婚約破棄を突きつけられたので、真実の愛とやらを証明してみた
それは、とある夜会でのできごとだった。
楽団が演奏を終えて、拍手がまばらに鳴っている最中、婚約者であるエイネス・ルグラン様がまっすぐに私の前へ出てきた。
「オリヴィア・ヴェルネ伯爵令嬢! 君との婚約を破棄する!」
ぴしっと人差し指を突きつけられて、私は思わず固まってしまった。
(これはまた唐突な……)
エイネス様は、ルグラン侯爵家の長男だ。
少々不器用で口下手なところがあるものの、天然な一面と甘い顔立ちのおかげで令嬢たちからの人気はそれはそれは凄まじいものだった。
エイネス様と私オリヴィアは、魔法学院に通っていた学生時代に婚約した。
卒業した今もそれは続いていて、来春に結婚するという話も出ていたところだった。
「……理由をうかがっても?」
「カミラ・オルフェン嬢と婚約を結び直すことにしたからだ」
カミラ様と言えば、私たちと同じ魔法学院の生徒だった子爵令嬢だ。特に目立つような生徒でも無かったように思うけれど、 ここ最近、社交界ではカミラ様とエイネス様が男女の関係にあるとの噂がにわかに広まっていた。
「僕たちの婚約は家同士が決めたものだ。君だって、僕を好きではないのだろう?」
確かに、エイネス様とは政略的に婚約させられた仲だった。
魔法士の一族であったお互いの祖父が取り決めていたものらしい。
エイネス様は、緊張した面持ちで襟を正すと、こほんと咳払いをした。
「君はカミラに嫉妬して執拗な嫌がらせもしていたらしいな。嫌味を綴った手紙も送り付けていたと聞いた」
「まあ」
当然、全く身に覚えがないことである。
良くもまあ、ぺらぺらとこんな嘘がつけるものだと感心してしまう。
「肝心のカミラ様は、今夜はどちらに?」
「体調を崩していて、今夜は僕の屋敷にいる。君に会いたく無いそうだ」
「あら、そうですか」
私は呆れてため息をついたけれど、周囲はそうでもないらしい。すっかり騙されきった彼らは、こそこそと様子を伺っている。
「……エイネス様が侯爵家に招いているということは本当にカミラ様と婚約されるおつもりなのか」
「オリヴィア様とは仲睦まじい様子でしたのに」
貴族たちの言葉に、エイネス様はにやりと口角を持ち上げた。
「だいたい、君はワガママすぎるだろう」
「まあ。たとえば、どのような?」
「お茶会では、僕が頼んでもいない菓子を勝手に注文するだろう」
「あら。いつも一つ残らず召し上がっていましたけれど」
「の、残すのは失礼だからだ! ……それに、僕が他の令嬢と話していれば必ず割って入ってくるだろう。あれは何なんだ」
「エイネス様が困ったお顔をなさっているので」
「困ってなどいない! 夜会だって、始まったばかりだというのに『飽きました』と言って、いつも僕を連れて帰る! 人の予定を何だと思っているんだ!」
なるほど、そういう風に感じていたというのは新発見である。
「僕は、ついに真実の愛をみつけたんだ!」
「真実の愛、ねぇ」
真実の愛というのは、少し前から社交界で流行っている恋物語に出てくる言葉だ。身分の違う二人が周囲に反対されながら結ばれる話で、特に令嬢たちがこぞって小説を読み漁っていた。
けれど。
果たして、真実の愛とやらの意味を、目の前の方はお分かりなのかしら。
「オリヴィア、もう観念しろ!」
「……ふふっ」
エイネス様のその言葉に私は、ついにくすくすと笑い声をあげてしまった。
周りの人たちも急に私が笑い出したからか、ざわざわと声を上げ始めた。
「なっ、何笑ってるんだ」
「へぇ、今夜のエイネス様は私の名前を呼び捨てにしてくださるんですね」
「……は?」
きょとんとした顔のエイネス様に、私は告げる。
「エイネス様はね――人前では私のことをオリヴィア嬢と呼ぶのよ」
「オリヴィアと呼んでください」と何度かねだった事はあるのだけれども、エイネス様はいつも恥ずかしがって呼んでくれない。
呼び捨てにするのは二人きりの時だけだ。
全く、乙女心が全く分からない方というか、なんというか。
「呼び方が変わったからなんだと言うんだ! とにかく、君との婚約は破棄する!」
その言葉に、私は盛大なため息をついた。
(逃げ道は差し上げたのだけれど)
ここで素直に認めていれば、大衆にさらすことなく、穏便にことを片付けようと思っていたのだが、仕方ない。
「とりあえず……お話はわかりました」
私はじっとエイネス様の顔を見つめた。
「それで、いつまでエイネス様のふりをし続けるのですか?
