無職であるはずの先祖
内田孝洋は、眼鏡をかけた、ガリ勉のガリのホモだった。
もちろんオナニーをするが、射精直前になると、罪悪感が生じた。
なぜなら内田孝洋が観ていたポルノビデオは、
普通のポルノビデオで男が女を虜に
するもので、とりわけノーマルのものだった。
少なくとも内田孝洋の目にはそう映っていた。
ガリ勉のガリのホモである内田孝洋にとって、
それは許されないことだった。
神は
それを許さなかった。
「お前は、アブノーマルなのだろう?」
「はい、私は、アブノーマルです・・・」
「では何故、普通のポルノビデオを観て、オナニーをする?」
「はい・・・それは・・それは、何故かと言うと、
ガリ勉のガリである僕は・・僕は・・その・・デブで頭が悪い・・
眼鏡をかけていない、
若林諒で・・オナニーしなければいけない事は、解ってます。
最初から・・最後までです・・。」
「そうだろう?」
「はい、、でも若林諒は、普通のデブのクラスメイトで、
ポルノビデオなんかには出てません。多分・・。
若林諒は、たまに、もっさりしていて、
伸び放題になったコケの塊のような髪の毛
を切って、坊主にします。」
内田孝洋の言うことは真実だった。
若林諒は、ごくたまに、ぼさぼさに伸び放題の髪を切って、坊主にした。
そしてごくたまに、眼鏡をかけた。
多くのオタクが好むような、レンズが楕円形に加工されたもので、
耳にひっかける部分の金属には、首にかけて紐がついていて、
おばさんが使うような代物だった。
眼鏡をかけて、坊主になっても、若林諒は相変わらず、太っていた。
内田孝洋は、射精直前、若林諒の姿を思い浮かべていた。
罪悪感に対処するためだが、
感極まった内田孝洋の目に、若林諒は、修行僧のよう
な姿をした人物に見えていた。
「意味が解らないな」
「はあ、すみません」
「お前は、アブノーマルだろう?」
「はい、私は、アブノーマルです。」
「太った男に、興奮するのか?」
「いえ、違います。」
内田孝洋の言うことは真実だった。
内田孝洋は、太った男に興奮しているわけではなかった。
ごく当たり前のように、ポルノビデオを観て、オナニーをしていた。
内容はごく普通のもので、男が女を手篭めにしていた。
太った男が出てこないわけではなかったが、脇役程度のもので、特別興奮を誘うよ
うなものではないはずだ。
「しかし、お前は、射精する直前、若林諒の事を考えていた。」
「はい、でもそれは・・」
「何故、最初から考えないのか?私は正直である事を求めている。」
神は、内田孝洋の罪を許さなかった。
神は、人間に正直である事や忠節を尽くす事、誠実である事を求めていた。
神は、心変わりを許さなかった。
「お前の罪の故、
私はお前に、
お前が性的絶頂を迎える度に、
若林諒が、
お前の目の前に出現するという、
謎の呪いをお前の上に下す。
この病は、お前の魂をひどく、苦しめるだろう。」
神は、内田孝洋の魂に罰を下した。
その処断は、内田孝洋の自意識を苦しめた。
内田孝洋にとって、オナニーは生きがいだった。
自意識を開放する手段として、
オナニーは、
内田孝洋の心の中に存在していた。
罪悪感の故に、ふと、若林諒が出現することはあったが、
それは内田孝洋の意思によるもので、
神が下した呪いの様に、自然発生的に登場するものではないはずだった。
父なる神が下した裁きに、内田孝洋は、ひどく心を痛めた。
その夜、内田孝洋は、旅に出る事を決意した。
街の外に出ることは初めてだった。
そしてその直前、やっておかなければいけない、
最後の仕事の様に、父の銃を手に取り、
父に銃口を向け、父に照準を合わせ、
引き金を引いて、父を殺した。
