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あ、あたしが迷子なわけないじゃない!!

「ところで、霧崎さん」


 4限目が終わり、机を合わせて昼食をとることにした3人は部活動の話を始めていた。

 女子校なだけあって、昼食は手作り弁当を持参している生徒が多く、3人も手作り弁当を持参していた。


「何かしら?」


 棗は卵焼きを摘みながら、沙耶の質問に相槌を打った。


「朝、“昨日も”って言ってたけど、もう部活動やってるの?」


 今日は4月10日で、白百合学園に入学してからまだ3日しか経っていない。

 そんなに早くから新入生が部活動に参加することはなく、確か1週間後から1年生が仮入部だったような、と沙耶は疑問を口にした。


「あぁ、そのことね」


 まるで前にもそんな質問を受けたような口ぶりで、


「白百合の吹奏楽部って結構全国とか出ているから、希望者が多いの。実際、入部したいがために他県から来る人もいるみたい。だから、仮入部期間よりも前から、新入生が活動できるよう優遇されているの」


と、無感情に説明した。


「へぇ~すごいんだねー」

「えぇ、今年は50人くらい入部する予想みたい。ちなみに、入学者全体が160人だから、約30%が吹奏楽部員ね」

「ひゃぁ……なんか、予想外過ぎるよ」

「その分辞める人も多いみたいだけど」

「そうなの?」

「えぇ、去年は1年間で半分くらい退部したらしいわね」

「マジですか……」


 結果を残している分、それだけ白百合学園吹奏楽部の練習は厳しい。

 中にはその厳しさについていけない者が当然のことながら出てくる。

 その人数が半分ということから、初めて実態を聞いた沙耶でさえ、相当厳しい部なのだろうと感じた。

 そして、それだけ厳しいと知りながらそれに入部する棗にも沙耶は羨望の眼差しを送らざるを得なかった。

 しかし棗は、


「私は何も成してないわよ? それこそ、入部するだけなら天谷さんにも出来るわけだし」


と、どこまでも謙虚でクールだった。

 そこに横から補足説明が入る。


「でも、なっちゃんは実績があるんだよ」


 瑠衣はそう言って、中学時代に霧崎棗がどれだけフルート奏者として実績を残したかを語った。

 1年生でいきなりレギュラーを取ったこと。

 3年間で2回全国大会に出場したこと。

 最後の大会では部長を務め、銀賞を獲得したこと。

 褒め称え崇め奉るような話しぶりに、流石の棗も照れたのか、そ、それくらいにしときなさい、と若干頬を赤らめていた。

 それでも瑠衣はノンストップで自慢を続けたため、最後は顔を真っ赤にした棗に口を押えられるという結末に達した。

 そして、慌てて話題を変更する。


「る、瑠衣は部活動どうするの?」

「ん~。今のところは特に、かな」

「そんな、もったいない」


 何か始めてみればいいのに、と棗。

 それを聞いて、星瀬川さんも多分スペック高いんだろうな、と勝手に想像する沙耶。

 そもそも、この近辺ではかなり名門な白百合学園に入学できている時点で、それなりの能力があると言っていい。

 少なくともこの学園に通う生徒に対して、一般人が抱く見解はそうだ。

 それでは、沙耶にも勉強や運動が得意、もしくは特技を持っているのかといえば、答えは否である。

 地元の中学校は受験などせずに1番近所の学校に入学。

 何となく人気だからと、テニス部に入部するも、あまり基礎運動能力の高くない沙耶。練習についていくのに必死で、疲れて帰宅し即睡眠。

 疲れて勉強など手に付かず、宿題を期限ギリギリに提出するのが精いっぱい。

 テスト週間には部活動は休みになるが、いざ勉強しようとすると部屋を片付けたくなる典型的なダメパターンに毎回陥る。