――カミラ・オルフェン子爵令嬢」
ざわり、と波のように貴族たちがどよめいた。
「オリヴィア様は、あまりのショックで幻覚を見ておられるのか……? どうみてもあれはエイネス様ではないか!」
確かにその通りだ。
その整ったお顔も、淡いアメジストのような透き通った瞳も、銀色の星屑のような髪色も全てエイネス様のものである。
普通に考えれば、彼はエイネス様にしか見えないことだろう。
……たった一人、私を除いては。
エイネス様の喉がごくりと動いた。
「な、なにを言って……」
「カミラ様は魔法学院時代、一度だけ処分を食らったことがありますね。理由は、禁書を持ち出したからです」
学院の書庫には、教師の許可がなければ近づけない棚がある。カミラ様はそこから本を一冊抜き取って、鞄に入れたまま帰ろうとしたところを見つかったらしい。
しばらくの謹慎処分になったけれど、カミラ様は目立つ生徒ではなかったので皆あまり話題にしていなかった。
「その禁書には、人の姿を模倣できる禁術が記されていました。……まさか、卒業してから使われる日がくるとは思いませんでしたが」
エイネス様の顔が白くなった。握りしめた拳が震えている。
「な、なんの証拠があって言っているんだ! デタラメばかり――」
私は一歩前に出て、エイネス様の手首を掴んで魔力を込めた。すると、触れたところから光があふれて、エイネス様の背の高い体が見る間に縮んでいく。
銀色の髪は目立たない栗色に変わって、胸元まで伸びて――。
そこに立っていたのは、私より頭ひとつ小さいカミラ様だった。
会場のあちこちで悲鳴が上がった。
「な、なんで、魔法が解けて……っ!?」
「あら、お忘れですか? 僭越ながら、私、オリヴィア・ヴェルネはこの国で二番目に優秀な魔法士と言われておりますのよ」
私は、掴んだままの彼女の手首に、魔法の鎖を巻きつけた。入り口にいた騎士たちが人をかき分けて走ってくる。
「今すぐ連れて行って。禁術はこの国では重罪です」
カミラ様は鎖を引きちぎろうと腕を振り回すけれど、結い上げていた髪が乱れるだけでびくともしない。
「ああっ、せっかくエイネス様を解放してあげようと思ったのに……!」
本性を現したカミラ様に、あちこちで息を呑む音がした。
「あの方のお姿でね、あちらの奥様にも、そちらのご令嬢にも、お伝えして回ったの。『僕はカミラを愛している』って。皆さま、それはそれは嬉しそうに人へ広めてくださったわ」
貴族たちが顔を見合わせて後ずさる。なるほど。例の噂の出所は、やはり彼女だったらしい。
「わたし、ずっとエイネス様を見ていたのよ。学院のころから、ずっと。エイネス様が誰と話して、どこに座って、何を召し上がったのかも、全部書いてあるの」
「……書いてあるとは?」
「エイネス様専用のノートよ。三冊目になったわ」
カミラ様はうっとりと目を細めた。
(ああ、この方は)
エイネス様に恋焦がれるあまり、このような凶行に走ってしまったのだろう。
だけど、それは一方的な理想の押し付けであって、決して、愛などではない。
「あの方はね、わたしといるときだけ笑ってくださるのよ。ねえ、おかしいと思わない? なんで貴方なんかと!」
騎士に腕を掴まれ引き摺られていく彼女だが、奥歯を噛んで私のことを恨めしそうに睨みつけている。
「ああ、わたしが、貴方のことを呼び捨てで呼ばなければ上手くいったのに……!」
(ああ、なるほど)
カミラ様は、私を「オリヴィア」と呼んだせいで、禁術に気づかれたのだと勘違いしているらしい。
だけど。
「あら、残念ね」
私はカミラ様に近づくとにっこりと微笑んだ。
「私は最初から、貴方がエイネス様では無いって分かっていたわよ」
「ど、どうして……?」
カミラ様は身を引こうとしたけれど、騎士に腕を掴まれていて下がれない。私はその顔を見つめたまま告げた。
「――真実の愛、かしら」
「その通りだな」
聞き覚えのある声に振り返ると、銀色の髪をきっちりと分けた眉目秀麗な青年が立っているではないか。
「エイネス様……!?」
本物のエイネス様の登場に、会場が驚きの声を上げる。
「目が覚めたら自分の寝台にいたんだ。でも、屋敷の者は、僕はとっくに夜会へ出かけたと言う。……何かあると思って走ってきた」
「ど、どうして。エイネス様には確かに睡眠魔法をかけたはずなのに……!」