父の遺品を片手に、内田孝洋は街を出た。
その朝は奇しくも、
内田孝洋が15歳の誕生日を迎えるはずだった、朝の出来事だった。
ワイヤードの神
中根は正直だった。中根はそれだからこそ、「考える人」だった。
中根は大事な事を聞かれると、黙った。
中根は、恥ずかしがり屋だったのである。
中根はみんなの前で、先生に名指しされる事をひどく、嫌がった。
それにも拘らず、先生は、みんなの前で中根を名指した。
みんなの注目を浴びて、恥ずかしくなって押し黙る中根を、先生は笑った。
クラスのみんなも、つられて笑っていた。
先生は強かったのである。
先生を恨んでいた中根は、先生を殺すことにした。
しかし中根には、先生を殺すために必要な力は無かったので、
誰かに頼む事にした。
ワイヤードの神であるヤマサワが近くにいたので、彼に頼むことにした。
ヤマサワは先生を殺した。
先生はワイヤードの、途方も無い、
ほとんど無尽蔵に存在する電子で構成された海の中で、
半永久的に彷徨い、溺れる事になった。
中根の願いはかなった。
しかし、その時、ワイヤードの神であるヤマサワは中根にある要求をした。
先生をワイヤードの、数限り無い、
殆ど無限に近い様な、電気信号の海の中で、
半永久的に彷徨い歩かせる結果となった代償を、中根に求めた。
中根は小学生にしては珍しく、鼻の下にひげが生えた。
ひげといっても、産毛の様なレベルのものだが、
かなり密集度が高かったために、遠目で見た場合に、ひげとして成立した。
これから体の成長に伴って、ひげは濃さを増していくだろう。
硬く、縮れてもくるかもしれない。ひげ剃りを使う必要も出てくるだろう。
そして、鼻の下にひげが生えたことで、
中根は、成長期の体の変化に伴って表れてくる、
思春期特有の感情、とまどいと高揚感と心の痛みを一足早く、
経験する事になった。
この世界のどこかにある、嘘つき達の会堂
何故僕達は、うそをつくのだろう?
嘯く必要性に身を感化されながら、自然の営みに身をゆだね、
ただあるがままに、自身の身の上に起きた出来事を回想する。
星空の輝きに目をたむけながら、目の前に広がる、あての無い、
膨大な時間に足がすくむ。
いつか何処かで出会った、顔も名前も思い出すことのできない、
人間との出会いに、運命の偶然性と必然性に、賞賛と驚きを口にしながら、
酒をなめる。
先人たちが築いてきた時代の礎に、今ある自分の足跡を重ね合わせる。
道中一休みの折、心の謀りを語り合える仲間がいる事は、とても嬉しい。
大空にある虚空の月と、すっぽんのように小さな自分の存在を見比べる。
夜桜が醸し出す、一瞬の怪しい青い光に身を躍らせながら、
煌く星と大空に惑う無数の小さな光たち。
広漠とした夜の砂漠と、そこに野営する、ちらほらと見える旅人たち。
夜の旅人たち。
焚き火を囲んで食物を取りながら、語らいあうさすらい人達。
自分達の眼前に待ち受ける、先の見えない、
恐れと不安に満ちた、旅路への対処の仕方を
お互い話し合った。夜が更けるまで、音楽を交えながら、夜の闇を打ち消し、燃え
盛る陽炎が姿を表す、朝になるまで。
そして、彼は、山下は、オナニーをした。
山下は「現存在」という言葉に、心を奪われていた。
山下は「コロニアル」という言葉も好きで、よく一人で唱えたりしていた。
「コロニアル」とはつまり、
屋根の建材の一種だが、山下はこの建材に付いている
名前の響きが気に入っていた。
山下は背が小さく、小人だった。
しかし性欲は人一倍強く、余りある力を満たすため、仕事に人一倍精を出した。
そのため、金に困る事は無く、よく歓楽街へ出かけていって、
放蕩湯尽を繰り返した。
山下は背が小さかったので、
