72:蜘蛛の巣に飛び込んだ猫
やっと更新できたよ・・・
「アズサ・ミナヅキ様、準備が整いました。こちらへ」
「そ。すぐ行くわ」
朝から巫女院へと移動を開始していたため、昼を過ぎる前には目的地へと到着していたサクラは準備ができるまではと個室へと案内されていたのだが、どうやら先程その準備も終わったようだった。
巫女院に務める役人が抑揚のない声が扉の外から聞こえたため、サクラは簡単な返事を返す。
「アズサ様」
「戻ったのね、ナナシ。報告は?」
突如部屋の隅にナナシが現れると、アズサはわかっていたような口ぶりで服装を整え始める。
紅色の着物はサクラの母から受け継いだ大事な正装である。真っ白な帯を締め、丁寧に結った髪には赤い宝玉がはめ込まれた豪奢な簪。
「駒による巫女院の捜索を行ったところ、気になるところが数点」
「言いなさい」
「は。巫女院に所属する役人、並びに貴族に生気が感じられませんでした。あれでは操り人形も同然かと」
「他には?」
「……捜索の結果、御屋形様を含めた数人の貴族の方々の姿が見受けられませんでした。あと、怪しい異国人の姿が巫女院最上階にて確認できました」
その報告にわずかばかり動きを止めたサクラであったが、彼女は短く「そう」と返すだけに留まった。普通なら報告に在った怪しい異国人とやらに向けて悪態の一つでもつくであろう癇癪姫と呼ばれるサクラであったが、今この時ばかりはそれを押しとどめる。
いつも通りにするのは、すべてを終えた後だと。
「行くわよ、ナナシ。あなたは影に潜んでなさい」
「よろしいので?」
神聖とされる巫女選びの儀式において、ナナシのような者を側に控えさせることは無礼に値する行為とみなされる。
しかしアズサは、そんなことは知るかと言わんばかりの顔で肯定の意を返す。
「いいのよ。無礼には無礼で返すわ。誰かは知らないけど、この国に手を出した報いを受けさせる」
帯にさしていた鉄扇を引き抜き、バサリと広げたサクラ。暫く人気のない廊下を歩くと、目の前には高さ三メートルはありそうな巨大な扉が見えてくると、サクラを待ち構えていたように扉がゆっくりと開いた。
巫女石の部屋
次代の巫女となるものが触れた時、たちまち清められた水が溢れ出すとされる青い石。言い伝えでは国の守り神とされる存在が初代の巫女に賜したものとされている。巫女が存命であれば絶えず水が溢れ、部屋の中央に池を作りだすのだが、巫女不在の現在、その池は枯れ果てている。
巫女選定の儀式でしか使用されない巫女院の中央の巨大な部屋。そこにはアズサ以外の候補者の姿があった。その他にも部屋の壁に沿って多くの役人、更には巫女石が供えられた中央には、アズサ達と向かい合うような形で貴族たち。
そんな彼らの様子を見て、アズサはなるほどと納得の声を心の中で漏らした。
ナナシの報告にあった通り、この場にいるアズサとナナシ以外の全員に生気がないように感じられるのだ。操り人形、と例えたナナシの言葉にも頷ける。
鉄扇を持つ手に力が入る。
ここはすでに敵の張った罠の中。自分を例えるなら蜘蛛の糸にかかった獲物である。
しかしそれを知った上で飛び込んだのだ。
愚策だとは言わせない。
私は糸ごと食い破る気でここに来た。
「おや、どうやら待たせてしまったようですねぇ」
アズサが辺りの者達を注意深く警戒する中、ついにそいつが現れた。
まったく謝っているようには見えないフードを目深に被った男。背丈はナナシよりも低く、細見。姿を隠したナナシが奴です、と耳元で呟いた。
あれが最上階にいた異国人なのだろう。
しかし、周囲の者たちはそんなあきらかに怪しい男を気にも留めなかった。
まるでそこにいるのが当たり前のように。
男はアズサも通った巨大な扉をくぐり、アズサから少しばかり離れた場所を歩くとやがて枯れ池の手前に陣取った。
「いやはや、まさか罠と気付きながらもやってくるとは少々驚きましたよ? てっきり私の存在を知って引き返すと思っていたのですがねぇ」
そういって男はローブで見えなかった手を前に突き出した。
手にしていたのは小さな鼠。ナナシの代わりに情報を集める駒である。
「まあ? 劣等種らしい蛮勇とでも褒めておきましょう。もっとも、結果は変わりませんが」
鼠を手放し地に落ちた瞬間、男は何の躊躇いもなく鼠を踏み潰すと、ほらこの通り、と靴底にこびり付いた肉片をサクラに見せつける。
「あら、わざわざ忠告なんて、ずいぶんと強気なのね。自分がそうなるとは考えたことがないのかしら?」