 当然、テストは良くて平均点で悪い時には、人に晒すことのできない点数を取ってしてしまう。

 これでテニスの大会などで結果を残しているのであれば救いようがあるのだが、3年間で公式戦わずか3勝、そのうち2戦が不戦勝という体たらくであった。

 そんな天谷沙耶が何故、高偏差値で知られている白百合学園の入学試験を受ける事になったのか。

 それは母親の、白百合学園って高校の受験料が無料みたいよ。受けなさい!という言葉が原因なのである。

 “タダ”とか“無料”という言葉にめっぽう弱い沙耶の母は、自分の娘の頭脳と白百合学園の試験の難しさを完全に無視して受けさせたのである。

 つまり、どうせ無理だけど、無料なのだから受けるだけ得。

 万が一、億が一、合格すれば得どころの騒ぎじゃない精神なわけだ。

 最初は沙耶自身も受験を渋っていたが、母親のメリットだけの話を聞くと


「すごくお得だね!!」


と、単純にも信じてしまった。

 母娘で盛り上がる中、父親だけが必死で娘の成績にあった高校をインターネットで吟味していたことを母娘は知らない。

 そして試験当日、もしかしたら1%くらいは可能性があると思っていた沙耶の考えは1教科目の国語で粉砕される。

 簡潔に表現すれば難しい、沙耶の場合は無理。

 大問1の問1を見た瞬間、沙耶は、あ、これ、無理だな、と無駄に確信したのだった。

 しかし、1週間後とんでもない奇跡が起こる。

 何の間違いか天谷家に白百合学園の合格通知が送られてきたのだ。

 半信半疑の両親と娘は互いに頬を引っ張り合い、それでも夢ではないことを確信した瞬間、大喜びで抱き合っていた。

 ただ、冷静になった沙耶が、自分の合格の理由を一生懸命考えてみても、納得できるものは思いつかなかった。

 誰も知らない真相を一言で表現すると、“勘がさえていた”のである。

 なにをやっても人並み以下な彼女だが、ここぞという時に神がかり的な勘を発揮するのだ。

 勘だけで、入試を突破することは常人に出来る事ではない。

 つまり、これは才能と呼べるだろう。

 しかし、沙耶本人がこの才能に気が付くことはない。

 彼女にとって白百合学園に合格したことは永遠の謎なのである。


「天谷さんは何か部活はするの?」


 だから、そう質問してくる瑠衣に向けて沙耶は苦笑いを浮かべた。


「んーと……一応、テニス部かな」

「一応?」


 首をかしげる2人に、沙耶は補足する。


「中学の時はテニスやってたんだけどね。いかんせん弱くて、わたし」


 弱いのは紛れもない事実なので消え入るような声で告白する。

 しかし、2人は沙耶の言葉を謙遜と取ったのか、


「でも、そんなこと言って普通にできるんでしょ?」


などと、聞いてきた。

 違うんです。本当に雑魚なんです、とも言えず。


「ま、まぁ……それなりに……」


 意味のない嘘をついてしまう。


「そういえば、テニス部も吹奏楽部と同じように事前入部出来るみたいよ?」

「わ、わたしはそんな大層なものじゃないよ」


 棗のように実績があるわけでもないのに、事前入部など恥を晒しに行くようなものだ。

 テニス部に入るにしても、出来るだけ目立たずに練習していたい。


「でも、行ってみたら? 先輩方といち早く交流を持つことはとても有意義だし」

「そ、そうかな……わたしなんか」


と、沙耶の言葉の途中で予鈴のチャイムが鳴り、同時に合わせていた机が前へと向けられる音がした。

 次の授業は何だったかなと時間割表を確認し、教科書とノートを準備する。

 それからすぐに教師が教室へ入って来た。


「起立、礼」


 先日、選挙という名のじゃんけんで選ばれた棗が号令をかける。

 その声を聞いて、沙耶はそんな棗の言葉を思い出していた。


(確かに、先輩との早くからの交流は有意義なのかも……)


