2.王都に向かう、その道程で
村近くの町でムーロおじさんと分かれた後は、薬師都市ムロウゼ行きの商隊を探した。
俺はともかく、ユーニスはへたな傭兵よりも強い。だから商隊に同行させてもらう代わりに、何かあった時の護衛をするという約束で格安で乗せてもらう。
ムロウゼ行きは簡単に見つかって、翌朝に出立。
乗せてくれたのは気の良い壮年の夫婦で、ムロウゼに薬を仕入れに行くところだと言う。
この夫婦が暮らしている村にも一応薬師はいるらしいが高齢で後継者もなく、薬師組合に村に来てくれそうな人を一緒に探しに行くのだという。
その話をきいて、うちの村は恵まれていると思った。
じーちゃんはまだまだ元気で、後継者には俺がいる。じーちゃんが手塩をかけて育ててる薬草があるから余程珍しいもの以外は村で揃うし、じーちゃんでなくても薬に詳しい人はまぁいる。
……考えれば考えるほど、俺が駆け出しの薬師ですとは言えない状況だった。
おじさんと一緒に御者台に乗ってるユーニスが時折何か言いたげに振り返ったが、無視を決め込んだ。
町に向かう馬車の荷台でユーニスに約束させたことのひとつに、俺やユーニスの素性を容易にばらさない、というのがある。王都に向かうのが最優先だからと誤魔化したが、言わなきゃ絶対に厄介事に巻き込まれてたはずだ。
今回であるなら……この夫婦の村に行ってくれる薬師を見つけるという、厄介事に。
町程度ならともかく、村に住み着いてくれる薬師となるとまず無理だ。普通は資質のありそうな若者を村の薬師につけて基礎知識をつけさせ、それで大きな町に修行に出す。そうでもしなきゃ薬師なんてもんは村に戻って薬師をしようと思わないだろう。だからだ。
「ニック、本当にあれで良かったのかな」
ムロウゼの入口で壮年の夫婦と分かれたところで、ユーニスは複雑そうに言った。
気持ちは分からないでもない。俺だって知り合いで適当な人が居たなら紹介してやりたい気分になった。
なったが……俺にそんな知り合いはいないし、あの夫婦だけ例外視出来ない。
王都まではまだかかる。次に似たような夫婦と出会った時に、今回融通してしまえば次に見捨てることが出来なくなる。
「無事に見つかることを祈るしかない。
お前に出来るのはそんなもんだってわかってるだろ」
「そう……だよな」
気落ちしたように肩を落としたユーニスに、俺も盛大なため息をつく。
ああ、もう。仕方ない。
「ほら。へこたれてる時間があるなら、王都に向かう商隊を探す。
ここから王都に向かう商隊もそれなりにいるはずだし」
先に行けとばかりにユーニスの背を押して、俺はその後からゆっくり進む。
さて、どうするべきか。
じーちゃんの知り合いにあの夫婦の村まで行ってくれと頼むのはさすがにやりすぎだと思う。俺もそこまで面倒を見てやる気はない。適当な人が居なかったのだろうけど、もっと早い内に手を打たなかったその村の人たちにも落ち度はある。
「あの人に散策のついでに寄ってくれるようにお願いしておくのが一番か」
聞いた話ではうちの村よりは町に近く、それなりに特産物があって人の行き来のある村らしかった。
じーちゃんの知り合いの一人に、珍しい野草探しを趣味にしてる変人がいる。当然それで食っていけてるはずもなく、薬や珍しい嵩張らないものを売り払ってはその売り上げで生活してる。
「さて、問題はどこにいるか……だよな」
ユーニスを見失わないように気を付けながら、考えつつ歩く。
じーちゃんに頼んでおけば、間違いなく伝わると思う。思うけども……酷い時には数年顔を出さないこともある。助手のトガさんはしっかりしてる人だけど、やっぱり熱中するとそれ以外頭から抜ける人だしな。
常備薬が絶える前くらいには、顔を出してもらえる人なら一番なんだけど。うーん。
「何かお困りですかな」
