66:一方その頃
「アーネスト様、準備が整いました」
「わかったわ。すぐに行くと伝えておいて」
その言葉に、メイドはかしこまりましたとだけ答えて部屋を後にする。
小さな音を立てて閉じた扉から目を離し、アーネストは再びその瞳を窓の外に向けた。その先にあるのは、長年アリエリスト家が警戒してきた地竜の森。しかし、彼女にとってのそこは大切な出会いの場所。
「まったく……どこにいったのよあいつは」
はぁ、とため息を吐いたアーネストは部屋に備え付けられていたベッドに倒れこんだ。
着ている制服にしわが付くかもしれないのだが、今の彼女はそこまで気が回らず、ある男のことを考えていたのだった。
出会いはあの地竜の森。姉であるアリエッタを助けるために街へ優秀な魔法使いを探しに出たあの時。
冒険者の中でも噂されていた、出会えれば強くしてくれるという魔法使いの存在を聞きつけた彼女は自身の従者とともに地竜の森へと繰り出した。
そこで出会ったのが彼であった。
あの日の衝撃的な出会いは、これから先も忘れることはないだろう。
優秀なはずなのに、普段の態度からそうは見えない彼の姿が目に浮かんだ。きっと今頃、自分の知らないところでまた面倒だと口に出しているのだろう。
「やっぱり、まだ部屋にいたのね」
「姉さん……」
バキッ、という音と共に現れたのは姉であるアリエッタであった。
彼女は、ひびの入ったドアノブに視線をやると、あらやだ、とだけ言ってベッドに倒れこんでいるアーネストに近づいていく。
「早くしないと遅れちゃうわよ?」
「そのまえに、姉さんは早く力加減を覚えてよね。あれで何個目?」
「む、失礼ね。今回は壊してないわ! ちょーっとひびが入っただけよ!」
プンプンと音が付きそうな仕草で怒るアリエッタに、ア-ネストは思わずため息を吐いた。母譲りの力を持つ姉ではあるが、今までの生活のせいでまだうまく制御はできていないらしい。それでもだいぶマシにはなり、最近では気を付けてさえいれば加減を間違えることはない。
……今回に関しては、久しぶりに学校に通うことになったために浮かれているのだろう。
自身と同じ制服に身を包み、その場で鼻歌を歌う姉に視線をやったアーネスト。その視線に気づいたのか、アリエッタはにっこりと微笑んで見せた。
「姉さんは元気ね」
「アーちゃんはそうでもないみたいね。カオル様に制服姿を見せられなかったのがショックだったのかしら?」
「ッ!? そ、そんなんじゃないし! ただ、あいつが今何してるのかが気になっただけよ」
そう? というアリエッタの言葉に対して、黙ったまま頷いたアーネスト。しかしわずかながら顔を赤らめているのを見るに見当違い、というわけでもないのだろう。
「大丈夫。カオル様なら心配ないわ。母様曰く、あと半月もすれば戻ってくるそうよ?」
「ほ、ほんと!?」
アリエッタの言葉に反応したアーネストがベッドから跳び起きてアリエッタに迫った。あまりの食いつきように少々たじろいだアリエッタであったが、妹に怪我をさせないようにその体を押しとどめた。
「本当よ。だから、早く私と学校に行きましょ? 流石に半月後は私たちは寮生だから会えないかもしれないけど、許可さえ取れれば戻ってきて会うこともできるわ」
「そうね! ……いや、別に私は会いたいってわけじゃないんだけども! でもまぁ、あいつも私に会いたがってるだろうし? たまには戻ってくるのもいいかもしれないわね!」
一人でうんうんと頷いているアーネストの姿を、アリエッタは微笑ましいものを見る目で見ていた。
「アーネスト様。準備が整っていますので、そろそろ」
そこで扉の外から声が響いた。
アーネストの家庭教師を務めていたアンデールである。最近では体を動かす他、魔法の勉強も始めたアリエッタにも魔法を教えている彼は、失礼しますと言って中へ入ろうとしたが、手にしたドアノブにひびが入っていることに気づくと、新しいドアノブに代えてもらうよう近くにいたメイドに頼んで部屋へ入った。
ちなみに、彼に与えられた部屋のドアノブは今の者で八代目である。
「さ、アーちゃん。私たちも行くわよ」
「わかったわ。……そういえば、先生はこれからどうするの? 確か、私たちがまた学校に戻るまでって話だったけど」
「ああ、そのことですが、もうしばらくはアリエリスト家にお世話になる予定です。ユリウス様と話すこともありますから」
そんな返答に、アーネストはそう、とだけ返した。
アンデールは優秀な魔法使いであり、その教え方もなかなかのものであった。故に、彼女は学校に来て教師になってもらいたかったのだが、そういう話であるのなら仕方のないことである。
「それじゃぁ、行ってくるわ」
「ええ、お気をつけて。良き学校生活を」
「ふふっ、私久しぶりの学校だからとっても楽しみなの!」
「楽しみにしすぎて、力加減を間違えないようにね、姉さん」
「むぅ! アーちゃん酷いわ! アンデール先生もそう思うわよね!」
「……ハハ」
見事な苦笑いを浮かべて見せたアンデールの反応に落ち込むアリエッタ。そんな二人に遅れたアーネストはふと立ち止まると、背後を振り返った。
その先にあるのは、自身が知る限りでもっとも怠惰で、面倒臭がりな、しかし頼りになる魔法使いの部屋。
その扉に一瞬だけ視線をやったアーネストは前を行く二人の背中を追うのだった。




