三
「はぁ、はぁ、はぁ……ふー……」
僕はあの後かくれんぼすることを了承し(というか拒んだ瞬間に殺されそうな勢いだった)、ヨウと名乗る少年が鬼になった。
ということで僕は隠れている。二階の一室にある机の下に。もちろんライターの火は消している。
「……ぃーかい、もーいーかい、もーいーかい、もーいーかぃ……」
斧をギギギギィーと引き摺りながら廊下を歩いている音が聞こえる。十中八九ヨウだろう。僕は見つからないようにと息をひそめる。
ヨウに見つかったらきっと殺される。僕を『今は』殺さないと言っていた。だからいずれは殺されるのだろう。そのタイミングがきっとかくれんぼで見つかった時。
そんな僕の推理を信じるとしたら、絶対見つからないようにしなければいけないことになる。だから僕は呼吸音すらもなるべく抑え込む。緊張からかぶわりと汗も吹き出る。
そのまま少しの間じっとしていると、部屋の外から聞こえていた足音は階段を降りていったようだった。なるほど、それならば反対に三階に上がろうか。
そして隠れるのと並行して玄関の鍵を探さなければ。玄関には鍵がかかっていたようだったから、この屋敷から出るにはそれが必要。よし、取り敢えずこの部屋から探そう。シュボッとライターの火をつける。
まず僕が隠れていた机の引き出しを開けてみると、どうやら書類の束しか入っていないようだった。多分だがここに元々住んでいた人物の仕事書類とかなのだろう。難しい言葉が羅列していて、見ているだけで頭が痛くなってきそうだ。
「次だ次。」
その書類を読むのをやめて本棚も調べてみるが、これといったものは見つからない。当てが外れたか。ならばこの部屋にいる意味はもう無い。
「……。」
そう考えた僕は廊下に続く扉を少しだけ開けて廊下の様子を探る。ヨウは近くにはいなさそうだ。よし、今なら行ける。
そっと扉を閉めて抜き足差し足で廊下を歩く。多少音は鳴るが、屋敷自体が広いのでヨウには聞かれていない……と思いたい。
二階の部屋全てを調べ尽くしたが、玄関の鍵は見つからない。一部屋一部屋しらみつぶしに調べていたら途方もない時間がかかるだろう。しかしそうしていかないときっとここから出られない。どれだけ時間がかかってもいい、とにかく脱出しなければ。急がば回れ、という言葉はこの時に使わずしていつ使う。それくらいだ。今一度意志を固くする。
「……。」
三階への階段までやって来た。ギシ、ギシ、と音を鳴らしながら階段を上る。さて、どこの部屋から調べようか。とも思ったが悩んでいる時間が惜しい。とにかく近くの部屋に入ろう。なるべく音を立てずに部屋に入り、扉を閉める。
「ふー……」
先程よりも体力気力共に消耗していっているのが自分でも分かった。しかしなんとか気を引き締めて探索する。気力の枯渇は特に生死に関わるだろうからね。
この部屋は誰かの寝室のようだった。大きなベッドがドンと置いてあるようだ。
ぴちゃ、
……ベッドを調べようと思って足を前に動かしたら、今度は水のようなものを踏んだようだ。踏んだものを見るためにライターを近づけると、
「u」
叫んでしまいそうだった僕自身の口を手で塞ぐ。よくやった、僕の手。叫んでしまえばヨウに見つかってゲームオーバーだっただろう。危なかった。
もう一度ライターを近づけてみると、ここには二人の死体があった。それも、今までの二人のよりも切り傷が多い。体中あの斧で切られたのだろうことが窺えた。
もしかしたらいずれ僕もこうなるんじゃ……
「うっ……」
そう考えてしまい、吐き気を催す。駄目だ駄目だ駄目だ! 音を立ててはいけないんだ! 吐いたりなんかしたらヨウにバレるかもしれない。可能性は一つでも潰していかなければならない。死ぬ可能性を一つずつ潰して潰していった先にしか、生きてここを出る未来は訪れない。だから、だから、だから……!
「はは、は……は、」
この短期間で四人もの死体を見て、僕は気が狂いそうだった。だが、狂った瞬間に死ぬ。それだけは分かっている。だからなんとか、なんとか、なんとか平静を保たないと……!
