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第33話 勇者補正

『リミッター解除100パーセント』


 無機質な機械音声が冷たく響く。

 次の瞬間、バトルテクターが閃光を放ち始めた。白と赤の光が交錯し、霊子の奔流が全身を駆け巡る。

 体が焼け、骨が軋み、血が煮えたぎるようだった。


「……ッ、くぅ……!」


 息が悲鳴に変わる。それでも、サヤは膝をつきはしない。

 リミッター100パーセント解除は、霊子の全出力を解放する最終モード。

 肉体と精神への負荷は、最悪の場合、死にすら至るレベル。

 だが、そんなことは問題じゃなかった。

 髪が揺れる。瞳が燃える。汗が蒸気となって肌を包む。眩く輝く霊子ハンマーは、もはやただの武器ではない。サヤ自身の「意志」を宿した存在だった。


「……いくよ、ブレイド。見てて――」


 命を削る覚悟の一撃。意地でも叩き込んで見せると、サヤが一歩踏み出した時だった。


「――サヤ、そいつの相手は俺がする」


 声が響いた。

 聞き間違えるはずがない。

 ――まぎれもなく、ブレイドの声だった。

 サヤの足が止まる。反射的に振り向いた視線の先に、信じられない光景があった。


「……ブレイド……?」


 倒れたはずの彼が、立っていた。

 胸には深く穿たれた痕が残り、服は破れ、血が滲んでいる。

 それでも、彼は両足で地を踏みしめ、確かに立っていた。


「どうして……!? 死んだはずじゃ……っ!」


 サヤの叫びに、ブレイドは静かに首を横に振る。


「……俺には『勇者補正』がある。致死ダメージを受けたとしても、一度なら――復活できる」


 サヤは一瞬、冗談かと思った。

 けれど、その顔、その目を見て、何一つ嘘を言っていないと理解する。

 本当に――彼は戻ってきたのだ。


「……なんなのよ、その嘘みたいなチート能力は!」


 呆れと怒りと、そして――抑えきれない安堵。

 声にはいろいろな感情が混ざっていたが、サヤの顔にははっきりと笑みが浮かんでいた。

 ブレイドはそんな彼女に、真剣な眼差しを向ける。


「――ただし、もう次はない。次に死ねば、今度こそ終わりだ」


 その言葉に、サヤの表情が一瞬だけ揺れる。

 けれどその瞳には、はっきりとした光が宿っていた。


「……でも、よかった……本当に」


 ブレイドは視線を「それ」へと移す。すでに剣を構え直していた。

 そして、淡々と告げる。


「こいつは――異世界ラノベールで、俺が倒したはずの『魔王』だ」

「……魔王?」


 その名が出た瞬間、広間の空気がさらに冷たく張り詰めた。

 無言で佇む「それ」――魔王は、ブレイドを真っすぐに見つめ返している。

 だが、その金色の瞳には、確かに「記憶」の光が宿っているように思えた。


「俺がいた世界ラノベールでは、最終決戦の末に、俺がこの魔王を討ち、世界を救った――はずだった。……なぜ生きている? そして、なぜこの世界にいる?」


 ブレイドの問いに、魔王の金の双眸が微かに細められた。


「確かに、ラノベールにおいて我は貴様に敗れた。だが――我が侵攻していたのは、ラノベールだけではない。我は存在を十二に分け、ラノベールも含めて十二の異世界に同時に攻め入っていたのだ」


 魔王の声は低く、よどみなく響く。


「……だが、貴様の『絶対勇者剣グラン・エクス・ヴァルディス』により、十一の異世界の我は同時に滅した。勇者である貴様の一撃は、時空の壁さえ貫いて我が身を同時に屠った。しかし――この世界に存在していた我だけは、生き残ったのだ」

「……勇者の技は、世界の垣根さえ超えてすべてを滅ぼす必殺の一撃。……なぜ、お前だけ生き残れた?」

「我にも明確な理由はわからぬ。ただ、この世界だけは、ほかの十一の異世界と比べて、明らかに異質だった。この地には、モンスターはおろか、魔人も存在せぬ。魔法もなく、神の力さえ作用しない。……この世界では、魔王である我でさえ、このダンジョンという限られた空間でしか安定して姿を保ってはいられぬ。そんなおかしな世界故、勇者の力さえ届かなかったのかも知れぬな」

「……確かに、この世界はおかしな世界だが……まさかそのせいで魔王を倒し切れていなかったとはな」


 二人の会話を黙って聞いていたサヤは、苦い表情を浮かべた。


(……正直、何を言っているのか半分くらいわからないけど……何、もしかして、こっちの世界の方が『異常』ってこと!? 魔法もなくて亜人もいない方がレアだったなんて、嘘でしょ……)


