隣の睨む女子
いつもの学校。
いつもの教室。
いつもの授業。
そんな当たり前の日常を過ごす俺、内山和志は、人に恨みを買うようなことをした覚えはない。
だというのに、これはどういうことなんだ……?
俺は窓際の隣に座る少女を横目で見る。
彼女の名は川本有紀。
腰あたりまで綺麗に伸びた黒髪に清楚な顔立ち、背筋は行儀良く伸ばして座っており、一言で言うならば美少女の部類に入る存在だろう。
だが、俺には彼女が恐ろしくてたまらない。
彼女の最も特徴的なのは、顔でも姿勢でもなく目元だ。
わざとなのか、きつく釣りあがった目はどう見てもにらんでいるようにしか見えない。
そんな、怨念の籠ったような目で、俺を常ににらみつけてくるのだ。
いつもいつも俺をにらみやがって。俺が何かしたというのか?
キーンコーンカーンコーン
やがて、チャイムが鳴り響き授業が終わる。
「…………」
川本は無言で弁当を持って椅子から立ち上がると、教室を出て行った。
時刻は十二時半。もう昼食の時間だ。
「……はぁ~」
俺は机に突っ伏してため息をつく。
「よう、相変わらず元気ねぇな」
仲のいいクラスメートの田代が弁当を持ってきて、川本の席に座る。
「当たり前だろ~、川本に授業中ずっとにらまれているんだからな。しんどいったらありゃしねぇよ」
俺も弁当を取り出し、食べ始める。
「ほぅ、モテモテだな~、授業中に美少女に見つめられるなんて幸せなやつめ!」
「冗談じゃねぇよ~」
アレが恋する乙女の瞳だとほざくのか!?完全に『テメェだけは絶対に許さねぇ……』と言いたげな目線だっつーの!
「分からんよ。女心は複雑だとよく聞くからな。ひょっとしたら……あ」
突如、田代がカランと箸を落として、ある一点だけを見つめて固まる。
「ん?どうしたんだよ?そっちに何か……あ」
田代の見つめる方を向くと、俺も同じように固まってしまう。
「……」
その視線の先には、俺たちをにらむ少女、川本が立っていた。さっきとは違い、髪は乱れ、服装には埃が付いている。まるで喧嘩した後みたいだ。
「……わ、悪りぃ、川本。今どくから」
田代はささっと弁当を片付け、すぐさま立ち退いた。
「……」
川本は何か言いたそうな、結局は何も言わずに席に腰を下ろす。
何故、あんなに髪が乱れているんだ!?やっぱり、誰かと殴りあいでもしたのかな。だとしたら、関わるとヤバいよな。
「……(じーっ)」
ひえー、めっちゃにらまれてる~!やっぱり詮索するのはやめておこう。
俺は彼女ににらまれたまま弁当を食べたが、何度も喉に詰まりそうになったのは言うまでもない。
「川本さーん」
「有紀ちゃ~ん、一緒に帰ろ~」
終礼が終わり、帰る支度をしていると、隣のクラスにいる生徒会長、長野と、副会長の石本が教室の前で川本に向かって手を振る。
長野会長は、茶髪のポニーテールが特徴で、顔も良く、性格もいいことから、皆の人気は高い。
石本副会長は、短髪でボーイッシュな性格をしている。こちらも、体育会系の男子には人気がある。
いくら、目つきが悪いと言えども、友達がいないわけではないらしく、放課後になると長野はいつも呼びにくる。
「……」
川本は無言で席から立ち上がり、鞄を肩にかけると長野のところに向かって歩いて行った。
その時、彼女の足は何となく震えているように見えなくもなかった。気のせいだろうか?
