トイレの花子さん
学校のいじめられっこがトイレに行くと、花子さんに出会い、二人は一緒に屋上から飛び降りる。そんな噂に触発された少女が女子トイレで花子さんの名を呼ぶと、髪の長い女の子が姿を現した。髪の長い子もまた、花子さんの噂を聞いてトイレにやって来たいじめられっこで、二人は噂のとおりに仲良く自殺した。これが、御堂新一の『トイレの花子さん』。
ぼくの作った怪談は、学校の七不思議の水増し要因として学校のみんなに認知されることになった。
実際、『トイレの花子さん』のように低レベルな内容の怪談が含まれていようとも、それでも百以上の会談の中から信憑性の高いものを選出したという七不思議の人気はそこそこ高い。
これにより、真田の率いる新聞部は、怪談の噂をほぼ完全な形で掌握することになったのだった。実に満足そうな面をしていた真田の曰く、学校中の噂を制した新聞部は、そのまま学校を制する存在となったということである。
今や、情報の分野において新聞部を上回る勢力は何一つ存在していなかった。いわゆる『女の子ネットワーク』すら凌駕するその影響力は、教室の隅の隅、情報原人と言われるクラスのつまはじき者の耳朶を震わせたらしい。西校舎三階の女子トイレにて、拗ねたような顔の長谷川花子さんは、ぼくの鼻先まで迫って不機嫌な声で
「これはどういうこと?」
凄みを利かせて、そう言った。
どこからひっぺがしてきたのだろう。格クラスに掲示された新聞部のチラシを突きつけて、花子さんは問うて来る。
「何これバカにしてる。あたしをなんだと思ってるの?」
「別に、君を意識した訳じゃないさ」
なるべく飄々とした風に、ぼくは肩を竦めてみる。眉を顰め、忌々しそうにチラシを見詰める長谷川さん。
「せっかく、良い怪談を紹介してあげたのに……」
「だって。あれはまずいじゃん。ヤモリ男は実在するんだろう? 迷惑をかけることになるかもしれない」
花子さんは顔を赤くして「いいわよ、そんなの」強く言った。
「あー。あーあ。まったく損した。教えてあげたとおりに言わなかっただけならまだしも、その代わりの怪談がこんな内容で、しかもトイレの花子さんだなんて……」
「花子さんの何が気に触るのかな?」
モップで殴られた。
湿ったブラシの感触が顔面を突き抜けて、鼻を貫いた衝撃に息が詰まる。
すごく、痛い。
「まあ、良いわ」
許したと言うよりモップで殴ったことで満足してしまったらしい花子さんは、そう言って息を吐いた。
「ところで。あの六つしかない七不思議はどういうことなの?」
一息で怒りを忘れてしまったらしい。子供っぽく、わがままで、分別はないけれど、この子の心は結構広いのだ。
「さあね。七つ目を含めて七不思議をコンプリートした人は不幸になるとか、そんな内容なんじゃないの?」
と、いうのは佐藤君から聞いた話だ。皆はそんな風に噂をしているのだという。
「ふうん。ありきたりね」
「ありきたりなくらいじゃないと、広まったりしないんじゃないのかい?」
「それは、ありきたりな内容しか受け付けない、ありきたりな連中しかうちの学校にいないってことじゃないの」
嘲るように、花子さんは笑った。
「つまんない」
部活動にもまともに出席せず、いつ来ても彼女がこのトイレにいる所以が、また一つ明らかになった。
「あまりみんなを軽んじて見るのは、止した方が良いよ。長谷川さんに何かおもしろい怪談を思い付ける訳じゃないんだから」
「『ヤモリ男』はつまらなかったかしら? ……別に軽んじている訳じゃない、ただ、おもしろくないなって」
「おもしろくない?」
「そう。みんながみんな、あんなに毎日楽しそうに話しているのに、あたしに届くのはつまんない七不思議だけ。どこかの本に載っていそうな、どうしようもなく聞くに堪えないお話ばかり。何がおもしろいのか、分かんない。それが悲しい、悔しい、つまんない」
「じゃあ。どうして花子さんは、ぼくに『ヤモリ男』の話をしてくれたんだい?」
「それは、その。あなたが求めるからよ」
聞きたがった覚えはないのだけれど。
「楽しそうに、あんなに生き生き話してくれたじゃないか。ぼくは、それを自分だけのものにしたかった。長谷川さんの怪談を、他の誰にも分けてやるつもりはなかった」
花子さん、感情むき出しに両目を見開いて口をパクパク開いた。
ひねくれた風でいて、この子は歯が浮くような台詞に弱いらしい。
「でもそれは、『ヤモリ男』が良くできた話だったからじゃない。ぼくの為に話をしてくれる花子さんがいとおしかったからだよ。みんなが楽しそうに怪談をするのは、そういうことさ」
怪談そのものに意味は何もない。
話し手と聞き手の響きあい。みなはそれを求めている。
「会話は情報の交換じゃない。自分の心を切り崩して、人に与えるようなもの。でも、本当の意味でのそれは、人に自らの全てを晒すことに等しい。だから、誰もが聞いたような怪談に、自分の感情をほんの少しだけ、紛れ込ませる。みんな照れ屋なんだ」
両手を開いて、珍しく饒舌になる自分を感じる。
「……ちょっと待って」
何かに気付いたように、花子さん。
「それだと。別にあなたが他の人に『ヤモリ男』の話をしたところで、何も問題がないことにならないかしら? だってそれは、あなたの口から話すことは、あたしの好意には何も関係……」
あ。しまった。
「新一」
「ごめんよ。悪かったよ、どうしてもその話を七不思議に加えたかったんだ」
ぼくが言うと、花子さんは不機嫌そうに眉を顰めて、それから考え込むようにチラシを覗く。
「ねぇ。新一」
「何かな」
「あなた、怪談ってどう思う?」
ぼくは何も考えず、とりあえず、心にもないことを
「好きだよ」
言った。
「怪談そのものは、やっぱりくだらないとしか思えないけれど。人懐っこく自慢げにする作り話の中に込められた、たっぷりの好意を、ぼくは好きだ」
ぼくは、人に怪談をすること事態、何も楽しいとは思えない。
怪談を聞いた人間の、会談をする人間の、あの呆れる様な、嘲るような、おもしろがるような、あの奸悪な表情を見るのが、それが好きなのだけれど。
「……そう」
話し好きで、話の下手な花子さんは、なんだか嬉しそうにそう言った。
「そうなんだ」
真田法人『首なしバスケットボーラー』
木曽川洋太『準備室の爪痕』
佐藤『無人室の演奏』
宮崎春香『運動場の渇き』
木曽川美空『てけてけ』
御堂新一『トイレの花子さん』
そして空白の『七不思議の七つ目』
くだらないと言えばくだらない、端から見ればバカにしか見えない。七不思議ブームが学校には到来していた。
と言っても、それは、続いてもせいぜい一週間くらいだろうと、真田は言っていた。人の噂も七十五日。何故七十五日で終わるのかと言えば、それは、七十五日もあれば、全ての人間にその話が伝え終わるのに十分だから。
誰もが知っていることを噂してもしょうがない。自分しか知らないことを相手に伝えるからおもしろい。
新聞部の真田らしい台詞だった。
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