遠目で観ると、小学生が夜の街を出歩いているように
も見えた。
山下には子供が2人いたが、
長男はデブで、次男は知能障害を患っていた。
2人ともクラスの大縄跳びではいつも最初に引っかかり、
クラスの足を引っ張った。
山下は嘆いた。
山下は神と世界の真実を確かめるために、宗教や哲学を学んだ。
よく一人で哲学的な思索を繰り返しては、難しい顔をして煙草を飲んだ。
そうして時間を潰しているる間は、
自分が小人である事や、
2人の息子達の出来が悪い事などは、
取るに足りない無い事として、
山下の頭を悩ませることは無かった。
長くて暗い、暗闇が支配する夜の森のような、
重く鬱屈とした、宗教的または哲学的瞑想の末に山下が辿り着き、
自分の信じるに値すると認めたポリシーとは、
ある種の歪曲した運命論だった。
自分が望むか望まざるかに関わらず、
世界や人の運命は変わらない。
信じていなくても、アッシリアの兵士18万5千人は、
天使に撃ち殺され、イナゴの群れはエジプトの上に下るし、
山下の背は普通と比べて小さいし、
息子達は、大縄跳びで最初に引っかかるという事だ。
オタク文化にも造詣の深かった山下が思い描く天使のビジュアルは、
勿論、アニメ風イラストの美少女で、
手には日本刀、柄の先には千切れた鎖、
といった具合にとんとん拍子だった。
自身のコンプレックスを打ち消すために、
山下が選んだ世界観と思想とは、
自身の歪んだ幼少期の体験と記憶を思い出す助けとなった。
母親は山下が5歳のときに離婚して、
山下を連れて、
母親の彼氏である内山という名の男の下で共同生活を始める事になった。
内山は坊主で髭を生やしており、太っていて、
脂っこいものをよく好んで食べたが、
根は優しく、山下にも優しかったため、
山下は内山の事を「内山君」と呼んで、仲睦まじくしていた。
内山君に特別おかしな振る舞いは見られなかったが、
夜になると時折、
内山君はアパートのベランダの上に身を乗り出し、射精した。
住んでいたアパートは4階に当たるため、
射出された精液は、下に止まっている、
入居者の駐車場の駐車スペースにまで、
飛距離を伸ばし、車のボディを汚した。
ある時は、車のガラス部分にまで飛散した事もあったが、
鳥の糞か何かと間違われたらしく、問題になる事は無かった。
山下は子供ながら、一部始終を監視していて、
内山君に問い質すこともできたが、内山君を攻めるようで、
気が引けたため一連の出来事は、山下の幼少時代の避け難い、
天候不順で、遠足が中止になるぐらいのレベルの不愉快な出来事として、
山下の記憶の中に封印された。
山下がコンプレックスを抱えている事は明らかだった。
山下が悲惨な幼少期を過ごしていたというには、
ことのほか役者が不足していた。
山下は父に捨てられ、
それに伴う苦労を強いられる事は、父の意思でもあったが、
同時に、心のどこかでは、自らが望んでみた結果で、
自らの意思でもあった。
自らが、
「世界の創生に関わったとされる一族の末裔」である事は、
山下自身の認めるところでもあった。
他者から見れば、不可解でも、
山下にとって見れば、世界の起源や真理について、
心の惑うままに思いを巡らし、邂逅する時間は、
貴重な夜のひと時として、人生の一ページを彩っていた。
現実の、背が小さくて、いやらしくて、
幼少期に親父に捨てられ、
代わりの父親が温厚なデブの内山君だった山下は、
もう消えていた。
思いを巡らして夢想する時間は、いわば山下にとって、
食事を控えて体の毒を抜く「断食」であり、瞑想。
宗教的体験を伴わない瞑想であり、日常の悩みを忘れ、
明日への英気を養うためのもので、安眠のための理由を、
