3.新月闇の街道で逢いましょう
月のない夜だった。
俺が生まれる少し前までは月のない夜は魔族が闊歩すると言われ誰も出歩こうとしなかったらしいが、今は魔族の王も倒され魔族たちも大人しいためにこうして商隊は街道を行き来する。
その代わりと言っちゃなんだが、闇夜に紛れて盗賊が仕事をする。
どっちにしろ出歩かないのに越したことのない夜って訳だ。
「…………なんだか落ち着かない」
ここ暫く隣にあった熱源がなくて、仮眠を取ろうとしてたのに眠れない。
友達離れが出来てないのはどうやらユーニスじゃなくて俺らしい。村じゃ他に年の近い子供がいなかったから、ずっと一緒だったしなぁ。
寝るのは無理だと諦め、俺は包まっていた毛布を畳んで隅に置いて馬車から降りる。抱き抱えていた背嚢を持って降りることを忘れない。
中身は俺とユーニスの王都までの路銀と、使者の書き付け。それから村から持ってきた薬草の数々。
薬草の中には高値で取り引きされるものもあるが、それ以上に劇薬もある。だから手放す訳にもいかないってのが本音。
火の周りで寝ずの番をしてる護衛や奉公人の輪に視線を送ると、やはりユーニスの姿はない。ユーニスは若旦那と同じ馬車で今日は休むんだと聞いた。
それが本当だったことにちょっとほっとして、寝ずの番の輪に近付く。
「お、坊ちゃまじゃねぇか」
俺にいち早く気付いたクルヤが、品のない笑いを浮かべながら声をかけてきた。この人は護衛の中でも一番口が悪いが、一番腕が立つ人でもある。
昨日の晩寝ずの番をしてたから、今日は違うはずなのだが……やはり新月は大人しく寝ていられないってことなんだろう。
「その坊ちゃまって呼び方は止めてくれ」
「別にいいじゃねぇか、坊ちゃまは坊ちゃまなんだしよ。
それより……ユーニスと一緒じゃなくて寝れないってか?」
にやにやと卑下た笑いを浮かべながら俺をからかう気満々のクルヤに、文句を言うのも面倒だから肯定とも否定ともとれる表情で口を噤む。
嘘でもないし、事実でもない。
「ま、どっちでもいいけどな」
もっとからかってくるかと思いきや、クルヤはあっさりと切り上げ抑えられた焚き火を見つめた。その横顔はだらしなく緩んでいない。
「それはともかく、命が大切なら抵抗しないで大人しくしてろよ。盗賊は荷物は盗っても命は盗らねぇもんだからよ」
言って、薪を一本放る。
その言葉にさすがに驚いた。何か起こるかもという感じゃなくて、盗賊の襲撃にまで気付いていたなんて。
「驚かせたようなら悪ぃな。
ほんとはユーニスにも坊ちゃまと一緒に大人しくしててもらいたいんだが……そりゃあ無理だろうなぁ。どう育てばあんな風に正義感たっぷりに育つんだってくらいだし」
やっぱり血かねぇ。
ぼそりと呟かれた言葉は、俺に聞かせるつもりじゃない言葉だったんだろう。だけど田舎育ちで普通以上に耳のいい俺にはしっかり聞こえた。
血ってことは、おじさんの知り合いだってことなんだろう。
おじさんはそれなりに有名な冒険者だったらしいから。それに、名前しか名乗ってないのにわかったってことはおばさんも知ってるってこと。もしかしたら、俺らが物心つく前とかに、村を訪れたことがあるのかも知れない。
口調や態度からユーニスに向ける感情に負のものはわからなかった。
なら、信用しても大丈夫だろう。どう言えばユーニスの邪魔にならずに、ユーニスの助けとなるようにクルヤが動いてくれるかを思案する。
「ユーニスの心配ならいらない。ユーニスの剣の腕は師である父親からお墨付きをもらったほどだから。
だから心配するならユーニスじゃなく、この商隊の人たちを」
緊張を悟らせないように小さく息を吸って、それから言った。クルヤにとって明確に力の証明となるだろう事実を告げ、暗にユーニスの邪魔をしてくれるなと続ける。
俺の言いたいことが通じたのか、クルヤはどこか嬉しそうに笑った。
