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死ぬほど愛していました

 幼馴染が死んだ。

 本当に驚いた。急にである。人生何が起こるかわからないとはよく言ったものだし、現実は小説より奇なりとは真理である。

 前触れもなく伏線もなく十八年間一緒に過ごした幼馴染が、ある日トラックに死んでしまいました。

 これが小説だったのなら、作者の都合で作者に殺されたのだというのが見え透いてしまって、読書熱がすっかり冷めてしまっても致し方がない。本を閉じる人が多数出ても、それは仕方がないことだろう。しかしこれが現実ならばどうだろうか。前触れもなく伏線もなく十八年間一緒に過ごした幼馴染が、ある日トラックに死んでしまいました。はい、どうだろうか。私は言葉にならぬ。この感情を言葉にすることは出来ぬ。

 でもきっとそれは、現実ならば、よくある話なのだろう。

 よくある話で多くの人は片づけ、平然と生きていくのだ。なかったことにするのだ。こんな理不尽なことがよくある話で片づけられてしまう現実は、なるほど確かに小説より奇であり、狂っている。こんな狂った世界でこれから私は一人で生きていかねばならぬのだ。一人で生きねばならぬ世界を人は地獄と呼ぶべきだ。ここは地獄だ。私は生きながら地獄に堕ち、生きていかねばならぬのだ。

 死にたい。

 しかしそれは叶わない。叶えることはできない。なぜか。それはなぜか。なぜなら彼女は死にたくなかったからだ。という理由ではない。残念ながらそんなキレイな理由ではない。本当は死にたくないからという理由でもない。勇気がないという理由でもない。私はもう本当に死にたいのだ。彼女がいないこの世界にいたくはないのだ。一分たりとも一秒たりとも。彼女の死をよくある話だと片づけるこの世界の空気を吸いたくはないのだ。私は死にたいほど彼女を愛しているというのに、死ぬことはできない。なぜか。それはなぜなのか。簡単な理由である。

『死んだらダメよ。だって私が困るわ』

 死んだ彼女に止められているからである。死ぬべき理由に止められるのだから、死ぬことはできない。私は間違ってはないだろう。その理屈に狂いはないだろう。もしも狂っているとしたら、それはこの世界の方である。

 前触れもなく伏線もなく十八年間一緒に過ごした幼馴染が、ある日トラックに死んでしまいました。そして幽霊になって私に憑りついています。

 小説より奇であるこの世界では、きっとよくある話である。



 彼女がトラックにという話を一体誰から聞いたか。私はよく覚えてはいない。ただ、そこが学校であり、それを聞いた直後に血の気が失せて視界が真っ暗になったのは覚えている。目覚めたのは一週間後であった。もうすでに葬儀も火葬も終わっていたのだ。私は彼女を見送ることはできなかったのだ。彼女に別れを告げることもできなかった。

『じゃあバイバイ』

 前日にいつも通り言ったそれが、最後の別れの言葉になってしまったのだ。私にとって、そして彼女にとってもそれが私が彼女に告げた最後の別れの言葉になったしまったのだ。その事に気付いた私の胸の内を誰かに理解されたいとは思わない。それがなんだと言いたければいえばいい。意味が分からないのなら意味が分からないままにしていろ。私にとって。そう、私にとってだ。他の誰かがどうではなく、私にとってそれは、―――言葉にすることができないほどに深い、何かだった。

 抜け殻というのはつまりああいう状態を言うのだろう。私は何もしなかった。目を開けさえもしなかった。食事すらしなかった。不思議なことに排泄も発汗さえしていなかった。音も聞かなかったし匂いも感じていはなかった。何かを感じることさえしていなかった。肉体面で私がしていたことは呼吸と心臓を動かすことだけだったし、感じていたのは自分の呼吸と心臓の音だけであった。そして思考もまた、していなかった。そう、何も考えていなかったのだ。その時の私は、彼女の事さえ考えてはいなかった。

 驚くべきことにそんな状態が一月続いた。何が驚きかと言えば両親がそんな私を生かしたままにしていたことに驚きである。殺してしまえばよかったものを。殺してくれればよかったものを。一月経ち、私は生き返ったのだ。生き返らされたともいえる。誰にと問われれば、彼女にと答えよう。どうやってと問われれば、頬を殴られてと答える。

