5.最悪と最善と最良の裁量
若旦那たちの隊商から少し離れたところにその馬車を止め、家族らしい彼らを診る。
状況は、ひと言で表すなら「最悪」だった。
御者台に座っていたのは働き盛りの男でこの男が一番症状が軽く、馬車の中では毛布に包まった男と同世代の女性、更には老女と呼んで差し支えないだろう女性に俺よりも幼い子供がふたり。子供の内でも幼い方がより酷い。
「ユーニス、道沿いの川から水を汲んできて。そしたらそれを煮沸して薬湯用の白湯を頼む。
あと、脱水症状を起こしかけてるから手持ちの水じゃ足りないんだ。だからそれとは別に水を煮沸してそれに砂糖と塩、それから――」
「ミドの実の絞り汁、だろ。
細々としたことは俺に任せてニックは様子を見て、薬を調合してやっててよ」
「……わかった」
馬車からユーニスを送り出し、狭い馬車内で身を寄せ合いながら横になる彼らをどうしようかと悩む。
彼らが罹患している病は季節病の類で間違いないと思う。
それは普通は寒い時期に身体の弱い子供が罹るもので、一度罹ってしまえば罹り難くなる上に大人が罹ることすら稀なもの。
罹患してたのが子供だけなら間違いないと思っただろうけど、大人が罹っている。似た症状の風土病がないかと記憶を探るが、該当するものは浮ばない。
「ひとまずはアジィとルホをピルシアに混ぜて与えて様子をみるしかないか」
季節病の一般的な治療薬をひとまず投与することに決めて、ひとまず馬車から出る。
出立の支度を終えた一行が、俺の様子をうかがうように眺めていたが……まぁ、気にしないことにする。
背嚢から吊り下げ式の簡易天幕を取り出して手近かな幹にぶら下げる。下を地面に固定しその中に敷布を広げ、そこで必要な薬瓶を取り出し広げる。
携帯するための薬は長期保存には向かないが、厄介な手順が要らないように加工してある。粉末や、軟膏、煮出した液を煮詰めたもの。今使うアジィとルホは粉末で、そのまま飲んでも効果が得られる類のもの。今回はピルシアと共に水に溶いて与える。
椀を五つ用意し、まずはそこにアジィとルホを振り入れる。その体躯にあった量を、正に匙加減で。
覗いていたミーゴから感嘆の声が聞こえたが、無視する。多少量が違ったところでどうとなるものではないが、それでも違えたくはない。
「ニック、白湯の用意が出来たよ。飲み水はもう少し川で冷ましてる」
分け終え、薬瓶に栓をしたそこにユーニスが声をかけてきた。
「さすがユーニス。
こっちはちょうど薬の調合を終えたところで、白湯をもらいにそこのミーゴでもつかいにやらせようと思ったところだよ」
微かに湯気を放つ薬缶を手に天幕を覗き込んだユーニスにそう応じ、その薬缶を受け取ると椀にゆっくりと白湯を注ぐ。溶けきるように、少しずつ掻き混ぜながら。
するとルホ特有の苦い臭いが天幕の中に広がる。
「ユーニス、これは男の人に。それからこっちは女の人。ミーゴ、お前は婆ちゃんの分を持ってついていけ。わかってると思うが、間違っても荷台には入るなよ、ミーゴ。うつって俺の手間を増やされたらたまらん」
「ぼっちゃまぁ、その言い草酷くないっすかぁ」
元に戻った呼び名で文句を言いつつも素直に椀を持つミーゴを、俺はやはり無視を決め込む。
「ミーゴ、ニックはうつって欲しくないからああいう言い方しただけで、本気で言ってるわけじゃないんだよ。
ニックは素直じゃないから」
だけどそんな俺の心を知ってか知らずか、ユーニスはいつもの調子でそんなことを言いながらミーゴを促した。
にやにやと笑ってるミーゴの顔が容易に想像つく。
うん、あとで一発殴っておくか。
そう心に決めて、子供のための椀にリリシャの蜜を垂らすために背嚢から引っ張り出す。