 常識が崩れていく感覚に、サヤは思わず額を押さえた。けれど、今、そんなことに思考を巡らせている余裕はない。

 自分が今何をすべきなのか、すぐに思い出し、一歩踏み出した。


「いろいろとわからないし、納得できないこともあるけど――とにかくこいつが最後に残った魔王ってことなんでしょ? だったら、ブレイド、二人で倒そう!」


 勢いよくそう言ったサヤだったが、ブレイドは手をかざし、彼女を制した。


「サヤ、バトルテクターの仕組みはよくわからないが、今のお前が自分の身を削っていることだけはわかる。そんな状態で戦わせるわけにはいかない」

「でも……!」

「それに――魔王を倒すのは、勇者の役目だ」


 その声には、迷いも、躊躇いもなかった。あるのは、ただ勇者としての使命と決意。

 サヤは唇を噛んだまま、悔しげに頷いた。


「……そこまで言うんだから、一人でも勝てるんでしょうね?」

「ああ」


 ブレイドは静かに一歩、前へと踏み出した。剣を構え、魔王を真正面から見据える。

 対峙する魔王の口元が、わずかに吊り上がった。まるで、望んでいた再戦を前に、喜びすら感じているように。


「……行くぞ」


 ブレイドの声が落ちた瞬間、その姿が閃光のように駆けた。

 鋭い踏み込みとともに放たれる初撃。斜めに走る剣閃を、魔王はほんのわずかに身をそらしてかわす。返す刀の斬撃を、黒く変質した腕の剣で受け止める。金属がこすれ合うような甲高い音が広間に響き、圧縮された空気が震えた。

 続けて、ブレイドの二撃、三撃。いずれも異常なまでの精度と速度を誇るが、魔王はそれをすべて最小限の動きでいなし続ける。


「前より強くなっているじゃないか」


 ブレイドの額に汗が滲む。魔王の動きは、もはや「体術」の域を超えていた。無駄のない洗練された動き、完璧に練られた間合い。純粋な剣士として見ても、異常な実力だった。

 それでも――


「はあっ!」


 ブレイドは魔王の剣筋を受け流し、鋭い反撃を叩き込む。

 力ではなく、速さでもなく、磨き抜かれた「技」の冴えで追い詰めていく。

 戦えば戦うほど、相手の癖を見抜き、剣筋を読み、瞬間の判断力を洗練させていく――それもまた勇者の力だった。


 剣の間合いの中で、数合、数十合――刹那ごとに交わされる斬撃と防御。互いに一歩も引かぬ応酬の果て、ついに――その一瞬は訪れる。

 魔王の脚が、ほんのわずかに滑った。ブレイドのフェイント気味の斬り上げに、対応がわずかに遅れる。


「――今だ!」


 ブレイドは、迷いなく剣を高く掲げた。


絶対勇者剣グラン・エクス・ヴァルディス!!」


 空間が震える。剣から迸る光が魔力の残滓を吹き飛ばし、まっすぐに魔王の胴体めがけて振り下ろされた。

 斬撃が、閃光となって走る。必殺の一撃。かつて世界を救った技――それが、再び魔王を穿たんとする。

 だが――


「……フン」


 魔王の金色の瞳が細められた。その口元に浮かんだのは、嘲りとも懐かしさともつかぬ笑み。

 そして、次の瞬間――

 ブレイドの剣が、不自然に軌道を変える。


「なにっ……!?」


 刃が届く寸前、ブレイドの剣が、まるでそれが世の理であるかのように、見えない力によって軌道をわずかに逸らされた。

 逸れたのは、ほんの数ミリにすぎない。だがそれで充分だった。「絶対」の一撃が、虚空を裂く。


「く……っ!」


 勢いに引きずられ、ブレイドの体勢がわずかに崩れる――その刹那、魔王の闇の剣が、横薙ぎに走る。


「……ぐあっ!」


 鋭く、深く、ブレイドの脇腹を裂く一閃。

 続けざまに放たれた蹴りが、彼のみぞおちに叩き込まれる。

 骨が軋み、内臓を叩き潰すような衝撃が駆け抜けた。

 ブレイドの身体が宙を舞い、その勢いのまま石床に叩きつけられる。


「ブレイド!!」


 サヤの絶叫が広間に響くも、ブレイドはピクリとも動かない。

 魔王は追撃をかけるでもなく、その姿を見下ろしながら、冷徹に告げる。


「一度倒された技は、魔王にはもう通じぬ。貴様に『勇者補正』があるように、我にも『魔王補正』があるのだ。知らなかったのか?」


 その言葉は、重く、深く、広間に響き渡った。


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