自身で探り出すための時間だった。山下の眠りは捗った。
夢の中で、世界三大無職の一人、下川に会って、会話をした。
会話といっても他愛の無い物で、
高尚な事柄を追い求めていた山下にとって、
鼻くそをほじる時間よりも収穫の無い、
戯言同然の内容だったが、山下は嬉しかった。
中卒である山下にとって、
世界とは、
中学時代までの人間関係をさしており、
実りある人間的で、豊かな感情的素養を形作っていた、
最後の時代だった。
大人になって社会生活を始めてからも、人に感化されたり、
感動を共有したりする事ができなかった訳でもないが、
道路標識や信号に反応して、
立ち止まったり歩き出したりするのと大差無く、
可も不可も無いといえば、それまでであった。
中学時代までは、山下は夢を見ていた。
身長だって、まだ伸びる余地を残していた。
高校に上がって、
爆発的に伸びる人もいるという話も耳にしていたし、
夢で出会った下川も、出来が悪く、不登校になっていて、
その頃より将来、無職に為り得る人物の一人として、
片鱗をチラつかせてはいたが、いわば不確定事項であり、
おおよそ道の修正が可能である時期でもあった。
誰しも、思い悩む必要などなかった。中学時代は山下にとって、
夢を現実に思い描く事のできた、最後の砦、
陥落を目前に控えた、最後の砦であった。
山下は夢から醒めた。時刻は、夜中の零時を半ば過ぎた頃であった。
山下はベランダに出て空を見上げ、煙草に火をつけた。
空にはいくつかの星が瞬いていて、山下の目を潤した。
住まいは、都市部から多少遠のいた田舎に居を構えていたので、
星がよく見えた。輝く星を見て、
少年時代に、少年自然の家で見たプラネタリウムの事を思い出した。
「綺麗だな・・」
難しい神話の事は解らないが、古来より何千年何万年と、
光を放ち続ける星の存在は、
少年時代の純真な山下の心を掴むには十分な代物だった。
山下は男性器の事を考えていた。
無論、無意識の世界では考えていない時間は無いに等しかったが、
意識してイメージするのは久しぶりの事で、
こんなにもすんなりイメージできたのは、本当に久しぶりのことで、
山下自身驚いていた。
初めて男性器が、
排泄と快感を司る器官である事を知るようになったのは、
山下が小学1年生の時分の頃であった。
その頃に出会ったクラスメイトに、
中根という名のクラスメイトがいたが、中根は眼鏡をかけていて、
髪型はおかっぱで、体系はやせ気味の、
勉強ができるガリ勉タイプの優等生だったが、
中根は給食当番のご飯係を担当していて、
その時中根は、給仕の最中に小便を漏らしてしまった。
その時中根は、恥ずかしさと動揺からか、涙を流していた。
不安を隠すために唇を触って、精神的にはちょうど、
口唇期を抜けるか否かの瀬戸際だったが、
中根が小便を漏らしたという事実は、
時を待たずして周囲に明るみとなり、
興味本位で騒ぎ立てるクラスメイトで、周囲は騒然となった。
中根の目には涙が光っていた。
表情は険しく、同時に涙が溢れていた。
中根は気恥ずかしさから、涙を流していた。
野外露出の癖をその頃持ち合わせていたわけではない。
多くの小学生男児がそうである様に、
中根にとってペニスは、立小便に便利な奇妙な突起物として、
中根の体に備わった排泄器官であり、
快感を生み出すものではないはずだった。
小学校入学式前夜に、緊張と未来への期待感から、
朝立ちを経験する事はあったが、夢精を伴うものではなく、
特別な性知識を持ち合わせていない中根にとって、
たまに見かける野性の子猫ぐらいの珍しい光景で、
微笑ましくもあり、性的高揚感とは無縁の、
朝顔が花開くのと大差が無い、肉体に訪れた無遠慮な客人の様に、
