花喰いのセレナ ― 彼岸の手紙 ―
――これは、「花が視た記憶」をめぐる、ある依頼の物語。
東京の下町、さびれた商店街の奥に、その花屋はあった。
「記憶花屋ユグドリーナ」
無愛想な青年と、銀髪紅眼の少女が営むその店では、花束の注文は基本的に断られていた。
代わりに、客が持ち込む“枯れかけの花”に耳を傾ける。
その日、店にやってきたのは、
二十代半ばの女性だった。
彼女は古びた茶封筒と、一輪のヒガンバナを取り出して言った。
「……これ、姉が亡くなる前に残していた花なんです。
最後の言葉が『赤い花に全部書いた』って。それで、気味が悪くて……でも、捨てられなくて」
少女──セレナは、何も言わずに花を手に取った。
その瞳が、ゆっくりと赤く輝く。
「“喰べて”も、いい?」
「……ええ」
セレナはヒガンバナの花弁をひとひら、口に含んだ。
花が苦みとともに溶け、彼女の意識に記憶が流れ込む。
──そこは、真っ白な病室。
ベッドの上にいるのは、依頼人の姉と思しき女性。手元には赤いペンと茶封筒。
(……やっぱり……死ぬんだ、私)
彼女の瞳には諦めが浮かんでいた。
けれど、紙に書かれていたのは恨みでも悲しみでもなかった。
『ひかりへ。
私が最期まで、後悔せずに生きられたのは、
あなたが“生き続けてくれる”って信じてるからです。
ありがとう。さよならは言わない。来世でも、妹でいて。』
セレナは目を開けた。
「……優しい人だった。ちゃんと、お別れしてたよ。手紙の中で」
「手紙……?」
セレナはうなずいて、そっと依頼人の手に茶封筒を返す。
「読んでごらん。多分……ヒガンバナの香りと一緒に、文字が浮かび上がるはず」
依頼人は戸惑いながら封を開き、中の紙を取り出す。
そこには、かすれた赤いインクで、柔らかい筆跡が残っていた。
手が震え、涙が頬を伝う。
「……お姉ちゃん、ちゃんと……最後まで私を……」
セレナは、花の余韻を残したまま、黙ってそれを見ていた。
店の奥で、青年・葵がふっと呟く。
「こうして、また“花に埋もれた想い”が一つ、救われたってわけだ」
セレナは一言だけ、ぽつりと答えた。
「……花は、忘れないから」
その日もまた、都会の片隅で、ひとつの記憶が咲いた。
目には見えない“香りと記憶”の残り香を残して。