10:条件
「…急に現れてどうしたんだ、じいさん」
いつの間にそこにいたのか、俺の目の前にはいつもの色のスーツに身を包んだ一人の老紳士。
しかし、その正体は俺が住処としているこの地竜の森の主であるドラゴンである。
「ヌハハ、そう睨むでない」
俺の問いに、じいさんは笑ってそう答える。
じいさんは見た目の割に背が高い。元はドラゴンという巨大生物であるため当たり前なのだが、人化している時でさえ俺が見上げるくらいにはでかい。
別に睨んでいるつもりはない。ただ、このじいさんがわざわざこのタイミングで俺に接触してきたことに疑問を抱かずにはいられない。
俺に会うだけなら、いつものように地下の部屋で待機していれば済む話だ。
この二人の件について、何かあると言っているようなものではないか。
……面倒だ。
口にはしない。が、じいさんはそんな俺の考えなどすぐに看破する。
モノクルを通じて見えるじいさんの目を見ると、心の奥深くまで見通されているような感覚を覚えた。
見上げていた顔を思わず下げる。
「カオルよ。そう邪険にすることはなかろうて? その虫どもも、それなりの誠意とやらを見せているんじゃ。同じ人として、力になってやるべきではないのかの?」
そんな意外な言葉に、俺は驚いてもう一度顔を上げてしまった。
そこにあるのは、いつもどおりの笑顔を浮かべる爺さんの顔。だが、目を見ればわかる。今の発言は冗談でも何でもないのだと。
しかし、だ。俺はじいさんの性格やら人間に対する考え方やらを知っている。
「…へぇ、珍しいんだな。じいさんが、虫呼ばわりする人間の肩を持つなんて。……何考えてるんだ?」
冗談ではないのは本当のこと。しかし、その言葉には何かしらの裏があるはずだ。でなきゃ、ドラゴンであるじいさんが虫と呼ぶ人の味方をするなんてありえない。
だが、じいさんはそんな俺の言葉にヌハハ、といつものごとく笑うだけだ。
「何も考えておらんよ。強いて言えばカオル、お主のためじゃ。このまま人の世界を知らぬままというのはためにならんじゃろうからな」
「…別に、それをじいさんが気にする必要はないだろ」
「あるんじゃよ。なんせ、お主はこの森にすむ我が同胞であり、そして我が良き友じゃ。そんな家族同然の者のためになるのであれば、我もそれくらいはするよ」
相変わらず顔はいつも通りに笑ったまま。だがわかるのだ。このじいさんが、絶対にこの意見を曲げるつもりはないということが。
何故そうまでして俺を森から出そうとするのかはわからない。もしかしたら、俺が嫌いで追い出したいだけなのかもしれないが、それならそれで力づくで追い出すだろう。このじいさんにはそれが可能だ。
やるなら真正面から堂々と。それがドラゴンだ。どんな策や小細工も、その身に宿す、力の暴力で圧倒する存在なのだ。
「……面倒なことをするんだな、じいさん」
「何、ある意味これが、我が愛情だとでも思ってくれ」
ならこんな形で表さずに、甲斐性のある嫁さんでも紹介してほしいものだ。
しかし、本当に面倒なことになった。
俺はこの話を受けたくない。が、じいさんはこの話を受けさせて俺を森の外に出したい。
どちらも譲れず、自身の意思を通したいのであれば、あとは力で決めるしか方法がない。話し合いなんてものが通じる相手ではないのだ。
だがそうなれば、非常に面倒な事になるのは明白だ。
いくら俺が、あの天使から力をもらったとはいえ、相手はドラゴン。それも、地竜というのはこの世界でも有数の存在なのだとか。前に、そういう話を冒険者のやつらから聞いた。あり得ない話ではあるが俺が死力を尽くして戦うならば、じいさんを半殺しとはいかなくとも、それなりの手傷を負わせることができるだろう。もちろん俺は死ぬし、このあたり一帯がとんでもなことになる。
一度だけ、初対面で襲い掛かってきたから抵抗したが、こちらは満身創痍で立っているのもやっとの状態だったのに、じいさんはケロッとしていた、なんてこともある。あれほど疲れる無駄なことを俺は知らないし、もう一度やろうとも思わない。
つまるところ、現在の力量がじいさん>>>俺で勝てる見込みはなく、俺としては絶対にやりたくないことだ。
お願いを断ってじいさんと戦うか、お願いを聞いてさっさと片付けるか。
故に、非常に。ひっっっっっっっっっっじょうに遺憾なことで納得のできない、大変不本意な事ではあるが、俺はこの話に乗るしか道がなくなったのだ。
じいさんと喧嘩(という名の殺し合い)するよりはマシかもしれないが、面倒なことには変わりない。
「……はぁ。わかったよ、じいさんが言うんだ。この話は受けてやるよ」
「うむ。そうするのがよかろうて」
いつもの笑顔を向けてくるじいさんではあるが、はたしてその内心では何を考えているのやら。
踵を返して足を進める。
その先にいるのは未だに手を後ろで縛られたままの少女、Pさん。先ほどまで泣いていたのか、目は赤くなって少しばかり腫れているようだった。
「…ちょっとそこ動くなよ」
「…えっ?」
俺が戻ってきたことに気付いていなかったのか、Pさんは俺を見て困惑した様子を見せるが、俺はそれを無視。二人を運んできたカマキリに頼んで糸を切ってもらった。
突然のことでまだよくわかっていない様子のPさんは、酷く困惑した様子で俺を見る。
震えていることから怯えてもいるのだろう。だからどうした。こっちは自分の意思も無理やり曲げざるを得ない状況になってしまったのだ。当然ながら気分がいいわけではない。
ならばせめて、俺が納得できる話に変えるしかない。
「おい、Pさんや」
「…え、もしかして私のこと…?」
「あんた以外誰がいるんだ」
そういうと、Pさんは小さいながらもアーネストって名前が…などと呟いたが、長いので却下。何故俺が面倒な方を選ばなきゃならんのだ。楽でいいさろ、Pさん。
「うるさい。いいか、良く聞けよ。大変不本意な話ではあるが、今回のあんたが持ってきたその話に乗ってやることになった」
「…え……た、助けてくれるの…?」
「残念なことにな。別にいいのなら俺はそれでもいい」
俺がそういうと、Pさんは首をブンブンと横に振って否定する。…チッ。
「だが、ただ働きなんぞ俺が嫌うもんの一つだ。だから、条件だ。あんた、さっき言ったよな。できることならなんでもするって」
言質は取ってある。撤回などさせるない。
相手は貴族。なら、それなりの地位にいて、それなりの権力も金も持っていることは間違いないはずだ。なら、魔法以外大したことのないこの俺のたわいのない願いくらいは叶えてもらっても構わないはずだ。
「……ええ、言ったわよ。嘘じゃないわ」
その言葉で、Pさんの雰囲気は変わった。目は腫れたままではあるが、これは彼女なりの貴族としての振る舞いなのだろう。だが、先程、俺が断った際に取り乱したように、まだ精神的には未熟なようだ。
まぁ、見たところ中学生くらいの年齢だ。当然と言えば当然か。
だからと言って、譲歩するつもりはない。
「なら話は早い。俺が望むことは一つだけだ」
そして俺はその願いを口にする。
現代日本で育った俺が、今も変わらず抱き続けるその願いを。
「俺を養え」




