第23話:『毒薬は舞台裏で微笑む』
──彼女の瞳には、どこか死に慣れた光があった。
「この香り……甘すぎる」
ユウが手に取ったのは、花のような香気を放つ干し草色の小瓶。城内の調香師が管理していた香油の一つだったが、調合台の一角にぽつんと置かれていた。記録帳に載っていない“余分な一本”である。
「甘い香りが好きなのか、それとも匂いで誤魔化すための毒か……」
カイは調香師の部屋を見回す。整然とした空間に、微かな違和感だけが居座っていた。香料棚には正確な分類、計量された原料。だが唯一、記録外のその小瓶だけが、そこにあることを拒絶しているかのようだった。
「――ここにしかないはずのものが、他の場所に現れるとしたら?」
ユウの目が鋭くなる。
「毒の香りを“移す”という手段だよ。舞台裏で使うには最適だ。気づかれないように香りだけを別人に背負わせれば……」
「毒殺の実行犯をすり替える、か」
カイの言葉にユウはうなずいた。
「王女付き侍女のアカネが昨日倒れたのは、毒の香油が衣に仕込まれていたせい。でもそれは、彼女が持ち込んだわけじゃない。誰かが、彼女の香りを“借りた”」
「つまり、アカネは……替え玉だった?」
「否。囮だよ。毒が使われると分かっていた者が、舞台上で犯人に見せかけるために、意図的に香りを仕込んだんだ」
ユウはその香油の瓶を逆さにし、乾いた布に数滴だけ垂らす。かすかに広がる花香。その奥に、針のような鋭さ。
「ベラドンナ……いや、“飽和アルカロイド”。中毒症状を緩やかに引き延ばすタイプだ。直ちに死なない。むしろ“時間差”で倒れる」
「舞踏会の直後に発作。舞台の片隅でうずくまった侍女に注目が集まり、他の動きはすべて見逃された」
「──暗殺対象は、侍女ではなかった」
その瞬間、背後で戸が静かに開かれた。
「その通りですわ、ユウ様」
現れたのは、王女の侍女長、リオナ。いつもは冷ややかだが、今日は微かに口角が上がっている。
「ようやく気づいてくださいましたね。お優しい医師殿が、毒の正体に」
「あなたか……王女の身代わりに、侍女を囮にしたのは」
「侍女の命は軽い。ですが、王女の命は国の象徴。正義の医師殿なら、理解してくださるでしょう?」
「……命に重いも軽いもない。もしあなたが“守るために”毒を使ったというなら、その理屈こそ、国を腐らせる」
ユウは冷たく言い放ち、リオナの前に香油の瓶を差し出した。
「この瓶が調香師の部屋にあった。だが、調香師は数日前に別室で死んでいた。心臓発作とされたが、今ならわかる。あなたは、この香油で調香師を毒殺した」
「証拠は?」
「瓶の底に、調香師の指紋がある。そして、瓶の“外”には、あなたの指紋も。あなたが瓶を握っていた時間は、計測できる」
「……冗談を」
「王宮の錠前職人が調香室の棚を修理に来ていた。そこに残っていた微量な血痕と繊維片は、調香師のものだ。つまり……あなたが事件の最初の犠牲者を作った」
リオナの目が大きく見開かれる。だが次の瞬間、ゆっくりと瞳を伏せ、笑った。
「それでも……私は、王女を守った。それだけですわ」
「毒で守る正義など、あってはならない」
カイが絞り出すように言った。
「毒薬は、舞台裏でしか微笑まない。誰かが幕を引くその瞬間まで、決して表に出てこないんだ」
リオナは囚われ、香油の瓶も王城の医薬室に封印された。
だが、ユウの中には一つの疑問が残り続けていた。
──あの瓶が「最初」ではなかったとしたら?
毒の起源は、まだ誰にも暴かれていない。そう、毒とは“花の香りを装って微笑む”、誰より狡猾な使者なのだから。




