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A LIVE

 病室には、僕の親友・鴇矢と、その恋人の由宇が居る。

 二人は少しも動かない。まるでその白い部屋にだけ、時が流れていないかのように。しかし、実際は、カーテンは風にそよぎ、由宇は涙に震え、鴇矢は、ベッドの上で、脳幹の働きによって緩慢な呼吸を繰り返している。

 データドレインの時間は刻々と迫っていた。

 仮死状態となった兵士の脳から、死の直前の映像記憶を抜き出す手術。主に、仮死者を仮死に至らしめた敵の情報を掴むため、あるいは、遺された者たちが故人の感情を知るために行われる。問題は、抜き出しを行った脳は、破壊されるという点だ。脳が破壊された者は、その後、本人の希望により有用な臓器が切り離され、あるいは献体され、葬儀を行う。つまりは完全な死を迎える。奇跡的に回収された鴇矢の躰は、より辛い結末を持ち帰ってきた。

 何故、僕ではなかったのだろう。

 そんな詩的な感情が、ふいに浮かび上がっては霧散した。何故、僕ではなかったのか。その答えは簡単だ。僕でなく、鴇矢が撃たれたからだ。では、何故鴇矢が撃たれたのか。それは、撃たれるべき空間座標に鴇矢が居たからだ。何故、その時空に鴇矢が居たのか。それは──。

 この時代に生まれ、戦うことしか知らなかった僕らは、幼いときからこんな疑問遊びを繰り返してきた。しかしその果ては、子供がしりとりをやめるときと、同じで、特に何も無い。

 でも、由宇は違った。いつまでも考えている。ほとんど教育を受けていない知能で、しかし考える事を止めないのだ。知識の差が子供と大人を隔てるものでないとすれば、由宇はとても大人であるように、僕には思えた。

「お願い」

 由宇が絞り出すように云った。

「帰って。今は、二人だけにして」

 僕は鴇矢の好きだったデルフィニウムを傍らに置き、無言で病室を辞した。

「ごめんね」

 去り際に由宇が呟く。

 その優しさを、鴇矢は愛していた。

 夕陽に照らされたリノリウムの廊下を歩いていると、前方から先生が歩いてくるのが視えた。長い廊下なので、僕はどのタイミングで会釈をすれば良いのか少し迷った。幸い、先生が先に口を開いた。

「もう、良いのですか?」

「ええ」

 云いながら、僕は立ち止まった。何故立ち止まってしまったのか判らなかった。

「結局、目覚めませんでしたね」

 云うに事欠いて、僕はそう云った。

「本当に残念でした」

 先生は申し訳なさそうな口調で云った。

「鴇矢くんの記憶は、明日、責任を持ってあなたにお届けします。もちろん、由宇さんにも」

 僕は無言で耐えていた。

「それでは」

「先生」

 踵を返した先生を、僕はまた引き留めた。

「はい」

「先生は、生まれてきたかったと思いますか?」

 僕は振り返り、先生の目を観察した。眼鏡の向こうで、黒く澄んだ瞳が僕を視ぬいていた。

「この世界に、生まれてきたかったと思いますか?」

 僕は繰り返し尋ねた。先生はひとつ、大きなため息を吐き、そうしてから淡々と答え始めた。

「精細胞に思考は無いと考えられます。だから、気付いたら生まれていたというのが正しいでしょうね」

 しかしこう付け加えた。

「けれど、他の何千、何憶もの精子を退けて、受精したのです。私は。きっと、よほど生まれたかったのでしょう。そのように考えていますが、君はどうなのですか?」

「解かりません」

 僕はそう答えた。貧乏くじを引いたという考え方もできるではないか、と反論したかったが、面倒なのでやめた。

「それでは」

 先生は再び歩き出す。僕は取り残され、無音に急かされるようにして、ゆっくりと歩き出した。


 ※


 紺色の空と、草原の中の彼方に、無機質な建造物が視える。僕はゆるやかな坂を歩き続け、冷たい扉に掌を重ねた。

 格納庫は静かに僕を迎え入れた。

 僕は病院から帰ったその足で、機体に搭乗した。機体のシートは冷え切っていて、二週間ほど熱と接触しなかった履歴であるようにも思われた。

 明後日の会議を終えるまで出撃は禁じられていたが、僕は躊躇しなかった。

 機体に愛着があり、超硬質鉛ガラスに包まれると落ち着く、というわけではない。まして、鴇矢の仇を討とうとしているわけでもない。僕はなんとなく宇宙に漕ぎ出したい気分だった。

