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第13話:秘薬と偽りの肖像

 黄昏の空に、低く霞がかった灰色の雲が垂れこめる。診療院の奥、薬草庫にてユウは蒸留器の火を細かく調整しながら、凝縮される琥珀色の液体を見つめていた。


「この香り……やはり、雪見草の残滓が混じっている」


 微かな甘みと渋みを帯びた香気は、かつて王都の薬師養成所で一度だけ嗅いだ、禁忌薬の名残に酷似していた。雪見草──冷地にのみ咲く稀少な毒草。その抽出液は、わずかな量でも感覚を鈍らせ、真実を“偽る”薬として恐れられていた。


 今朝、屋敷から駆け込んできた商人・ドナートは、領主の依頼で管理する貴族の肖像画修復作業中に倒れ、幻覚にうなされていた。彼の語る内容には不自然な点があった。毒による症状というより、「記憶の齟齬」が散見されたのだ。


「ユウ、例の絵具を持ってきたよ」


 リンが盆に載せて持ってきたのは、修復作業に使われていた古絵具──貴族家に代々伝わる天然顔料だった。ユウは小瓶の中身を丁寧に匙で取り、硝子皿に伸ばして火を近づける。


 ──シュウ、と香が立ち昇った。


「これだ……この匂い」


 微かに草木の匂いが混じるその香は、明らかに毒草由来のものだった。だが、雪見草は乾燥させただけでは毒性を失うはずがない。となると、どこかで精製過程があったか、それとも……


 ユウはふと、絵具の色──薄い藤色に視線を落とす。見慣れぬその色味に、かつての記憶が蘇った。


「まさか、雪見草の根を石灰で煮て顔料にしているのか? その製法は……隠蔽用だ」


 雪見草は、かつてある諜報組織が使った“記憶撹乱毒”の原料だった。彼らは雪見草の根を粉末状にして、文書や絵画に塗りこむことで、対象の記憶を意図的に「書き換える」手法を用いていた。


「ドナートが見たのは、偽りの肖像……つまり、肖像画そのものが“毒”だったんだ」


 描かれた主──領主家の曾祖母の肖像は、実は現領主が偽装した別人の姿。肖像画を修復するうちに、毒が皮膚から吸収され、ドナートの記憶に混乱をもたらしていたのだ。


「リン、ドナートに再度会わせて。幻覚が治まっている今なら、本人の証言も取れる」


 リンが頷いて小走りに奥へ消えた数分後、ふらつきながらも自力で歩くドナートが入室した。ユウはすぐさま香を焚き、彼の脈を確認しながら尋ねる。


「あなたは、あの肖像に何を“修復”したのか、覚えていますか?」


 しばらく沈黙したのち、ドナートは青ざめた顔で呟いた。


「……髪の色を、黒から金へ。瞳も、青に。領主直々の依頼で、原画を“美化”せよと」


「では、本来の人物は──」


「黒髪の、無表情な女性でした。まるで……誰かの影のような」


 ユウは立ち上がり、棚から一冊の古い記録簿を取り出した。そこには、百年前の領主家の家系図があった。そしてその一節に、こう記されていた。


《曾祖母・カトリーナ 没年不明。謎の失踪により、後に肖像画が“新たに”描かれる》


「やはりな。彼女は生きていた──だが、何らかの理由で“消された”」


 そして現在──現領主がわざわざ古絵を修復させたのは、曾祖母の“姿”を改竄し直す必要があったから。


「肖像画を通して、血統の正当性を“捏造”したのだ」


 ユウは静かに、肖像画を薬草庫の奥にしまい込んだ。証拠品として、それは保管されるべきものだった。


 数日後、王都から届いた使者がこの件を聞きつけ、秘密裏に調査が開始された。領主の動向も監視対象となり、ユウはひとまずこの一件の幕引きを見届けた。


 だが心のどこかで、何かがまだ終わっていない感覚があった。


 雪見草は“記憶を塗り替える”。


 ──ならば、この地で「本来の歴史」を忘れた者たちは、いったいどれほどいるのだろうか?

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