004 さくら 2019年 春
わいはペットや。
ある程度自由が制限されることは承知しとる。
そやけど、せめて家の中におる時ぐらいは自由に歩き回りたいがな。
わいかて自分のおりたい場所があんねん。
夏場は玄関の板の間がお気に入りや。
あそこへぺたーっと腹をくっ付けて寝たら、まあ気持ちええで。
板が体温で温うなったら横っちょへ移動して、また冷やっこいとこでぺたーっとやるんや。
たまらんで。
あと、隙間へ入るのんも好っきゃな。
身体がぴったり収まるとこへ挟まるん、めっちゃ楽しい。
わいのささやかな楽しみやねん。
そやのにや。
長女のさくらは、わいを取っ捕まえてはケージの中へ閉じ込めよるんや。
わいは小鳥やないねんぞ。
あっちこっちフンしながら飛び回ったりせえへんがな。
なーんも悪さしてへんのに無理からケージへ閉じ込めるっちゅうようなマネしやがって。
自由権の侵害や。
アニマルライツの蹂躙や。
いっぺんケージん中へ放り込んだろか。
中学生の時分は牛乳瓶の底みたいな眼鏡かけて漫画ばっかリ読んどる地味ぃな子やったのに、高校へ進学した途端にバイトに明け暮れて、稼いだ金であっちこっち遊び回るようになりよってん。
いわゆる高校デビューや。
あー恥ずかし。
あいつな、毎週水曜日に彼氏を家に連れて来よんねん。
水曜日はおばんもパートへ出とるし、家に誰もおらんからや。
この彼氏っちゅうのがまたしょうもない男でな。
髪の毛ばーっかりいじっとんねん。
なんやあのしょうもないパーマ。
ようあんな能面づら下げてパーマあてよう思うたな。
なーんも似合うてへんがな。
パーマ屋も止めたらんかい。
ひと、笑わそう思うてんのか。
あと、なんやあのスキニーパンツ。
男のくせに気色悪いもん履きさらすな。
こいつ、顔だけやなしに性格まで不細工やねん。
初めて家に来よった時な、気に入らんツラしとったさかい、わい、玄関で思いっきり吠えたってん。
わんわんわんわん、ゆうてな。
ほんならあのガキ、そん時は「やべ。俺、嫌われてんじゃん」とかなんとかゆうてへらへらしとったわ。
そやけどな、さくらが便所へ行っておらんようなった隙に丸めた新聞紙でわいの頭、小突きよってん。
このチンピラ小僧、誰にケンカ売ってけつかんねん。
わい頭に来たさかい飛びかかったったんや。
がるう言いながらスキニーパンツの裾を引っぱり回したった。
ベルボトムになるまで引っぱり回したった。
脚咬んだりせえへんで。
ちょっとビビらすだけや。
ああゆう輩はその都度示しつけとかんと、図に乗りよるさかいな。
それ以来あのガキ、わいによう近づかんようになりよった。
ビビっとんねん。
見た目ぇ悪うて、根性曲がっとって、おまけにビビリて。
救いようあらへんがな。
どないして生きて行くつもりや。
それでもスキニーは懲りんと毎週水曜日、家に上がり込みよる。
厚かましいガキやで。
スキニーが来よったら、さくらは必ずわいをケージに入れよる。
もちろんわいは抵抗する。
そしたら、さくらは腕力でわいをねじ伏せよる。
噛み付いたってもええねんけど、あんなんでも女は女や。
わいはしぶしぶ従う。
わいはジェントルマンやさかいな。
辛抱しまんねん。
非暴力、不服従の精神で堪えまんねん。
健気なわんちゃんやで。
そんなわいの姿を見たかて、さくらはなーんも思わへん。
血ぃの通った人間やったら、わいが耐え忍ぶ姿を見て後ろめたーい気持ちになるはずや。
すまんことしたなーて思うはずや。
あの小娘はそんなこと、ちーっとも思わへん。
心があらへんねん。
あいつのやることゆうたら、バイトして遊び回って男連れ込むだけ。
あほなことばっかりしとるさかいあほになるんじゃ。
学生やったら勉強せんかい。
マハトマ・ガンジーの伝記みたいなもん読まいでも、わいという生きた教材が目ぇの前におるやないか。
わいを見て学べ。
どあほ。
そうゆうたらこないだこんなことあったな。
旦那が休み取って、わいをフィラリア症の予防接種に連れて行った日ぃのこっちゃ。
あの日は水曜日で、家にはさくらしか居らなんだ。
旦那がわいを車に乗せて病院へ向かったんやけど、あのおっさんぼーっとしとるやろ?
財布忘れよってな。
動物病院に着いてから気ぃ付きよってん。
しゃあないし、わいら財布取りに家へ戻ったんや。
さくらにとってはそれが誤算やった。
家に着いて、旦那がわいを抱きかかえて家の扉開けたんや。
そしたらまあ、びっくりしたで。
スキニーがリビングから飛び出して来よってん。
すっぽんぽんでな。
スキニーはこっちには目ぇもくれんと、一目散に階段を駆け上がって行きよった。
たったったったーゆうてな。
旦那とわいがぽかーんと口開けとったら、今度はさくらがリビングから飛び出して来よった。
さくらも…いや、さくらはすっぽんぽやったな。
靴下だけ履いとったしな。
ほんで後を追うように2階へ、たったったったーや。
それにしてもあの2人、リビングで何しとったんたろな?