『いや、さすがにそろそろ私も飽き飽きしてきたので起きてほしいんだけど』

 心臓と呼吸音以外に一月ぶりに聞こえた音は、死者の声であった。一月ぶりに働いた目が見たものは、死者の姿だった。

『もうやっと起きた。危なく四十九日よ』

 茫然とした。何せ目の前に死んだ彼女がいたのだから当然だ。しかも浮いている。透けている。抜け殻であった私の心が驚きに満ちた。

『それじゃあ死んでもよろしくね』

 そう言って彼女は笑ったのだ。いつものように笑って、私の胸に手を突っ込んだ。私は気を失った。次に目覚めた時、彼女の姿はなかった。

『おはよう。なんかお腹すいたわね』

 姿はなかったが声はした。私の中からしたのだ。

 私と彼女はひとつになった。



 彼女は私の事を愛していた。同様に私も彼女の事を愛していたのだ。しかし私たちは幼馴染という関係以上になることは出来なかった。現実は非常であり、厳しいものだった。

「ずっと一緒にいたいけれど、いつか私たちは離れ離れになるんだろうね」

 生前彼女はよくそんなことを言った。笑いながらである。たいてい彼女は笑っているのだ。道で転んだ時でも先生に怒られた後もテストで赤点をとっても私が怒っていても私が泣いていても、彼女はいつも笑っていた。生前。なぜいつも笑っているのだと、私は何度か聞いたことがあった。彼女はいつも笑いを返した。そして死後も、彼女はたいてい笑っている。なぜ笑っているのかと、私は同様に聞いてみたところ『だってあなたと一緒にいられるから』という言葉が返ってきた。死者になってからの方が彼女はよく喋るようだ。死人に口がないなんて、嘘だったようだ。

「きっとあなたは、いつか私以外を好きになって、愛して愛されて、結婚して、私を忘れるんでしょうね」

 そんなことはないと私は言った。いつまでも私とあなたは一緒だよ、と。その気持ちに嘘はなかったが、私も信じてはいない未来だった。信じていない未来とはつまり、ただの夢である。叶うことがなくいつしか忘れてしまうものである。

「それでも私は忘れないわ。だって私は、死ぬほどあなたを愛しているのだから。それを忘れないでね」

 私だってそうだよ。と、その時は私も答えたが。果たしてその気持ちは嘘ではなかったのだろうかと、今の私は思うのだ。彼女が実際に死ぬほど愛しているという証拠を見せた今、果たして私は、彼女と同じ行動ができたのかと考えてみれば。私はそこまで彼女を愛していたか、その自信はない。 

『きっとあなたは、いつか私以外を好きになって、愛して愛されて、結婚して、私を忘れたんでしょうね。それで私だけがあなたを忘れずに、死ぬほどあなたを愛し続けていたのでしょうね。でも、もうあなたは私を忘れないでしょう。だって私たちは文字通りずっと一緒なのよ。死ぬまで、じゃないわ。死んでもずっと一緒にいられるのよ。それを私は、証明した』

 私の頭の上に座りながら彼女は、そう言って笑った。楽しそうだなと私は思った。死んだ彼女は楽しそうだ。では、私は。死んでいない私はどうなのだろう。と、重くない頭を傾げて考えてみるが答えはなかなか出ない。

『少なくともあなたは今、抜け殻じゃないわ』

 それがきっと一つの答えなのだろう。と、私は彼女の言葉に頷いた。



 彼女が本当に彼女なのかは、誰にもわからない。

 彼女が本当に、死ぬほどに、死んでもなお、私を愛していたからこうして化けることができたのか。それとも彼女は私なのか。それは私には、わからない。そして他人は、彼女を信じない。だから誰にもわからないのだ。

『重要なのは私がいる。それだけじゃないかしらねぇ』

 部屋を漂う彼女は、なるほといいことを言う。そう、彼女が今、ここにいて、こうして会話をすることができる。愛する人と意志を疎通できると思えるだけでいいのだろう。いいのだろうか。これは本当にいいことなのだろうか。

『じゃあなぁに。あなたは私に消えて欲しいの?』

 それは嫌よ。と、すぐに口が答えた。

『それが答えね』

 そうだね。と、私も笑った。笑いながら死にたくなったので、近くに置いておいたカッターを手に取り首を刺『だぁめ』そうとした左手を右手が止めた。

『危ない危ない。また、死にたくなってるわよ、あなた』

 彼女に言われて自分が今、自殺しようとしたことに気付いた。あぁ、危なかった。

『死なれたら困るわ。私が死んだ意味がなくなるもの』

 彼女が困るなら仕方ない。彼女が死んだから死にたいのだから、死んだ彼女が困るなら死ぬことができない。私は死にたいけれど死ねないのだ。死ねない。私は死ぬことができない。

『私が死んでよかったでしょ。私はずっと一緒にいられるし、あなたは私を忘れことなく、ずっと愛するという夢を叶えれた。お互いにいいこと尽くしよね』

 そうだね。と、私が笑った。

 前触れもなく伏線もなく十八年間一緒に過ごした幼馴染が、ある日トラックに飛び込んで死んでしまいました。そして幽霊になって私に憑りついています。

 ここは地獄もかもしれない。と、誰かが思った。

 違うでしょ。と、誰かが笑った。

 愛していたのは本当だよ。と、私が言った。

『死ぬほどは?』

 私も笑った。







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