 第一、鴇矢の脳を切り開いて、隅々まで調べたところで、得られる情報は少ないだろうと僕は考えていた。

 コックピットが閉じていく。加速度が、僕を包む。


 ※


 敵との戦いは実に虚無的だ。子供の頃、見ていたかっこいいロボットアニメとは違い、ミサイルもレーザーもない。目に視えず、音にも聴こえず、そして決して避けることのできない、電磁波の撃ち合いである。

 手元の三次元レーダーに、小さな赤い点が見つかると、まず電磁シールドが展開される。これは、相手から照射される電磁波を解析し、逆移相の電磁波を照射することで敵の干渉から機体を守る仕組みである。

 シールドを展開している間は、照明が消え、外部との通信も途絶える。僕ら兵士は電力の残量を計算し、可能な限り、電磁波を照射し返す。どれだけの時間、照射し続けるかは、場合による。赤い点が視えなくなると戦いが終わったことを意味し、視界が復旧する。

 機体の操作技術は、離着陸の時以外はほとんど必要がない。攻撃に徹するか、防御に徹するかという判断はあるが、最終的には、相手と自分とで、どちらの機体が多くのエネルギーを持っているかによって、生死が決まる。それは、戦いが始まってみないと判らない。まるでばかばかしいギャンブルだ。

 生死の境の暗闇で、人が何を考えるかはそれぞれだ。文字通り、誰からも干渉されない時間。鴇矢の場合は、由宇の事を想っていたかもしれない。あるいは案外あっけなく、「しまった」などと呟いたかもしれない。溜め息を一つ吐いて、ぼんやり仮眠する者もいれば、ただひたすらに恐怖する者もいる。

 僕は。

 僕は、何を考えているのだろうか。


 ※


 この日も、赤い点が見つかった。

 遥か遠い銀河から、はぐれ、彷徨う、1ピクセルの赤い点。

 僕はただなんとなく星が視たかっただけなのに。名残惜しさが苛立ちに変わるのを感じながら、僕は景色を遮断し、攻撃を開始した。眼の端に、青い地球の残像がちらつく。

「くたばれ」

 静謐な空間の中で、乾いた唇がそう囁く。もはや自分のものとも判らない指が、エネルギーバランスを攻撃側に転じさせる。

 経験上、この付近の座標に現れる敵機のエネルギー保有量は少ない。慎重に長期戦にするよりも、補足した瞬間に高出力の電磁波を浴びせて破壊してしまったほうが、結果的には生存率が高く、またエネルギー消費も少なく済む。何より僕は、早く済ませたかった。

 視界が復旧した。

 再び開けた世界には、何もない。周囲のデブリは微粒子レベルに粉砕され、延々と暗い無重力の空間が広がる。

 気付くと僕は、息を止めていた。僕は深呼吸をすると、座標を確認し、逃げるようにその場から飛び去った。


 ※


 何故、僕はこんなところを飛んでいるのだろうか。最近、暗闇を抜ける間に、脳が勝手に考え出すようになった。

 初めは、星が視たかったからなのだ。そうして、学校での訓練を真面目に受け、離着陸が他人より少しうまくなり、だらだらと大人になった。戦闘中は星が視られないと知り、人の手による操作がほとんど不要な機体が開発されても、僕は機体に乗り続けた。兵士はどんどん減るので、人手不足の業界だ。

 兵士という仕事の、世間体は良い。実際、敵からの侵略を防いでいるので、人助けをしている立派な仕事だ。誰かがやらなければ、僕らは何も知らないうちに宇宙の塵になる。と、そう考えられている。給料も割と良かった。

 赤い点を消せば消すほど、成果となる。

 暗闇にいる時間を早く済ませたくてそうしているのだが、大胆にエネルギーバランスを動かす僕のスタンスは、功を奏し、撃墜数は増えていった。

 唯一の不満は、成果を出せば出すほど、星を見られる時間が短くなることだった。

 結局僕らは、生きる──つまり、食事を摂ったり、衣服を買ったりする──ために、生きる目標や命を削り棄てていた。どんな仕事でもそんなものかもしれないが、その最適値はどこにあるのだろうか。シールドと攻撃電磁波の出力を調整しながら、ぼんやりと考える。