 人の意見に流されやすい彼女は、放課後の予定が出来たようだ。





 放課後、その名の通り白百合の様な白壁を持つ校舎からたくさんの生徒たちが吐き出されていく。

 それまで人の存在が無くただひたすら静寂を保っていた中庭、グラウンド、駐輪場などもあっという間に下校をする生徒、または部活動をする生徒よって姿を変えていた。

 学園生活が始まって3日目の放課後は、相変わらず熾烈な部活動の勧誘戦争が行われており、いつもより賑やかなのは毎年のことである。

 校門から一番離れた校舎にある1年1組の教室の3人の生徒も、その例にもれることなく、各自の目的へと歩みを進める。

 霧崎棗、天谷沙耶は部活動へ、星瀬川瑠衣は家へ、といった感じである。

 透き通るような髪に、 少々目立つ赤い髪留めをしているのは棗。

 身長はスラッと高く、スタイルも良い。

 大人っぽい顔立ちは美少女というより、美人という言葉が当てはまった。

 そんな彼女の手には黒の重厚なケースが握られている。

 中に入っているのはフルート。

 中学からのパートナーで、棗が世界で“2番目”に大切にしているものだった。

 シルクのような黒髪に棗とお揃いの髪留めをしているのは瑠衣。

 学校指定のカバンのみを手に持ち、私は帰宅部です、と言っているようなものである。


「じゃ、また後で」


と、瑠衣が手を振りながら微笑む。


「えぇ、7時までには帰るから」


 それに棗が答える。

 その光景は何度も繰り返されたように感じられ、ある種の習慣なのだろうと沙耶は考えていた。

 聞くところによると2人は家が隣同士で、幼稚園からの付き合いらしい。

 これだけ仲の良い友人を早く作ってみたいと考えた時に、昨日電車で助けてくれたあの少女のことを思い出した。

 リボンの色が1年生の物だったので同じ学年のはずだ。

 落ち着いたら他のクラスを回って探して見ようと考えながら、沙耶はテニスコートを目指すことにした。





「ここはどこだろう」


 棗たちと別れてから30分後。

 沙耶は森の中で途方に暮れていた。

 気候は春の陽気ながら、無駄に歩き回ったことと現在位置が掴めない焦燥感から制服が汗ばんで気持ち悪い。

 学園全体図を見てテニスコートの位置はあらかじめ把握していたのだが、メモすることさえしなかった彼女は広大な白百合学園の洗礼を受けていた。

 頭の中にあった位置関係は、今の自分がどこにいるのか分からないという理由から役に立たないものになっている。


「うぅ……こんなことなら携帯で写メしておけば良かったよ……」


 何とかなる、と考えてしまう楽観的なところが沙耶の性格である。

 流石に学園内で迷子になるとは考えていなかったのだろう。

 そこは名門私立高校の広さを舐めてかかった結果である。


「これじゃあテニス部の見学をするどころか、家に帰れるかも怪しくなってきるね!」


 無駄に明るくしてみても状況は変わらなかった。

 そもそも学校内に森があるのがおかしい、と沙耶は嘆く。

 それでも明るくしないといけなかったのは、周りが木で覆われているため太陽の光が差し込んでこないためにまだ日は高いにも限らず、辺りが夜に近い暗さだからである。

 加えて風が時折吹くと葉同士が擦れ合って、不気味な音を立てている。

 昔、絵本で読んだ怖い絵本を思い出した。

