瑠璃を食む
「寒い」
しばらく冬の海を眺めていた瑠璃だったが、肩を覆う黒髪を翻して、海に背を向けた。
「冬の海なんだから、寒くて当たり前でしょう。だから、私は来たくないって言ったのに――」
藍は聞き入れられない文句を双子の姉にぶつける。どうせ、瑠璃は藍の言葉を聞き入れる気はないのだ。それなら、こちらが何を言ったっていい。
横暴には横暴で返してやる。
もうすぐ誕生日だというのに、瑠璃が言い出したことに付き合わされて、冬の荒れ狂う海の見える旅館に泊まりに来ていた。
小学生でもないのだから、誕生日にそこまでの感慨はない。そうは言っても、早く子どもでいることをやめたい藍にとって、年を取ることは喜ばしい。
天ケ瀬家の人間は、死ぬときに宝石に転じる運命を背負った、呪われた血筋だ。
瑠璃も藍も、死んだら宝石になる。
だからこそ、死に場所も、生き方も、全部自分で決めたい。藍はそう考えている。
冬の海に飽きたか、寒さに辟易したか、瑠璃は旅館に戻ろうと歩き出していた。髪の長さが少し異なっているだけの生き写しを追いかけて、藍も旅館へ向かった。
誕生日を二人で海を眺めながら迎えたい――。そう言ったのは瑠璃だった。だというのに、午前零時五分前になって、瑠璃は静かに寝ている。
「本当に、自由よね」
姉特有の横暴さに毒づいて、瑠璃を揺さぶった。
「海を眺めながら十三歳を迎えるんじゃなかったの。寝落ちしないでよ」
目を開けた瑠璃は、明らかに様子がおかしかった。薄暗い部屋の中でもわかるほどに、ふとんが萎み、瑠璃の身体が小さくなっていっていることを示していた。
それの示す最悪の事態に思い至り、双子の姉の名前を呼ぶ。
「瑠璃、どうしちゃったの」
動揺をよそに、瑠璃は緩やかに笑う。甘い香りが、鼻腔をくすぐり始めていた。
「鈍い。相変わらず鈍いわね、藍」
「何が、起きているの……」
「鈍い子。でも、仕方ないか。私が知性を多く取ってしまったし、長子でなければ教えてもらえない情報もある」
日常の延長のごとく、瑠璃は藍を嘲った。常の愉悦は鳴りをひそめて、真剣だった。
瑠璃のふとんを勢いよくめくると、瑠璃の身体は、ほぼ半分が宝石と化していた。いずれ藍も迎える最期。
「ラピスラズリよ。私と藍は、死んだら宝石になるの」
「知ってるけど、そうじゃなくて」
「だって、大人になれるのは片方だけなんだもの。藍、あなたが私を食べて、一つにならなきゃ私達は朝を迎えられない」
絶句する。
「それが、呪われた血の宿命なの」
聖母のように微笑んで、瑠璃は酷な事実を告げる。らしくもない。そうであるなら、瑠璃は藍を殺してでも、先を拓く人間だ。それが、命を投げ出すだろうか。
「死は救いよ。そして、生は呪い」
歌うように言って、瑠璃は満面の笑みを浮かべた。鼻腔を満たす甘い香りは、藍の食欲を搔き立てた。
「私がおいしいといいのだけど」
その言葉を最後に、瑠璃は宝石になり、砕け散った。無数のラピスラズリがただそこにあった。返る言葉はもうない。
藍の思考は食欲で満たされた。
乱暴に剥ぎ取ったふとんの下。旅館の浴衣から、無数の蒼が見え隠れする。
震える手で、瑠璃の浴衣の帯を緩め、ふとんの上に人の身体の形に置かれたおびただしい数のラピスラズリを目の当たりにする。そのどれもが、食欲を掻き立てる芳香を放っていた。
抗えず、腹だった部分の小さな石を口に運ぶ。
こんなものを消化できるはずもないとの予想に反し、琥珀糖でも転がすように、舌で転がして、ラピスラズリをパリンと噛み砕くと、中身はふわりと融けた。
「……おいしい」
呟いてから、自分の感性が恐ろしくなる。姉だったものをおいしいと思う自身は、どこまで人間だろうか。
元は手だったラピスラズリを食べる。手先の細やかだった瑠璃のようになれるといい。そう願いながら、口に運んでは歯を立て、融かしていく。
腕も食べ終えて、細く美しかった脚を頬張る。変化もしないのに飽きない味だ。
起き上がって、水を飲む。日の出までに食べきらなければ、自身の命もない。
切迫感と妙な食欲が、食事を加速させていく。
心臓や肺のあった部分から食すのは躊躇われて、下から胴体部分の蒼の欠片を口にした。そうして、頭と首、胸だけになった。
どこを先に胃に収めるべきか、初めて迷いが生じた。
心は、どこにあるのだろう。心臓のある胸? それとも、脳のある頭だろうか。
「最後は、お顔がいいよね」
ぽつりと呟いて、乱暴に胸と首を消し去った。生命維持に欠かせない器官であるはずのそれも、こうなった今では意味がない。
瑠璃の顔に口づけるようにして、顔を食んでいく。
最後の一片が舌の上で融けるのを感じて、眠気に身を任せた。
波の音と陽光で覚醒し、隣のふとんが昨夜のままであることに絶望を覚える。姉は、もういない。自分が天ケ瀬瑠璃であり、天ケ瀬藍なのだ。
「おいしかったよ、瑠璃」
生の呪いをかけて去った半身に、勝利を宣言する。
「いつだって、生きている者が勝つ」




