5:じいさんと青林檎
青林檎を届け終えた俺は、自室のベッドにごろりと突っ伏せた。
何故今の俺が蟻の巣に住んでいるのか、そもそもどういう過去があったのか、などといった話は別に今する必要もないだろう。詳しい話はまた未来の俺に任せることにする。
ただまぁ、簡潔にまとめるとするなら昔助けた蟻が女王となり、その恩返しに俺に快適な住処と食べ物を恵んでくれている、といったところか。
ちなみに、その時療養に使ったのが青林檎だったりする。あれ、なんか治癒とかの効果も含んでいるらしい。ほんと、すごい果実である。万能の果実、とか言わないよね?
「ヌハハッ、じゃから言うとるじゃろうて。それはすごいものじゃとな」
「……まーた勝手に入ってたのか、じいさん…」
顔をベッドに伏せていた俺であったが、突然かけられた声に顔を上げる。
そこにいたのは、いつの間にかベッドの側に立ち、置いてあった青林檎をおいしそうに租借する老紳士。 モノクルをかけて白い豊かな髭を蓄える老紳士は、茶色のスーツに茶色いシルクハット。更には茶色い革靴と全身茶色尽くし。いつも現れるときはこの格好であるが、ちょっと見た目がよろしくないんじゃないでしょうか。
小学生がう〇こと喜んで連呼しそうだ、と思った当時の俺は悪くない。
「……ていうか、なんで勝手に食べてるんだよ」
「まぁよかろうて。二つあるんじゃ。ほれ」
こちらがジト目で睨んでやると、じいさんは笑いながら残った一個を俺に放ってきたのでそれをキャッチ。
まぁしかたないか、と諦めて青林檎に噛り付いた。
うん、今日もうまい。
「いい食べっぷりじゃの」
「まぁな、自家製だし。それで? じいさんは何しにきたの?」
「なに、暇じゃったからの。世間話じゃ」
「暇だからってジャイアントアントの巣に無断侵入しないでくれ。じいさんが来ると、この辺の魔物が怯えるんだからさ」
ちなみに、じいさんというのは俺が勝手に呼んでるだけで名前はまた別にある。ただこの状態のじいさんは元気なおじいちゃん! といった感じの人なのでいつの間にかそう呼ぶようになっていた。
なお、今の会話からわかるように本人はあまり気にしておらず、逆に気に入っているらしい。
「入り口の虫どもが気前よく退いてくれたんでな。そのままお邪魔したまでのこと。我に非はあるまいて」
「そりゃ、じいさんが来たらどんな魔物も逃げるでしょうに」
そうか? と言って笑うじいさんに思わずため息を吐く。
この人、絶対にわかっててやってる。いや、そもそも人ですらなく、この世界の頂点の一角といってもいい存在なんだけどさ。
思えば、そんなじいさんとの出会いも今から一年前くらいまえ。ジャイアントアントの巣に住み始めて一年程経った頃だったか。
最初は怖かったなぁ、とか考えながら青林檎を食すがじいさんはもう食べ終えてしまっているようだった。
立たせたままなのも悪いと思い、魔法を使って簡易な椅子を咲かせた。
もちろん、これも花だ。白い大きな花を咲かせるこの植物は森で見かけたものであったが、茎や花弁までもがかなり丈夫だったので即席の椅子としてよく咲かせている。元のサイズだと小さいため、魔法で大きさを調整している。
名前は知らん。異世界の花だし、前に迷い込んできたこの世界の冒険者も知らないって言ってたしな。じいさん? 教えてくれない筆頭です。曰く、自分で調べるからこそ意味があるのだとか。
面倒だからもういいです。
「相変わらず、変な魔法じゃのぉ。ま、だからこそ、というべきか」
「何を一人で納得しているのかは知らないけど、取りあえず座ったら?」
「……それもそうかの。ではありがたく」
地面と平行になるようにとぐろを巻いて育った花。じいさんはとぐろを巻いた部分に腰掛けるとふぅ、と息を吐いた。
見た目だけで言えば違和感がないが、正体を知っている身としては違和感しかないな。
「それで? また孫の話でもしに来たのか? 俺としてはこの青林檎が何なのかが知りたいんだけど。冒険者に聞いても知らなかったし」
「じゃから、それも自分で調べろと言うておろうに。……まぁ、知ったときは驚くかもしれんがな。我はその様子を考えるだけでも楽しいのぞ」
「面倒くせぇ……」
なんと趣味が悪いのだろうか。