しゃがれた老婆の声に足を止め振り返ると、物影に店を広げる深く外套を被った小さな人影があった。
ユーニスが商人らしい人と話しているのを見止めて、なら大丈夫かとその人と向き合う。
「ちょっとね。お前に話せば簡単に済む話だけど、それもあまりしたくなくてね。
そんなことより、カーン。なんでお前がこんなところにこんな格好でいるんだ?」
ため息混じりに言うと、さっきは老婆の声が聞こえたそこからまだ若い男の笑い声が響く。
「今度こそは驚いていただけると思ったのですが、いまいちだったみたいですね。
残念です」
「驚かす気もないくせに、良く言うよ」
未だ外套に隠されたその姿が、老婆などというものでないのは百も承知だった。
このカーンと言う男、俺の父親の古い知り合いだったらしい。それで俺の様子を見にたまに村に顔を出し、村での教育で足りないものを俺にしてくれた人でもある。
そして俺が知る、上には上の良い例でもある。
「聞いてもいいか?」
「ええ、わたくしが答えられることならなんなりと」
慇懃無礼ともとれるほどの恭しい言葉に心の中でため息をついて、それから二三質問する。
あの夫婦の村の正確な位置、村周りの環境、それから例のあの人の現在の居場所。最後のそれだけは僅かな間があったが、それでもすらすらと答えが返ってくる。
「紙。それから書くもの」
俺の要求にすっと、上質紙と最新式の墨壷内蔵筆が差し出された。
無駄にいいものを使ってる。そんなことを思いながら、手早く手紙を書き綴る。一通はじーちゃんに宛ててで、いまムロウゼに居て問題なく王都に迎えそうな旨とあの人にあの夫婦の村に行ってもらうように頼んだ旨を綴る。もう一通はその人宛てで、あの夫婦の村の位置と環境から珍しい薬草が自生してる可能性があること。そのついでに薬の行商に行って欲しい旨を綴った。
書き終えて筆を置くと、間をおかずに差し出された封筒に手紙を詰める。
「これ、届けておいて。
それで俺に何の用だったわけ? ただ様子を見に来ただけなら、わざわざ接触して来ないだろ?」
手紙を懐にしまったカーンを確認して、それから詰問するように強い調子で言う。聞くならきちんと聞かないとこいつのことだ、絶対にはぐらかすだろう。
もっとも、聞いたところではぐらかされないわけじゃないんだけども。
「大したことではありません。
ただ、例の都からの使者殿と少々確執がございまして。そのことをお耳に入れておこうと思った次第です」
確執があったのは確かだが、「少々」じゃないことだけは確かなんだろう。俺にただ忠告をするためだけにこいつが現れるとは到底思えないし。
「わかった、気をつける。それから何かあったら他の誰かじゃなくてお前を呼ぶ」
特に後半の言葉に満足気に頷いたカーンの姿に、俺の推測が間違ってなかったと悟る。
こいつとの〝確執〟か。
あの使者は見かけ通りの情けない男じゃないと思ってたけど、こいつとの間に確執がありながら生き延びてるとなると……考えるだけで頭が痛い。
「ニック! そこで何やってるんだ!?」
額を押さえ、ため息をついたそこにユーニスの俺を呼ぶ声がする。
顔を上げ振り返るとユーニスが俺のところに駆け寄ってくるところで、そこにカーンがいないことは推測がついた。
カーンはユーニスに会おうとしない。
その理由をきちんと聞いたことはないが、なんとなく想像はつく。これも俺にとって頭の痛い事柄でもある。
「なんでもない。
それより、王都に行く商隊は見つかったのか?」
「ああ、見つけた。それで確認のために使者からの書付を見せて欲しいって」
ユーニスが無事に王都に着けるよう、使者は身元を証明する旨を書いた書付と路銀を村に置いていった。
その書付は目端の利く者なら偽物じゃないとわかるだろうものだし、路銀には支度金も含められていて相当な金額だった。
そのどちらも俺が預かってる。
