お題「豆腐、お父さん、好きな人」
私は豆腐が嫌いだ。
なんでかというと、母が父のことを豆腐みたいな人と言うからだ。
それに母は豆腐が嫌いだという。なんでも味のしない豆腐は食べた気がしないからと。ということは、母は父のことを味気のない人と見ているらしい。
けれど父はそんなことはない楽しい人だ。確かに普段の父はあまり言葉数が多い人ではないし物静かだ。なので、そのままだと味気ないと思われてもしょうがない。だけど好きなものが同じだからなのか、私との会話はとても盛り上がる。テンションがめっぽう上がるというわけではないが、普段の大人しめの父にしては饒舌になっている。だから父と話しているのは楽しくて、とても良い親子関係だと思っている。このことを友達に話すと不思議がられるけど、男子が好きそうなものが私の趣味なものなのだからそれはしょうがない。
一方で母は私たちの趣味には全く興味を示すことがない。母はとても女性らしい人で、一人っ子の私に対して女の子らしい趣味を見つけなさいと言ってくることもある。一応、それっぽい趣味はあるけど、それは友達との話に合わせられるようにやっているだけなので、趣味と言われると首を傾げてしまう。
お夕飯の後に私と父が白熱した盛り上がり――といっても饒舌になるくらい小さなテンションの上がりよう――を見せていると、いつも母はつまらなさそうに頬杖をついて私達を眺めながらお茶をすすっている。そして眺めるのに飽きたかのように視線をテレビへと移すのだ。
母は父のことを面白い人とは思っていないみたいだ。それは何もかけてない豆腐のように味気のない人ともいいたそうに。
だけどそもそも豆腐というのは醤油とか味ぽんとかキムチとか何かと合わせて食べるものであって、そのまま食べるものではない。つまりは母が父という豆腐をうまく調理できていないのがいけないんだと私は思っている。
だけど、そんな風に考えているのは私だけで、考えが浅はかだったのを思い知らせる出来事があった。
ある日のこと。父の帰りが遅く、私と母だけでお夕飯を済ませて、部屋に戻らずテレビをぼーっと眺め食後のリラックスタイムを満喫していると、ガチャリと玄関を開く音が聞こえた。父が帰ってきたみたいだ。
母がお夕飯の準備をしている最中に、父から仕事が急に忙しくなって帰りが遅くなる連絡を受けてからというものの若干不機嫌気味の母だったが、なんだかんだいそいそと玄関に歩みを進めて父を出迎えにいった。
そして、いつもなら父が先に玄関に入ってくるのだけど、先に戻ってきたのは少し大きめの白いビニール袋をニコニコ顔にして上機嫌な母だった。そのままキッチンにある冷蔵庫にまっすぐ向かって、ガサガサと音を立てたと思ったらバタンと冷蔵庫を閉める音が聞こえた。どうやらビニール袋の中身を移したみたいだ。
それからというものの父の相手を気分良く応対する母は少し気味が悪かった。普段はハイハイみたいな感じで、良いとも悪いとも言えないそっけない対応でいるのに、今回だけは初めて見るような母の姿だった。
その後、父は玄関から廊下に出ていくと、しばらくしてお風呂場から大量の水が床にぶつかるような音を響かせた。父はどうやらすぐにお風呂にいくタイプみたいだ。ちなみに私はご飯が先で、お風呂はゆっくり入るのである。
父が入浴している間に、母はこれまた上機嫌に父のためのお夕飯を準備していた。鼻歌まじりだったのは聞かなかったことにしたい。
食卓にどんどんと献立が並んでいくが、その中に一つだけ見慣れないものがあった。それはネギと生姜が頭に添えられた豆腐がよそわれた皿、いわゆる冷奴が、なぜか二つある光景だ。すでに食事を済ました私には不要なので、二つあるのは奇妙である。小腹が空いていたのは確かなので、片方は私のかと思って手を伸ばそうとしたら「それあんたのじゃないからね!」とすごい剣幕で釘を刺された。
その豆腐をよくよく見てみると、いつもとは違って長方形の如何にも豆腐という形ではなく、円柱を崩したような不格好な真っ白い豆腐だった。色艶はいつも見ている安い豆腐とは比べ物にならないもので、いかにも値段が張りそうなものに見えた。
私がジロジロと豆腐を観察していると、お風呂から上がった父がタオルで頭をガシガシと拭きながら玄関に入ってきた。
「お前がこの時間にここに居るなんて珍しいな。いや、初めてか?」
「あ、うん。テレビ見てたら部屋に戻りそびれちゃって。そしたらお父さんが帰ってきたの」
いつもの私ならもう部屋に戻ってうだうだと過ごし、気が向いた時に布団に入るという適当な時間を過ごしているので、こうやって夜中に父と相対するのは初めてのことだ。
そうかと一言返事すると、父は食卓のいつもの椅子の場所に座った。そして、父が来るのを察したかのように食卓の上にホカホカのご飯とお味噌汁の入ったお椀が置かれる。これはお夕飯のときにみた光景と瓜二つだが、唯一違うのは豆腐の存在だ。そして最後になにかラベルのついた透明な瓶が一つと、二つの空のグラスが置かれる。