困惑めいた考えを多少残しながらも、
無害な通り雨の出来事の様に中根の気に触るものではなかった。
客人をもてなし、丁重に扱った。
しかし中根は、小便を漏らしてしまった。
時と場所を違えてもなお、
中根のペニスからは小便が溢れ出していた。
中根は困惑していた、困惑して混乱していた。
中根は過去の経験から、
小便とは意識的に小便器の中に排泄するもので、
ちょうど春の気まぐれな通り雨のように、自然発生的に、
殆ど無意識の領域で、隻を切ったように、
漏出させるものではない事は理解していた。
少なくとも頭の中では、そう理解していた。
弁明と謝辞のための言葉を、
自分のために頭の中で必死に練りだしてみた中根であったが、
うまく状況を説明することはできなかった。
周囲の生徒や担任の教師に謝りたかった。
迷惑をかけてしまった事を考えると、
申し訳無い気持ちでいっぱいになった。
母親にも謝りたい気持ちになった。
幻の中に母が現れ、中根を慰めた。
ブリーフと体操着は、自身の漏出物で生暖かく濡れ、
世界が生み出した偉大な元素の内の一つを、
不本意ながら感じていた。
母親の懐に抱かれ、中根は自分がまだ生まれたばかりで、
母の乳房を吸って育った赤子の時期に感じていた安心感を、
再び思い出すに至った。
「母さん、俺・・・」
「いいの、何も気にすることは無いわ」
中根は母に泣きながら謝ったが、母は何も気にする事は無いと、
優しく抱きしめてくれた。
母の偉大さと、愚かなでちっぽけな自分を重ね合わせて、
中根はさらに申し訳ない気持ちと安心感のせめぎ合いで、
さらに涙が零れた。
「母さん、俺、初めての学校生活で、
緊張していたんだ・・給食当番も初めてだったし、
それで、こんな事に・・」
「いいのよ、きっと、異なる世界線のうちの一つが、
偶然、身に降り掛かったのよ。
世界の結末は、無数の枝の様に枝分かれしていて、
たまたま不幸な偶然が重なり合っただけよ。
世界は、ビジョンの再生のために動いているわ。
あなたは何も悪くないの。
少しばかり不幸な偶然が、重なっただけなのよ。」
母の言う事は、少しばかり難しくて、
言ってる意味が理解できなかったが、
中根は母の温もりに癒されていた。
中根の周囲を取り巻くニューエイジ的発想や、
実の兄を虜にしていたエロゲーの魔の手からは、
少なくともこの時は自由にされていた。
山下は祭りに先駆けて、射精した。
祭りの期間の前には、喪に服するものなのだ。
祭司としての役割を担ってもいる山下は、
清潔でいるため、また清く貞潔でいるために、
精液を射出し、熱いシャワーを浴びて、
布団を被って床に就き、もう一度眠りにつくことにした。
昔のクラスメイトである中根の、覚醒体験を詳述する等して、
回想する事は山下の心と体をひどく疲れさせた。
今世界中で中根の事を考えているのは、
自分独りだけだという事実に、山下は困惑した。
困惑もするが、ある種の動物的直感が働いてもいたのだろう。
動じる必要もなかったし、解り切った事だ、
中根が小便を漏らしたことを、
今この瞬間、この世界で、この時間帯に思い出している、
物好きな奴は、多分自分だけだという事が。
心の中で呟くとも、毒ずくとも言えない独り言を、山下はしていた。
自分はもしかすると、ホモセクシャルなのだろうか?
しかもかなり特殊なタイプの。
性的マイノリティの中でも、極少数の人口比率からしか、
共感を得られないパターンとして生きていくのだろうか?
あるいは、そう生まれついていて、
避け難い不運な交通事故や自然災害の様に、とりわけ残念な方のくじ運が、
自分のほうに向かって流れ着いているという結果なのだろうか?
