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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

喉が痛いんだ

作者: 彩葉

 少し前から喉が痛い。

咳も出る。

ただの風邪だろうし、その内自然に治ると思いしばらく放っておいた。

病院も薬も苦手だったし、何より面倒くさかったからだ。


 それがいけなかったのかもしれない。

喉の痛みは全く治らず、むしろ熱でもあるのか段々頭がボーッとするようになってしまった。


 流石にこれ以上長引かせたらまずいのではと危機感を覚えた俺は、やっと重い腰を上げて病院に行く決意をした。


「ゴホッ、ゴホッ」


 訪れたのは大きな総合病院。

慣れない場所に戸惑っていると、受付のおばさんに「予約はしてますか」と早口で言われた。


「っ、ゴホッ……」


 慌てて首を振り、声が出ないと喉を指してから指でバツを作る。

すぐに察したらしい受付のおばさんは「新患なら、あちらの紙に記入してから新患受付にどうぞ」とニコリともせずに背後の記入カウンターへ促した。


 いくら流れ作業の事務仕事とはいえ、あまりにも愛想の悪いおばさんだ。

そっちは慣れっこでも、こっちは初めて来る病院で勝手が分からないというのに。


「ゲホッ、ゴホ」


 苛々する割には頭がぼんやりする。

俺はつい乱雑な字で個人情報やら現在の体調やらを記入していった。


「ゴホッ、ゴホッ」


 えぇと、症状はいつからだっけ?

結構我慢しちゃったからな……もしかしたら「なんでもっと早く来なかった!」と怒られるかもしれない。

あぁヤダヤダ。


 痛すぎて呼吸がしにくいし、最悪の気分だ。

これはかなり扁桃腺とやらが腫れているのだろう。


 あらかた書き終え新患受付に紙を渡すとしばらく待つよう言われた。

小さな町医者と違い、大きな病院は手続きが面倒な事この上ない。


 ロビーのソファーは沢山あるのに、座席の殆どが人で埋まっていた。

年寄りや中年が多いようだが若者や子供も普通にいる。

病院が繁盛するなんて良い事ではないが、これだけ患者がいるなら医者はさぞかし儲かってるんだろう。


「……っ! ゴホ……っ!」


 一瞬見間違いかと目を疑った。

ロビーで待つ人の中に、明らかに重症すぎる人間が混ざっていたのだ。


 嘘だろ? あの人なんて頭からダラダラ血を流しているし、隣の人なんて左半身が血塗れだ。

近くで事故でもあったのだろうか。


 何にせよ、こんな所で大人しく順番を待ってないで優先的に治療して貰うのが普通である。

それなのに誰も、何も文句を言わない。

それどころか誰一人として血塗れの人間を気にした様子もないのだ。


 もしかしてあの人達が見えてるの……俺だけ?

