私はテニスが大好きですから!
「…………」
「あのー、御津先輩?」
「…………っ!」
「えーと、あたしも悪かったですよ。現役じゃない先輩に全力で行き過ぎました」
「──るさぃ!」
小一時間テニスで汗を流した後、4人は再び生徒会室に戻っていた。
しかし、スポーツの後のさわやかな雰囲気とは程遠く、暗くどんよりした空気が部屋を包んでいた。
理由は明白で。
「早見さんも天谷さんも謝る必要なんてありません。全ては凛がよわよわだったことが悪いのです。サーブは入らない、打ち返しも出来ない、そもそもボールに追い付かない……は?」
「うっ……」
静香に核心を突かれて凛は心臓に矢が刺さったかのようなショックを受けた反応をする。
もう既に泣きそうだった。
「あの……そこらへんで……」
そのやり取りがあまりにも痛々しくて、沙耶が思わず仲介に入る。
誰かが泣きそうなほど責められているのを見れば大体の人間が、いたたまれなくなるのが普通である。
しかし、その仲介を無視して静香は叱責を続けた。
「いえ、まだ手ぬるいです。正直、失望しました。弱いとは予想していましたが、まさか現役の2人だけでなく私にまでストレート負けをするだなんて……」
「いや、先輩絶対に未経験じゃないですよね? 動きが違いましたもん」
「だって……だって……うわぁぁあん!!」
静香の厳しい言葉に、凛はついにしゃがみこんで泣き出してしまった。
1年生2人は流石に予想外で慌ててしまう。
未来から仕込まれた作戦とは、凛とテニスをすることだった。
どんな手段を使っても良いから取り敢えず凛を戦いの場に上げて、テニスをする。
未来によればその結果がどんなものになろうとも大丈夫ということだった。
もし、2人が大勝すれば凛は悔しがって入部するだろうし、大敗すれば凛を褒め称えて、コーチになってください、とでも言えば入部してくれるだろうという魂胆だ。
要は、凛をテニス部員として再び迎え入れる作戦だったのだ。
また、接戦になれば良きライバルとして入部してくれるだろうという予想。
これに関しては桜子とのドッジボールを褒められた歌穂も少なからず納得していた。
そんなに上手く行くのかと新入生たちは思っていたが、まだ奥の手もある、という未来の言葉を信じてこの役を引き受けたのだ。
結果は2人の大勝。
ついでにどう見ても初心者ではない動きで静香も凛を圧倒した。
これであとは上手く凛を挑発すれば万事解決と歌穂も沙耶も考えていたのだが……。
「うわぁあああぁああぁん!! もう、凛は、凛は、テニスなんてやらないぃぃぃ!!」
この展開は流石に予想できていなかったので、どう対応して良いのか分からない。
子どものように泣き叫ぶ凛を見て歌穂は途方に暮れていた。
彼女は子どもの扱いが苦手で、どちらかといえば嫌いな部類だった。
こうなったら収拾がつかなくなると、心の中で部長の姿を思い出しながら苛立ちがつのる。
しかし、どうにかしてこの場面を乗り切らないと部活の廃部問題以前に帰宅できなくなってしまう。
どうしかものかと歌穂が狼狽えていると、生徒会室に帰って来てからずっと黙っていた沙耶が凛の前にしゃがんだ。
「あの、先輩」
「ぐす……な、なんだよぅ」
「私は先輩とテニスが出来て良かったです、楽しかったです」
沙耶の柔らかい声に凛は着替えた制服の袖で目尻をごしごしと拭った。
目は真っ赤に充血していて、拭った先から涙がこぼれている。
「そんなわけないだろう…………私は、テニスが弱くて……相手をしていても、滑稽ではあれ、面白くはないはずだ……」
「それは違いますよ、先輩」
沙耶は凛を包み込むように抱き締める。
突然の行動に凛だけでなく、歌穂や静香までが驚きを隠せなかった。
「テニスは別に勝ち負けだけがすべてじゃありません。私だって中学生の時はよわよわで、最初はラケットにボールが当たらないことの方が多かったです」
「そんなのウソだ……だって、あんなに上手くて……」
「嘘じゃないです。私の公式戦勝利数なんて中学3年間で振り返ってみても片手で数えられるほどですから。でも、テニス部を辞めたり、練習をさぼったりとは思いませんでした……なぜだか分かりますか?」
「………………」
何も答えない凛に、少し間を置いて沙耶が答える。
「それはですね、テニスが大好きだからです。負け続けても、失敗してみんなから笑われても、練習がきつくても。最初は何となく人気で始めたことですけど、止められなくって」
「でも……まったく勝てなかったら、意味がないじゃないか……」
きっと、凛は自分の経験を思い出しているのだろう。
その中には昨年の夏にあったらしい未来との勝負や先ほどまで行われていた試合も含まれているのかもしれない。
「そんなことないですよ。だって私たちはプロ選手じゃない。テニスでご飯を食べているわけでもない。お父さんが酔っぱらうといつも言う口癖があるんですけど、好きなものは仕事にするなって。仕事にしたらどうしても結果を出さないといけないから、どんどん好きなものが嫌いになっていくって。でも、私も御津先輩も今は学生です。だから負け続けてもテニスが好きだからって理由だけで続けても良いと思います」