 そんなものを想像してしまったがため、余計にあの茂みからあの木陰から何か出て来るのではないかと勘繰ってしまう。

 そうなるともう駄目で、恐る恐るといった足取りで進むはめになった。


「ひっ!!」


 急に背後から物音がする。

 風は吹いておらず、葉や枝が出す音には思えない。

 何かいる。

 一筋の汗が顔の横を流れていく。


「ははは……そんな馬鹿な」


 お化けに始まり、蛇や野犬、熊のイメージまでが脳内を駆け巡った。

 そして、イメージしたものの内どれが出て来ても、腰を抜かしてしまうことは間違いないだろうと、変に冷静な思考も駆け巡る。

 深呼吸、深呼吸。

 そんなことでは落ち着くはずもないことは分かっていても呼吸が荒くなることが避けられない。

 しかし、後ろを振り向かなければ正体不明のまま何かに襲われる可能性もある。

 最低限、何がいるかくらいは確認しておきたかった。

 沙耶は決心をする。

 1・2・3で振り向く決心を。


「1……2……」

「流石にこんなところから入って行っても違うか……もう、ここどこよ……」

「ひぅ! 命だけはお助け下さい!!」


 完全にタイミングを外された沙耶は、とりあえず頭を下げて謝ることにした。


「は?」

「あれ?」


 辺り一帯に何とも言えない微妙な空気が流れる。

 どうやら、沙耶の目の前にいるのはお化けでも蛇でも野犬でも、ましてや熊でもないらしい。

 茂みから出て来たのは、まごうこと無き人間、それも白百合学園の体操服を着た生徒だった。


「えと、あなたはお化けですか?」

「失礼ねっ、そんなわけないでしょ!?」


 沙耶はその少女を頭の先から順番に視線を下へ降ろして行き、肩、胸、腰、足と降りていき、そして再び目線を上へと向ける。

 戻って来た沙耶の視線が顔に辿り着いた時、少女の目に吸い込まれそうになった。


「あなたは……今朝のっ!」

「あ」


 沙耶がその少女の正体に気が付いた時、その少女も沙耶の正体に気が付いたようである。


「あ、あのっ」


 沙耶は感激と感動を抑えることに必死だった。

 目の前の少女は、今朝自分自身のことを助けてくれたあの少女だったのである。

 両くくりにした肩まで伸びた髪、ツンとどこか冷めたような顔は体操服という活動的な服装に不思議と似合っていた。

 まさに運命の再会である。


「今朝はっ」


 だから、なかなか言葉が出て来ない。

 何か上手いことが言いたくて詰まってしまいそうになる。

 沙耶はただお礼が言いたいだけなのだが、ありがとうの一言すら言葉に出来なかった。


「今朝は、ありが――」

「アンタねっ、今日痴漢されて無抵抗だったのは!!」

「え?」

「ダメでしょ、痴漢されてるのに大声出すどころか身動き一つもせずにただただされるがままになって痴漢されてちゃ! あんなの痴漢を喜ばせるだけなんだからねっ! そりゃ、アンタが痴漢されても全く気にしないなら別だけど? あたしはあんなハゲ散らかしたおじさんに体触られて何も感じない子となんて交友関係持つどころか、喋りたくもないけれどね!! 大体ねぇ――」

「わ、わたし、喜んでなんかないよぉ!」


 あまりにも早口にまくし立てられるので何も返せないでいた沙耶だったが、痴漢に触られて悦んでいる人間認定をされそうになったところで、反論しなければ好感度がガンガン下がってしまうことに気付いてようやく口を挟んだ。

 