「身のこなしから相当なもんだとは思ってたが、そこまでとはな。手合わせをするのが楽しみになった。
坊ちゃまの言うのが正しいなら、確かに俺がユーニスを心配する必要はねぇな。そもそも俺はこの商隊に雇われた護衛なわけだし、守られる気のねぇヤツまで守ってやる余裕はねぇしな」
もうひとつ薪を放ったそこに、人の叫び声のような甲高い声が響いた。
「腐肉鳥だな」
クルヤではない、別の護衛が心持ち緊張した声音で言った。
腐肉鳥はその名の通り、腐った肉を好んで食べる鳥の形をした小型の魔物。
とは言っても子供が手を広げた程の大きさがあり、家畜を攫っていくことでも知られている。ちょっとでも腕のたつ剣士なら苦もない相手だが、大抵がもっと強い魔物や魔族と共にいることが多い魔物でもある。
「盗賊の心配をしてたんだが、もっと状況は悪いようだな」
また別の護衛が言って、こちらは抱えていた大剣を杖に立ち上がって身体を軽く動かす。それにクルヤを初めとする護衛たちが言葉もなく続く。
さすがは大店が雇う護衛たち。と、俺はひとり感嘆する。
使えない護衛を雇ってることはないだろうとは思っていたが、それなりに腕の立つ人たちばかりらしい。
「仕度を終えた者から陣形を整えさせるぞ。
馬は気の弱い動物だ、蹴られないように気をつけろよ」
「わかってるよ」
寝ずの番だった者以外も起きだし、奉公人たちはこの異様な光景に戸惑いを隠せないようだった。
護衛のひとりがその内のひとりに事情を説明し、商隊の指揮をとってもらうために――若旦那と秘書の姿を探し出した。けれどこの異常な空気にも係わらずどちらも姿が見えない。
どうやらこちらの予測もあたってしまったらしい。
「こんな非常時に暢気な」
護衛のひとりが悪態を吐くが、ユーニスが若旦那と一緒にいることを知ってるクルヤの顔色は優れない。
「俺が様子を見てくるよ」
寝惚けるなとはユーニスに言ってあるけど、寝惚けていたなら嫌だな。
後が面倒だ。
最悪の状況を考えつつ、俺は止血効果のある薬の配分を思い浮かべながら若旦那の馬車にと向かった。
*
馬車から聞こえてきたのは、くぐもった呻き声。
苦痛によるそれじゃなく、口をふさがれたためのものだと判断できて、少しほっとした。
「ユーニス、入るよ」
声をかけ、返事を待たずに中に入る。
そこにいたのは血のにじんだ腕を押さえた若旦那と、毛布に包まれその上から縄で縛られた秘書。それからまだどこか惚けとした表情を浮かべ抜き身の剣を下げたユーニス。
本来なら怪我人を優先して治療するべきなんだろうが、俺はユーニスを優先する。
スカッとする香草のエキスを練りこんである飴を取り出し、ユーニスの口に放り込む。眠気醒ましとか気分転換に使われるそれとは違う、ユーニスのために特別に調合したスカッを通り越して刺激的なそれ。
「ユーニス」
「……ああ、ニック。俺……っ」
ようやく目が覚めたのか、俺に何を頼まれていたのか思い出してユーニスは慌ててあたりを見回した。
そして床でふごふごと芋虫のようにのた打ち回る秘書を見つけ、ほっと胸を撫で下ろした。
「よかったぁ、殺してない」
ユーニスの目覚めは普通に起きるなら悪くはない。むしろ良いんじゃないかと俺は思う。
だが寝てるそこに殺気を向けられると途端、悪くなる。そのうえ、寝ぼけたまま殺気を向けてきた相手を無情にも切り捨てる。
だからの言葉と俺はわかっているが、知らない人が聞いたら正気を疑われそうな言葉だな。
「例え殺していたとしても正当防衛だっただろうから気にとめるな。
そんなことより、外を頼む。
数は五十二、もう半刻もしない内に襲って来るだろう」
「了解」
なぜ俺が数を知ってるのか、襲撃の時間を知ってるのか。
どう考えても知るはずのない情報を告げたにもかかわらずユーニスは気にした風もなく、荷物と共に隅に立てかけてあった剣を持って馬車を出ていく。