ルホは苦い臭いがするだけでなく、苦味もきつい。それをリリシャの蜜で誤魔化して飲みやすくする。もう少し大人であれば無理にでも飲めと言うところだが、あの年頃の子には無理だろうから。
今度は臭いが消え、甘い香りが天幕を満たす。
「……よし、これでいい」
椀を両手に持ち、馬車に向かうために天幕を出る。
出立の準備を終えた馬車と、その逆で野営の準備を始めた馬車が視界に入ったが――確認を取るのは後。まずはこれを飲ませてこないと。
*
馬車からは丁度ユーニスが降りて来たところで、その手には空の椀が重なってある。
「大人たちには無事に飲ませたよ。
オムロさん……あ、あの男の人ね。オムロさんは動こうと思えば動けるし、会話もしっかりしてる」
「わかった。子供たちに薬を飲ませたら話をしてみるよ。初期症状がどんなものなのか確認をとっておきたいし」
最悪の状況を想定するなら、彼らの村の全員が同じ症状に罹っている可能性もある。
そうであれば、先にサヴァに行く若旦那たちに、サヴァの医師団に誰かを派遣してもらうように伝えてもらえる。
サヴァでは医師の街の名に恥じない立派な医師団を擁している。
サヴァの医師たちで構成されているそれは、街で低価格の診療所を開いたり、各地に医師の派遣をしたりしている。辺鄙なところにある村で、医師がいなくてやっていけているのにはそういう理由がある。
その医師団の存在理由は当然のように〝善意〟が大半を占めているが、伝染病の事前の収束や未知の病魔への好奇心というものが多分にあるとじーちゃんに聞かされた。
今回のことは医師団が動くに十分だろう。
「若旦那にはもう少しだけ出立を待ってくれるように伝えておくね」
俺の意図を察したのだろうユーニスが、言いつけを守って馬車の外で待っていたミーゴを連れて仕度をしている若旦那のところに向かう。
それを見送ってから、俺は馬車に乗り込んだ。
大人が三人と、子供がふたり。少しは調子がマシそうなな大人たちに比べ、子供たちはぐったりとしてる。
休んでいる彼らに気を使わせないように足音を潜め、まずは年嵩の少女の方に向かう。
「お薬を作ってきたよ。飲んだら少しは楽になる。
だから起きて飲めるね」
きつい口調とならないように務め、声をかける。
少女は焦点のあわない目でこちらを見て、弱々しく頷いた。自分で動く気力はないようだけど、意識はまだしっかりしてる。これなら大丈夫だろう。
少女の身体を起こし、椀を持つのも辛いだろう少女の口元に椀を寄せる。
苦いのを予想していたのか最初はためらう仕草をみせたけども、リリシャの蜜の匂いに勇気づけられたのか、それをゆっくり嚥下する。
少しずつのそれに根気よく付き合い、空になったのを確認して少女を再び横に寝かせる。
「寝て起きたら、今より楽になっているはずだから。
今はお休み」
トントンと心臓が刻む同じ調子で少女の身体を軽く叩いてやると、少女から聞こえるのが寝息に変わる。
立ち上がって、今度は妹の隣に移る。
「お薬を作ってきたよ」
そして姉に声をかけたのと同様に声をかけ、やはり同じような反応が戻ってきたのを確認する。だけど姉のそれよりは弱々しい。
思わず舌打ちしたくなるのを抑え、それでもなんとか薬湯を飲み込む少女に付き添う。
時間は、姉の倍近くかかった。
どう考えてもこの子が一番重症で、幼いがゆえに元から体力もない。
寝せて、寝入るのを確認してからオムロさんの側に移る。
「あ、ああ。
君がユーニス君の言っていた、薬師の……」
目を閉じていただけで寝てはいなかったのだろう。俺に気付いてオムロさんは目を開けると、途切れ途切れに弱々しい口調で言葉を発した。