「……ぐすっ、確か、天谷……沙耶と言ったな」
「はい」
「私もテニスが上手いわけじゃなかったから中学の時から負け続きだ。でも、テニスが好きだったから白百合でもテニス部に入った。でも、去年の夏に未来と試合をやって、ボロ負けしてすごく嫌になった」
「それは部長がひどく先輩を振り回したからですか?」
「ああ、あれで嫌になった。アイツのことも大嫌いだ。テニスのことも嫌いになって、生徒会に入ってテニス部を廃部にしようと思った」
「でも、御津先輩が在籍していた時からほぼ廃部に近かったんでしょう? だったら御津先輩もそんなことしなくても」
歌穂が率直に尋ねると、凛は力なく笑った。
「そうだ、私が生徒会に入らなくても活動停止になっていただろう。私はただ未来の敵側に回りたかったんだ。そして勝ちたかった」
いつの間にか泣き止んだ凛は窓を開けた。
春の冷たい風が部屋の中に吹き込んで来る。
「テニス部を活動停止にして、未来に勝ったって宣言したかったんだ」
その言葉は風と同じように冷たく、寂しかった。
「だったら、好きなテニスで勝ちましょうよ」
歌穂も沙耶の隣にしゃがんだ。
「勝ちましょう。あたしもあの女にコテンパンに負けましたから。次は勝ちます。だから、御津先輩も一緒に勝ちましょう」
「早見……………………あぁ、そうだな」
テニス部の部室では未来と菫が机を挟んで座っていた。
大した会話を交わしているわけでもなく、ただ微妙な空気が流れている。
未来は可笑しそうに笑みを浮かべ、菫は落ち着かない様子で意味もなく辺りをキョロキョロと見渡している。
「大丈夫だろうか、後輩だけに行かせて」
「大丈夫じゃない?」
「しかしだな」
「根回しはしたし、よっぽどの下手を打たない限り大丈夫よ。この前の試合でそれは無いって分かったし」
コーヒーおかわり、と独り言を言いながら2杯目のコーヒーを未来は作る。
自分が部長を務める部活が存亡の危機にあるにも関わらずのんびりしているな、と感じながら菫はコーヒーをすすれないでいた。
「作戦通りに進まなかったらどうするんだ」
「もう、菫は心配性ねぇ」
「未来がのんびりしすぎなんじゃないのか……」
少し不機嫌そうな顔をしてしまう菫。
「別にどうってことないわよ。ただ、凛ちゃんと遊んでくるだけだから」
「本当にお前は……」
「それにいざとなったら灘崎さんもいるし。あの人がいればまず失敗しないでしょう」
「確かにな。まさか、彼女がこちらの味方についてくれるとは思わなかった」
「彼女にしてみればテニス部の存亡なんてどうでも良いのよ。でも、今回はたまたま利害関係が一致したのよね」
「利害関係?」
菫が首を傾げて見せると、未来はニヤニヤと笑ってこれはオフレコです、と人差し指を立てて唇の前に持って行った。
「さて、コーヒーを飲み終わったら、明日からの練習メニューを考えましょうか。多分、部員が1人増えることになるし」
「はぁ……まったく」
菫は立ち上がり、コーヒーがまだ入っているマグカップを脇にどけて、メニューを考えるためのノートを広げるのだった。
「時に早見さん。1つ例え話をしても良いですか?」
「例え、話ですか」
生徒会室に置いていた荷物を持って、部室に戻ろうとした歌穂を静香は呼び止めた。
急に話を振られて、歌穂は首を傾げる。
つられて沙耶も立ち止まった。
「人生が1つの演劇だと仮定しましょう。その演劇を演じるのは私たちであるわけですね」
「はぁ」
核心が見えてこない語り口に歌穂は眉を潜めた。
「では脚本を書くのは誰でしょう?」
「え。なぞなぞですか?」
「いえ。答えなんてないです。早見さんの考えを聞きたくて」
歌穂は少しだけ考えて、納得出来る答えが思い付かなかったのか、神様ですかね、と答えた。
「神様ですか」
「えぇ、これから何が起こるかなんて分からないですし。あえて答えるなら神様くらいじゃないですか?」
「そうですよね、当たり前のことです。もし神様がいるならば、そんな存在が脚本を書くのかもしれないです」
その会話にピンと来たのか沙耶が突っ込んだ。
「そういえば、赤羽根部長は未来が見えるとか言ってましたね。実際、色々と当てられましたし」
「あんなの絶対ウソに決まってるでしょ」
歌穂は笑い飛ばしたが、静香は少し真剣な顔をした。
もっとも、元々無表情な彼女の微妙な感情の変化を2人は気付くことは出来なかった。
「もし、本当に未来が見える、またはそれに近いくらいの状況予測とリスクマネジメントが出来る人間がいれば、早見さんの未来も明るいでしょうね」
歌穂は静香が何を言っているのかよく理解できなかった。
彼女が何のことについて話しているのか分からない。
「そ、そうですね?」
「はい、これからもテニスを頑張ってください。凛を含めてテニス部のことを影ながらに応援していますから」
ぺこりとお辞儀をする静香。
それにつられて2人も頭を下げたのだった。
これからまた仕事が忙しそうなので、投稿についてはどうなるか分からないです。