「生徒会長も大変だよな~」
俺の前に、田代が現れて口を開く。
「うちの担任教師が、川本のことを一人ぼっちの少女だと思っているらしく、アイツの幼馴染の長野に付き合ってやって欲しいと頼まれているらしくてな」
「ほーう、生徒会長と川本って幼馴染なのか?」
「まあ、そんなに仲がいいわけでもなさそうだけどな。時々、長野も川本も嫌そうな表情を見せるし」
そうだっけ? 全然知らなかったな。
「さて、そろそろ帰るか」
「あー、悪い。オレは部活だ。試合が近いからな」
「お前も大変だな。じゃあ、先に帰るよ」
田代に別れを告げ、教室を出る。
俺も、一応は放送部に所属しているが、最近は後輩に任せっぱなしである。情けない先輩だ。
「今日は少し、遠回りをして行こうかな」
今日は特に用事もなく、家に帰ってもヒマだし、ゆっくり帰るとしよう。
「……ん?」
裏出口にある校門から出ようとして、体育館裏の三人の女生徒が目に入った。
「気持ち悪いんだよ!いつもいつも私らをにらみやがって!」
短髪の女生徒が、長い黒髪の女生徒の胸倉を掴む。
「……違っ……やめ……!」
長髪の女生徒が涙声を漏らす。
「口だけなら、何とでも言えるわ。貴方は嘘が下手ね。その目がウソをついているわ」
そして、ポニーテールの女生徒が腕を組みながら嘲る。
「……なっ!?」
目を凝らすと、その三人ともよく知る人物だった。
短髪の女生徒は、副会長の石本。
ポニーテールの女生徒は、会長の長野。
そして、長髪の女生徒は……あの、隣でいつも俺をにらむ、川本だった。
あの、川本が虐められている……長野と石本に。
あの、評判のいい長野と石本が、川本を虐めている?
何とも受け入れ難い光景だ。
結局、俺は長野と石本がその場を去るまで、足が動かせなかった。何とも情けない。
「か、川本……っ!」
体育館の壁にもたれる川本に声をかける。
「大丈夫か?」
俺が手を差し伸べると、彼女は素直に手を借りて立ち上がる。
「あ、ありがとう」
その目は、相変わらずにらんでいた。まるで、『余計なことをしやがって』と語っているように見えなくもない。
この際だし、ちゃんと言っておくか。俺も迷惑しているんだし。
「あ、あのさ……川本、そういう目をすると、本当に嫌われるぞ?」
「えっ……?」
「その目だよ、授業中とか、昼食の時だってそうだが、俺をにらみつけているだろ?ああいうことをすれば、さっきみたいに暴力は振るわれるし、みんなから嫌われるぞ?」
自分の思いを告げると、川本は俯き、やがて口を開く。
「こ、これは……違うの」
「へ?」
「信じてくれなくてもいい。私は生まれた時からずっとこういう目つきで、無理に和らげようとしても逆効果なの」
彼女は嗚咽を漏らすようにして自分の経緯を話し始める。
「だから、友達を作ることは昔から諦めてる。イジメに会うのは覚悟の上で学校に来ている」
川本の鋭い目が潤んでいる。その目は、あいかわらずにらんでいるようにも見えるが、嘘を言っている瞳とは思えない。
つまり、それって……。
「じゃ、じゃあ、授業中に俺をにらんでいるのは?」
「た、多分、黒板を見る時ににらんでいるように見えるだけだと思う」
どうやら、勘違いしていただけのようだ。
「その事は、さっきお前を虐めていた二人は知っているのか?」
「知っていると……思う。会長の長野さんは私の幼馴染だし、石本さんも彼女から聞いていると思う」
「つまり、知っていてお前を虐めていたってことなのか」
もし、それが本当なら許せない。
「うん、長野さんは、私の目つきが悪いのをいいことに、私を嫌う人達と組んで嫌がらせをしてくるようになった……昔は仲良くしてくれたのに」
川本は俯きながら言葉を紡ぐ。
「今日の昼食の時、弁当を持ってどこかに行き、埃まみれになって戻って来ていたのも、あいつらのせいなのか?」
「う、うん。あれは生徒会の倉庫整理を無理矢理やらされた時」
ふつふつと怒りが湧き上がるのを肌で感じた。
目つきが悪くて印象が悪いのをいいことに、仲間を集めて集団で一人を虐める。
よくあるとはいえ、最低の行為だ。
許せなかった。
昔から仲良くするフリをして、裏切る長野を。
あの女には、一泡吹かせないと気が済まない。