ユーニスが言っていたように、意識はしっかりしてるんだろう。
「ニックです。それから、まだ見習いです」
腕を取り、その脈を確認する。
心持ち弱い気もするが、それでもしっかりと刻まれている。
「疲れているところ申し訳ないですが、幾つか教えてください。
この病に皆さんが倒れた経緯を」
*
話を聞き終えた俺は、オムロさんに休むように言って馬車の荷台から降りた。
「ニック、どう?」
「あー、うん。良くはないね。
見立ては若旦那のところで話すよ、サヴァに連絡入れてもらわないとだから。二度手間は避けたいし」
待っていたユーニスにはそう答え、やっぱり後をついてまわっていたミーゴには椀を押し付けた。
「お前は時間があるならこれを洗ってこい」
「えー、俺は除け者かよ。坊ちゃま」
「…………付いてきて益があると思うならついてきてもいいが、役に立たなかったその時は仕置きするぞ。
俺の邪魔をしようと言うんだ、相応のものは覚悟しておけ」
「綺麗に洗わせてもらいます!」
不満を言ったかと思えば、俺のひと言でミーゴは態度を一八〇度変えた。
自分で言ったことではあるが、無性に気に喰わない。
「構え、足踏み」
鋭く命じると、言葉通りにミーゴは行動に移す。
その動きは命じられることに慣れた者のそれで、軍経験があることが一目瞭然。
退役してそれから傭兵になるものは少なくないと聞く。
というか、魔族と全面戦争をしていた時は軍備に資金を大量投入した国も多かったと聞くが、魔王という恐怖がなくなった今は、縮小の方向に向かっているという。
多分ミーゴはそういう過去があるんだろう。
「行動開始!」
「是!」
反射的に鋭い返事を返し、ミーゴは川に駆け足で消えていった。
なんだろう、色々とおかしな方向に向かっている気がしてならないんだが。
「綺麗な太刀筋だと思ってたけど、やっぱり軍務経験のある人だったんだね」
俺の心情に気付いてないだろうユーニスはのんびりと、そんな感想を漏らした。
*
出立の準備をしていた若旦那とクルヤを捕まえ、俺は時間がもったいないとばかりに立ったまま話始める。
それに誰も文句も言わない。
この辺りがミーゴとふたりの格の違いだろうか。ミーゴなら絶対に文句をいうだろう、そんな妙な確信がある。
「彼らはここから馬車で三日ほど、川と反対方向に進んだところにある村から来たそうだ。村はテデオの村と呼ばれている。
事の始まりはひと月程前、村近くの川で遊んでいた子が倒れたこと。症状は彼らと大差なく、村の大人たちも季節病だと思ったらしい。それで村に常備してあった季節病の薬を与えた。
けれど病は一向に回復に向かわず、村の子供らに広まった。
その頃はまだ症状を訴えたのは子供らだけだったから、今年の季節病は時季外れの手強いやつだとしか思わなかったらしい。
しかしあるときを境に大人にも症状が現れ始めた」
言いながら、何か重要なことを忘れている気がしてならなかった。
症状は季節病のそれだし、子供から罹ったことでも間違いないと思う。娘のユジィエとニィーシェはまだだったということだからおかしくはない。
だけど幼い頃に罹ったことがあるというオムロさん夫婦や、オムロさんの母親だというクーウェさんも発症しているのだ。
いや、全く罹らないという訳ではないのだが、ここまで揃って罹るのは妙としか言えない。
そのことがひっかかる。
「それが三日前。それまでなんともなかった大人たちが一斉に症状を訴え出した。
誰かサヴァに使いをやって医師団をという話になり、そこでオムロさんが志願してここまで辿りついたという。