嫌な汗は未だに吹き出る。息も荒くなる。ああ、ああ、ああ、ああ……
「鍵、鍵、鍵、鍵、鍵……」
探さないと、探さないと、探さないと、探さないと……
僕は手当たり次第にガサガサと部屋を漁り、鍵を探す。この部屋にある確証なんてものは無いのに。それでも一縷の望みをかけて部屋を漁る。
「……ぃ、」
「っ……!」
ヨウの声がかすかに聞こえた。ああ、隠れないと、隠れないと、隠れないと、隠れないと隠れないと隠れないと……!
僕は部屋の扉からは見えないだろうベッドの後ろへと進む。そうしてしゃがみ込む。息を殺す。ライターの火も消す。
「……かい、もーいーかい、もーいーかい、もーいーかい、もーいーかい、もーいーかい、もーいーかい、もーいーかい、もーいーかぃ……」
ヨウの声が嫌なくらい大きく聞こえる。まるで耳元で囁かれているような気もするが、しかしそれは妄想に過ぎない。ヨウはさっきと同じように廊下をただ進んでいるだけなのに。
僕の壊れかけた心は幻をも生み出しているのかもしれない。それは分かっているけれども、今の僕には平静を保つ余裕なんてなかった。ただひたすら息を殺すことしか出来なかった。
それから数分経ち、ヨウの声と足音が聞こえなくなったと確認出来た僕はライターの火をつけてその場から立ち上がろうとした。
「……あ、」
まだしゃがみ込んでいた僕の目に映ったのは、赤い足跡。ああ、僕の足跡だ。先程あいつらの血溜まりを踏んでしまったからだろうことは推測出来た。靴底を見てみると赤いものがべっとり付いていた。
「拭かないと……」
そうでないとヨウに僕の居場所がバレる可能性がある。足跡を残すなんて馬鹿のやることだ。ほんの少しだけ心を落ち着けさせた僕は、ほんの少しだけ冷静になれた。
ベッドのシーツは埃を被っているせいか少し灰色にも見える。きっと元は真っ白だったに違いないそれを更に汚すのは忍びないが、僕の生死に関わるのだ。一度ごめんなさいと謝った後、ベッドのシーツで靴底を拭く。
シーツにべっとり赤いものが付く。その反面僕の靴底に付いていた赤いものはほぼ取れた。よし、これで先に進める。
「ふー……」
僕は今一度深呼吸をして、自分のやるべきことを頭の中で復唱する。
『玄関の鍵を探し、この屋敷から脱出する』
よし、やるべき目標を見失わなければきっと大丈夫だろう。
三階もこの部屋で最後だ。心を落ち着けさせるために扉の前で一度深呼吸する。
今のところ玄関の鍵は見つけられていないのだが、一体それはどこにあるのだろうか。分からない。分からないという焦りがだんだん膨れ上がり、息も荒くなる。駄目だ、落ち着け、落ち着け……。
折れそうな心を気力で保ち続けながらも探し続けている今の状況は、とても危うい。いつ心が折れてもおかしくはないのだから。そして折れた瞬間に待つのは死なのだ。
今まで生きてきて、ここまで死を感じたことはない。ああ、怖い、怖い、怖い……
ドンドンドン!
「……かい、」
「っ……!」
向こうから何かを叩きつける音と共にヨウの声が微かに聞こえてきた。やばい、この階にいるなんて! 見つかる!
なるべく音を立てないように部屋に急いで入り、床の音が鳴ってしまわないように扉の前で動かずに息をひそめる。もちろん、ライターの火も消した。一応だ。
「もーいーかい、もーいーかい、もーいーかい、もーいーかい、もーいーかい、もーいーかい、」
ヨウはドンドンドンドンと隣の部屋の扉を叩いているらしい。随分近い場所の扉を叩いているという事実に、見つかるのではないかという不安が押し寄せる。
「この部屋じゃないかぁー。……もーいーかい、もーいーかい、もーいーかい、」
ヒタヒタと歩く音が、ギギギィーギと斧を引き摺る音が、だんだん大きくなっていく。近づいてきているのだろう。
ドン、ドンドンドンドン!
「もーいーかい、もーいーかい、もーいーかい、もーいーかい、」
遂にヨウは僕がいる部屋の扉を叩きつける。
「ねぇ、そこにいるんでしょ?」
その無機質な声に僕の緊張は最高潮になる。ドキドキと五月蝿い心臓の音がヨウに聞こえてしまうのではないかとヒヤヒヤし、だらりだらりと汗は滝のように流れ落ちる。口は手で塞いで声も呼吸音もさせないようにするが、はたして上手くいっているのだろうか。
僕は緊張や焦りで客観的に物事を見られなくなっていた。