父は食前の挨拶を終えると、箸を手にとってご飯を一口食べてからおかずへと箸を伸ばして食事を始めた。その傍らで母は漢字のラベルが貼られた酒瓶を空のグラスに向かって傾けると透明な液体を注ぎ込んでいた。そのグラスの一つを父のもとに、もう一つを母自身の手元に置くと、豆腐とグラスのセットを目の前に手のひらを合わせて一言つぶやいた。
「いただきまーす♪」
その声は明るく、いかにも上機嫌なのが丸わかりだ。
母は豆腐に醤油を垂らしてから箸を手にとり、恐る恐る箸で豆腐をはさんで口の中に運んだ。もぐもぐと何度か咀嚼すると、透明の液体が入ったグラスを口につけて、ゆっくりと傾けた。ふーっとため息をつくと満足げな表情をしたと思ったら、かすかにアルコールの香りが鼻をかすめる。
「へー、お母さんがお酒飲むなんて珍しいね。それに豆腐だって食べてるし」
「母さんは、その豆腐が好きだからなぁ」
父がそう言うと、私の質問に意を介さぬまま母は豆腐で舌鼓を打っている。その顔はとても嬉しそうだ。こんな母は今までに見たことがない。
「どういうこと?」
「あぁ、母さんは豆腐嫌いというわけではないんだ。ただ安い豆腐が嫌いってだけでな。俺は冷奴であれば大体なんでもいけるのだが……」
そう言うと母がキッとした表情で父に目線を移すと、少し猫なで声が混じったような絡み方を始めた。顔はすでに赤い。
「だってぇ。お父さんは~。冷奴ならなんでも食べちゃうんだもん~」
正直、こんな母は見たくなかったが、これはこれで面白い。酔ってる人は記憶をなくすか残すかするらしいけど、母はどっちなのだろうか。明日、顔を合わせるのが楽しみだ。
「そして酒にめっぽう弱い。これを食べるときは酒も嗜むんだが毎度こうやって絡んでくるんだよ」
あははと苦笑を漏らすが、その表情は幸せそうな顔だった。まさか両親が夜な夜なこんなことをして親睦を深めていたなんて全く知らなかった。といってもこの時間は、すでにベッドの中で携帯をいじっているような時間帯だから知る由もないのだが。
「母さんっていつもこうやって絡んでくるの?」
「うーん、そうだな、だいたいいつもこんな感じだ」
「ねぇー。二人して何話してるの~? ママをぼっちにしないで~」
まさか母の正体が甘えたがりだとは思わなかった。いつも私や父さんにあーだこーだ言ってる割に、意外と中身は寂しがり屋のようだ。
「はー、このお豆腐はおいしいねー……」
そう満足げな表情で目の前の豆腐を食べているかと思っていたら、突然涙ぐんで愚痴をこぼし始めた。
「お父さんはね。安くても高くても冷奴なら何でも食べちゃうの。どれもおいしそうに。……それじゃあつまんない! やれることなんて新鮮な生姜とネギを刻んで乗っけるくらいなんだもん! こんなの料理っていわない!」
「いやー、だって冷奴はおいしいし……」
「知らない!」
頬を膨らませながらかわいこぶったような口調は一旦気にしないでおくとして、なるほど、そういうことだったのか。
母の普段の豆腐嫌いがわかった気がする。つまり父に手料理を振る舞ってあげたいが、肝心の好物が冷奴というすごく単純なものなので、母の料理の腕が入る余地がほとんどなく悔しい思いをしているということか。
ということは豆腐に嫉妬していると……?
「え、母さん、もしかして豆腐に嫉妬してるの?」
「ふんだ!」
ふんだ、じゃないわ。いい年してふんだってなんだ! しかも娘に向かって!
父はそんな母の姿を見てさっきと変わらず苦笑が止まらないようだ。あー、いや、これは苦笑じゃない。ニヤけ面だ。
この両親はなんだってんだ。娘の前でいちゃこらしてんじゃない!
これはもう明日の朝に母をいじりにいじり尽くしてストレスを発散するしかないな。そうしよう。うん、そうしよう。
そんなやりとりをしているうちに、母の目の前にある皿とグラスは空っぽになっていた。
すでに何を喋っているのかわからないが、とにかく父のどこが好きなのかを洗い浚いに喋り始め語り尽くし、私はなんとも言えない気持ちになっていた。
「ほら、母さん。そろそろ寝室にいこう。ちょっと酔い過ぎだよ」
「あ~? まりゃ、飲み足りにゃぃのぉ……!」
「はいはい、今度ね。はぁ、一杯しか飲んでないのになぁ……」
もう目も当てられない光景だった。
これがあの母? 動画に収めておけば怒られたときの反論材料になるんじゃないか?
そう思ってスマホを取り出し動画を撮ろうとしたら、さすがに父に止められた。
ぐでんぐでんになった母は自力では立てないようで、母は父に運ぶようにおねだりし始めた。すると、父はため息をつきながらも母をお姫様だっこをして寝室へと連行していった。
そんな複雑な気持ちにならざるを得ない場面に遭遇してしまった私は、無心で就寝前の日課をした後、台所で一杯だけ水を飲んで自室へと向かい、そのまま就寝した。
翌朝、頭が痛いと言いながら起きてきた母に対して昨晩のことを問いただすと、不安がった表情で「何かあった……?」と聞いてきたのであることないこと吹き込んでおいた。
その後、朝食が出てこなかったのは言わずもがなである。