「だったら、何か抵抗しなさいよっ!!」


 そう言いながら、少女は沙耶の頬を両手でつまんで広げる。

 まるでリスが頬にどんぐりを入れたように引き伸ばして、上下左右に好き勝手弄りまわす少女に沙耶は成すがままになっていた。


「うひゃ、やめてよぉっ!」

「反省しなさい、うりゃうりゃ」


 結局、沙耶は割と長い間、頬を引っ張られっぱなしだったのだった。





 “リスの頬袋”のやり取りが終わった時、沙耶はようやく少女と自己紹介を済ませることができた。

 少女の名前は早見歌穂。

 沙耶と同じく白百合学園の1年生である。


「歌穂ちゃんはどこから電車に乗ってるの?」

「歌穂ちゃん? いきなり名前で呼ぶわけ?」

「あ、ゴメンね……早見さん」

「ふんっ」


 歌穂はぷいっ、と視線を逸らした。

 沙耶としては一早く歌穂と仲良くなりたくての“名前呼び”だったのだが、拒否されてしまう。

 ついでに言っておくと、未だに“天谷さん”とすら呼ばれていないことを沙耶は考えないようにしていた。


「あの……早見さんは、テニス部に入るんだよね?」

「なんで?」

「だって、体操服だし。ラケットケース背負ってるし」

「まぁね。これでも割と上手い方なのよ?」


 その声はどこか嬉しそうに聞こえた。

 やはり、テニスをする人間はテニスの話になると気分が上がるのだろうか。


「えと、じゃあまた助けてもらうことになるんだけど……」


 遠慮がちの沙耶の声に、歌穂は少し突き放すように、なによ、と返す。


「わたしもテニス部に入りたくて見学がしたいから、テニスコートまで案内してくれたらなって」

「…………」

「…………早見さん?」


 急に歌穂が立ち止まったので、慌てて沙耶も立ち止まり視線を向ける。

 だが、歌穂は黙ったままで、視線を合わそうとすらしない。


「早見――」

「う、うるさいわねっ、聞こえてるわよ!!」

「あ……ごめんなさい」


 それからしばらくの間、歌穂は沙耶を無視し沙耶は歌穂の回答を待つ謎の時間が流れた。


「えと、まず確認しておくわね」

「うん」

「あたしは道に迷ってるわけじゃないからね」

「う、ん?」

「確認できましたか?」

「う、うん?」

「ハテナマークはいらない!」

「う、うんっ!!」

「はい、よろしい。で、頼みってなんだっけ?」

「テニスコートに連れてってもらいたいなって」

「へーそうなんだ。へー」

「うん、だから早見さんに連れてって欲しいなって」

「なんであたしが?」

「え? だって、体操服着てるしラケット持ってるってことは早見さんってテニス部に事前入部してるんだよね? だったらさ」

「ま、まだ入部は……しないけどね、うん」

「でも、参加は?」

「う、うん」

「してるんだよね。だったら連れて行ってくれたら嬉しいなって」


 しばしの沈黙、そして視線の巡遊が行われる。

 そして――


「うっさい、バーカ!!」


 歌穂は急に走り出した。


「えっ!? なんでなんで!?」


 その突飛な行動に一瞬沙耶は着いて行けなかったが、相手に走り出されたら追いかけたくなるのが人間の性で。


「ま、まってよぅ……」

「うっさい、うっさい! ついてくんなー!!」


 唐突に鬼ごっこが始まってしまったのである。

 沙耶は歌穂を追いかけながら、テニス部への道のりの過酷さに溜息を吐いていた。





 鬼ごっこは2人の体力が尽きるまで続いた。

 特に制服で走りまくった沙耶は、入学3日目の制服にもかかわらずところどころ汚れてしまっている。

 しかし沙耶はそれを嘆きながら、先を歩く歌穂の背中を追って行った。

 しかし、そんな歌穂の背中を見ながら沙耶は胸の高鳴りを感じていた。

 まさかこんなに早く出会えるとは思っていなかったのである。

 こんなに早く会話をして、鬼ごっこまでやってしまった。

 それだけでロマンチストの沙耶にとっては、お腹いっぱいなのだ。


「ふふっ」

「なによ、気持ち悪いわね……」

「いえいえ、別にお気になさらずだよっ」


 歌穂はそんな沙耶に対して、不審者を見る目で見ていたが沙耶はそんなことには気付かない。