「分かった。俺に考えがある。明日、通常通りに過ごしてくれ」
「えっ……? ど、どうするの?」
「それは、明日教えてやるよ。上手く行くか分からないけどな」
その日は川本に別れを告げ、それぞれの帰路に着いた。
キーンコーンカーンコーン
「それでは、授業を終わります」
四限目の授業が終わり、昼食の時間になる。
相変わらず隣から川本のにらむ視線を感じたが、今は事情を知っているので、そこまで気にならなかった。
「有紀ちゃ~ん!学食で弁当一緒に食べよ~」
すると、長野が教室の外から川本に手を振る。
勿論、何を企んでいるのかはだいたい分かる。
川本は不安そうにこちらを向く。それに対し、俺は小声で
「安心しろ。それより、ジャージ着て行け」
「う、うん」
彼女の椅子に掛けてあるジャージを指差す。川本は素直にそれを着用し、弁当を持って教室を出て行った。
さてと、俺も飯を食うか。
今日は、おにぎり二つと言った何とも少ない弁当にしてある。あまり時間はないからな。
「内山、一緒に食おうぜ」
田代に誘われるが、「この後に用事がある」と断り、おにぎりを食べ終える。
「さて、そろそろかな……」
俺は席を立ち、学食に足を運ぶ。
案の定、あの三人はいない。
やはり、昨日虐められていた体育館裏に連れて行かれたのだろう。
大丈夫だ、まだ間に合う。
俺は体育館裏に足を走らせた。
★
弁当を持って、教室から出る。
私の前には、長野さん、石本さんの二人が立ち、どちらも無邪気な笑みを振りまいている。
「有紀ちゃん、早く行こう」
「あっ……」
人に見られるとまずいのか、私の手を引っ張り、つかつかと歩く。
周りの生徒たちから見れば、私だけノリの悪い奴なんて思われているのかな。
確かに私は辛気臭いし、目つきも悪い。女としての魅力もない。
けど、それとこれは別。長野さん達について行けば、また虐められる。また酷い目に合う。
逃げたい……けど、逃げたら周りから変な目で見られるし、次にもっと酷い目に合う。そう思うと、足が震える。
しばらくすると、学食の前に着く。だが、長野さんと石本さんは学食と反対側の道に進む。
「学食は、こっちだよ……?」
「……」
長野さんは黙って私の手を引っ張る。本当は分かってた。彼女達は、初めから学食に行く気なんかないと。
案の定、辿り着いたのは体育館裏だった。
「有紀、貴方に話があるの」
長野さんがゆっくりとした口調で言う。
「……何?」
震える声。
また、罵倒が来る。
昔は、あんなに長野さんと仲が良かったのに……
「私らさ、凄い迷惑しているんだよね」
その長野さんが、今は私を毎日のように虐める。ただの罵倒から、暴力まで。
「あんたなんかと幼馴染だったせいで、お陰でクソ教師から付き合ってやれなんてほざかれるし。私はあんたなんか消えてしまえって思ってる」
昔の優しかった長野さんは、どこに行ってしまったんだろう……それとも、初めから私を虐める為に仲良くするフリをしていたのだろうか?
「おい、何をにらんでいるんだよ?そういう目をしてるお前が悪いんだろうが!」
石本さんが私の胸倉を掴み上げる。
長野さんは、私とは違い、リーダーシップがあって、気だてが良く、優しくて、一番仲が良かった。そう思っていたのは、私だけだったのかな。
「そんな目つきだと、世間を渡るなんて到底出来ないわ、いっそ、死ねば?その方が楽なんじゃないの?」
もう、戻らないのかな。あの時の日々は……。
「あ、長野会長に、石本副会長じゃないですか?」
その時、前方から聞き覚えのある声が響く。
見ると、それは隣の席に座る内山君だった。
長野さんは「いいか、辻褄を合わせろ」と耳打ちし、ニコニコしながら彼に対応する。
「長野会長、川本さんと何しているんです?」
内山君はごく自然な表情で二人に尋ねる。
「いえ、何でもないわよ。少しトークをね」
「ふーん、トークか……」
彼は腕を組んで頷くと、急に私のジャージに手を突っ込む。そして、手を引き抜くと、内山君の手には、彼のスマホが握られていた。
「ちょっと、聞かせてもらうよ」
「……なっ!?」
再生ボタンを押すと、スマホからさっきのやり取りが聞こえ出す。
《私らさ、凄い迷惑しているんだよね》
