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おはよーっ、かぼちゃ。今日も元気かー!

「はぁ……はぁ……」

「………………」


 4月の爽やかな朝。

 未だ桜の花びらが舞う季節の朝。

 河原にあるテニスコートで2人の少女がテニスの試合を終えた時のこと。

 1人はラケットを右手に持って仁王立ちし、もう1人は地面に置かれたラケットと添い寝をしていた。

 添い寝といっても本当に寝ているわけではなく、体操服を汗で濡らし、肩で息をしているのだ。

 それを見下ろしながら少女は茫然としていた。


「嘘でしょ?」

「……ぜぇ……はぁ……はぁ……」


 寝ている少女はまともに答えることが出来ない。

 呼吸の為に鼻と口をフル活動している様子だった。

 時折咳き込んでいる沙耶を見て本当に苦しいのだろうと歌穂は思った。


「天谷さん……本当にテニスやってたの?」


 その声は震えていた。

 歌穂にとって今回の練習は軽めに済ませるつもりのものだった。

 赤羽根未来とのテニス部への入部を賭けた試合のための第一歩で、まずはお互いの実力を確かめ合おうと始まった、学校へ行く前の軽い朝練のようなものをやろうとしていたのだ。

 そもそもこれから授業があるのだから、ハードな練習など出来るわけがない。

 本当に軽めの練習のつもりだった。

 しかし、沙耶はマラソンを完走した直後のランナーのように地面に倒れていた。

 まともに返事ができないほどに息があがっている。

 歌穂はただ呆然としていた。

 意識していなければ、手の力が抜けてしまってラケットを落としてしまいそうだった。


「ちょ…………っと、きゅーけい……させ……て」

「良いけど」


 歌穂は内心焦っていた。

 試合まではもう1週間もない。

 もともと未来のことは嫌っていたのに、加えて入部についての問題がある今、絶対に勝ちたい試合であったが、このままではどうにも勝てそうにない。

 これは歌穂にとって認めたくないことだったが、昨日見学した未来と菫の試合には圧倒されていた。

 2人で申し合わせたようなラリーではなく、お互いが全力を出し切ってプレーする。

 果たして私は彼女たちに勝てるのだろうか、と不安が立ち込めた。

 そう考えると歌穂は苛立ってしまうのだ。


「もーどうすんのよっ!」


 何も落ちてはいないけれど、何かを蹴る動作をせざるを得なかった。

 今更シングルスに変えて欲しいなどとは言えない。

 あの時の自分はどうして冷静さを欠いていたのだろうと、歌穂は嘆いた。

 自分は沙耶とコンビを組んで、彼女たちに勝利しなければならない。

 それはあまりにも大きすぎる壁だった。

 沙耶と歌穂でコンビネーションが合う、合わないの問題ではなく、それ以前に沙耶の基本的なテニスの技術が追い付いていなかった。

 基礎体力の問題でもある。

 沙耶のテニスの実力に対して褒める箇所が歌穂には見つからなかった。


「あぁ、早見さん……強すぎだよぉ……」

「普通にラリーを続けていたのだけど」

「もぅ……走れない……」

「それは天谷さんが無駄に動くからでしょ」

「明日は、絶対に筋肉痛だぁ……」

「もちろん、放課後も練習するけどね。明日も、明後日も」

「そんな…………っ! 早見さんは人の心を持ち合わせてないんだよっ!! 鬼としか思えないよっ!」

「言いたいことはそれだけかしら?」


 その静かな台詞と共に、テニスボールが物凄いスピードで向かって来て、沙耶の近くで跳ねた。

 幸いそれは彼女に当たることなく明後日の方向へ転がっていった。

 沙耶は石像のように固まっていて、顔が恐怖で引きつっていた。


「それ以上文句言ってると、次は当たっちゃうかもねー」

「は、はいっ」


 あの速度のサーブが当たってしまうと、身体の何処かにテニスボール型の痣ができてしまうことは確実である。

 怒りにまかせてつい打ってしまったボールが沙耶の身体に当たらなかったコントロールを歌穂は自賛したかった。

 そうでもしなければやっていられないほど、絶望的な気分に落ちていた。


「早く立ち上がりなさいよ」

「うぅ、足いたぁ」

「しょうがないわね、ホラ」

「ありがとー」


 なかなか立ち上がろうとしない沙耶に呆れた歌穂は、コートを移動し手を差し伸べて取り敢えず座らせる。

 同時に手渡した白いスポーツタオルは歌穂の私物だ。

 それを受け取った沙耶は汗を拭くと、やっとのことで立ち上がった。


「満身創痍とはこのことだね」

「その程度で満身創痍って言葉を使わない!」

「えへへ、私はそんなに体力が無いからね」

「体力も技術力も反射神経も欠けてるけど!? あと、そんなに、ってレベルじゃないからっ」

「早見さんは元気だねぇー、まだ朝なのに」