……まさかな。

どうやら熱で幻覚まで見えるようになってしまったらしい。


「フジワラさーん、フジワラカズチカさーん」


 あ、呼ばれた。

こう、フルネームで呼ばれるのも病院が苦手な理由の一つである。

別に変わった名前って訳でもないけど、なんかイヤなのだ。


「ゴホッ」


「呼吸器科・循環器科の方まで行って、こちらの番号を呼ばれるまでお待ち下さい」


 さっきとは別のおばさんに受付番号の書かれた紙を渡される。

一度も目が合わないとか、この人も態度が悪いな。

そもそも呼吸器科ってどこだよ。


 グラグラと苛立ちが再沸騰するのを感じながらフロアーの案内板を見る。

血塗れの人や足がひしゃげた人をさりげなく避ける。

幻覚と分かっていても気持ち悪い事に変わりはない。

俺はグロは苦手なんだ。


「ゴホッ、ゲホッ」


 ようやく辿り着いた呼吸器科の待ち合い室。

やはり人は多い。

なんとか一人分空いてるソファーを見つけて座ることが出来た。

この状態で立って待つのはしんどいから助かった。


「ゴホッ」


 やはりおかしい。

ここは呼吸器科・循環器科の待ち合い室のはずである。

それなのに、いるのだ。

ちらほらと。

血を流している奴や、外傷こそ見当たらないが、服に血を付けている奴が。


 彼らは俺の幻覚の筈なのに他の患者からも避けられているように見える。

まるで本当にそこにいるように。

まるで互いにぶつかったりしないよう気遣いあっているかのように。


「ゲホッ、ん゛んっ」


 喉が熱くて痛い。

体も怠いし重いし、とにかく辛い。

早く順番呼ばれないかな。

俺は確か……348番か。

まだまだ時間がかかりそうだ。


「……っ!」


 ふっ、と視界に影が映る。

誰かが俺の前に立ったのだ。

黒いスラックスと年季の入った革靴が見える。

驚きのあまり息が止まったが、顔を上げる勇気はなかった。


 その人物は足元に大きな血溜まりを作っていたのだ。


「んぐ、ゴホッ」


 普通に怖い。

一体何なんだ、この出血量は!?

怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!


 どれ位そうしていただろうか──

体感的には凄く長い時間に感じたが、実際はそうでもなかったかもしれない。


 目の前の人物は何かを諦めたかのように深いため息を吐き、フラフラと覚束ない足取りで離れていく。

本当に何なんだ。


 勇気を出してチラリと目で追うと、胸から出血しているオッサンが三十代位の女性に席を譲って貰っているのが確認できた。

……嘘だろ。

もしかしてあのオッサン、座りたかっただけ?

俺が席を譲らないから別の人の所に行っただけ?


 出血しているオッサンに興味など無さげに、女性は平然と壁に寄りかかって立っている。

何が何だかわからない。


 ピンポーン


「次の方どうぞー」


 混乱している内に大分時間が経っていたらしい。

いつの間にかモニターには348番と表示されていた。

あぁ、俺の番だ。


「ゴホッ、ケホッ」


 重い腰を上げる。

診察室のスライド扉を開けると、白髪混じりの男の医師がパソコンの前に座っていた。

五十代位だろうか。

医師はパソコン画面を見つめたままこちらには一瞥もくれずに話を進める。


「今日はどうされました?」


「……コホッ、ゲホ」


 喉元を指して首を振ると医師はようやくチラリとこちらを向いた。

目が合ったと思った瞬間、俺は急に言い様のない不安に襲われ、ブルリと体が震える。


「あぁ、喉が痛いって書いてありますしねぇ。声も出ないんですか」


 こくり、と頷く。

それしか出来ない。

何故だか分からないが、目の前のこの医師がとてつもなく恐ろしいのだ。


 彼は本当に俺を見ているのだろうか。

いや、違う。

彼は、俺の何を見ているのだろうか──


「確かに痛そうですねぇ。因みにその症状はいつからですか?」


 覚えていない。

問診票にも「ちょっと前から」なんて漠然とした記入をした位だ。

首を傾げると医師は怒るでも困るでもなく、ただ笑った。


「覚えてないですか? あ、ではどうしてそうなったのか、心当たりはありますか?」


 どうして?

風邪の心当たりなんて、どうせ大した事ではないだろう。

濡れたまま過ごしたとか、季節の変わり目とか、誰かにうつされたとか……


……誰か?

そういえば風邪を引く前に、誰かに会った気がする。

誰だっけ……


……確か……あぁ、そうだ。

彼女に会いに行ったんだ。

久しぶりに、愛しの彼女に会ったんだ。


 その後すぐ、喉が痛くなったんだった。

そうか。

この風邪は彼女にうつされたものだったか。

なんで今の今まで忘れてたんだろう。


「ゴホッ、ゲホッ」


 そう考えたら、この風邪も悪い気はしない。

むしろ彼女の身体の中を巡った風邪菌が俺の中にいると考えるだけでむず痒さすら覚える。


 とりあえず渡された紙とペンで「彼女にうつされました」とだけ書き込み、医師に見せる。

いやぁ、俺、めちゃくちゃ可愛い彼女いるんですよ。

……なーんて、とても口には出せないが、少し誇らしいので姿勢を正しておく。

こんな中年の医者に自慢した気になるのも変な話だが。


「ケホ、ゴフッ」


 医師は何を勘違いしたのか「辛いなら無理して話さなくて大丈夫ですよー」などと話している。

それは良いから、早く診察してくれ。

そして薬の説明もしてくれ。


 しかし医師は俺の両耳の下を両手で軽く触っただけで何もしない。

普通、口を開けて喉の奥を見たりするもんじゃないのか?