 早く一生分稼いで、引退しようか。でも、一体いくらあったら、安寧な暮らしに足りるのだろうか。いや、そもそも経済的に困らなくても、赤い点を壊す人がいなくなれば、僕らは呆気なく殺されるのだ。一体、いつまで続ければ良いのだろうか……。

 答えの出ないまま、また戦闘が終わる。何もない空間を飛び去る。それを繰り返す。

 そもそも、赤い点とは一体何なのか。

 もしかしたら、鴇矢はそれを探ろうとしたのかもしれない。敵機を瀕死に追い込み、破壊し尽くすギリギリで回収して、正体を分析しようとする試みも、科学者たちによって提案されている。

 当然、それは非常に難しい。目を開けたら、そこに死が待っているかもしれないのだ。危険が去るまで目を瞑り、耳を塞ぐ。それが一番安全だ。

 赤い点についてのデータはほとんどない。唯一判っていることは、赤い点に補足されると、彼らは容赦なく僕らを破壊しようとすることだ。したがって、厳密に云えば、敵なのかどうかすら判っていないのだ。電磁波を照射する性質の生命体なのかもしれないし、機構や素材なのかもしれない。感情や目的があると考える方がナンセンスなくらいだ。

 鴇矢は、一体、何を視たのか。

 僕は機体を回転させ、シリウスを視た。碧く強い光が、僕の方を照らしている。まるで光合成をする植物のように、僕はその光を浴びながら、たゆたう。

 なんとなく手元の懐中時計を見ると、鴇矢の手術が始まる時刻だった。

 ふと、時計を照らす光が消えた。

 赤い点だ。

 僕は無感情にレバーを操作する。しかし、戦闘に入る直前の思考が、僕の判断を鈍らせた。

 まるで鴇矢が、僕の手の甲を握り、レバーを押し戻しているような感覚に僕は陥った。僕は徐々にシールドを緩め、かといって攻撃に転じるわけでも無く、赤い点の干渉を受けてみることにした。

 はじめ、機体の内部温度がわずかに上昇した。汗が滴り落ちる。

「何処に居る」

 磁気風に乱れる景色が、うっすらと僕の前に開けてくる。僕は座標を確認しながら、機体を旋回させる。僕の眼の前で、星の欠片が震え、音も無く壊れていく様子が視えた。次第に、機体も震え出した。エンジンに点火し、僕は加速する。赤い点の方角へ。

 警報音が鳴り響く。まずいことをしているな、と僕は思う。けれどそれはとても愉しい時間だった。

 何故。

 全ての疑問の答えが、この破壊されつつあるこの闇の中にあるのだ。

 座標が近づく。僕は目を凝らす。

 赤い点からの干渉が強まってきた。僕はシールドをぎりぎりに保持しながら、乱雑な空間を進む。

 音が聴こえてきた。警報音とも、振動音とも違うそれを、僕の耳は強く捉えた。

 歌?

 歌だ!

 未だかつて聴いたことの無い歌が流れてくる。

 たとえ鼓膜が破壊されても、聴いていたいと僕は願った。鴇矢が聴いていたのも、この音楽だったのだ。僕は確信し、笑った。

 ふいに、瞼の裏に、プロジェクターの前で由宇がこの音楽を聴いている姿が浮かんだ。プロジェクターは、ノイズだらけの、灰色の画面を映し出していた。由宇の後姿の淡い輪郭だけが辛うじて視える。しかし僕は、由宇がデルフィニウムを胸に抱き、瞼を閉じて聴き入っていることすら判った。

 僕はそこまで判ると、ついにレバーを手放した。僕を乗せた機体は、慣性によって、かつて敵と呼ばれていた赤い点に接近していく。近づくほどに、僕の感覚は鮮やかに彩られ、震え、たぎった。

 躰が共振し、強く、強く破壊される。シートに何度も背中を打ち付け、がくがくと頭部がゆれる。

 これほどまでに美しい景色と音楽!

 暗闇の中で、拒絶され続け、しかし叫び続けてきたのだ、”彼女”は。

 セイレーンの歌声に包まれて、僕は霧散した。


 END


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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