カミラ様は目を真ん丸に開いてエイネス様を見つめた。しかし、エイネス様はカミラ様の言葉は気にしていないようで、もじもじと私の方を伺った。
「オリヴィア嬢、驚かせてすまない。あと、夜会に遅刻したことも……嫌いにはならないで欲しい」
今、気にするべきところはそこではない。
「そんなことより、エイネス様、体調は大丈夫なんですか?」
「ああ、不意打ちで魔法を食らって少しの間、気絶していたようなんだが、気合でなんとか」
「睡眠魔法が気合で解けるって、化け物ですか……」
普通の人間なら、朝までぐっすり眠ってしまうはずである。あまりに、体力が異常すぎるだろう。
「カミラ嬢、僕が好きなのはオリヴィア嬢だけだ」
「……っ」
真っすぐなその宣言に、カミラ様は顔を背けた。しかし、追い打ちをかけるように彼は続けるのだ。
「最初から彼女が禁術を見抜けたのは、一方的な押し付けじゃなくて、僕のことをいつも思いやってくれているからだ。――これが、真実の愛だよ」
◇
裁判では禁術の使用が認められて、カミラ様は地下牢への幽閉が決まった。子爵家は責任をとって爵位を返上するそうだ。
侯爵家時期当主として証言に立ったのはエイネス様である。人前に立つのが苦手な彼が堂々と発言をしたらしく、なんだか人間の成長を感じる。
あれから数ヶ月が経ったのだが、エイネス様はどこへ行くにも私を連れて歩くようになってしまった。
「エイネス様、もうご挨拶はいいでしょう?」
「いいや、君が僕のものだって分からせておかないと」
今夜の夜会は、別に私たちが主賓ではないからもう帰っても構わないのだ。
エイネス様は、魔力が強いからか、他人の魔力を敏感に感じ取ってしまう。魔力酔いというのだそうだ。特に、こういった夜会の場では魔力酔いが起きやすい。
私が飽きたふりをしてエイネス様を連れ帰っていたのは、そのためである。
だというのに、エイネス様は先程から「来春結婚式を挙げる」と貴族たちに触れ込み回っているのだ。
「エイネス様、飽きたので、いい加減もう帰りませんか?」
「『飽きた』なんて嘘だろう」
エイネス様は私の手を握り直した。どうやら、エイネス様はカミラ様の一件のことをまだ気にしているみたいだ。
自分が気絶しており、会場への到着が遅くなったことを反省しているらしい。気合で睡眠魔法を解いていたし、もはや……反省する点も無いと思うんだけれど。
「エイネス様、では気分転換にお菓子でも食べましょう」
魔力が強いエイネス様は、糖分補給が欠かせない。私は給仕に適当にお菓子の盛り合わせを注文した。
「はい、どうぞ」
皿には木の実をたっぷり敷き詰めたタルトが並んでいた。エイネス様はひとつ取って口へ運び、それから眉を下げる。
「ん……美味しい」
エイネス様は、二つ目に手を伸ばしたところで、私に見られていることに気づいたらしい。
「恥ずかしいな。そんなに君に見られると照れてしまう」
もぐもぐと美味しそうに食べるエイネス様は赤くなって、はにかんで俯いた。
と、そのときだった。
頭上で金具のきしむ音がした。
(……あ、シャンデリアが!)
がしゃん、と大きな音をたて、シャンデリアが勢いよく落ちてきて、私は反射的に目を瞑った。
しかし、恐る恐る目を開けてみれば、それは私たちの頭のすぐ上でぴたりと止まっていた。
ふと横を見てみれば、エイネス様がシャンデリアに向かって手をかざしているではないか。
「エイネス様……!」
「金具が古かったみたいだな」
「よ、良く間に合いましたね」
「別に、普通のことだろう?」
エイネス様は何でもないように言うけれど、あれだけの重さのものを落ちる途中で止めるのは、詠唱なしにできることではない。
(さすがだわ……)
あと少し遅ければ、私は動くこともできないまま潰されていただろう。
会場中の視線が集まる中、シャンデリアはゆっくりと持ち上がり、元の位置へ戻って何事もなかったように灯り続けている。
広間が静まり返った後で、どこかからわっと拍手が起こったけれど、エイネス様の瞳には私しか映っていなかった。
「これから先、何があっても君を守ってみせるよ」
もう十分守ってもらっているのに、これ以上何を望むというのだろう。
「ふふっ、大好きですよ。この国一番の魔法士様!」
ここまでお読みいただきまして本当にありがとうございました!
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