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第2話:宦官と毒桃と逆さの目

(部屋の中で桃を食うのは、やめといたほうがいいと思うよ)


そう言いかけて、ユウはやめた。目の前の妃嬪は、既に舌がもつれていた。


「……お水を、お願い……」


妃の肌は白磁のように美しかったが、今は少しも艶がなかった。瞳はうつろで、手足は震えている。


とはいえ、これは中毒症状ではなかった。


水を差し出すふりをして、ユウは軽く匂いを嗅ぐ。桃の香り、花蜜のように甘ったるい。その奥に、かすかにアルカロイド系の刺激臭。人間が感知できるギリギリの濃度。


「ふーん……。なるほど」


と、ユウはいつもの調子で呟いた。


「どうして、こんなものが……」


そばに控えていた女官が不安げに尋ねる。無理もない。王宮の一角で、妃が突然倒れたのだ。しかも、先日《逆さの瞳で死んだ侍女》と同じ部屋。


「ねえ、その死んだ侍女さんって、宦官と仲が良かったとか、そんな話なかった?」


「え? あの、そう言われてみれば……彼女、時々、台所に呼ばれてて……」


ユウは満足そうに頷いた。


(やっぱり。匂いのルートが、そこにあったか)


桃に仕込まれていたのは、揮発性の幻覚性物質。乾燥した空気、閉じた部屋、そこに漂う香気。何も知らなければ、"呪い"と叫びたくもなる。


「問題はね。桃じゃないの」


ユウは、部屋の隅に目を向ける。


干されたままの洗濯物。とくに、白い下着の裾に、染みのように残る灰色の影。


「これ、洗ってないでしょ。いや、洗ったけど、乾かす時に……なにか吹きかけたね」


女官は口を押えた。


「まさか……あの宦官……!」


「うん。おそらく、本人は知らないよ。使い魔か、あるいは《使われてる側》だったのかもね」


宮中に出入りできる者は限られている。毒を持ち込むのは難しい。しかし、《香り》であればどうか。洗濯物に染み込ませ、乾燥時に放出させる。何日も何人もが同じ部屋にいたら、影響を受ける者も出てくる。


しかも、香りには《記憶の再生》作用もある。かつて妃が流産したとき、嗅いでいた香り。その記憶が無意識に身体を蝕む。


ユウはそう考えた。


「つまり……これは呪殺なんかじゃなくて……香りの、記憶操作……?」


「うん。呪いが本当に怖いのは、本人が『呪われた』と思い込むことで身体を壊すってことだよ」


妃の様子を見る限り、精神的なショックが大きい。幻覚が引き金になり、過去の恐怖がぶり返し、自律神経に影響した――ユウの診たてだった。


「で、これが犯人のメッセージ」


ユウは、妃が倒れる直前に部屋に置かれていた桃を持ち上げた。その表面には、小さな《逆さまの印》が彫り込まれていた。うっすらと見える、"魚"のような形。


「逆さの目、逆さの魚。どっちも"反転"がキーワードかもね」



宮廷の医局では、ざわめきが広がっていた。呪いが本当だという者と、それを否定する者。宦官たちは沈黙を保ち、誰かが何かを隠しているのは明らかだった。


そして、その中心にいたのは――


「ユウ殿。医局の助言役として、正式に任命する」


「……あの、わたし医局に嫌われて追い出された側なんだけど」


「それは知っております。しかし、今は非常事態。これは勅命です」


ユウは、ため息をひとつ。


(いやだなあ、またあの人たちの顔を見るのか)


と、思いつつも。


(でも……もう少し、調べてみたくなってきた)


そう感じている自分に気づいた。


好奇心と知識欲。そしてほんの少しの正義感。


それが、ユウという少女を突き動かす。


次に暴かれるのは、死んだはずの《皇子の影》。


事件は、まだ始まったばかりだった。

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