それを見送った後、未だもごもご呻いている秘書を無視して若旦那の脇にしゃがむ。
「止血は問題ないね。
出血量もさほど多くないから……神経は問題ないかな」
背嚢から最新式のランプを取り出し灯りをともすと、若旦那の手を外して袖を切り裂いて傷口を覗き込む。
ついでに床に転がる血のついた短剣に視線を向けた。
心臓をひと突きするつもりだったのか、真新しいもの。手入れのされていないものでないし、妙な色をしていないから毒の心配はないだろう。
それでもと、念のため殺菌効果のあるフェニ草をトリャ草とブフ草の軟膏に多めに加え、乾燥させたルセニ草の葉に塗りつけ傷口に貼り付けた。
そしてそれを切り裂いた袖で縛りとめる。
「ニック君?」
染みたのか、表情をこわばらせた若旦那が俺に怪訝そうな表情を向けて名前を呼んだ。
まぁ、そうだよな。
ユーニスの事情と素性については説明したけど、俺については何も説明しなかったし。
王都に行くユーニスに、別の用事で王都に行く俺がついていってるとでも思ってたんだろう。
「トリャ草とブフ草の軟膏にフェニ草の軟膏を加え、それをルセニ草に塗って貼り付けただけだから。
もう少し深い傷なら縫った方が治りがいいだろうけど、この程度なら薬で十分だと思う」
広げた道具を手早く片づけ、ランプの光を落とす。傷口を確認するのには明るくないと駄目だからつけたけど、燃料代もばかにならないし。
背嚢に詰め終えユーニスの荷と一緒に担ぐと、俺は立ち上がって若旦那を見下ろした。
「もう暫くすると賊がこの商隊を襲う。馬車を出て、護衛の指示に従って欲しい」
「賊が?」
「この新月闇に紛れて襲撃するよう、手引きしてたおっさんがいたからね。
その騒ぎに乗じて若旦那の殺害を試みるつもりだったみたいだし」
芋虫は黙りこの場から逃げようと這いずっていたが、俺はそれを足で踏みつける。
「あんたの動機なんて興味がないけどね、今問題が起こるとユーニスが困るんだ。
世話になった商隊の若旦那が殺された?
心優しく正義感の強いユーニスがそれを気にしないはずがないし、そうなればかかわらなくていい店のごたごたに巻き込まれることになる」
大方、人の良い旦那の目を盗んで店の金でも着服してたんだろう。
若旦那の性格や、話を聞いた限りだけどもそれで間違いないと思う。
「俺はユーニスのように優しくないんだ。
王都にこのまま連れてってやるから、今まで得た全てを失って惨めに生きるといい」
気持ち踏み付ける足に力を込め、笑みを浮かべてやる。
華やかで柔らかな印象のユーニスと対照的に、俺は地味な顔立ちで目も髪も黒に近くどちらかといえば冷たい印象を与える。意識して笑うと、酷く冷淡にみえる笑顔を浮かべることは簡単だ。その証拠に、芋虫は怯えたように震え始めた。
あまりよろしくない方向に俺が進んでる気がしたが……いまは置いておこう。
足をどかし、芋虫の胸元を掴んで身体を起こさせる。
そして生気なく揺れるその目を睨むように見る。
ああ、この目は良くない。非常に良くない。
なんでこのおっさんがこんなことをしでかしたのか、その理由のひとつがわかった気がする。いつからなのか知らないけど、間違いなく魔族絡みだ。
ひとつ大きなため息をつき、一度目を伏せてから開いておっさんの目を見る。
「ここにいれば、お前は消される。ここでお前を死なせてやるつもりはない。
――俺に従え」
最後は若旦那には聞こえないように声を落とし、だけど口調は強めて言う。すると生気がないのは変わらないが、焦点は定まって俺を見ている。
これでよし、と。
「縛り直すから、暴れるなよ」
今度は若旦那に聞こえるように言って、それからおっさんの縄をほどいて毛布をほどいて……改めて縛り直す。手は後ろに適度の余裕をもたせて、ちょっとやそっとじゃ解けない方法で。
視界の隅じゃ、若旦那が何か言いた気に口を開け閉めしてる。
無視でいいかな?