「? 私が? あなたたちのような劣等種に? …………ほぉ? ほおほおほお? それはそれはそれはそれはぁぁああぁぁあアアぁアァァァアアアアアアア!?!?」
カウカクと首を左右交互にゆっくりと動かし始めた男。しかしその動きはだんだんと強く速くなっていき、見ているだけで気分を害しそうなほどに揺れ始めた。
さすがのアズサも、男の子の動きに一歩身を引いた。
「この私がぁぁアアぁあ!? 生きる価値もない下等生物ごときにィい、見下されるなどあってはならないのですぅよぉオオおおお!!!」
突如発狂し始めた男は、頭や体中を掻きむしる。
「あああアアアあア! ……フゥっ。少々取り乱してしまいました。ああ、そういえば自己紹介が未だでしたね。下等種ごときに名乗りたくはないのですが、特別に教えて差し上げましょう。私の名はリットマン・ハーバル。これよりこの国を裏から統治し、我が帝国の隷属国家とするために派遣されたものですのでどうぞよろしく。もっとも、あなたたちには死んでもらう予定ですので、可哀そうな話ですが」
「帝国、ね。知りたくもない情報をどうもありがとう」
だが男の発狂は突然あるところでピタリと止まると、発狂前の口調に戻っていた。
何だったのよあれ、と言葉を鉄扇の内側で漏らすも、それに答えるものはいない。
そもそも別大陸の国である帝国がヤマトを狙う意味が分からない。しかしどんなあ理由であれ、それがヤマトにとって望ましくないことは確かな事実。アズサは注意深く目の前のリットマンを警戒し、仕込んだ暗器をいつでも取り出せるように構えた。
そんな中、フラフラとした足取りで一人の役人がリットマンの耳元に近づくとボソボソと何かを呟いた。その言葉ふむふむと時折頷いていると、最後にはにっこりとした笑顔をサクラに向けた。
「どうやら準備が整ったようです……ね!!」
笑顔のまま報告を行った役人に対して回し蹴りを叩き込むリットマン。上段に放たれたその蹴りは確実に役人であった男の首をとらえると、ゴキャッという骨の折れる鈍い音とともに壁際まで飛ばされた。
動く気配はない。
しかしそのようなあ状況であったも周りは相変わらず飾られた人形のように動くことも、ざわつくこともなかった。
「!? あなた……!!」
「報告のためとは言え、この私に顔を近づけることを許したことなどありませんのでねぇ。劣等種は劣等種らしく地に這いつくばっていればいいのです。もちろん、それはあなたもですよ?」
「っ、ナナシ!!」
目の前の不気味な男が一歩踏み出したのを見て、アズサは護衛であるナナシの名を呼んだ。その直後、リットマンの背後の影から現れたナナシは手にした苦無を反応が遅れて無防備となっていた首めがけて振り下ろす。
カンッ、という甲高い音が響いた。
「「!?」」
「おやぁ? そんなところにいたんですねっ!!」
予想していなかった結果に一瞬驚きを隠せなかったナナシとアズサ。そんな二人の反応を無視し、何でもないような様子で背後にいたナナシに向けて裏拳を放つリットマン。
僅かに反応が遅れたナナシであったが、そこは最強と呼ばれるだけあって腕を固めて防御の姿勢に入った。
「むっ!?」
しかし体格に反した衝撃に思わず唸ったナナシ。戦闘を続けることに問題はないが、その得体のしれない何かを警戒して足が止まった。
「ふむ、それなりに強く打ったのですがねぇ。流石はヤマト最強とも噂される劣等種です」
話し終える前に数本の苦無を投げつけるナナシ。しかしリットマンは防御の姿勢も、ましてや回避する様子も見せずにその攻撃を受け止める。
やはり響くのは甲高い音。
だがこれは攻撃ではなく、あくまでも牽制するための物。目的であったアズサの側までの移動を果たしたナナシは両手で苦無を構えて警戒を緩めない。
「さて、余興はこれくらいで良いでしょう。きっとあなたにも喜んでもらえる催しを用意したのですよ」
何だそれはとアズサが反応する前に、リットマンはどうぞぉ!! とまるで司会者のようにサクラの背後のあの巨大扉を指示した。
未だナナシがあリットマンから目を切らないなか、アズサが振り向いたその先にいたのは真っ白な着物に透き通るような青の簪をその白髪に挿した一人の少女が周りの者たちと同じような虚ろな目をして佇んでいた。
「先代巫女の実の娘。あなたよりもよほど巫女に相応しく
とても扱いやすい駒になれる劣等種ですよ?」
その瞬間、癇癪姫の中で何かが切れた
「ナナシ!! そいつを殺しなさい! 今すぐに!!」
「御意!」
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