第12話:毒の名は、雪見草
診療院に冬の気配が忍び寄る頃、ユウのもとに一通の文が届けられた。送り主は貴族領の一つ、白銀家。件の内容は、「姫君の体調不良につき、診立てを願いたい」というものだった。
「名を、雪乃姫と申します」
雪乃姫──その名にユウは微かに眉をひそめた。雪乃姫は幼少より病弱で知られ、「氷の姫」とも囁かれる人物。だが、記録に残された既往歴を読み解いても、疾患の診断名は曖昧なままだった。
ユウは傍らにいた助手のレイナに問う。
「白銀家に伝わる毒草の話を、知ってるか?」
「毒草……まさか、“雪見草”ですか? でも、それはもう絶えたと──」
「ああ。けれど、"絶えた"とは誰が決めたのかね」
雪見草──かつて辺境の山岳地に自生していたが、強力な神経毒を含むために封印され、焚書によりその存在さえ抹消されたはずの植物。だが、文献の断片に、わずかにその名は残されていた。
白銀の館は、まるで凍てついた庭園の中に佇む静寂の城だった。雪乃姫は部屋の奥、薄布に包まれた寝台に伏していた。
「……寒いの」
囁くような声で、姫は呟いた。肌は青白く、手足の先はしびれるように感覚がないという。
「湯を浴びても、暖炉を焚いても、寒いんです」
ユウは触診し、脈を診、舌を見、そしてそっと窓辺の小さな鉢植えに目をやった。
淡い白花──まるで雪のような色をした、小さな草。ひと目でわかった。あれこそが、雪見草。
「姫、どなたがこの花をお持ちに?」
「……母が。寒がりの私を案じて、香りがよいからと」
ユウの脳裏に、ある毒性植物の性質が浮かぶ。
(雪見草の毒──吸引性の揮発毒。接触では発症せず、香りに長く曝露されることで、末梢神経が侵され、寒冷錯覚が生じる)
姫の「寒さ」は、実際には体温の低下ではない。感覚の麻痺と錯覚による“冷え”の感知異常だった。しかも長期曝露すれば、最悪の場合、呼吸中枢を麻痺させる。
「レイナ、炭を焚け。いや、まずこの花を今すぐ外へ」
レイナは目を見開いたが、すぐに布で鉢をくるみ、屋敷の外に運び出した。ユウは姫の呼吸を安定させるため、特殊な吸入薬を調合し、氷霧のように立ち上る蒸気を吸わせた。
半刻後──
「……あたたかい」
姫がかすかに微笑んだ。
「それが、本当のぬくもりです」
白銀家の奥方が、応接間でユウに頭を下げた。
「……私の無知が、娘を危うく死に至らしめるところでした」
手渡された文には、花の名と毒性、そして今後の管理の注意が記されていた。
「それにしても、なぜ雪見草が今……? 奥方、あの花、どこで手に入れたのですか」
問いかけに、奥方はわずかに視線を伏せた。
「一通の手紙が、屋敷に届いたのです。“雪乃姫には、雪の花が似合います”と──差出人は記されておりませんでした」
ユウの眉が、静かに動いた。
(誰かが、意図的に花を贈った──そして、それが姫の病を偽装し、もしくは……死を誘う意図だったなら)
背後にある悪意の気配が、雪の中にひそやかに溶けていく。
帰路の馬車の中で、レイナがぽつりと呟く。
「先生、やっぱり……あれは毒だったんですね」
「そうだ。けれど、その毒がすべての人に“悪”を為すとは限らない」
「え……?」
「毒とは、量と用い方次第で、薬にもなる。雪見草もまた、人の心を凍らせるものか──あるいは溶かすものかは、手にする者次第だ」
外はまだ雪に染まる気配はなかったが、ユウの瞳には、もう一つの「冬」が確かに映っていた。
掲載が終わったので、一度完結済みにしておきます。
明日以降執筆が終わり次第、再開します。