「わかった。それでその商隊はどこに?」
「あっちで待ってる。行こう?」
訊いた俺に、ユーニスは何の躊躇いもなく俺に手を差し出した。
これは坂道を登れば転げ落ちるとまで言われた俺に対する気遣いで、他意はないと分かってるんだが……。
「ユーニス、俺たちくらいの年になれば男同士で手を繋いだりしない。
俺の心配をしてくれるのは分かってるが、その手は引っ込めろ」
ため息混じりに言うと、ユーニスは俺の言葉が理解出来なかったのか一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに真っ赤な顔をして手を引っ込めた。
村でそうしてて、からかわれた記憶を思い出したんだろう。わかったならそれでいい。
それに、村では転んでいた俺が外では普通だったんだと……村から出て俺は悟った。
村や町ってのは普通平坦な土地に作られるもので、俺たちの村みたいに天然の滑り台がそこいら中にあるような斜面に普通はない。酷い場所じゃ、二階分くらいの急斜面に道がある。そんな村を普通に荷物担いだり、走り回ったり出来るほうが特殊なんだ。その証拠に、村を出てから俺は一度も転んでいない。
この事実は、ユーニスが自分で気付くまで黙ってようと思う。俺から言い出したんじゃ、俺が運動神経が悪い言い訳につかってるように聞こえるだろうし。
「それで、お前が見つけたのはどんな商隊なんだ?」
話を逸らすために別の話を振り、商隊が停留場所にしてる街外れの広場にユーニスを促す。
「あ、うん。四頭引きの馬車を何台も連ねてる王都にある大店の商隊でさ、ムロウゼには薬草を仕入れに来てたんだって」
「へぇ、そりゃ凄い」
「だろ? 四頭引きの馬車ってさ、近くで見ると予想以上に大きくて立派なんだよな。
思わずそれに見入っちゃって、そうしたら商隊を任されてた若旦那が声をかけてくれたんだ」
商隊の責任者と知り合った経緯を聞きつつ、俺はユーニスと広場に向かった。
*
俺たちを王都まで乗せて行ってくれることになったその商隊は、医師都市であるサヴァを経由して王都まで行くという。
薬師都市ムロウゼと王都を真っ直ぐ繋ぐ街道はあるものの、険しい道となるために商隊があまりそこを通ることはなく、当然の行路だと思う。
使者の書付を見た若旦那は俺とユーニスを客人として迎え入れようと言ってくれたが、それは丁重にお断りさせてもらった。
この若旦那の店がどの程度王都で力を持つのかは知らないし知ろうとも思わないが、王都でのユーニスの立場は微妙なものとなるだろう。そこに変な権力が係わってはろくな事にならない。
その結果、俺とユーニスは護衛……のような、客人のような、微妙な立場として同行することになった。
もし何かあったら手を貸すし、疲れた場合は荷台に乗っても構わないということで。
そんな訳でユーニスと歩くこと四日。商隊はやっと、サヴァまで三分の二という辺りまできた。
この商隊は四頭立て馬車が五台、一行は護衛を入れて三十人強という大所帯。護衛や奉公人は必然的に歩きで、そのため進みも遅い。
そのことを俺は気にも止めてないんだが……、
「ニック君、無理はしなくていいからね」
「無理だと思ったら素直に言ってよ」
ユーニスと若旦那がふたりして俺に極端に気を使う。それは俺がどこぞの貴族様の御子息だとでもいう雰囲気で、俺を〝坊ちゃま〟と呼ぶ輩まで出る始末。
これには辟易してる。
「俺なら平気だって何度言えばわかるんだよ、ユーニス。
森で迷子になった時より全然歩いてないだろ? 心配のしすぎだってば」
昼食の汁物をすすりながら不満を隠さずに言う俺を見て、ふたりは向き合って笑顔で頷きあう。俺を不機嫌にさせて何がしたいんだか。
さっぱりわからん。