面倒だし。
「なにか言いたいことでも? 急ぎじゃないなら、後にして」
説明はユーニスに任せることにして、俺は背嚢を背負いなおすとおっさんに繋いだ縄を引っ張った。
「立て、付いて来い」
素直に従ったおっさんに驚いたようだったけど、若旦那も遅れて立ち上がった。
*
火のところに戻った俺たちに、一様に驚いたような視線が集まる。
原因は考えるまでもなく腕を怪我して青褪めた顔の若旦那と、縄で縛られているこのおっさん。
「坊ちゃま、大丈夫なのか?」
一番先に話し掛けてきたのはクルヤで、俺は頷くと事情を説明するために口を開く。
「ちょっと若旦那を殺そうとしたから縛っておいた。
今夜の賊の襲撃はこのおっさんの手引きだから、殺されないように気をつけたほうがいいよ」
俺の言葉にクルヤはなんとも間抜けな表情を浮かべ、俺と若旦那、それからおっさんを交互に見た。
「ちょっと待ってくれ。つまりなにか?
そこの秘書のオルキさんが若旦那を殺そうとして、それを捕らえたと。んで、これから賊がこの商隊を襲おうとしてると。しかもその賊はオルキさんが手引きしたと」
俺に尋ねたというよりも頭の中を整理するためにクルヤは呟き、それから頭を掻き毟った。
そのまま待つこと暫し、呻きながらしゃがんだかと思うと徐に立ち上がり、気合を入れる。
「よし、分かった! 賊と魔物をやり過ごしてから考えよう!」
むしろそれは何もわかってないんじゃないか、という無駄な突っ込みはしない。
気は分からなくもないし。
「無茶はしないようにね」
ぐるりと見回りをしてきたらしいユーニスが、周囲の状況無視で俺にそう声をかけてきた。
どう考えても、この状況じゃ心配されるのは俺ではなくユーニスのはずだ。守られるだけの俺ではなく、実際に剣を振るって戦う。
「そっくりそのままその言葉を返すよ。
軽い怪我なら治療してやれるけど、重いものになると厳しいから。分かってるよな」
村にいた時の調子で、幾針も縫うような怪我をされたら堪ったもんじゃない。
だから大丈夫と分かっていても釘を刺すのを忘れない。
するとユーニスは緊張感なんて皆無の笑顔を浮かべた。
「どんな怪我でもニックが治してくれるってわかってるから、俺は剣を振るえるんだよ」
思わず惚けてしまうような笑みで、物語の騎士が守るべき相手に向けるような言葉をさらりとユーニスは言ってのける。
……あらぬ誤解をばら撒く前に、これも止めるように言っておくべきだろう。俺はユーニスの専属薬師になったつもりも、愛を囁かれるつもりもないんだと。
盛大なため息をついて、起こす時につかった飴をその口に放り込む。
刺激に思わず眉間に皺を寄せたユーニスに、冷淡といわれる笑顔を向ける。
「済ませてきたらみっちり文句を言ってやるよ」
俺が怒った理由がわからなかったらしいユーニスはあからさまに狼狽して、俺とユーニスの関係をやはり誤解したらしい周囲の視線に――俺は小さく嘆息した。