後、間髪入れずに店長が逃げ場のないように僕に問いただす。
「すみません」
それだけしか言えなかった。
3階の従業員控え室にまで子供の泣き声が聞こえてくる。
「そんな悪い事なのか」
そう現実逃避したくなったが、今の僕の置かれた状況では不可能だった。
「唐揚げもう一回作るのか?」
料理長が言う言葉に僕は、
「いえ、大丈夫です。僕が謝りに行きます」
責任を重くしたくないという考えと、怒られるのは嫌だったから、どうしても唐揚げ作って下さいと言えなかった。
一度時間が欲しかった僕は、3階の他の個室の料理を気が気でない体裁で運びに行き、5分程経ったところで、僕は家族のいる個室に申し訳なさそうに入っていった。
「失礼致します。先程は申し訳ございませんでした」
「ねぇ君、残ってる唐揚げ持っていく店員がどこにいるの?こっちは金払ってるんだよ。子供を泣かせたんだよわかってる?」
母はそんな言い方しなくてもいいと父をなだめたが、僕が母の意向に合わせるわけにはいかなかった。
「申し訳ありませんでした」
もう一度丁寧に言ったが、もう父は僕の事が嫌いみたいだ。
「店長呼んできて」
一番言われたくない言葉だったが、お客からしたらこの言葉は、絶対に当たる必殺技のようなものだ。
血の気の引いた僕は「かしこまりました」と個室を出て、インカムは使わずに直接1階にいる店長の元へ向かった。
「店長呼んできてと言われました」
「そうか、行ってくるわ」
そう行って3階に行く店長。
その間僕は洗い終わったスプーンやフォークを拭いていたが、あまり記憶がないくらい憂鬱な時間だった。
そして店長はものの数分で戻ってきた。
僕は何を言われてもいい覚悟をしていた。
「これでやっていい事と悪い事がわかっただろ。次は気をつけような」
そう店長が僕の頭に手を置き、料理長が、
「怖かったな。サービス業はこういうこともある」
鍋の具材に火をかけながら、優しい口調で僕に言った。
僕はポーカーフェイスだった。
ここで変に明るく振る舞うのは違うと思い、「これから気をつけます」と声を明るくして言った後、3階の持ち場に戻った。
お客も全員帰り、その日の業務も終わる頃、
「僕、すごい怒られるかと思いました」
今日しか言うタイミングがないと思い、店長に聞いてみた。
「マサト、お前はお客さんに怒られたんだ。その後上司がお前を怒ってしまったら、誰がお前を守るんだ?」
僕はハッとさせられ、
「ありがとうございます」
そう笑顔でハキハキと答えた。
自分の周りのことを大切にする、これが「情」の正体だと分かった。
そしてもうすぐ朝になろうとする時間帯に僕はタイムカードを切った。
「さぁー今日は疲れた」
店を出て歩いて駐輪場まで帰っている途中にふと一筋の涙が流れ、その涙はやがて大粒の涙になった。
周りに人がいないことを確認し、僕は涙を拭かず、ポケットに手を入れたまま帰った。
こうして僕は、何かかけがえのない物を手にし、好きなことで生きたい気持ちが芽生えた。
「僕、探偵になろう」
仕事を探すうちにそう思い何より、探偵という職業は僕の特別な人になる、に合致しているような気がした。
それで誰かの役に立てるならばそんないい生き甲斐はない。
金も時給がいいパチンコ屋に変え、この田舎から25才で上京し、探偵になるつもりだ。
ちなみにこれはまだ親には言っていない。
東京に住む事はさすがに言うつもりだが、探偵になることを告げたら「探偵?そんなんでやっていけるのか」
と馬鹿にするのである。
これからその東京でのプランについて頭で整理しようと思ったが、もうバイト先のパチンコ屋に着いてしまった。
「さぁー今日も頑張ろうか」
僕は真っ直ぐ前を見ながら店に入った。
end