表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/24

第3話:消えた皇子と首のない人形

(首がない、ねえ……)


ユウはしゃがみこんで、床に落ちた布くずを拾い上げた。

それは見間違えようのない、《人形の首》の残骸だった。




事件は早朝に発覚した。

帝都・王宮内、第二妃の東の館。奥深くにある育児房で、乳母が「皇子様がいらっしゃいません!」と叫び声をあげたのが最初だった。


慌てて駆けつけた侍医、女官、侍女たち。そこには確かに、小さな揺り籠だけが残されていた。


そして、その中に――首のもげた人形。


本来そこにあるはずの、《皇子の姿》はどこにもなかった。


「どういうことだ。寝かしつけたのは確かだというのに……!」


「まさか、また呪殺……?」


「呪いで首だけすげ替えるなんて、どうやるんですか、いったい」


ざわめく中、ユウは黙ってその場を観察していた。

香りの残滓、揺り籠の木の軋み、床に転がる繊維の屑、そしてなにより――女たちの《靴の裏》。


「……なるほど、これが……トリック、か」


呟いた声は誰にも聞こえなかった。




(どう考えても変なのよ)


ユウは、乳母に話を聞きながら、思考をまとめていく。


――まず、おかしいのは「目撃証言」だ。


乳母は「深夜二つ時にミルクを与え、そのあとすぐ寝かせた」と言っていた。


だが、その時刻の水場は完全に凍っていたという。

室内に水を運ぶには、氷を割る必要がある。だが、手桶にも床にも水滴の跡がない。


(つまり、乳を与えたという証言がウソ。皇子はもっと早く、別の場所で消えていた)


 


次に揺り籠。これも不可解だ。


外見上は問題ないが、よく見ると《軋み》の音が異常だった。通常なら赤子が動いても出ないよう、工夫がされている。


にもかかわらず、わざとらしいほどの“ギー、ギー”という音。


(これは……《空動き》させてたわけか)


揺り籠の底板に仕込まれていたのは、ごく簡易な“震動の仕掛け”。砂時計と滑車を使った、簡素ながら確実に動く構造。


つまり、皇子が寝ているかのように見せかけるために、《からくり》が使われていたのだ。


(じゃあ、誰が仕掛けた?)


視線を床に移す。そこには細かな砂粒と、布の繊維が落ちていた。普通の乳児の衣では出ないような、きらびやかな刺繍糸。


(この繊維……東の館の調度には使われてない。西の館の上級妃の飾り紐だ)



「つまり、皇子は最初からここにはいなかった?」


高官の一人が半信半疑に聞く。


「そう。おそらくは、昨日のうちに《別の館に》連れ出されたの」


「なぜ、そんな……!」


ユウは、にこりともせずに続けた。


「目的は『すり替え』。皇子ではない何かを、誰かに見せるためにね」


「すり替え……誰に?」


「それがわかったら、話が早いんだけど。まあ、一番怪しいのは“皇位継承順”に関わるあたり」


沈黙が落ちた。



ユウはあらためて育児房を出て、西の館へ向かう。

第二妃の息子であるこの皇子は、継承順位が第七位。だが、彼女の実家が力を持てば、一気に浮上する立場だ。


(だとしたら……“本物の皇子”を誰かに見せないと意味がない)


そこで彼女が見たのは、飾り棚の下に落ちていた、わずかな染み。


干からびた桃の果汁。それに混じる《香料》。


「また、この香りか……」


先日の事件と同じ、《幻覚性物質》の香り。今回は少量だが、それでも嗅覚の鋭い赤子にとっては強すぎる刺激だった。



「犯人は、第二妃の部屋に皇子を連れて行っていた」


ユウは、静かに断言した。


「揺り籠に細工し、乳母に偽証させたうえで。香りを使って皇子を興奮させ、"元気な様子"を妃の兄に見せた。つまり、《跡継ぎとして相応しい》と印象づけるため」


「では……人形の首が落ちていたのは?」


「赤子が部屋にいないのをごまかすための“置き換え”よ。本物とそっくりに作った人形。赤子の服を着せて、下に寝かせ、揺らしておく。ただ……間に合わなかったの。時間的に。で、首を取り外して“事件”にした」


仕組みは見事だった。証言、時間の錯誤、香りによる印象操作、そして逆説的に「誘拐された」と見せることで、皇子の存在感を高める。


「皇子を狙う者がいる、という印象を操作したのか……」


「ね。けっこうずる賢いよね、貴族って」


ユウはにやりと笑った。



だが、事件の裏にはもう一つの事実があった。


ユウは最後に育児房の帳の裏に、そっと指を差し込んだ。


そこにいたのは、縮こまったように座っていた一人の侍女。

おそらく、皇子を「取り替えた」人物。


「言われたのよ。『一目だけでいいから見せてあげたい』って……。お妃様、泣いてたの……」


ユウは頷いた。


皇子を産んだが、ほとんど会えないままに別館へ隔離された母親。その兄が、一目だけでも息子を見たいと願い、妃が動いたのだ。


「……まあ、気持ちはわかるけど、やり方がダメだったね」


「……すみません……」


侍女は崩れるように泣いた。


ユウはひとつ息をつき、立ち上がった。


「じゃ、あとはお偉いさんたちに任せるよ。私は、香りの出所だけもうちょっと調べてみるから」



その夜。ユウはまた桃の香りを分析していた。


(この香料、やっぱり……単なる市販のものじゃない。もっと……意図的に調合されてる)


彼女の目が鋭くなる。


この香りを作れる人物は限られている。しかも、王宮に出入りできる調香師となれば――


(まさか、あの人?)


ユウの記憶に浮かぶのは、かつて医局で一度だけ会った、白い手袋をした男だった。


物語の背後に、影が蠢いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