山下は悩んだ。
このままでは、NHKでたまにやる、
性的マイノリティーに悩む人達が出演する、
トーク番組に、多分自分が出れないだろうという事に、悩んだ。
心配して、心配りをした。ホモセクシャルであるならば、
周りの共感や理解を得やすいタイプの
ホモセクシャルにならなければいけない、
そういう不気味であざとい考えから、
山下は自分の人生設計を練り直し、
プランニングをもう一度、真剣に鑑みることにした。
そうして思念の街道を巡り歩いていると、
目の前に若林諒が現れた。
若林諒は山下にとって、中学時代のデブのクラスメイトであり、
当時から体臭が臭く、異臭を放っていて、
周りを困惑させていたが、案の定今回も、臭かった。
しかも、数段レベルアップしている様に、山下は感じていた。
自分の美化された、
記憶の会堂を練り歩くのが得意であるはずの山下にとって
この事実は、恐怖と混乱のための材料となり、
歩みを止めて迂回するための、良いきっかけとなった。
道端に、犬の糞が転がって落ちている場合に人は、
障害物を避けて通り、犬の糞を踏まないように、
必要最低限の努力を払うだろう。
若林諒は体臭が臭く、
よく見ると体の色は、どす黒く、茶色だった。
焼け焦げてしまった自家製のパンや夏休みの間中、
外で遊びまくって日焼けした小学生の様に、こんがりともしていた。
異様な体臭と体色から、山下の目に若林諒は、
そそり立つ巨大な大便のように見えた。
ぼっとん便所に溜まった便を、
一年ぐらい回収せずにそのままにしておくと、
ちょうどこれぐらいの背丈にまで積み上がるかもしれない、
山下はそんな事を考えていた。
「早く消えてくれ・・・」
山しては心の中で念じた。
その時の心境は、人生で始めて金縛りに合い、
枕元に立つ先祖の霊を、恐れ戦いて徐霊したいと願っている女学生と、
割と近い心持だった。山下は必死だった。
山下にとって思考やイメージとは、
自分の意思でコントロールするもので、
湯飲みに立つ茶柱や壮年期に差し掛かったペニスの様に、
気まぐれなものではない筈だった。
山下は念じ続けた。
すると若林諒が消える代わりに、若林諒の隣に若林諒の母親が現れた。
若林諒本体に比べて、匂いは事のほか少なかった。
髪型はアフロをポニーテルに纏めた様な、
縮れ毛で、髪質はというと柔らかい感じがした。
体色は、若林諒と同じ様に、黒味のかかった茶色で、
眼は異様に大きく、見開かれていて、
黒目の部分より、白目の部分が目立ち、際立っていた。
アマゾンの奥地に暮らす、原住民の末裔が日本に移住して来て、
現代の日本にうまく溶け込んで暮らしている、そんな印象を山下に与えた。
自分の因果を呪いながら、
山下はオーガズムに達し、射精した。
射精に到る為の時間は、5分もかからなかった。
恐怖に直面したときに、人間の体から発せられる、
無数のアドレナリンと、ストレスホルモンであるコルチゾールは、
山下の体の中で、ブースターの役目を果たし、
性的絶頂に至るまでのスピードを速めた。
オーガズムと同時に、
若林諒と若林諒の母親は山下の目の前から消え去った。
しかし、匂いはそばに留まった。
タバコの煙や匂いは火を消してからも、
その場に留まり続けるのが常であるように、
死後強まり続ける念として、地縛霊の様に、
記憶の中の印象と実際的な肉体の感触として、山下の中に留まり続けた。
了
梗概
[無職であるはずの先祖]
[かやふぁ]
「内田孝洋は、眼鏡をかけた、ガリ勉のガリのホモだった。」
無味無臭の罪悪感と、
癒されることのない、
盆雑とした日常。
かつての友人たちと繰り広げられた、
輝かしい友情と、美化された記憶の数々。
彼らは一応に愛おしく、
美醜の感覚を狂わされながらも、
倫理や道徳の向上に努めていた。
「彼ら」が存在することを、
人々は忘れていたが、
モラルや道徳の向上を人生の使命とする
「彼ら」は「存在」の頂点であり、最上級である。
路地裏に横たわっていたが、
有象無象を包括する彼らはまた、
「聖人」として、列福されるのだった・・・