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第5話:呪われた井戸と水鏡の影

 ──《呪い》の正体とは、誰かが信じた〈意味〉の形に過ぎない。


 それが医師としてのユウの考えだった。だが、その信条を真っ向から打ち崩すような事件が、今まさに彼女の診療所の敷地で起きていた。


 井戸から水死体が上がったのは、暁の光が地平を照らし始める頃だった。


 口を開けたまま浮かんだ女の遺体。手足には引き裂かれた痕。肌は水に膨れ、しかし唇には、妙に不気味な笑みが浮かんでいた。


「また“水鏡の呪い”か……?」


 現場に駆けつけた兵士が小声で呟いた言葉に、ユウは眉をひそめた。


「それ、詳しく聞かせて。誰が言い出した迷信?」


 兵士は逡巡したが、やがて語った。


 ──この帝都の北西、古くからある井戸のひとつ。そこに“水鏡”と呼ばれる女が棲んでいるという噂。夜、井戸を覗くと自分そっくりの女が現れ、手招きする。そして……引きずり込まれる。


「前にもあった。三年前と……十年前にも」


 迷信。そう片付けたい話だった。しかし、それらの事件で見つかった遺体の状況は、いずれも今回と酷似している。


 口を開けて溺死。唇に笑み。目は見開いたまま水を見つめていた。


 ユウは静かに、だが確かに言った。


「水鏡の呪い──その正体、暴いてみせる」




 診療院に遺体を搬入し、解剖を始めたのは正午すぎ。


「やっぱり、肺に水は多い。でも変ね……水の混濁が強すぎる」


 帝都の水は澄んでいる。なのに、この肺の中の水は、鉄臭く濁っていた。


 ユウは遺体の手を検分する。


 ──異常に爪が欠けている。水中で暴れた? だとすれば、なぜ顔は笑んでいる?


 「強制的に水を飲ませたあと、井戸に沈めた?」


 弟子のミナがぽつりと言った。


 ユウは黙って、うなずく代わりに遺体の首元を調べる。


 「あった……痕跡」


 喉元、微かに内出血。喉仏を圧迫するような力がかかっていた。


 そして、口腔内。


「この色……ハシリドコロか。毒を盛られていた」


 ハシリドコロ──中枢神経を麻痺させ、幻覚や多幸感を引き起こす毒草。


 つまり。


 「……毒で酩酊させて、幻覚の中で笑わせたまま、溺死させた?」


 けれども、これだけでは説明がつかない。


 なぜ、歴代の死者すべてが“笑って”いたのか? なぜ“水鏡”という存在が語られ始めたのか?


 ユウは遺体の顔をもう一度見つめた。


 その“笑み”の違和感に、彼女はようやく気づいた。


 ──これは笑ってなどいない。引きつっているだけだ。


 無理に引きつらせるような痙攣。表情筋の痙攣。


 「これは“笑み”じゃない……。これは、“映された顔”だわ」




 その夜、ユウは井戸に向かった。


 周囲はすでに封鎖されていたが、衛兵には王命と偽りを通した。


 井戸の周囲には、無数の光を反射する鉱石の破片が埋め込まれていた。


 そして、井戸の内壁にも――銀粉。


「……これは」


 水面に映る者を“歪ませる”細工。鏡張りの反射ではなく、あえて波立たせることによって、ゆらぎと共鳴を作り出す。


 視覚的な“幽霊”を生む、いわば人工的な《怪談製造装置》。


 そのゆがんだ像を夜な夜な見せられれば、人々は“水鏡”という幻影を信じるようになる。


 「……誰が、何のために?」


 その答えは翌朝の聞き込みで明らかになる。




 ユウは今回の死者の素性を洗い直した。


 名はレオナ。三年前の“水鏡”の生還者だった。


 当時、レオナは井戸に引きずり込まれそうになったが、偶然通りかかった兵士に救われている。


 その後、彼女は井戸の怪異を語り継ぐようになった。


 ──だが、帝都ではこうした“語り手”が邪魔になる場合がある。


 例えば、噂を都合よく利用したい誰かがいるなら。


 「呪いがあると広まれば、誰も井戸に近づかなくなる」


 「……井戸の地下には何が?」


 役所の古記録をひもといたユウは、ある一枚の図面にたどりつく。


 ──地下水脈。井戸の底に続く地下道。そして、そこに埋まる禁書庫跡。


 「……これ、隠したい何かがあるってことね」




 結論はこうだ。


 “水鏡”は作られた呪い。視覚トリックと毒、そして語り手の存在によって補強された偽の伝承。


 犯人は、旧時代の禁書庫を守る密命を負った役人たち。


 レオナが語った“真相”が彼らの計画にとって邪魔になったため、今回、口を封じることにした。


 しかし、問題はそれだけではない。


「ミナ。今回の井戸は、単なる水源じゃなかった。これ、“生体反応”を調べる機構が隠されていたの」


 井戸の底には、古代の技術で作られた装置があり、それは一定の毒素を検出すると井戸水を封じるよう設計されていた。


 つまり、かつてこの水源は毒の混入を自動で検知し、庶民を守っていた。


「……誰かが、それを“壊した”のよ。だから今、水が汚れている」




「では、犯人は?」


 兵士が問う。


 ユウは静かに一枚の帳簿を差し出す。


「三十年前、井戸の再建に携わった責任者。名前が、今回の役所の補佐官と一致してるわ」


 ──遺物を隠し、過去を封じようとした男。


 だが、その手口は脆くも暴かれた。




 事件は解決し、井戸は封鎖された。


 だがユウは、井戸の底にあった装置の一部を持ち帰り、診療院の裏庭に設置することにした。


「これ、毒の自動検知器よ。帝都じゃ使い道があまりないと思われたらしいけど……」


「辺境には、役立つことが多いですからね」


 ミナが笑いながら言う。


 ユウも小さく笑い、返した。


「“呪い”は怖くない。でも、“信じる力”の方が怖いのよ」


 水鏡の影は消えた。


 けれど、帝都の迷信と虚構の影は、まだまだ深い──。

この後の話の執筆が終わっていないので、こちらの作品も一度完結済みにします。

明日以降執筆が終わり次第、再開します。

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