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第10話:彼女は、毒を選ばなかった

 自らの手を濡らすことなく人を殺すには、いくつもの方法がある。


 それでも――わたしが予想していた毒は、使われていなかった。




「やっぱり、毒じゃなかったのね」


 そう言って呟いたのは、宦官のリェンだった。信頼に足る協力者――のような顔をして、最も情報を握りながら、それを小出しにする狡猾な男だ。


「では、あの第二妃は、なぜあんな症状を……?」


「症状は毒に見えたでしょう? でも、本当に毒なら、あれほどの持続性はない。彼女の身に起きていたのは――」


 わたしは筆を持ち、携えていた木簡に図を描いた。静脈の流れ、経絡、そして首筋から心臓にかけての血の流れ。


「絞扼。すなわち、首を圧迫された形跡があるの。でも、それが外傷として残っていない。つまり……」


「自分でやったということか?」


「違う。彼女の枕に仕込まれていたのは、低反発のように形を保つ干草の詰め物。真ん中が凹んでいて、自然に首に圧がかかる。長時間かけて、じわじわと静脈を圧迫するように設計されていた」


「殺意が、柔らかすぎるな」


 リェンは皮肉のように笑う。


「そう。しかも、この方法だと、医師ですら見逃す。毒物反応も出ないし、呼吸が止まるわけでもない。だるさ、動悸、軽い痺れ、全身の疲労感……。それらが、第二妃の"虚弱"と診断されていた原因だった」


「では、第二妃は――殺されていたのか?」


「否。これは未遂。第二妃は、気づいていた。自分が何者かに害されていることに」


 だから彼女は、あの“蜂蜜漬けの棗”をわたしに出したのだ。毒見ではない。あれは、わたしを試すための診断だった。薬膳に込められたその意図は、動悸と虚脱感を誘発する漢方――すなわち、自らの症状と同じものを一時的に再現させる調合だったのだ。


 それを見抜いた医師になら、話してもよい――彼女は、そう考えていた。




 夜の診療院。わたしはその第二妃――アシュエン妃の居室に呼ばれていた。


 そこには、彼女一人ではなく、もうひとりの女がいた。


「……第一妃の、侍女?」


「ええ。ミーナです。わたくしの旧友ですのよ」


 そう言って微笑んだアシュエン妃は、まるで毒のような冷ややかさで言葉を続ける。


「彼女が教えてくれましたの。わたくしの枕に何かが仕込まれているのではないかと」


 ミーナは俯いていた。だが、沈黙は肯定を意味する。


「なぜ、第一妃の侍女があなたに忠告を?」


「逆ですわ。第一妃さまが、仕組んだこと。わたくしを害するつもりで、侍女を通して――でも、彼女は……それを良しとしなかった」


 わたしは目を伏せたミーナに尋ねた。


「あなたは、裏切ったのね?」


「ええ。でも……本当は、これが正しいと思った。妃さまたちは、知らないのです。どれほど陛下の寵を争うことが、女たちを壊していくのか」


 ミーナの指は震えていた。わたしはそっと、卓上の茶を差し出した。


「……あなたの判断が、第二妃を救った。けれど、それは政治的には罪とされる」


「わかっています」


「わたしが、口を閉じる理由が必要ですか?」


「あなたが……医師でよかった」


 彼女は泣きそうな声で言った。




 アシュエン妃の事件が収束したその夜、また一通の密書が届いた。


 白い羊皮紙に、赤い印の封蝋。そこには、こう記されていた。


――《次は"沈黙の書庫"へ》。

――《王宮に棲む"口のない死者"を、診てください》

 


 わたしは、そっと封を閉じた。


「……死人に口なし、か。なら、耳をすませてみましょうか」

書き溜めた話の掲載が終わったので、一度完結済みにしておきます。

明日以降執筆が終わり次第、再開します。

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