第37話 サヤとブレイド
「サヤ! 次で決める!」
鋭い声に応じて、サヤは即座に魔王の背後へと回り込む。
「任せて!」
ハンマーを握り直し、サヤは息を整えた。
今の言葉は、ブレイドがサヤのために魔王の隙を作ってくれる合図だ。その好機を、絶対に逃すわけにはいかない。
(――次の一撃に、私のすべてを懸ける!)
サヤは胸元からスマホを手早く抜き取り、迷わずリミッター設定を変更する。
リミッター解除100パーセント――その先は自己破壊領域。だが、それでもサヤは、躊躇なくスマホを胸元のホルダーにセットした。
『リミッター解除100パーセント』
無機質な機械音と共に、バトルテクターの警告ライトが激しく明滅する。身体中から急激に霊子が奪い取られていく。過負荷で骨が軋み、血が煮えたぎるような感覚が全身を駆け巡った。
「うっ、くぅぅ……!」
だがサヤは膝をつかない。真っすぐに魔王を見据えた。
ブレイドの役目が、魔王の注意を引きつけ、決定的な一瞬を作ることなら、サヤの役目は、その一瞬に魔王の頭をハンマーでぶち抜くこと。
魔王補正がある限り、絶対勇者剣は通用しない。だが、それは魔王に意識がある限りの話だ。何しろ、魔王自身が言っていた。自分の魔王特性を語るときに「この魔王が眠っている時ならともかく」と。
だったら、フェンリルを相手にしたときのように、サヤが魔王の意識を叩き落とせばいい。
それこそがブレイドが思いつき、サヤに託した作戦だった。
(――ブレイドが私を信じている)
サヤは握ったハンマーに力を込める。
(魔王のガードがどれほど硬くても、頭蓋の中で脳が揺れることまでは防げない。――だから、絶対に打ち抜く。魔王特性なんて、私の一撃でぶち抜いてやる!)
身を屈め、足に力を溜め、チャンスを待つ。ブレイドが作り出してくれる一瞬の隙を。
サヤは息を殺して、魔王とブレイドの戦いを見守った。
「うおおおおおおっ!!」
サヤの視線の先では、ブレイドが叫びと共に突進し、魔王の前に立ちはだかる。
傷が痛むのを無視しての、渾身の連撃。
剣と剣が火花を散らし、激突の衝撃音が広間に反響する。
「ほう……傷が痛まぬのか、勇者?」
「痛いさ……! でもな、それでも立ち続けるのが――勇者ってもんだろうがああっ!!」
ブレイドはさらに一歩踏み込むと、左手を大きく振りかぶり――そのまま、剣と化した魔王の右腕に自らの左手を突き刺した。
「なっ――!」
魔王が金色の瞳を見開く。その隙に、ブレイドは自らの左腕を犠牲にして、魔王の剣腕を強引に握り締め、動きを封じる。
「動かせるもんなら、動かしてみろよ……!」
身体が震えるほどの激痛。それでも、ブレイドは離さなかった。
「今だ――サヤ!!」
ブレイドが叫んだ時には、すでに空気を裂く気配が魔王のすぐ背後にあった。
「くらいなさいっ!」
サヤはブレイドを信じて跳んでいた。霊子を纏い、眩く輝くハンマーを横に大きく振り被りながら。
魔王が察知して振り返るが――
遅い。
ゴッ!!
重く、確かな衝撃音。
霊子ハンマーが、魔王の側頭部を横から叩き抜いた。
「……ッ……が……ッ……」
魔王の口から、言葉にならない息が漏れた。
その身体が、よろめき、がくりと膝をつき、そして――金色の双眸から、意識の光がふっと消える。
「この瞬間を待っていた――!!」
ブレイドが吠える。
血に染まった左手を魔王の剣から引き抜き、右手の剣を高く掲げ、その名を叫ぶ――!
「絶対勇者剣!!」
天を裂くような光が剣からあふれ、轟音と共に魔王の胸部を真正面から貫いた。
空間が震え、世界が軋む。
魔王の身体が爆風に呑まれて吹き飛び、巨躯が石床を砕いて転がり、そのまま光の粒子となって崩れ去っていく。
光が収束した。
静寂が訪れる。まるで世界が、ようやく息をついたかのように。
サヤはその場に立ち尽くしていた。
握り締めたハンマーの柄が熱を帯びている。まだ鼓動が収まらない。全身が軋む。それでも、彼女は微かに笑った。この痛みは、確かに「二人で」勝ち取った証だ。
そして、前を見れば――
そこに、剣を下ろしたブレイドの姿があった。いつものように寡黙で、無表情に見える。けれど、彼の顔には微かに浮かぶ笑み。ほんの一筋の安堵と、誇りに満ちた、静かな笑顔があった。
サヤはその姿に安堵を覚えるが、すぐに魔王の動きを止めるために犠牲にした左手のことが気にかかる。
「ブレイド……その手、大丈夫なの? 魔王の攻撃による傷は癒せないって言ってたし……」
「ああ、この手か? 心配ない」
そう言って左手を掲げると、血は止まり、傷口も塞がっているように見えた。
「魔王が消え、魔王補正の効果もなくなった。回復魔法ですでに傷は塞いでいる」
「そっか……良かった」
今度こそサヤは心からの安堵の笑顔を浮かべた。
「……魔王を倒せたのは、サヤのおかげだ」
その言葉には、彼の心からの信頼と、称賛と、そして――仲間としての敬意が込められていた。
サヤは一歩、彼の前に進み出る。そして、汗に濡れた額を拭い、堂々と胸を張った。
「……当然でしょ。私はあなたの従者なんかじゃないんだから」
「ああ。サヤは――最高の“パートナー”だ」
彼の言葉に、サヤは満面の笑みでうなずいた。
彼女は今まで、誰にも頼らず、自分の力だけで戦ってきた。だが、彼女は今、隣に立つ者の力を信じ、その背中を預ける覚悟を持った。
そしてブレイドもまた――
異世界で孤独に戦ってきた勇者は、初めてこの世界で信じ合える誰かを得た。
戦いの終わりは、新たな始まり。
崩れた石床の上に、二人の影が並ぶ。
ブレイドが静かに歩き出す。その隣に、サヤが並ぶ。どちらからともなく、自然に並んだその歩幅は、まるでずっと前から決まっていたかのようにぴったりと揃っていた。
剣とハンマー。異世界の勇者と、この世界のハンター。
違う力、違う過去、違う常識を持ちながらも、今や二人は一つのチームだった。
――これから、どんな敵が現れようとも。この二人なら、きっと立ち向かえる。
静かな決意を胸に、ブレイドとサヤは、ダンジョンの奥から――確かに、未来へと歩き出していった。