ひひ。
わい、わかんなーい。
さあ、晩の食卓は見物やでぇ。
気まずーい沈黙の中で、旦那とさくらは目ぇも合わさんやろなあ。
まあ、常日頃からあんまり目ぇ合わすことないけどな。
旦那とさくらと、どっちが先に根ぇ上げて席立つんやろか。
気まずさで胸いっぱいのさくらは、いつも通りに白ご飯を2回お代わりしよるんやろか。
わいはあれこれ想像を膨らませながら、晩飯の時間を心待ちにしとった。
そやのにや。
さくらのあほ、友達と外でめし食うて来よってん。
逃げよってん。
なんやねん。
わいの楽しみを奪いさらすな。
犬用ミルクの肴にうってつけのエンターテイメントやないか。
わい、心底がっかりしたで。
そんなことがあったかて、図太いさくらのこっちゃ。
翌週にはまたスキニー連れ込んでリビングでもぞもぞや。
わいはいつも通りケージん中やがな。
さくらが男を連れ込んでなにしようが、わいの知ったこっちゃない。
そやけどな、おのれの楽しみのためにわいの自由を奪うなっちゅうねん。
普段はあいつらがぞもぞしとるあいだ、わい、ケージの中で大人しいしてんねん。
そやけど、その日ぃはケージの柵に備え付けてある水の容器が空になっとってな。
折が悪いことに、その時めちゃめちゃ喉乾いとってん。
イサムの部屋でポテチ盗み食いしたせいや。
わいは辛抱たまらんようなって、さくらに助けを求めたんや。
もちろん、さくらは直ぐには来なんだ。
もぞもぞに必死になっとんにゃろ。
そやかてな、わいは喉が渇いとんねん。
なんともならんのや。
塩分がODしとるんや。
あー、喉乾いた…。
水、水、水。
水が欲しい。
わいはさっきよりでっかい声で吠えたった。
わおーん。
わおーん。
10分かそこらして、半裸のさくらがようやくこっちへ来よった。
さくら、水くれ。
見てみい、容器が空になっとるやろ。
わいは容器をかりかり掻いた。
そやのに、さくらはわいが水を欲しとることにまるで気ぃ付きよらん。
おい、さくら。
可愛いわんちゃんが喉乾いて困っとんねんぞ。
早よ、水寄越さんかい。
さくらはただ面倒臭そうにわいを見下ろしとるだけや。
一向に水を汲みに行こうとせえへん。
なんやねん、こいつ。
そっからが酷かった。
さくらのあほ、おのれの身体に巻いとったバスタオルをばさーっとケージの上に掛けよってん。
去り際に舌打ちまでしよった。
ほんでまたもぞもぞの続きや。
くそ。
この尻軽!
男たらし!
可愛いわんちゃんが、喉乾いて死にかけとんねんぞ。
お前なんか飼い主失格じゃ。
ああ。
目の前が真っ暗や。
絶望や。
喉が。
水!!
わいは復讐を誓った。
翌週の水曜日。
わいはさくらが学校から帰って来る前にあいつの部屋へ忍び込んで、中学校の卒業アルバムを盗み出したった。
ほんでそれを階段の上から滑り落としたったんや。
くわえて下りるんは到底無理やったしな。
どんがらがっちゃん。
わいは、角が凹んだり頁が折れたりした卒業をアルバムをリビングまでくわえて引きずって行って、脚のあるソファの下へ隠した。
これで準備完了や。
15時過ぎに、さくらがスキニーを連れて帰って来よった。
ひひ。
いよいよ作戦決行や。
鍵かけて閉じ込められんように、わいはあらかじめ自らケージへ入って扉を閉めといた。
リビングから聞こえて来るあいつらのしょーもない話しを聞き流しながら、わいは爪を研ぎもって機を窺った。
あいつらが帰って来てから30分ほど経った頃、ついにチャンスが訪れた。
「私、ちょっとトイレ行って来る」
よし、今や。
わいは音を立てんように細心の注意を払いながらケージを出て、リビングへ向かった。
抜き足、差し足、忍び足。
そーっとリビングに潜入して、ソファーの裏側へ身ぃを隠した。
わいは気配を消したまま、ソファの下へ隠しといた卒業アルバムをスキニーの目に留まるように鼻先で向こうへ押し出したった。
「ん。なんだ、これ?」
あらわれ出た卒業アルバムに気が付いたスキニーは、それを拾い上げて頁をめくり始めよった。
ひひ。
おもろいことになるど。
じゃー。
お。
さくらが戻って来よる。
わいは一層の注意を払いながらリビングを脱出し、無事ケージへと帰還した。
Mission Completed!!
「ちょっとぉ。なんで勝手に人のアルバム見てんのよ」
「ここにあったんだって」
「こんなとこにあるわけないじゃん。私の部屋から取って来たんでしょ」
「そんなことしねえよ」
「いいから返して」
「いいよ。もう写メ撮ったから」
「ひどい。消してよ」
「もう田中に送った」
「最悪」
「さくらって、超絶陰キャだったんだね」
「やめてって」
「ウケるわ~、あのめがね」
「…」
「まじウケるわ」
「JKライフ、オワタナウ」
これが非暴力、不服従の精神やで。
ウケるわん。