残りの汁物をひと息で飲み込むと、行儀が悪いと知りながらパンを口に銜えて立ち上がる。それからユーニスに手で断って、街道沿いに流れる川に向かう。
毎度のことだからと、ユーニスは何も言わずに手を振って見送ってくれた。ユーニスだけなら一緒でも構わないんだが、さすがに人目があるところは避けたほうが無難だし。
川辺に座り込むと、パンを手にとって小さく千切る。すると待ってましたとばかりに……どこからともなく、一羽の黒鳥が舞い降りてくる。
「いつもご苦労だな、クォウ」
声をかけてやるとクォウは小さく鳴いて、伸ばした手に頭を擦り付けてくる。
このクォウはカーンの鳥で、動く気がないカーンの代わりに俺のところに顔を出してくれる。むしろカーンよりも役に立つんじゃないかとすら思うほどに、頼もしい。
そんなクォウの足から小さな小筒を取り外し、中から紙を取り出す。
「……今晩、か」
書かれた内容に思わず顔をしかめ、結果起こるだろうことに軽い頭痛を覚えた。
カーンが自ら出張ってくる気はなさそうだから大事にはならないだろうけど、それが俺が無事だという意味だとしたなら……。
「頭が痛い。
こんなことならユーニスがこの商隊を見つけたときに反対しとくんだった」
頭痛の原因は精神的なものだとわかってるし、その原因を取り除く方法もわかっている。
が、それが出来ない以上は耐えるしかない。荷袋からマゼルカの飴を取り出して口に放り込むと、頭痛は心なしか和らいだ気がした。
大店の商隊は高く売れる品を積んでいることが多く狙われやすく、屈強な護衛を引き連れてることが多くても、人を集めて襲えば身入りは多い。もしくはその大店に敵対している店が襲わせてしまうとか。
何も起こらなければ楽な行程に違いないのだが、問題が起こるときはとことん大事になるって訳だ。
「まぁ、今更逃げるわけにもいかないし。
クォウ、よろしく頼むよ」
首筋を撫でながら声をかけると、任せてくれとばかりにクォウは甲高くひと声鳴いた。やはりカーンなどとは比べ物にならないほど頼もしく思えて仕方ない。
その力量だけを基準にするならカーンは類を見ないほどに頼もしいのだが、その性格には難がありすぎた。
俺に田舎では手に入らないような高度な教育を施してくれたことには感謝するが、それでもこう、たまに恨めしい気分になる。
「ニック、さっきは少し言い過ぎた。ごめん」
足音を立てずに近付いてきたユーニスに気付いていた俺は何も言わず、無言でクォウにパンの欠片を与える。
別に怒ってるわけじゃない。
気にしてるのはユーニスの後をつけてきた、若旦那の秘書をしていると言った壮年の男。ユーニスが何も考えなく連れてくるわけはないと思うから、俺との不仲でも印象付けておきたいんだろう。
この件についてはユーニスと相談済みで、取るべき行動も決めてあるし。
俺はユーニスを睨むと、何も言わずに立ち上がる。クォウはそれに驚いたように飛び去り、俺はユーニスに軽く肩をぶつけてすれ違う。
「……俺、疲れたから荷台に乗せてもらうから」
お前と一緒に歩くつもりはないとでも聞こえる調子で、冷ややかに告げる。
「…………ニック」
本当に見捨てられたかのような情けない声でユーニスが俺の名を呼ぶが、聞こえなかった振りで商隊が休んでいる場所に向かう。
思えば、これもいい機会なのかも知れない。
王都に行ってからはきっと、俺とユーニスはいままでのように常に一緒にいるようなことも出来なくなるんだろうし。こうやって一緒じゃない時間を作るのも、ユーニスのためになるだろう。
少しずつ慣らしていかないと。
「まずは今晩、だな」
ユーニスに任せれば万事無事に片付くだろうが、守るものが四頭立て馬車が五台に人が二十人少し。
その全てを守りきるのはさすがにきついだろう。ともなれば剣の腕ではユーニスの足元にも及ばない俺でも、手伝わない訳にはいかないだろう。それにも気が重い。