「これでも疲れてるわよ! 主にあなたのせいで!!」


 こんな不毛な会話をしていても沙耶は笑っていた。

 それを見て怒りが湧いてくるがそれはすぐに収まってしまった。

 あまりにも怒りのボルテージが上がり過ぎて自分の中での諦めが付いてしまったのだ。

 今までの人生を振り返って見ると自分は運の悪い道を歩んできたと思うが、今回は上位に来るだろう。

 もう私が怒ったところで何も変わらない。

 そのエネルギーは、目の前にいる少女を鍛え上げる為だけに使おうと歌穂は決心した。

 いや、そうしなければ本当にやっていられなかった。


「もう時間だから行くわよ!」

「あぁん、待ってよぉ」


 間延びした声を無視して登校の準備をする。

 額をタオルで拭いながら、放課後に向けてのメニューを歌穂は既に考え始めていた。





「あとサーブ。あんなゆっくりかつ甘々コースのボールなのに、3回に1回は外すとかどうなってるの?」

「はい、すみません……」


 河原での朝練を終えて、電車に乗ってから歌穂はまず朝練で気が付いたことについて列挙していた。

 サーブの打ち方や体の動かし方など挙げていけばキリがないほどの欠点の多さだったが、本当に目に付くところだけ軽いアドバイスと少しばかりの文句を交えながら話していく。

沙耶は、すでに『はい、すみません』を繰り返す機械と化していた。

死んだ魚のような目をしながら、手を膝に乗せて同じ言葉を繰り返している。

歌穂はそれを見て本当に聞いているのかと思ったが、混雑している朝の電車の中で怒りだすわけにもいかず、ぐっと堪えた。


「ま、あたしがあなたを6日で矯正させてあげるから…………10回は死んでもらうけど」

「た、体罰は禁止されてるんだよ?」

「あなたがちゃんとメニューをこなせば大丈夫!」

「今はその笑顔が怖いよ……」


 河原までのへらへら笑顔は既に消えていたが、一応脅しておく。

 どうも自分に対して沙耶は馴れ馴れしい態度を取って来るので牽制しておかなければならない。

 人と仲良くするのはどうも苦手なのだ。


「あとコートでの動きね。無駄が9割だったから」

「あ、まだ続くんですね……」


 学園最寄りの駅に到着し、ホームを抜けてからもテニス講座は続いた。

 自分たちにはもう時間が残されていない。

 2人でいる時は、全てをテニスに注がなければならないだろう。


「ランニングしないとね。でも、1週間で効果あるかな……」

「うへー長い時間走るのは嫌いだよぉ」

「は?」

「ごめんなさい、何でもないです」

「ふん、無駄に胸がデカいから走りにくいのよっ」

「うぅ、傷つくよ……。私は好きで多きくなったわけじゃないのに……」


 制服越しにもその存在を主張している膨らみへの嫉妬と憂さ晴らしに辛辣な言葉を並べたが、決して嘘を吐いているわけではない。

 沙耶の心情を全く考えていないワードチョイスだったが、彼女の問題点を挙げた内容になっている。

 決して理不尽などではないアドバイスだから、沙耶にとってはさぞかし耳の痛いことだろうと歌穂は予想した。


「大体アンタはねぇ……あ」

「? あ」


 怒りを隠しきれなくなって呼び方がアンタにグレードダウンした頃、気が付けば1年1組に到着していた。

 ホッとしたように軽く息を吐いた沙耶をキッと睨みつけると、沙耶はビクッと身体を反応させた。


「じゃあ、また放課後。迎えに行くから逃げるんじゃないわよ?」

「うへぇ……」

「逃げるんじゃないわよ?」

「はい……」


 最後に自分の出来る範囲での怖い声を出して、沙耶を脅しておく。

 暗く落ち込んだ沙耶は1組の教室にとぼとぼと入って行った。

 それを見送ると、疲れが一気に襲って来た。

 これから授業を受けなければならないことを思うと、こちらまで暗くなってしまう。

 取り敢えず、今日は出来るだけ省エネモードで過ごしたい。

 そう考えながら、なんとか隣の2組の教室へ入ると歌穂を待っていたのは


「おはよーっ、かぼちゃ。今日も元気かー!」

「のわっ!」


 無駄に暑苦しくて面倒臭いクラスメイトだった。

 挨拶代わりにヘッドロックを掛けて来る彼女に歌穂の苛立ちと疲れはピークに達しそうだった。


「もぉーっ、だるいっ! 桜子離れろッ!!」

「まぁまぁ良いじゃないか、かぼちゃよ。こんなに爽やかな日じゃないか!!」

「いきなりヘッドロックしてくる行動が爽やかさからはかけ離れてるから!!」


 女性にもかかわらず無駄に上手いヘッドロックを掛けて来るのでなかなか抜け出せない歌穂は、何も考えずとにかく暴れて何とか解放された。

 この時点で朝練の疲れが倍加していることに歌穂は怒りを通り越して悲しくなった。

 人にプロレス技を掛けておきながら何ら悪びれる様子もなく笑っているクラスメイトは昼井門桜子(ひるいどさくらこ)

