表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/24

第16話:黒衣の足跡、月下の誓い

冷たい月光が照らす夜。診療院の裏庭には、誰かの足跡だけが静かに伸びていた。

砂利に刻まれたそれは、人の足跡よりもやや細く、不自然な軽さを感じさせた。


「黒衣の医師」が現場に再度出没した証拠だと、ユウは直感した。


エリシアが裏庭入り口から戻ってくると、ユウが地面を指差していた。


「これを見て。足跡がすり足になってる……靴底には、小さな紋様がある。王宮の象徴に似たデザイン」


「つまり、ただの旅医ではなく、宮廷と関係がありそうですね」


ユウはその足跡を慎重に追って小径をたどった。


——足跡はそのまま禁林へと消えていく。


「逃げ帰ったのではなく、森へ向かった……」


夜気はしんと冷えていた。


翌夜、ユウはエリシアとともに禁林へ出向いた。

月が高く昇り、森の中に人の気配はなかったが、湿った苔に残る足跡を発見する。


「月光を浴びると、翡翠のように光る粉が…絵具の砕片か」


「絵具……第十三話の肖像画で使われた顔料ですね」


ユウは懐から小瓶を取り出し、粉末をトレースペンで採取した。


「分析すれば、かつての顔料と同一の成分混合率だ」


つまり、“黒衣の医師”と肖像画を改竄した者は同一人物、あるいは密接な関係にある可能性。


翌朝、診療院に一通の密書が届いた。封蝋は月のシンボル。内容はこうだ。


「月下で会おう。絵を観て、毒を知る者へ」


文末には、かすかな血痕とともに、筆跡とは明らかに異なる「黒い染み」が付着していた。


「これは……血じゃない。墨と錆の混合だ」


エリシアが顕微鏡を取り出し、染みに含まれる成分を示す。


「錆びた鉄の粒子。この文は“写字生の焼死体”とは別人が書いたはず」


ユウは静かに考え込む。


「会おうとする相手が、“影を見抜く者”であるなら……偽りの肖像、偽りの毒、全てが表現されているのね」


その夜、ユウは木枠の仮設会場で待っていた。白いスカーフに黒衣を羽織り、月明かりに溶け込むように。


足音が近づき、細身の影が現れた。仮面の下の瞳は鋭かった。


「待ってくれてたのね、異端医」


低く冷たい声。


「私は、あなたと“薬と記憶の罪”を共有する者――月下の旅医です」


仮面の男は、そっと手を差し出した。そこには、銀の小瓶。雪見草の香液と、翡翠火粉が調合されている。


「これで本来の“肖像の記憶”を見せようと思った。だが、君が止めた」


ユウは小瓶を受け取り、静かに答えた。


「記憶の書き換えは、誰かの正義を独占すること。それは毒と同じですよ」


仮面の男は沈黙し、やがて低く誓った。


「ならば、私は“月下の誓い”を果たす。——再び混乱をもたらさない。だが、“記憶を守る者”として、君を信じる」


ユウは頷き、小瓶をそっと火にかざした。


「この草と毒を封じます。記憶という火種とともに」


翌朝、仮面の男――黒衣の旅医は姿を消していた。

ただ、月のシンボルを刻んだ古文書が、診療院の薬草棚にそっと置かれていた。


そこには、かつて姫君に関する真実と、領主の血統改変の記録が記されていた。


「これもまた、“歴史を捏造する毒”だったわけね」


エリシアがそっと口をついた。


ユウは薬草棚越しに、遠く西の森へ続く小径を見据えた。


「影は歩き去った。でも、記憶を守る責任は残された」


その手に残る銀瓶の微かな重みを感じながら、ユウは次なる“記憶の毒”と向き合う覚悟を固めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