《あんたなんかと幼馴染だったせいで、お陰でクソ教師から付き合ってやれなんてほざかれるし。私はあんたなんか消えてしまえって思ってる》
《おい、何をにらんでいるんだよ?そういう目をしてるお前が悪いんだろうが!》
停止ボタンを押し、内山君はにやりと口元を釣り上げ、
「へ~、これが何でもないか。川本のジャージの中にスマホを入れておいたら、面白いネタが入ったもんだ」
「お、お前……」
長野さんの顔が歪む。
「俺、これでも放送部だから、このやり取りを放送で流させてもらうよ。いいネタをありがとう」
「ま、待って待って!」
そのまま去ろうとする内山君に長野さんがしがみつく。
「ん? どーしたの? 何でもないやり取りなんでしょ? 別に流しても問題ないんじゃないのか?」
「ちょっ……私、アンタに何かしたとでも言うの? どうしてこんな事を!?」
長野さんは相当焦っている。当たり前だろう。あんな物を校内放送でバラされたら、会長としても面目が丸つぶれだ。
「別に……ただ、ガッカリしたよ。長野会長がこんな人だったなんて、スクープだな。これは全校生徒と共有させてもらう」
「待って! そんな事されたら、私は――あぅっ!」
そこまで言ったところで、内山君の顔は強張り、長野さんの胸倉を掴み上げる。
「都合のいいこと言ってんじゃねぇよ!」
内山君は声を張り上げる。
「長野会長さぁ、川本の目つきが悪いことを知りつつ、それをいいことにハイエナみたいに徒党組んで虐めていたそうじゃないか。それに、お前らが幼馴染という話も川本から聞かせてもらった」
長野さんはバッと私の方を振り向く。なので私は、精いっぱい彼女をにらみつける。すると、怖気付いたのか、多少の動揺を見せる。
「何故、そんな事をしたのか聞かせてもらおう。答えによっちゃ、こいつを本気でバラす」
内山君はさっきの会話を録音したスマホをチラつかせる。
「うぅ……」
「どうした? 言わないのか? それとも言えないのか? 無条件で虐めていただけか?」
長野さんは涙目になるが、内山君は容赦無く詰め寄る。
「あ、あのね……」
長野さんはおずおずと口を開く。
「……高校に入ってすぐのことだった。クラスメートの友人達が、有紀の悪口を言っているのを聞いたの」
「……」
内山君は何も言わず、長野さんの話を聞く。
「『アイツの目は気持ち悪い』とか、『あんな変な奴と遊ぶ奴の気が知れない』って話し合っていたの」
「……」
「私は怖かった。有紀と遊んでいて、蔑まれ、嫌われるのが……だから私は、貴方を虐める側に着いたの。ごめんなさい」
長野さんは深々と頭を下げる。
出来ることなら、長野さんとはまた仲良くしたいと思っている。心底、私を嫌っているのではないなら、またあの時のように触れ合いたい。
……と、思っていたけど、もうどうでもいい。
「長野会長、あんたに友達を作る資格なんかねぇよ。二度と川本に近寄るな。もし、同じようなことがあれば、今度こそ許さない」
内山君は長野さんを私以上にキツい目つきでにらみつける。
もう、元通りになることはない。それなら過去に執着などする必要はない。
――私には、内山君がいるのだから。
★
「行くぞ、川本」
「う、うん……」
長野とのやり取りが終わると同時に、胸のモヤモヤが消え去った。言いたいこと言うとスッキリするもんだ。
俺は川本を連れてその場から離れる。
「あんなこと、いつからやられていたんだ?」
「高校一年の二学期あたりかな……長野さんが虐めに参加を始めたのは二年生から」
「そうか……大変だったな」
もし、俺が川本だったら、どうしただろうか? 下手したら不登校になっていたかもしれない。よくもまあ、一人でここまで我慢出来たもんだと感心する。
「う、内山君……」
川本が恥ずかしそうにこちらを見つめる。
「本当に、ありがとう」
俺を見つめる目は、相変わらずにらんでいるようだったけれど、何だか可愛く思えた。
「ま、また、何かあったら言えよ。力になってやるから」
彼女はこくりと頷く。
教室に戻る廊下を歩く中、彼女はずっと俺を見つめっぱなしだった。
にらんでいるわけでもなく、ただ見つめているだけでもない、その不思議な眼差しは、妙に印象深く残った。
ご愛読ありがとうございました。