 決して歌穂と長い間の幼馴染というわけではなく、つい最近知り合っただけの人間だ。

 それなのに何故ここまで突っかかって来るのだろうと嫌になるが、いくら抵抗しても向こうは遠慮しないのだから歌穂にとって悩みの種である。

 あと、顔にさっきから押しつけられている胸の膨らみにコンプレックスを感じてしまうのは桜子だけでなく誰にも言わない秘密だ。

 ちなみに“かぼちゃ”というのは、“歌穂ちゃん”が変化していったのだろうというのが歌穂の推測だった。

 全く、安易なニックネームだなと呼ばれる度に呆れてしまう。


「放せ、はなせぇっ」

「へへへ……ギブ?」

「ギブギブ! し、しぬからっ」

「しょーがないなー、許してあげるかー」


 何を許してもらったのか分からないが取り敢えず解放されたので、歌穂は深呼吸をしながら息を整えて、衣服の乱れを直した。

 せっかくの新しい制服なのに、ブレザーには少し皺が出来てしまっている。

 桜子を睨み付けると、彼女はへらへらと笑ってこちらに向かってピースサインをした。


「よーしっ、これで私の4勝2敗だね!」


 訴えればクリーニング代くらいは請求できるのではないかと歌穂は思う。

 新入早々なのにブレザーを脱いでカッターシャツになっている桜子には関係の無いことなのだろう。

 4勝2敗というのは桜子が勝手にカウントしている謎の勝敗で、先ほどのように突然勝負が始まって勝手に結果を付けていくのだ。


「ふーいい汗かいたー。そう言えば、かぼちゃったら朝から運動して来たな」


 桜子はシャツを指でつまんでパタパタと手で仰いだ。

 始業前にいい汗をかく必要はどこにもないと歌穂は思ったが、朝の行動を言い当てられて少しドキッとした。

 昨日の未来とのやり取りを思い出したからだ。


「なんで分かるのよ」

「へっへーん。簡単な推理だよ、ワトソンくん」


 まったく、昼井門桜子は人をイラつかせる天才なのだろうか。

 歌穂は彼女の顔を見ながら、奥歯を噛みしめた。


「さっき技かけた時に、少し汗くさ――」


 そう桜子が言い終わる前に、歌穂は自然な流れで両頬を引っ張っていた。


「いひゃいっ、ほっへひっはるちきゃらがつよいって!」

「うるさい! 女の子に言って良いことと悪いことがあるわっ!!」


 つい最近沙耶にやった攻撃をクラスメイトにも仕掛ける。

 この攻撃は相手の頬へそれなりにダメージを与えられること、相手を黙らせられること、相手の変顔を観察出来ることという3点から歌穂のお気に入りだった。


「ひぅーっ、はなへー!」

「ほら、撤回しなさい、あたしは汗臭くなんてないよねぇ?」

「へっかい! へっかいひまひゅからっ! かほしゃはいいかほり!!」

「ふん、分かればいいのよっ」

「あたた……ほっぺがひりひりするー」


 赤みがさした頬を擦りながら桜子は少し涙目になっていた。

 教室の後ろから歌穂たちのやり取りを見ていた桜子と親しいクラスメイトが、自業自得だなーと騒いでいる。


「私のどこが悪いのさー」


 それを聞いて桜子の意識が彼女たちに向いてくれたので、これ以上絡まれることは無いだろう安心した。


「あ、かぼちゃー」

「なによ」


 歌穂は難を逃れて自分の席へと避難しようとするが、桜子に再び呼び止められた。

 また、くだらないことだろうと嫌々ながら振り返る。


「今日、体育あるねー」

「あるわね、それがどうしたのよ」

「ふふっ、楽しみだね!」

「ふん」


 やはりくだらないことだったと歌穂は無視してそのまま自分の席へ歩いて行く。

 席に座って落ち着いたところで、教科書やノートの準備をしながらふと歌穂は考える。

 桜子といい沙耶といいこの学校にはどうしてこんなにも絡んでくる人間が多いのだろうか。

 そういえば未来も自分に絡んでくる人間のグループに入るかもしれない。

 歌穂は人に絡まれるのがあまり得意ではない。

 時折、耳に入ってくる桜子たちの騒ぎ声が嫌になるくらいに。

 歌穂は桜子のように柔軟に対応出来るわけでもなく、未来のように言葉で戦えるわけでもなかった。

 いつからこんな風になってしまったのだろう。

 もっと小さい頃は自然に友だちと仲良くできたし、ふざけ合うことも出来たのに。


「あーもう止めた止めた」


 昔のことを考えると少し暗くなってしまうのは仕方ないことだ。

 出会う人間についてはいくら努力したところで変えられないことなので、やはり自分は運が悪いのだろうと結論付けて歌穂はそれ以上悩むことを止めた。


「…………そういえば」


 少しだけ気になって、鼻を動かしてみる。

 同性とはいえ、汗臭いことを指摘されたら気になるものである。


「あとで制汗スプレーしとこ」


 先ほどヘッドロックをかけられた時、桜子からは普通に良い匂いがしたことに歌穂は無駄な苛立ちを募らせた。


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