村で一番幼かったニィーシェが一番症状が重かったというのもあるらしい」
「それは……確かに妙だ」
「ああ、季節病についちゃ俺は詳しいことは知らねぇが、ひと月近くも側にいてなんともなかった大人が、一斉に症状を訴えるなんて普通じゃねぇ」
説明を受けて、若旦那とクルヤは揃って難しい表情を浮かべた。
「どちらにせよ、これが感染症なら大変なことになる。
季節病の類は薬で治るというのが常設で、薬で治らない似た症状の病が広がったりしたら混乱を引き起こす」
「全くだ。これは早急に手を打ってもらわなきゃなんねぇ」
心得たように若旦那とクルヤは顔を見合わせ頷きあうと、俺とユーニスに向き合う。
「君らが治療している間にクルヤと話し合ったんだけどね、隊商はやっぱり先にサヴァに行かせてもらうことにしたよ。
医師団に報告もしなければならないし、オルキに手を貸した者をいつまでも馬車に乗せたままにしておくわけにはいかないからね」
「それで、だ。若旦那と話し合った結果だが、サヴァまで早馬をやろうってことになってな。このままの速度で進んだならどんなに急いだって七日はかかる。が、単騎で飛ばしゃ三日もかかんねぇからな。
んで、そうすっと馬車をひく馬の数が足んなくなる。そこで馬車を一台、ここに置いて行くことにした。ついでに人も何人か」
「ああ、心配しなくともサヴァに着き次第迎えを寄こすよ。足の遅い者を馬車に乗せて、その分馬車を軽くすれば五日で着くだろうってことだから。
事情を説明して募集を募ったら、残ってもいいって言ってくれた人もいたし」
途中からおかしな流れになった話に、思わずめまいを覚えたのは俺の責任じゃないはずだ。どうしてこう、お人好しというか手間のかかるやつがユーニスの周りには集まるんだろうな。
せめて俺に相談して欲しかった。
無理だとは分かっているが、それでも決める前にひと言欲しかった。
「計画を変更するつもりは?」
わずかな可能性を思って若旦那とクルヤに問うと、ふたりは異口同音に「ないね」「ないな」と、俺の望みを一蹴してくれた。
髪を掻きまわし、その合間に思考を整理する。
「護衛のほうはどうするんだ? 隊商から人を残すってことは、護衛も何人か残していくんだろ?
何人残していくのか知らないが、ユーニスひとりに十人も二十人も守らせるのはさすがに荷が重い」
「ああ、ミーゴとラテを置いていく」
本当は俺が残りたかったんだが、とクルヤは前置きしてからそのふたりの名前をあげた。
熟練の傭兵といったラテさんはともかく、
「ミーゴを置いて行くのか? あれは一応は怪我人だぞ?」
それに半人前を置いていくとはどういう了見だ。
あんな阿呆を押し付けられて、厄介を増やされても困るんだけどな。
「傭兵としての日が浅いから頼りなく見えるが、あれでも剣の腕は相当なもんなんだ。
怪我さえなけりゃ、傭兵連中の中じゃ三番目に腕がたつ。あの程度の怪我なら、十分戦力になるはずだ」
俺じゃあ剣の腕なんてもんは判断がつけられないからと、ユーニスを見るとクルヤの言葉を肯定するように頷いてみせた。
あのミーゴがそこまでの腕だったのは驚きだが、ユーニスが言うなら間違いないんだろう。
と、なるとだ。
「残る人は全部、一応問診させてもらう。
命がかかってるんだ、嘘をつくヤツはいないと思うが、勘違いしてるのもいないとは言いきれないからな」
あと俺が出来ることといえばこの程度。
「そのことについては君の判断に従うよ。
病気に関して専門外な僕らはその件については口を出せないしね」
「命を預かるんだ。そうするべきだろうな」
俺がとるだろう行動は想像ついていたのか、若旦那もクルヤも当然だというように頷いた。