もしかしてこいつ、ヤブ医者?


「うーん。ちょっと宜しくない状態だねぇ」


 まじかよ。

何を根拠にそう判断したんだ。

俺の疑惑の眼差しに気付いたかは定かではないが、医師は眉間に皺を刻み、キーボードに文字を打ち込んでいく。


 一体何が「宜しくない」のか、全く分からない。

俺は少しだけ身を乗り出してパソコン画面を覗き込んだ。


──自覚なし。


──記憶の混濁と改変の兆しあり。


 なんだこれ?

自覚? 記憶? 何の話だ?


「フジワラさんは、どの程度の改善を希望されますか?」


「? コホ、ゲフッ」


 そんなの、完治に決まってるじゃないか。

そう紙に書き込むと、医師は「そうですか」と大して興味無さげにマウスをカチカチ操作している。


──刃物による外傷。


 場違いかつ不穏な一文が目に止まり、背筋が凍る。

これは本当にカルテか──?


 ドクドクと全身の血流が巡る音がする。

額から噴き出す汗は、痛みによる物なのだろうか──

医師は淡々とした態度を崩さずキーボードを叩く。


「フジワラさんは、最近鏡を見ました?」


 いよいよ話が読めなくなった。

何故ここで鏡が出てくる。

医師の指示に従い、若い女性看護師がサッと丸い手鏡を差し出してきた。


 医師の「ちょっとびっくりするかもしれませんが、大丈夫ですからねー」という言葉と、俺が鏡に写る自分の姿を捉えるのはほぼ同時だった。


「っ……ゴホッ!?」



 俺の喉が裂けて血が出て喉が裂けのどがクッパリとノドが裂け裂けてる痛裂けている血が出でる流れ血か血が血血血がいっぱい血がが血いっぱい流れて喉喉が裂けて血が痛い流れいっぱい血が痛い痛いノド痛い痛いぃいいたい──!


 ガシャンと鏡を落とし、震える手で首を押さえる。

ヌチャリ──

嫌な音と共に右手がヌルリと濡れた。


 俺の声にならない悲鳴が嫌に遠く感じる。



 そうだ


 俺 彼女に会いに行って


 知らな  男に 邪魔 邪 魔さ れ


 包丁で 首 切り られ た



 あ ぁ


 思い 出 しあ


 こ  れ 治らな い 帰 ろ







 ピンポーン


「次の方、どうぞー」



────────────────



 七月……日未明、…………北区のマンションで一人暮らしをしていた二十代の女性の部屋に刃物を持った男が押……入り、その場に居合わせた女性の友人男性と揉み合いに…………た末、押し入った男が死亡しま……た。


 女性とその友……男性は軽傷でどち……も男との面識は無かっ……との事です。


 被害に……た女性は以前からストーカーによる被害を警察に届け……おり、警察は周…………警戒中……たと…………ます。


 次のニュースです……

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― 新着の感想 ―
[良い点] フラストレーションの塊の様な主人公というのは感情移入しにくく好かれないものですが、最後で腑に落ちるというのがいいですね。『あ~こういう奴だったのね』と。
[良い点] コミカルなのにめちゃくちゃ怖い! 特に最後のニュース、「えぇぇぇぇそういうこと?!」でしたよ。 そして、読みごたえ充分で面白かったです♪
2019/07/31 18:37 退会済み
管理
[一言] 夏のホラーから来ました 途中で主人公幽霊オチが読めて最後どう締めるかなぁと思ったんですが、最後のニュースに思わず「お前彼氏やなくてストーカーやったんかい!」ってツッコんじゃいました 普通…
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