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第18話:鏡に映らぬ真実

いつも通り、朝の診察を終えたユウが薬草棚に向かうと、棚の端に見慣れない白い花が置かれていた。


「……雪見草?」


手に取った花は、淡く透けるような白。冷気を帯びたような質感が、冬の名残を伝える。


「だれが、こんな花を?」


診療院には、出入りの薬草商たちしか花を持ち込まない。だが彼らが無断で薬草棚に何かを置くことはない。ユウは眉をひそめながら、根元に添えられた紙片を拾い上げた。


《鏡に映らぬものこそ、真の毒。》


短い、詩のような文。誰の手によるものかはわからないが、どこか挑発的な意図が込められている気がした。


その日の午後、近隣の貴族・エルモンド家の女中頭が診療院を訪れた。


「先生……奥方様が、鏡を見た途端、叫び声をあげて倒れたのです」


「鏡を見て?」


「ええ。まるで自分の顔が“溶けていく”のを見たかのように……ですが、私たちが見る限り、奥方の顔に変化はありません。皮膚も、発疹も、なにも……」


ユウは軽く顎をさすった。


幻視、あるいは神経性の症状――だが問題は、それが「鏡を見たときだけ」起こることだ。


「鏡をご覧になったのは、寝室のものだけですか?」


「いえ、どの部屋の鏡でも、同じ反応です。まるで鏡そのものに……なにかが……」


ユウはすぐに支度を整え、エルモンド邸に向かった。


屋敷に入り、奥方の部屋を確認する。最初に異変があった鏡は、真鍮の縁取りがなされた大型の立ち鏡だった。


「……この鏡を見て、奥方は……?」


「はい。顔を覆って叫び、震えながら“崩れていく”と……」


ユウは鏡の前に立ち、じっとその中を見つめる。


自分の顔が映る。歪みも、変色もない。


「……少し、試させていただきます」


彼は懐から小瓶を取り出し、鏡の縁に微かに液体を垂らした。ふわりと立ちのぼる甘い香り――そして、すぐに銀白色の鏡面がわずかに曇った。


「予想通りですね……この鏡には、揮発性の成分が塗られています」


「成分……?」


「錯視性の毒です。吸入すると、神経に作用し、視覚に微細な“誤認”を起こさせる。肌のしわが深く見える、色が灰色がかる、目元が垂れたように見える……本人だけが、恐ろしいほど老いた顔を見ることになる」


「じゃあ……奥方様が見たのは、幻覚……?」


「半分幻、半分真実。脳が勝手に“老い”を想像するんです。恐怖と混ざれば、現実との区別もつかなくなる」


「そんな……では、誰がそんなことを……?」


ユウはもう一度、鏡に手を伸ばし、裏面を軽く指でなぞった。


そこには、小さな紋章が彫り込まれていた。薬壺と鏡――ユウが記憶する、ある特定の職人の印だった。


「……この鏡、五年前に取り替えられていませんか?」


「え? ええ……前のが割れて、新調しました。その時は、奥方様の妹様が手配してくださったのですが……」


「妹、ですか」


ユウは立ち上がり、外の光を手鏡で反射させ、壁に模様を浮かび上がらせた。細工の隙間に、粉状の物質がまだ残っている。直接塗られていた痕跡だ。


「この毒は、雪見草の変種から抽出された成分です。気温が低く、空気が乾燥しているときに揮発性が上がる。最近冷え込みましたよね」


「……はい。春とはいえ、今朝は霜が降りたほどで」


「つまり、この鏡は“春先に発動する毒”として、数年前から準備されていた。自然に発症するように見せかけ、奥方様を“精神錯乱”と診断させ、屋敷から遠ざける意図があった。遺産や家督の問題で、奥方様が邪魔になった……そんなところでしょう」


「まさか、妹様が……」


「決めつけるのは早計ですが、動機としては一番強い人物です。しかも、彼女だけはどの鏡も見ないよう従者に命じていたと聞いています」


「……!」


ユウは、最後にもう一度、あの白い雪見草のことを思い出した。あれは、挑発ではなかった。むしろ――


《鏡に映らぬものこそ、真の毒。》


毒は、見えない形で心に入り込む。言葉、視覚、記憶、恐怖。


鏡が映したのは、誰の顔だったのか。奥方の老いた顔か、それとも……毒を仕込んだ者自身の、内側に潜む「野心の顔」か。


彼は静かに鏡を覆い布で包み、そっと診療鞄に入れた。


その日、雪が再び舞った。


エルモンド家の庭先には、まだ一輪だけ咲き残る雪見草が、冷たい風に揺れていた。

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