俺の驚く顔でも想像しているのか、ニヤニヤと笑うじいさん。俺はそんなじいさんを無視して、残った青林檎を口に放りこんだ。
あと、さっきから言っている冒険者は、去年くらいにここへ迷い込んだ地元の冒険者のことである。
仲間の一人が重傷だったから、療養中に滞在させたのだ。もちろん、ジャイアントアントの巣で。世話も任せて。
俺がやったことといえば、青林檎食わせてやったことぐらいだ。女王には感謝してもらわないとな。
「お主、いつもそればかりじゃの。お前さんくらいの人間は、もっと活力に溢れとるんじゃないのか?」
「フッ、舐めんなよじいさん。俺はそこらの奴とは違って楽がしたいし、できるだけ動きたくない、というか働きたくないんだ…!!」
「威張ることじゃないだろうに。……優秀な分、もったいないのぉ」
じいさんが何か言っているが、関係ない。人と言うのは常に楽を追及する生き物なのである。現代日本なんて、その例の最もたるものではないか。
俺は誰かに世話をされて悠々自堕落な生活を送りたい。ついでに、好きなことして遊びたい。あと、嫁さんは綺麗で甲斐性のある優しいお姉さん系がいい。クーデレも可。
「じゃが、現状はお主の望みどおりではないのか? 今は働いておらんじゃろ」
「まぁ、それはそうなんだけどさぁ…やっぱ、綺麗な嫁さんは欲しいわけよ。いや、男女の関係とか面倒なのは承知なんだけどさ。それでも? いいなぁとは思うじゃん?」
「お主の周りにも雌は多いが?」
「いや、だって蟻じゃん」
ボトボト、と何かが落ちる音が入り口付近から響いた。気になって視線をやると、そこにはかごとそこから零れ落ちたであろう果物が数個。そして、それを落としたであろうしーちゃんの姿があった。
視線が合う……といってもしーちゃんは複眼なのでよくは分からないのだが、それでも確かにしーちゃんとは目が合った。
そして入り口から姿を消し、脱兎のごとく逃げていくしーちゃん。
「ちょっ、しーちゃん待って!?」
慌ててベッドから飛び降りてその後を追う。
面倒とか何とか言ってる場合じゃない。じいさんには一言、悪いと断りを入れてから部屋を出て追いかける。
青林檎で許してくれるかなぁ……
◇
「ふむ、やはりあやつは飽きんのぉ……」
一人部屋に残された男は、つい先ほどカオルが慌てて出て行った入り口を見ながらそう呟く。
「下級の魔物…それもジャイアントアントの中でも最下級のワーカー。それが人の言語を理解し、更には人に近い感情まで持つ、か……」
ヌハハ、と小さく笑った男。
最初は自身の縄張りに勝手に居ついた人間を潰すつもりでやってきた。
だが、そこで見たのは変わり果てた不毛の地。何かしらの変化があったことは認識していたが、まさかここまで変わっているとは思わなかった。
そしてその地でジャイアントアントとともに暮らす男。興味本位で仕掛けてやったが、これがなかなか楽しめた。全力、とはいかずともそれなりの力を出せたのは久方ぶりじゃった。女王の話では、この男が不毛の地を変えた男だというのだから驚いたが、最も驚いたのはリアの実の量産というとんでもないことを知らずにやっていることだろう。
故に、考えた。この男は役に立つ、と。
そうして彼は男にここに住まう許可を与えた。知能のある魔物にもその存在を知らせ、勝手に襲わないようにも通達した。
そんな男ともすでに一年の付き合いとなる。
長い時を生きる彼にとっては極々短い期間ではあったが、それでもその男を好ましく思えるくらいには付き合いができたつもりだ。……性格面では少し思うところがあるものの、まぁ許容範囲内だろう。
孫とくっつけて身内にしてしまおうか、と考えることもある。
「さて、我はそろそろ帰るとするかの」
花で作られた椅子から立ち上がった男は、巣の入り口までやってくるとその姿を一変させた。
茶色のスーツに包まれた老紳士はそこにはいない。
圧倒的な威圧感を放ち、茶色の鱗に覆われたその姿はまさにこの世界の最強の一角の名にふさわしいものだろう。
『すまぬな。怖がらせて。じゃが、また来る』
離れて怯える、門番役である二匹のジャイアントアント・ソルジャー。
彼はその二匹に詫びるように目を伏せるが、それも一瞬のこと。次の瞬間には森の上空へと飛び上がっていた。