 そんなやり取りをしながらしばらく歩いていると、沙耶にとって聞き慣れた音が聞こえ

てきた。

 何かが軽快に弾む音が絶え間なく、テンポ良く。


「あれ……これって」


 その音は沙耶が待ち望んでいたものであった。

 この広い庭を歩き回っていたのはそのためだ。

 そして、それは歌穂にとっても同じだったようで、2人は顔を見合わせると、音に導かれるように走り出した。

疲れていても関係ない。

 暗い森の中ではその音だけが道標で、それを聞き失わないように2人は無言だった。

 視界が開けて2人が辿り着いた場所は高い金網に囲われたテニスコートだった。

髪の長さが対称的なプレイヤーたちが激しいラリーをしている。

 長髪が強烈なショットをコートの端に打ち込んだかと思えば、それに素早く反応した短髪が無駄の無い動きでリターンを決める。

 沙耶は口をポカンと開けて、ただただそれに見とれていた。

 それは今まで自分がやってきたテニスとは遠く、また自分が憧れたテニスでもある。

 思わず胸が高鳴った。

 学園内でも外れた場所にある到底整備されているとは言い難いコートだったが、今まで観てきたどの試合よりも迫力がある。

 沙耶は夢中で見入っていた


「すごい……」


 沙耶がそう口にした時、長い髪が舞って力強いスマッシュが放たれた。

 それはコートの端に綺麗に決まり、ボールがそのまま直進して沙耶と歌穂の近くまで転がってくる。


「ふぅ……流石に取れないか……ん?」


 独り言を言いながらボールを拾いに来た短髪の部員は試合観戦をしている1年生2人に気が付いた。


「もしかして、入部希望か?」


 落ち着いたその声が、彼女のクールな性格を連想させる。

 肩まで届かない長さの髪に大人びた顔立ち。

 今はジャージだが、スーツを着れば社会人と間違われるくらいではなかろうか。

 そんな空想をしながら、沙耶はやっとのことで言葉を紡ぐ。


「い、いえ……わたしたちは見学に」

「そう。じゃあここに名前と連絡先を書いてね。そっちのあなたもどーぞ」


 いつの間にか、先ほど見事にスマッシュを決めた彼女が現れていた。

有無を言わさず、バインダーとボールペンを握らされる。

 その長い髪の毛は背中の辺りまで伸びていたが、ヘアゴムで括っていないので動くとサラサラとなびいた。

 渡されたバインダーには、名前や住所、連絡先を記入するための紙が挟んである。


「はい、ありがとうございます」


 反射的にお礼を言った沙耶は、ポールペンをノックし記入を始める。


「えっと、天谷、沙耶っと」

「ってこれ、入部申請届けじゃないですかっ」


 歌穂の声に沙耶はハッとする。


「そ、そうだ、わたしは見学に……」


 そうだ、まだ自分はテニス部に入ると決めたわけではない。

 先程の試合には思わず見とれてしまったが、そこまで簡単に決めるほど短絡的ではない。

 テニスは大好きな沙耶だが、運動自体はあまり得意ではない。

 体力もある部類ではないし、反射神経も良いわけではない。

 だから、あまりにも練習がハードな部には入りたくないというのが本音だった。


「見学なんてケチなこと言わないで。見て学べることなんてゼロに等しいと思わない?」

「確かに……」


 簡単に流される沙耶を見て、歌穂は慌てた。


「乗せられちゃ駄目よ!」

「あら、でも善は急げって言うじゃない、早見歌穂さん?」

「な、なんで、名前を……!?」

「ねー、天谷沙耶さんも、そう思うでしょ?」

「わ、わたしの名前も!?」


 戸惑う2人を見て、クスクスと笑う。

 もちろん、2人は今まで彼女と顔を合わせたことすらない。


「貴女たちが、今日テニス部に来ることは知っていたわ」


 長い髪をかきあげ、余裕たっぷりの女性はタオルで汗を拭く。

 たったそれだけのことなのに、何とも画になることか。


「私の名前は赤羽根未来(あかばねみらい)。その名の通り、未来が見える女よ」


 その笑みよりもずっと怪しい言葉で、彼女は自己紹介をした。


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